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愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

動画 「匂イノ森ニ密メク」    北鎌倉浄智寺野外舞踏

2006年11月12日 | 舞台
動画 「匂イノ森ニ密メク」 (1)   北鎌倉浄智寺野外舞踏

http://www.asyura2.com/0610/bd46/msg/479.html

投稿者 愚民党 日時 2006 年 11 月 11 日 20:38:04:

浄智寺ノ森ノ舞踏会
「匂イノ森ニ密メク」
構成・秀島実
北鎌倉浄智寺野外舞踏
廣田あつ子 脇川海里  伊藤拓次 相良ゆみ  野沢英代
秀島実
音楽・曽我傑 照明・鈴木洋次 舞台・真嶋大栄


2006年11月3日 ・4日








■■■ 大野一雄舞踏譜 ■■■





大野一雄舞踏譜増補版





舞踏譜増補版



舞踏譜増補版


★★★ 「魂の風景」を象る身体の狂暴な奇蹟、大野一雄の舞踏論。

【目次】
1 衣食住と資源論/2 O氏は語る/3 大野一雄舞踏譜/4 舞踏と信仰―エセーと想い出/5 大野一雄舞踏譜研究篇/6 増補大野一雄の現在







大野一雄魂の糧





大野一雄魂の糧


手、足、視線、動き…肉体と魂の誕生の瞬間!子息・慶人(舞踏家)、初の語り下ろし。貴重未公開写真150点収録。

【目次】
踊り(顔/口・声/目 ほか)/生活(モダンダンス/戦争/母 ほか)/アルヘンチーナ



大野一雄魂の糧







■■■ 舞踏への誘い ■■■



土方巽の舞踏 肉体のシュルレアリスム身体のオントロジー






土方巽の舞踏



土方巽の舞踏


希代のアヴァンギャルドとして、同時代の数多の文学者・芸術家を熱狂の渦に巻き込んだ不世出の舞踏家にして、暗黒舞踏を世界の舞台芸術“Butoh”に昇華させた肉体の思想家、土方巽の活動の鮮烈な全体像が甦る。舞台記録映像と語りを収録。

【目次】
恩寵と重力―人形振りの土方巽/土方巽と暗黒舞踏―見出された肉体/舞踏年代史1 暗黒舞踏派結成は一九五六年/三島由紀夫・渋沢龍彦・瀧口修造のメッセージ/土方巽の怪奇な輝き/「土方巽DANCE EXPERIENCEの会」のパンフレット「土方巽氏におくる細江英公写真集」/コラム アングラの三角錐 土方巽・寺山修司・唐十郎/土方巽の舞踏とシュルレアリスム/舞踏活動一九五七年~一九六三年/オブジェを噛みくだく肉体の叛乱現代美術と土方巽〔ほか〕








 


舞踏大全 暗黒と光の王国





舞踏大全



舞踏大全


土方巽の「暗黒舞踏」に始まり、世界を震撼させた舞踏45年の歴史と記念碑的名舞台が、いま、蘇る。

【目次】
第1章 「暗黒舞踏」の成立/第2章 「暗黒舞踏」創始期から活躍するダンサー達/第3章 「大駱駝艦」七〇年代からの台頭と現在/第4章 八〇年代のパリに本拠地を築いた最初のグループ/第5章 土方巽、大野一雄、石井満隆、笠井叡に師事したダンサー達/第6章 八〇年代、舞踏の系譜の外からの挑戦/第7章 地方に本拠地を築いたグループとダンサー達/第8章 拡散する舞踏1/第9章 拡散する舞踏2(海外を本拠地にしたダンサー達)/第10章 拡散する舞踏3(若い世代の試みと、コンテンポラリー・ダンスとの融合)




暗黒舞踏論



暗黒舞踏論


土方巽・大野一雄の全貌。土方巽著『病める舞姫』をよみほぐし、言葉によって“舞踏”を再構築する試み。

【目次】
言葉の舞踏家―土方巽著『病める舞姫』を読む/『病める舞姫』を読み終えて/『美貌の青空』を読む/母性とカオスの暗黒舞踏―中村文昭著『舞踏の水際』を読む/大森政秀の舞踏から合田成男の批評の姿へ―わたしは合田成男の姿に土方巽の姿を重ねていた/大野一雄・母性とカオスの暗黒舞踏―暗黒舞踏を振り返る/キリスト者と舞踏―神様と一緒に遊ぶ舞踏家大野一雄/舞踏の神にすべてを捧げ尽くした大森政秀―舞踏公演「キリギリス」を観る














桜井毅彦写真集「早春-スロベニア・クロアチア暗黒舞踏公演ツアー2002」

http://gumin.gozaru.jp/phdindex.html

トリノの恋人たち 空中遊泳の祝祭

2006年03月01日 | 舞台

空中遊泳1


空中遊泳2


空中遊泳3


空中遊泳4


空中遊泳5



空中遊泳には驚いた。


演者はトリノにあるサーカス学校の人たち。


吊り上げではなく


下からの風圧による遊泳。風の情熱である。


イタリアはやはり職人の国。



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トリノ冬季五輪:最終日 最新テクで空中浮遊実現--閉会式

 <torino2006>



 【トリノ安藤由紀】聖火が消え、17日間の祭典が終わった--。トリノ冬季五輪は26日、「謝肉祭」をテーマにした閉会式で幕を閉じた。全力を尽くし、重圧から解放された選手たちは晴れやかな笑顔で行進し、喜びや悔しさを味わった思い出の地に別れを告げた。



 日本が獲得したメダルは、フィギュアスケート女子の荒川静香(プリンスホテル)の金1個だけ。冬季五輪史上、最高の成績を収めた長野五輪から8年。地元開催の遺産を食いつぶし、4年後のバンクーバー(カナダ)へ向け、何よりも若手の発掘が急務となっている。インスブルック大会以来となるメダルゼロの屈辱は免れたが、大きな課題を残した大会だった。



 ◇最新テクで空中浮遊実現



 〇…人間が空中に浮かぶ--。そんな不思議な光景が現実に起きた。


 これは空気力学の最新テクノロジーを駆使したもの。垂直方向に空気のトンネルを作った状態にし、下から強烈に吹き上げることで、人体を浮上させることに成功した。白い衣装を着た男たちがスキーやスノーボードを履いて空中で自由に動き回り、会場には大きなどよめきが起こった。【共同】


毎日新聞 2006年2月27日 大阪夕刊


http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/feature/gorin/news/20060227ddf035050014000c.html






サーカスがやってきた!君のうた 僕のうた(10)リベレーション・ミュージック・オーケストラ/チャーリー・ヘイデンスリー、モンスター DVDサーカスパラマウント ホーム エンタテインメント 地上最大のショウダレン・シャン(第1巻~第3巻セット)タイフーン/旅立ちサーカス団の家族 (564×790mm)現代風俗・興行江戸妖花帖望郷子守唄乙女の儚夢(ろまん)イベントコスチューム 大道芸人パーテイーピエロスーツレインボー昭和の演芸ジャグリング南京玉すだれ中世のアウトサイダー

トリノ市民が参加した祝祭の舞台

2006年03月01日 | 舞台


冬季オリンピック2006イタリア・トリノ。
閉会式をTVでみた。

道化の登場。トリノ市民が参加する祝祭の舞台である。
カーニバル。天使と悪魔の仮面。

裏方スッタフ。イタリアのオペラ・演劇・ダンスそれら総じて舞台裏方技術陣の総力をあげた祝祭。

オリンピックの開会式と閉会式は国家予算を投じたダイナミックな舞台となる。
ゆえに見るべきものは裏方スッタフの技術と場面転換における展開である。

1996年、暗黒舞踏公演でミラノに行った。和紙を持っていった。その和紙でミラノの舞台裏方スッタフは緞帳を作ったのである。職人の究極をそこに見た。

イタリアは職人の国。



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トリノ冬季五輪:閉会式 イタリアらしさ、鮮烈にアピール--製作総指揮者
 <torino2006>

 トリノ冬季五輪の開会式に続き、26日の閉会式を製作総指揮したのはマルコ・バリチさん(43)。開会式は「情熱のスパーク」をテーマにしたが、閉会式は「カーニバル(謝肉祭)」をテーマに、冬の祭典をにぎやかに締めくくった。

 開、閉会式とも地元トリノとイタリアをいかに世界へアピールするかにこだわった。「謝肉祭はイタリアの伝統的な祭り。郷愁と狂気の美、それにイタリアとトリノを重要な要素とした」と語る。伊映画の巨匠フェデリコ・フェリーニ監督を意識し、道化師や仮面を多く登場させたところは、心憎い演出だ。

 ベネチア生まれ。80年代半ばからテレビ番組の共同製作を始め、ピンクフロイド、ホイットニー・ヒューストンら大物ミュージシャンのコンサート製作に携わった。

 02年ソルトレークシティー冬季五輪の閉会式ではトリノを紹介するパフォーマンスの製作を担当。それ以来、トリノ五輪の開閉会式の製作案を練りに練り、2年間かけて本番に臨んだ。両方の製作費の総額は2800万ユーロ(約38億5000万円)。故ジョン・レノンさんの妻オノ・ヨーコさんを登場させて平和のメッセージを伝えた開会式は、世界から共感を呼び「素晴らしい仕事ができた。満足している」と話していた。【海保真人】

毎日新聞 2006年2月27日 大阪夕刊

http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/feature/gorin/news/20060227ddf035050013000c.html




マスカーニ:歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》 ◆20%OFF!ルチアーノ・パヴァロッティ史上最大のオペラ・ショウ禁断のオペラ全集現代文学の発見(第5巻)新装版黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディラヴェル:道化師の朝の歌日本の大道芸~チンドン屋綱渡りの男日本の大道芸

荒川静香、おのれのプログラムを修羅の場で演じる舞姫

2006年03月01日 | 舞台

荒川ティアラ


地元のピエモンテ州などからティアラを贈られた荒川






荒川4



「自分のプログラム」


「自分が美しいと思うものを表現する」



久さしぶりに美しいものをTV映像でみたのだった。



荒川静香のコスチューム


荒川静香はこれまでの黒や白を基調としたコスチュームから


トリノではすっきりしたデザインだった。


「シンプルと基礎そして優雅」の荒川らしさが出ていたと思う。


荒川1



SPでは「赤を基調として流れるような白い首飾り」赤と白の高貴さがあった。



荒川02



フリー最終組がアップに氷の舞台に出てきた。


荒川静香の衣装は新鮮な旅人だった。なぜか大人の高貴さがあった。


精神性が貫く時間と空間に荒川静香はひたすらおのれと対話していた。


表現における世界精神と自己、ひとつひとつの演技が解析され採点される修羅の舞台へ。



フリーでは「藍と浅黄」相対象のデザイン。


「青い氷の女王」スピンでの腕が美しい。首飾りと両腕を通す袖のデザイン。


まさに衣装が流れるように踊っていた。衣装と風の遊行。





荒川3


荒川03



エキシビジョン


それは紫か藍か群青か、荒川静香の身体美。そして照明と衣装デザイン。



村主3


エキシビジョン


村主章枝、赤の照明が基調での演技。



競演01

エキシビジョン


バイオリン生演奏 エドウィン・マートンの演奏で演技する


ペア金  トトミアニナ、マリニン組



競演02


エキシビジョン


バイオリン生演奏 エドウィン・マートンの演奏で演技する


プルシュンコ


競演03


エドウィン・マートンの演奏で演技する


プルシュンコに、なんとしても観客を満足させるという


強さをみた。当日のチケットは1枚5万円。


エキシビジョンはプルシュンコの演技によって成功した。


ひとつのプログラムを成功させる、


それが裏方スタッフの努力に応える道であるとプルシュンコはプログラムで証明した。


金をとれる選手とは、全体プログラムへの執念と精神の強さを持っている。


エキシビジョンでも真剣勝負だった。



トリノ・オリンピックのテーマは「情熱はここに息づく」


フィギアスケートをTVで見ながら自分が学んだのは


おのれのプログラムを修羅の場で演じる人間である。




フィギアスケートは華麗であると同時に修羅の場。

それは柔道に似ている。投げられ組押さえられ敗北した選手は惨めである。


フィギアスケートも回転に挑戦し、失敗すれば氷に尻がつく。


それは全世界にライブ映像として配信されてしまう。


演技は解析され採点され数字の結果として表示される。



コーエン1


コーエン、フリーでの転倒



スルツカヤ1


スルツカヤ、フリーでの転倒




コーエン2


エキシビジョン  コーエンの演技



スルツカヤ2


エキシビジョン  スルツカヤの演技



コラージュ表出運動

2006年02月23日 | 舞台

市街演劇
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/shigai01.html



PERFORMING JUNK
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/tenmon01.html



ちはやふる(1)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/tihaya01.html



ちはやふる(2)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/tihaya02.html



ちはやふる(3)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/tihaya03.html



仮想現実・演劇・人間(1)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/iru01.html



仮想現実・演劇・人間(2)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/iru02.html



仮想現実・演劇・人間(3)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/iru03.html



仮想現実・演劇・人間(4)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/iru04.html



仮想現実・演劇・人間(5)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/iru05.html




だから表出運動を本当に理解するには、あらゆる心理・物理的平行主義と縁をきって、心理・物理的統一ということを土台にしなければならないだろう。人間の内側に起こることが外へ向けて投影される表出運動は、決して感情の外的な随伴現象ではなく、そのひとつの成分である。すでにできあがった体験をあらわすだけでなく、体験を自分のほうへ引きこむことで体験を仕上げていく。感情を表出することで感情に働きかえしていくことである。感情をありのままに表に出すことが感情の支えになる、感情自体に作用をおよぼすのは、私たちが実生活で絶えず経験することだ。こうして表出運動(ないし表出行動)と感情(ないし体験)とは、たがいに影響しあい浸透しあいながら、ひとつの統一を形づくっているのである。
          「演劇入門」 千田是也  1974/10 岩波新書
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 この人間が何ごとかをいわねばならないまでになった現実の条件と、その条件にうながされて自発的に言語を表出することのあいだにある千里の距たりを、言語の自己表出として想定できる。自己表出は現実的な条件にうながされた現実的な意識の体験がつみ重なって、意識のうちに幻想の可能性としてかんがえられるようになったもので、これが人間の言語が現実を離脱してゆく水準をきめている。それとともに、ある時代の言語の水準をしめす尺度になっている。言語はこのように、対象にたいする意識の自動的水準の表出という二重性として言語本質をつくっている。
  「定本 言語にとって美とはなにか 1」 吉本隆明 1990/8 角川選書
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あゐさい
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/gekiha01.html



 コラージュが登場したのは20世紀の詩と美術、ダダイズムとシュールリアリズム運動からであろうか? それらの感受は産業革命以降の爆発的展開と、人間が第一自然から追い出され、工場へと囲いこまれる場所と人間の分裂を表出する。



 土地から追われ都市へ吸収された人間の復讐が、「ねたみ」と異質なものの排外に組織されるとき、ファシズム運動は爆発した。われわれは産業革命以降の最後の人間であり、それまでの自然人とは違い、心理は二重性として分裂している。



 おのれの複雑な心理生成を制御できるかどうかが、日常生活の規範となる。彼がもしも、受信機という媒介を通さず、電波が聞こえると言えば、もはや彼は幻聴病として判断され、精神病棟におくりこまれるだろう。いまだこの社会は、機械器官という媒介に絶対的な信用を置いているのである。



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 これまで繰り返してきたように、享受し、喜び、楽観してしまうのは、まったく容易なことだ。裸体は我々を挑発し、我々はその仕掛けられた罠に、そうと知りつつ、自らの欲望を泳がせる。もっとも親しみのある部分・・・セックスそのものさえも、そしてオブジュ的に裸体を捕らえるときですら、我々は写真家の眼に頼り切りになっている。



 それは裸体写真が構築した、不可視な「権力」的構図であると言ってもいい。我々は見下し、安堵しながらも、その段階からすでに、裸体と写真の組み上げてきた「権力」に、組み敷かれてしまっているのだ。



 裸体は日常である。しかし、一度権力の配下になってしまった感覚にとって、網膜の映した光から、かつて見た裸体写真を締め出すことは不可能になってしまう。
   「裸体というエクリチュール」   高橋周平
   リアリズム変貌展         ツアイト・フォト・サロン
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何故、現代の表出運動そのものがコラージュという形態をとらざるえないのか? それはつまり、われわれの日常がリアリティの管理として器官化されているからである。この私の網膜はすでにあらかじめ写真機、ビデオ撮影機、そして映画やテレビのフレームによって愛情訓練されている器官である。



 深層には日常を支配するある制度の物語が「日本人」という一般の原理主義が幼児期から埋め込まれてきた。ロシア・マルクス主義の破産は国家革命からインターナショナルへの壮大なロマンその物語を、後景に退けた。



 こうして現在、宗教と民族主義そして高度資本主義国においては、経済の数字一元的価値観への原理主義が、自己同一化の要塞となる。世界は原理主義の変貌へと帰還しているのであろうか?



 一方にはイノベーションのマシンへと自己同一化する器官細胞。他方にはこの高度情報システムから排除され取り残された最貧国の宗教原理主義。これら不均衡の上に成立しているのが現代世界の原理主義である。コラージュはこうした内臓を提示することができる方法である。コラージュはフレームを切り裂くことによって、それを主体が編集することによって、この現在を確認することができる。



 もはやすべてが逆説的になってしまったのだ。これまでコラージュはある不均衡を提示した。メディア・マシンへの反抗として。その意味でウオホールの方法は、ダダイズム・シュールリアリズムの流れから切断されたところに位置する内容なき、メディア・マシンへの補完装置としてあった。



 コラージュの根源は情報操作システムを覆す意味の闘争として誕生した。ウオホールは、イメージの反復方法をマス・メディアの補完装置としたのである。「まったく同じものを何度も見れば見るほどそれだけ意味が消えていき、それだけ気分がよく、それだけからっぽに感じられる」と言う、空虚こそかれの主題であったのだろう。



 空虚およびからっぽといってもそれは快楽の構造にあり、すでに生存の闘争から離陸し高度消費社会の自由を謳歌する、アメリカUSAドル世界支配の通貨によって成立したのである。日本現代文学の空虚こそは、そのものまねに過ぎない。通貨としての「円」は世界経済のドルに変わりうる、貨幣には上昇することはできないが、強い貨幣であることは間違いない。



 その貨幣の帝国の言語形態は、言語が場所にへばりつきながら生活しているリアリティから離陸し、空虚が主題になっていく。実はこれこそが帝国衰亡をありあまるほど、表出しているのである。コラージュは権力によって日常的に生成させられている気分を転倒し、意味の闘争としてある想像力の階級闘争として出現する。



 コラージュとはイメージの編集であり、権力による物語と天上の言語からのイメージその表層皮膚をはぎ取り、再度、人工的なイメージへと編集する。その行為は物語に奉仕するのではない、物語の解体としてある。理論的にはアインシュタインが発見した崩壊物質M’およびM”であろう。原子を破壊したとき物質は、おそるべきエネルギーを放出る。それがヒロシマ・ナガサキに投下された原子爆弾である。つまりコラージュとは核兵器以降の崩壊物質M’M”をめぐる想像力のありようなのである。



 アメリカUSAポップアートなどは世界通貨ドルの補完装置でしかなかったのだ。崩壊物質M’M”の20世紀の想像力をなにひとつ提示することはできなかった。USAポップアートを賞賛してきた日本の人々は多かったが、それは太平洋戦争で壊滅させられ、USAのインダストリア・デザインに圧倒された物語上にあった。



 人間とは物語の動物である。つまり衣食住およびセックスのように、物語なしではやってはいけない動物なのだ。ある意味で物語をめぐる闘争は権力闘争でもあり、階級闘争でもある。いかなる物語で現在の人間の身体をとりこにするのかに、政策者たちは機関を全面展開する。こうして物語は身体器官を支配していく。こうした世界でコラージュを表出する人間とは書物をその手と腕で引き裂き、解体し崩壊させる人間である。書物は物語であり、そこには多くの多様な人々の労働の蓄積によって表層へと現出してきた世界だ。書物の解体はこうした労働のエネルギーを放出させる。
 
 もはやコラージュはこれまでの物語に奉仕はしない。物語を切断するのであるから。しかしながら、原子爆弾以降の崩壊物質M’M”の素描をわれわれの前に提示する。それはとりもなおさず現代をめぐる表出の身体でもある。




 
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境野ひろみ舞踏公演 野良 ──NORA──

2005年11月22日 | 舞台
境野ひろみ舞踏公演 野良 ──NORA──
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/186.html
<siname> 投稿者 愚民党 日時







母18

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母・ひろみ10

母・ひろみ9

母・ひろみ8

母・ひろみ7

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母・ひろみ5

母・ひろみ4

母・ひろみ3

母・ひろみ2

母・ひろみ1

境野ひろみ舞踏公演
野良 ──NORA──

私の体が破壊していく、
 くずれていく一本の髪の毛と
  乾ききった汗を風に吹かれ、
   硬直していく私を踊ってみるか。

●期日 2005年12月6日(火)
●場所 神楽坂 die praze
    http://www.geocities.jp/azabubu/

●開場 18:30
●開演 19:00
●料金 前売り ¥2,000
    当日  ¥2,500

●音楽・照明=曽我傑
●舞台監督=真嶋大栄
●宣伝美術=大脇裕之

die地図

ひろみ舞踏1





野良 ──NORA──境野ひろみ舞踏公演

2005年11月08日 | 舞台
境野ひろみ舞踏公演
野良 ──NORA──

私の体が破壊していく、
 くずれていく一本の髪の毛と
  乾ききった汗を風に吹かれ、
   硬直していく私を踊ってみるか。

●期日 2005年12月6日(火)
●場所 神楽坂 die praze
    http://www.geocities.jp/azabubu/

●開場 18:30
●開演 19:00
●料金 前売り ¥2,000
    当日  ¥2,500

●音楽・照明=曽我傑
●舞台音楽=真嶋大栄
●宣伝美術=大脇裕之

die地図

ひろみ舞踏1