マラッカのオランダ広場から少し行った橋を渡った所にチャイナタウンがあります。
この日は 2月6日(日)で ちょうど中国正月(陰暦の元旦)のお祝いで大変賑わっていました。
オランダ広場の朱色の建物とは、また違った見事な紅い色の建物や提灯が、印象的でした。
日本の昭和レトロのような駄菓子屋さん。
バナナのフライ。ココナッツ油で揚げています。
健康に良いジュースだそうです。 結構、暑くて美味しそうに飲んでる人達がいました。 ジュースの中の白い大きな物は、冬瓜のようです。 私もトライしてみたかったのですが、万が一旅の途中でお腹を壊すと困るのでパスしました。
ヤシの皮、匂い消しに使ったり、鉢のチップ代わりに使うそうです。
画廊?もありました。子供たちが、絵描きさんの絵に見いっていました。 3人ともとてもいい表情をしていたのですが、ボケてしまって残念でした。
こんなお袋の味のような煮物を、自宅先で売っている所もありました。
これは、サトウキビの茎をしぼったジュースでしょうか? 奥に飲めるスペースがあります。
イタリアのポンペイの遺跡近くでオレンジのしぼりたてを飲んだのを思い出しました。
ランチは、マラッカの伝統的料理ババ・ニョニャ料理(中国移民とマレー人との間にできた混血の人々が、受け継いできた料理)を食べました。
中華料理をベースに、色々な香辛料が、調和して どれも美味しかったです。でも、ごちゃまぜ状態なので、何が何と言うババ・ニョニャ料理なのかは、さだかでは、ありませんが。
主人が、食べた時にブログに更新したデザートのココナッツのかき氷、名前知りませんが、もう一度食べたいなあと思う味でした。日本でも、売っていたらいいなあ(私の知らないだけで、もう売ってるのかも知ませんが)。
途中、マレーシア、最古の中国寺院(青雲亭)に寄りました。
1646年、中国から運んだ資材で建てられてるそうです。寺院の中は、皆中国系の人達でしたが、イスラムやヒンズー教の人達が寺の前を通る時は、 ちょっと一礼して通るらしいです。
屋根の上には、人や動物の像が飾られていました。空の青と調和するきれいな色合いでした。
大勢の人達が、御線香をたてるので、結構灰がとんでいました。
本堂では、正座して 拝んでいる人達が 大勢いました。
*昔 中国系移民(同化する意識のない華僑とは違うらしい。)と現地のマレー女性との間に生まれた人達の事をプラナカンと言う事を 知りました。 そして、そのプラナカンの男性をババ(紳士)、女性をニョニャ(貴婦人)と言ったそうです。 彼らは、独自の融合文化を生み出し、中国風の絵柄でありながら、パステル調の美しい陶器や、ビーズのサンダル等すばらしいです。 ここ、チャイナタウンの「ババ・ニョニャヘリテージ(プラナカンの博物館)に行くと、100年前のすばらしプラナカンの暮しぶりを見ることができます(写真撮影不可)。
*チャイナタウンに トゥン・タン・チェン・ロックと言う通りがあります。 1957年のマラヤ独立に貢献したプラナカンの名を付けたそうです。 今回、マレーシアにちょっと滞在し 感心したのは、マレーシアは、様々な人種、宗教のうまく融合された国だと言う点なのですが、でも、そこに至る過程には、やはり、色々と問題や紛争もあったようです。
*イギリスの植民地支配、その後、日本軍の占領、そして 日本の敗戦後 日本軍に協力したマレー人へのマレー共産党(中国系)の復讐等。そんな中、マレー独立問題が生じた際に中国系住民をまとめて ラーマン首相に協力してマラヤ連邦の独立を実現したのが、トゥン・タン・チェン・ロック氏。生粋のフラナガンであり、ババである彼は、華僑とマレー人の間にたち、問題の多い複雑な民族をまとめ上げる役割を果たしました。 いわば、日本の坂本竜馬のような人。 彼は、互いの文化の独自性を尊重し、民族としてではなく、一人の人間として団結して、一つの国をつくるよう、人々に訴えました。
*マラヤ独立以後も、マレーシア史上最悪と言われる5月13日(1969年)事件が勃発、これは、5月10日に行われた総選挙に対する民族衝突事件で この暴動による死者は196人、もしくはそれ以上と言われています。
*現在、暴動がチュニジア、エジプト、リビア、バーレーン等、各地に飛び火する形で勃発していますが、そんなマレーシアが、独立から統一、そして、一応の国の安定に至る過程は、これらの国々が 今後学ぶべき点、多いのではと思いました。
では、また
ほどよく混じり合ったマレーシアは面白そうな国ですね。
食べ物も実においしそうなものばかりです。
いつか行ってみたいですね。