アメコカ マイケル  "Twinkle Twinkle Little Star"

マイケルの日常や庭の草花等色々織り交ぜながら、お届けしま~す。

Hi there!! Sending happy thoughts ur way!

  ☆☆☆☆☆ ☆☆

ローマのゴージャスなマック!!!

2010-07-31 | trip
 イタリア共和国の首都、そしてラツィオ州の州都、ローマ。 テヴェレ川上流約30KMに位置していて、前回のバチカン市国は、その川の西側、今回のローマは、東側。2000年以上前の古代遺跡や中世ルネッサンスの宮殿、バロックの教会等、歴史的遺産が集中していて、ローマ観光1日だけの私達には、さわりだけしか見れませんでした。



テヴェレ川、時間があったら、遊覧船からのゆっくり景色を楽しんでみたかったのですが。パリのセーヌ川、ロンドンのテムズ川等、ヨーロッパは都心を流れる川の景観が、とても美しく、また、気持がいいですよね。
     

       


                 


 ランチに、チーズたっぷりのピザを食べました。手頃で、量もあり、美味しいピザ。ミラノ、フィレンチェ、ローマと旅行中、知らず知らずのうちに ピザをよく食べました。 日本では、数か月に1回食べるか、食べないかですが。
数年前のペストセラー小説かつ、J.ロバーツ主演で映画化された"eat pray love"のイタリアでのようにやはり、イタリアはピザの国ですね!!


まずは、中心地にそびえ立つ白亜の殿堂、1870年イタリア統一の立役者、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称え、市民からデザインを募り、1885年施工開始。1911年(もうすぐ100年)に完成した巨大な記念堂。騎馬像の下には、第一次世界大戦で命を落とした無名の戦士らが祀られている。 大理石でできた階段を、頂上部までのぼると、コロッセオや、パラティ-ノの丘など、ローマの街を、一望できるそうです。                                        
                                   
                 



いよいよ、 古代ローマの中心地、フォロ・ロマーノ(ローマの広場)へ。 

ここは、紀元前509年頃から、ローマ共和国の成立と共に政治の主役であった市民が、集った場所。紀元前1世紀には、ギリシャ(アテネ)やエジプト(アレキサンドリア)に比べ、不細工なレンガ造りだったローマを改造する計画をしていたユリウス・カエサルが暗殺され中断。その義理の息子、アウグストゥスが、初代皇帝となり、美しい大理石の都へと、大改造工事をしました。その後歴代の皇帝が、壮大な建物(成功の証として、死後も人々の記憶に残り続けるもの)を建設し、偉大なローマ帝国として、約1000年にわたり栄え続けた場所が、フォロ・ロマーノです。 

まずは、西暦320年頃のこの辺を、Googleの3D映像で、ご覧ください。

Discover Ancient Rome in Google Earth
 

   入口には、西暦203年、セヴェルス帝の功績を称えて建てられた高さ21mの凱旋門があります。

                     


6万人のローマ市民が、熱狂した古代闘技場-コロッセオ。西暦80年、ティトウス帝が、エルサレムより連れ帰った4万人の奴隷を使いわずか8年で完成。 当時の皇帝は、「パンとサーカス」と揶揄されるように市民の人気取りと政治への関心を削ぐために無料で小麦を配給し、連日連夜、闘技や演劇を企画。完成時は、100日間連日闘技会を催し、市民を熱狂の渦に巻き込んだそうです。
 
今のイタリア人のサッカー狂みたいに競技に熱狂したのでしょうか? ”トトカルチョ”(サッカーくじ)、ほとんど忘れたイタリア語ですが、今でも覚えている言葉-つまり昔よく耳にした言葉です。

        

かつて、この中央には、円形の穴のあいたキャンパス聖の巨大な天蓋があり 観客は、暑い日差しや雨を避けて、競技を見ることができたそうです。
ちなみに、競技場の舞台は、アリーナ(ラテン語の砂)。舞台には、砂がひかれていて、闘技で血に染まる度に新しい砂が撒かれたところから、そう呼ばれたそうです。


コロセウムの建て方と、古代のここでの闘技がどんなものか?興味のある方は、ご覧下さい。
 
 
Building Rome's Colosseum
昔の建築家は偉大です。機械もなく、コンクリート等の材料もなく、よくこれだけのものを、造りましたよね!!


Colosseum, Rome's Arena of Death
 


    2000年後の今、皇帝の成功の証である壮大な建物を見ながら、歴代皇帝や当時のローマ市民の歩いた石畳を 私も思いをはせながら、ちょっと散策してみました。

 至る所、2000年前の巨大な建築物の遺跡で、これは、何だったか忘れてしまいました



次は、やはりローマの観光スポットの定番、トレヴィの泉。 
トレヴィは、三叉路という意味でこの前から、3本の道が延びています。古代ローマ時代の水道のあった場所。1400年代に教皇の命で噴水が作られ、更に18世紀、若き建築家ニコラ・サルビにより 中央の海の神ポセイドンやトリトン等躍動感あふれる大理石の彫刻が、デザインされました。彼によって、トレヴィの泉は、コバルトグリーンの輝く泉の色と光、流れ落ちる水の躍動と音が彫刻と美しく調和し、人々の心を永遠に魅了する泉となりました。

                    


 真ん中に陣取り、コイン投げの正式ポーズ(後ろを向いて、右手で左肩へ)。この人ごみで、完全おのぼりさん状態です。以前にも、1回投げて、再来を果たしたので、今回も、1回投げたから、また、行けるかなあ?? 



次は、「ローマの休日」で、有名なスペイン広場へ。 今は、高級ブランドショップの立ち並場所ですが、1800年代は文化人の社交の場だったとか?英国詩人キーツの住居も記念館として残っていて、今回、寄る時間ありませんでしたが、老舗カフェ・グレコには、18世紀当時のこのカフェに通った写真やサインが見られるそうです。


         また、また、お上りさん撮影です 


    
              





ローマでお上りさんしている間に、もう20時過ぎ。日も少し暮れて来たので、この夜は、ホテルから、そんなに遠くないマックで夕食をとることにしました。
  
 
 共和国広場が目の前に広がる、美しい白亜の大理石のマック!! 19世紀の宮殿を改装したようです。その右隣は


       極上ホテルのボスコロ・エクセドラ。やはり宮殿を改装して2002年オープン。 豪華な調度品でまとめられた客室は、セレブ気分が味わえるとか??


まずは、マクドナルド(様)宅の入り口です。


        大理石高い天井。立派な看板。ここで、軽装でハンバーガーをいただくのは、恐れ多いような気持で、気楽に入っていく人々にまじって、ちょっとドキドキしながら中に入っていきました。


         入り際で振り向くと、大きなランプが見えるように、カッティングされた看板の意図がわかりました。そこから、ランプの明かりと共に、ローマ(共和国広場)の黄昏時が、美しくみえました。 それにしても、これだけの場所にアメリカ資本のマックができる事、ローマっ子は反対しなかったのか、ちょっと気になりました。


     大理石の柱に貼られたメニューの一覧表。日本より品数豊富かも?



 この光景は、お馴染ですね。でも、天井の高さと、壁や床が、大理石と言うのは、ちと違いました。


   ただ、横手にエスプレッソ専用のカウンターがあるのは、さすがイタリアと思いました。でも、私のバーガーと一緒に注文したエスプレッソは、悲しい事に・・・。


            なんと、これだけ!!! 一気飲みサイズ??
 これで、80円位だったか? アメリカ資本のマックなのに、エスプレッソは、イタリア式?折角、このコーヒー1杯で、1日中、歩きまわった疲れを癒したかったのに~!!

これって、オーダーミス??それとも、これがノーマル??でしょうか?どなたか、わかる方、教えて下さい。でも、この時は、有難い事に主人の注文したミルクが、ノーマルサイズだったので、そのミルクを、入れて、カフェオレにして飲みました。「ブオ~ノ!!」

                


以下、注文したバーガーです。

  これ、お腹が空いてたせいでしょうか? とっても美味しかったです。 値段は、忘れてしまったのですが、250円位だったかな?   


        ちょっと、中を開くとこんな感じで、とっても具だくさん!!


             夏なので、テラスで食べる人々も結構いましたが、涼しい地下で、頂きました。 確か、ブタペストのマックも、かなりゴージャスでした。 天井が高くシャンデリアが美しくきらめいていて、食べる所はローマよりお洒落だったかも??
この日は、テルミニ駅近くの遺跡地区にある斬新なイタリア的感覚のラディソンSASに 泊りました。


次回はナポリ、ポンペイの遺跡の見学のお話をする予定です。 ではまた
     

                                       

ローマ-バチカン市国(サン・ピエトロ大聖堂)

2010-07-29 | trip
 昨日に引き続き、ローマ教皇が統辞する世界の最小の独立国家-ヴァチカン市国です。バチカン美術館の隣、カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂に行きました。 

この教会は、そもそも西暦64年、暴君で知られるネロ帝の迫害を受けて殉教したイエスの1番弟子であり初代ローマ教皇である聖ペテロのお墓がここにあったそうです。その後326年、コンスタンティヌス帝が、彼のお墓の上に教会を建立しました。1506年、建築家ブラマンテの設計により大改築がスタート。120年もの年月をかけて完成したそうです。その間、ルネッサンスを代表する芸術家-ラファエロ、ベルッツィ、サンガッロ、ミケランジェロ、ベルニーニ、etc-が、関わり、完成を見ないで、没していきました。 彼ら製作者達が、思い浮かべる事しかできなかった巨大な芸術作品を、数世紀先の世界中の人々が、堪能しているというのも不思議な気がしますね。

どこを見ても、すべてが芸術であり、数百年経た今も、そして、今後もその偉大さ、素晴らしさは、色あせず、カトリック信者の方々は勿論、私達のような観光で訪れた人々にも、すべての人に感銘を与える事でしょう(イタリア観光案内みたい??)


  この広場(サン・ピエトロ広場)が、ローマのアヴェレ川の西側にあるヴァチカン市国の玄関口。 建築家ベルニーニが、設計を担当し、1667年(日本は、江戸時代初めか?)完成。中央に見えるオベリスク(25.5m)は、西暦40年、エジプトから運ばれたものだそうです。 


 この広場、大規模な集会の時は、30万人の人々が、収容できるほど広いようです。

 
 これらの円柱は、ドリス式。284本あり、楕円形の回廊を支えている。回廊の上を見ると、140体ものカトリックの聖人像が、広場にいる私達を、見守っていました。 昔(若い頃)訪れた時は、冬で、とても寒かったのですが、クリスマスの心温まる楽しいページェントの飾り付けを見ることができたました。

    
          いよいよ、カトリックの総本山の中へ、入ります。



        




     大聖堂内、中央の身廊の幅だけで、58m!! 更に、この左右に側廊がある。また、奥(ちょうどドーム-クーポラ-下)に、教皇の祭壇を覆う大天蓋が見えます。


      入口より右の方を見ると、ミケランジェロ、23歳の時の作品-ピエタ像。このような題材に挑み、見事に彫りあげたミケランジェロ、23歳の青年の作品とは、信じがたい完成度です。マリア様の慈悲に満ちた表情には、心の美しさまで映し出しているようで、このすばらしいピエタ、以前みた時は、防弾ガラスケースに入れられていませんでした。が、その後、異常者による破壊事件(足?)のため、このようなケースに入れられてしまったようです。


 この像は、教皇の祭壇に至る少し手前にあります。イエス様の1番弟子の聖ペテロ像(初代教皇)、13世紀のブロンズ像です。「私は、あなたの天の国の鍵を授ける」(マタイ16:19)というイエス様の御言葉により、ペテロは、鍵(複数形)を持った人物像として、描写されています。
パレスチナのガリラヤ地方の漁師だった彼は、イエスの1番弟子として、使命を果しました。 西暦64年(~67年)、暴君ネロ支配下のローマで殉教したと伝えられています。また、イエス様と同じ十字架刑は恐れ多いと、もっとつらい逆十字架刑にされて、前述のように、その遺体は、この地に葬られたそうです。



      クーポラ(ドーム)の真下、教皇の祭壇を覆うブロンズ像の巨大な天蓋。



           1633年に製作されたもの。クーポラによる、天井の高さとつたのからまる捻じれた4本の柱や装飾が、荘厳さと、厳粛さな雰囲気を演出しています。

それは、更に聖堂の最奥(最も神聖な場所)の聖ペテロの司教座へと続きます。 内部に聖人が使ったとされる古い司教座があるそうです。  

          ちょこっと、ママ登場。


バチカン美術館へ、入るために、市国外の道沿いに並んだ行列です。日陰もなく とにかく暑くて、日本の番傘?が日よけに、売っていて、さしている人達みかけました。左下の写真のちょっと小さくて派手なオレンジ色の傘がそうです。

 

 次回は、テレビでもよく見かけるローマの観光名所を少しと、ローマのマック等を、載せるつもりです。 では

                                


ローマ-バチカン市国-

2010-07-28 | trip
ローマでは、まず、以前にも訪れた事のあるバチカン市国のバチカン美術館、そして、サン・ピエトロ大聖堂へ。 さすが、キリスト教(カトリック)の総本山であり、かつルネッサンス時代の芸術家たちの芸術の結晶。 世界中から訪れて来た人々の熱気に満ちていました。

   
       バチカン美術館の回廊入り口、手荷物(中にお土産のガラスが入っていた)は、ここで預けて中へ。


               高い天井の荘厳な回廊。 


  この天井装飾は、彫刻と思ったら、だまし絵ときいてびっくり。


*ここで1番見たかったのは、前回修復中で見られなかったシスティーナ礼拝堂の絵画史上の最高傑作と言われているミケランジェロ作の「最後の審判」と、「創世記」を描いた天井画。 フィレンチェのアカデミア美術館でみたミケランジェロのダビデ像にも、圧巻されましたが、この天井画と祭壇画の迫力と緻密さにも驚かされました。ただ、撮影禁止の場所、特にフラッシュ撮影は保存上問題のあるはずなのに、あちこちでパチパチ。 もっと人が少なく、話し声や写真のフラッシュの光等がない厳かかつ神聖な礼拝堂で、聖書の世界を再現した2作品を鑑賞できたなら、更に印象深いものと、なったと思い、ちょっと残念な気がしました。 でも、世界中の人が見に来るのですから、仕方がないのかなあ?その点、ミラノのダビンチの「最後の晩餐」は、予約制、かつ、その壁画のある部屋には、25人以内と人数制限もあり、写真も完全禁止、入った瞬間から絵に集中できました。そのせいか、「最後の晩餐」が、この旅で、最も深く感銘を受け、1番心に残っています。(今回の旅で鑑賞した作品は、どれも 余りに、素晴らしすぎて、甲乙は、つけられませんが。)



 バチカン美術館の中庭からは、サンピエトロ大聖堂のミケランジェロの設計した巨大なドーム(クーポラ)が、後方に見えます。


         サン・ピエトロ大聖堂以降は、また次回に

   

マイケル、come back!!

2010-07-27 | trip
ママ、パパは、無事旅行から戻り、ぼくも、ばあちゃん家からお家に戻って来ました。 これから、また、よろしくおねがいしま~す。


         ちょっと、ふっくらクマゴロウに戻った?マイケルです。 

ばあちゃんの家に預けられて約2週間、ばあちゃん、じいちゃんに、大好物のかぼちゃも、もらって、沢山遊んでもらったよ(マイケルお泊まりのために、両親、ジムを、ず~っとお休み、ジムの友達が心配して、電話をくれたそうです。)。とっても、楽しかった!! で、体重は、また、13KGに戻ちゃったみたいだけど・・・・・。
 
                     旅行に行く寸前(約2週間前)の写真と比較すると、約1kgの差は歴然、やっと、痩せて精悍な顔立ちになった?と喜んでいたのに・・・。



それに、ぼく、おりこうにしていたんだよ。ばあちゃんのふとんの上に寝ていて(母は、漬物石が脚にのってる悪夢をみたようです。)、1度だけ オネショしちゃったけどね。あとは、お家に居る時と同じに、ちゃ~んと、トイレ用トレイで、したよ。

 じいちゃんが食事の時、こっそり落としてくれるの、おいしかったなあ!! ママには、内緒だけど。でも、やっぱり、お家はいいなあ!! (帰還後、笑顔で寝ているマイケル見ての私達の勝手な解釈です。)



*先週、すりにすられる事もなく、13時間のフライトでエコノミー症候群になることもなく、”マンジャーレ(食べて)、カンターレ(歌って)、アモーレ(恋をして)”のイタリアで、休暇を過ごして、無事、2人とも我が家に戻りました。即、その夜にマイケルを迎えに行ったのですが、その後バタバタしていて、パソコンを開ける暇なく、ブログ更新も、楽しみなみなさんのブログを拝見することもできませんでした。 また、コメントも頂きながら、返信が大変遅れて申し訳ありませんでした。 今週から、ぼちぼちで、ブログを、再会していきたいと思っています。みなさんのブログも拝見させて頂きます。また、マイケル共々、よろしくお願いします。



*旅行中、ブログは、主人が、携帯より写メールで、車中や、美術館の行列に並んでいる時等を利用して、更新していました。 途中、宿泊先でパソコン使用できたら良かったのですが、かなわず、慣れない携帯からの更新、見ずらかった事と思います。 少しの間、この旅の続きをネタに使わせて頂こうと思っています。 もうしばらく、お付き合いいただけたら、幸いです。



ローマへ

2010-07-18 | trip
フィレンツェを後に、鉄道を利用してローマへ移動しました。上の写真は、フィレンツェの中央駅です。


あっという間に、ローマテルミニ駅へ到着です。テルミニ駅は、首都の中央駅らしく、いろいろな都市へ行き来する人達でいっぱいでした。。

写真は、「ユーロスター」、ヨーロッパの新幹線にあたるそうです。途中、一面黄色いヒマワリ畑や麦畑が車窓から見えました。
               





フィレンツェからローマまで1時間半くらい、あっという間に着きました。


    テルミニ駅に、ワンコがいました。鉄道利用のためか、駅では、小さめなワンコが多いのかも。

フィレンツェに着きました。

2010-07-16 | trip
フィレンツェに到着です。7時過ぎてすが、まだまだ明るいです。
中央駅近くでは、写真のワンコに会いました。夜とはいえ猛暑の夏はワンコも大変です。
駅付近にある、サバティーニというステーキハウスで夕食。Tボーンステーキはこうばしくとても美味しいです。
フィレンツェの老舗、東京にもお店があるようです。
Tボーンステーキ。
帰り途中、空の色がグリーンがかったコバルトブルーでした。うまく色合いがでないかも知れません。

マイケルのTシャツを着て、シニョリア広場の石像を背景に一枚撮りました。マイケル、一緒に来れないからね~。
ベッキオ橋です。橋の両側に貴金属店が並んでいます。
川の対岸の建物が、水面に映っています。毎日、ものすごい暑さです。
ドゥオモの近くでワンコが散歩してました。


フィレンツェでは、ドゥオモに登ってみました。入口で相当待たされ、暑かったこともあって、長く続く急な階段はかなりきつかったのですが、眺望は素晴らしいものでした。
下から見上げるドゥオモの天井画も、直ぐそばに迫っています。足がゾクゾクしてしまいました。
ドゥオモ隣の高い鐘楼が、下に見えます。
それに、街を歩く人が小さいです。
あまりの暑さに、ジェラードと写真のラッシー(コーヒーシャーベットの上に生クリームをのせたもの)を、いただきました。生き返りました~。


この日は、マイケルのTシャツをペアで着てみました(知ってる人もいないし)。セールで寄ったかわいい置物のお店では、店員さん達にも受けました。
馬車で街中を観光してくれるようです。広場に二、三台止まっていました。

ミケランジェロのダビデ像のあるアカデミア美術館では、夏休みもあってものすごい観光客の行列でした。入場するのに1時間半は並んだでしょうか。35℃はあったので、大変でしたが、ついに観ることができたダビデ像は、雄壮な巨人であたかも生きているようでした。
美術館へ行く途中に、ワンコのお医者さんを見付けました。午前中と夕方診療を受付ているようです。古い町並みを損ねない程度の、小さくて目立たない表示です。
ピザ屋さんでピザを切ってもらいテイクアウトしました。この日の食事は、メッツァ?ひと切れが4分の1でその半分、トマトのピザと、キノコのピザとハムのピザの3種類。オーブンで温めてもらいました。二人ともお腹いっぱいになり、とても美味しくいただいて、5百円くらいでした。


ベネツィアにて。

2010-07-15 | trip
サンマルコ広場へは、サンタルチア、ローマ広場あたりから船で渡りました。
こちらは、1週間以上晴れが続いているようで、猛暑です。多分、35℃以上。日向にいるとこげてしまいそう。
サンマルコ広場の鐘楼、16世紀に建てられ百年前に建て替えられたもの。沢山の人で登るのを、断念しました。
夕食の、ラザニアと、
ヒラメのムニエルです。サンタルチア駅近くの魚料理店でいただきました。
食後に、少し散歩しました。写真は10時過ぎだというのに、まだ人通りも多く、絵画のような色調の黄昏のベネツィアです。

サンマルコ広場へ行く途中、橋の上で2ワンコがいました。
ゴールデンもいました。バカンスでワンコを連れて来ている人達がいるようです。まだまだ、暑い時間です。
サンマルコ広場では、世界一古い?カフェに入りました。内装も美術館のようでした。
昔ながらのフィルターコーヒーを頼みましたが、小さなエクスプレッソのカップに、僅か1センチ溜まるのにかなりの時間がかかってしまいました。数百年前の人達と時間の流れ、早さの違いを感じた一時でした。


ベネツィアといえば、ゴンドラ!30分ほど、乗ってみました。
むかし使われていた宮殿と牢獄をつなぐため息橋(牢獄へ渡る囚人がため息をついたと言われる)は、工事中でした。工事は、2011年秋頃までらしいです。
いまは、カンツォーネは歌っていないようです。ゴンドラは左側に櫓があるので、右側が円くはりだしていて、調子がとれていました。
結構混みあってます。


ミラノにて。

2010-07-14 | trip
素敵なお店でイングリッシュコッカー(インギー)に出会いました。インギーの写真は撮れなかったのですが、城跡(スフォルツェスコ城)で出会ったワンコの写真を掲載します。入口の噴水もとてもきれいです。
1873年に完成した巨大な十字型のガッレリア(アーケード)に行きました。南北に延び、その中央部は天井がガラス張りで、PRADA等のブランド店が並んでいます。Macもあり、その二階にRSというクラシック通の方には有名らしいCD屋さんがあります。
そこへ行く階段の壁面には、いろんなアーティストの顔写真がはられていて、マイケルも見つけました。

写真は、ダ・ヴィンチコードにも出てくる、レオナルド ダ・ヴィンチの最後の晩餐の壁面画のあるサンタ・マリア・ディレ・グラツエ教会付近です。教会前の広場は工事中でした。
最後の晩餐は、フレスコ画で3年の歳月をかけ描かれたそうですが、構図、遠近、光彩、心理描写、どれをとってもため息が出てしまいました。すばらしかったです。
ミラノの大聖堂。写真のステンドグラスは、15世紀から20世紀と造られた年代も様々なステンドグラス中で、古い方の年代に属するものです。
お昼に、ミラノ名物のリゾット、同じくカツレツを、いただきました。カツレツは、レモンと塩だけで、いただくものでした。


到着です!!

2010-07-13 | trip
13時間かかって、レンガ色の家並みが見えてきました。到着です。
機内食の日本風と欧米風、それに軽食、おにぎりがポンと出された時は、合理的と思いました。

10時近くでしたがまだ若干明るかったので、ホテルのそばにあるフードコートに出かけました。映画館の入った建物で、もう夏休みなのか十代の子達が、沢山きていました。
ホカッチャとピザを頼んでこれで700円くらい、
ピザはこんな感じ、
そのほか、カプチーノ(2ユーロ)をためしに飲んでみました。