ちょっと他のブロ友さんのところで戦争の話をしたので探してみた。
戦没者である叔父の遺族年金。
10年毎で40万(年4万円)ぽっちだから、亡くなった時に別にきちんと恩給は出ていたと思う。
叔父の母である私の祖母がそもそも権利者で、祖母の死後に私の父親に相続された債権。
父親の死後に更に私に(その時点で中途であったのが新たに10年更新できたと記憶)相続ができた。
わーい少額だけど一生貰えるのかな~♪と思っていたが、名義変更後は10年いただいて
その後は更新出来なかった。
戦没者と同居実績があれば更新可能だそうだが私の生前に亡くなった顔も知らない叔父では無理。
まだ存命だった叔母に渡そうかとも思ったが、そちらは富豪さんなのでイイやと没にした。
実家じまいをしたときに勲一等や二等の賞状の処分を悩んだけれど、あってもなぁ。。。と
祖先はいるけど私以降はもう血が途絶えて誰もいないし廃棄してしまった。
ヤフオクなんかで売ってるのね。家系ロンダリングとかに使えるのかも?
昔の一戸建てなら当たり前に長押に額を設置していたけど、もはやマンションに長押などなし。
(ブロ友さんとこで間違えて鴨居と書いてしまった(;^ω^)
と言いつつ、私のマンション和室には長押がある(でもねぇ だからってねぇ。。。)
他に残ってるのは勲章くらいか(これは勲八等?のもの。上位の方は誰かが持ってったか)
ちょっと今は探せないけど、その叔父がレイテ島から祖母に出した手紙は取ってある。
当時、祖父が従軍してたか不明だけど、田舎の小学校の校長だったから戦死じゃないハズ。
週刊朝日から依頼あり、当時の写真を掲載されて、いくらか謝礼が出て父親が自慢してたの覚えている。
我が家の長男である人は軍医として従軍していて、レイテの叔父は次男。
三男もどこか従軍していたか、たぶん三男の方が早く帰れるだろうとのこと。
四男と私の父親の五男がまだ幼かったため、自分が帰るまで母と弟たちを案じた文面だった。
(長男は復員後、事情があり家を継がず開業医となったので自分が総領になることを知ってたのだろう)
この人の白黒の遺影もずっと長押にあって、子供の頃は夜見たりするととても怖くて
どっかカタしてと言うも、当然聞き届けられることはなく不安な日々を送ったものだ。
この人が戦死したおかげで、末っ子の私の父親は大甘に育てられ鬼っ子となった。
社会や歴史の授業にはとんと興味がなかったけど、太平洋戦争については妙に興味があり
あちこち探して24歳頃に時系列を年表にしたことはある。まだ探せばどこかにあるはず。
たぶん戦争映画の(特にビルマの竪琴)の影響だったんじゃないかな。
いろんな媒体で戦争を見聞きしながらも、経緯など全く知らないことに気付いたからだ。
現代の若者に終戦記念日だの、戦没者慰霊だの正直ピンとくるものでもないだろうし
大多数の子たちにまったく興味がないと言っても過言ではないだろう。
高度成長期に育った戦争を知らない子供だった私でも、上記の如く実際戦争の恩恵を受けてるし
まだまだ戦後の空気を身近に感じていたし、可愛がってくれた人と戦友会の旅行も行ったし。
別の叔父の葬儀(平成初期かな)で、参列した戦友さんたちが軍歌で送りたいと申し出るも
葬儀屋に断られて、それでも何人かの人が急に唄い出して変な空気になったりなんてこともあった。
それも大正生まれの方々で、いくら高齢化社会とは言え終戦時にコドモだった人々ももう先は短い。
戦争は遠く彼方になりにけり。なんて言いながら真っ只中の戦争も他国に現在あるけれど。
私は「20世紀少年」の、どストライク世代なので、特撮大好きテレビ大好きの楽しかった昭和から
バブルの平成日本を堪能している。平和な世界を楽しんでこれたのも西側の統制の賜物でもあるが
復興は戦争に負けた日本の先祖たちのおかげに他ならないという意識は持っている。
昔以上に平和な社会だけど、そのへんの意識は今の核家族の若い人たちには求めても無理。
少なくとも毎年終戦にちなんだ映画など放送して、当時のことを啓蒙するなら24歳頃の私のように
影響される人も出てくるかもしれない。
朝から晩まで「私は貝になりたい」のフランキー堺版を放送する「べき」くらい思う。
間違っても中居君(中居くんが悪いわけじゃなく)のではない。せめて所ジョージ版までだ。
★おまけ
代が変わっていくほど、お墓の存続は難しくなると思います。
お墓には参るけど、檀家にお布施を収めるというのに世の中が否定的になっている。
檀家が減れば現実的に収入がなくなりお寺の存続も危ぶまれる。
おっさん(住職)も後継者がいないと違う人を雇ったり、他のお寺さんに統合されたり。
先祖も大事だけど、少子化で残されて続いていく自分自身の子孫を困らせないように
墓じまいはやるなら早く。。。とオススメします↓
墓じまい(墓地移転)|クマーな日常