宮古島唄めぐり・・・その4 2010年05月12日 23時16分41秒 | 三線・沖縄 せっかくですからサンシン赴任おじさんもいまだけ(笑)メジャーデビューです。 こちらのコメント欄に投稿お願いします。 もし、無ければ削除しますのでご安心を。 « 花よりだんご?だんごより花? | トップ | 宮古島特集 その2・・・お土産 »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 宮古島唄めぐり (サンシン赴任おじさん) 2010-05-13 08:30:33 特別紙面をいただきありがとうございます。せっかく紙面をいただきましたので話を整理します。内容はいずれもネット検索の引用です。まずは、目次からその1 なりやまあやぐ(5月9日かわてつ日記コメント欄参照)その2 御船ぬ主(5月10日 〃 )その3 酒田川(5月11日 〃 )その4 張水のクイチャーその5 西原のかなしゃがまその6 池間ぬ主その7 中立ぬみががま まだまだ宮古島は各地に数限りなく民謡がありますが、以上の選択基準は「教室で習った唄」です。そしてまた、現地で弾ける唄を選びました。これらの発祥地をレンタカーで巡ります。今回の特別紙面は、その4の紹介です。その4 張水のクイチャー『歌の背景沖縄本島のカチャーシー、八重山の六調、宮古はクイチャーで人々は踊り、心を一つにする。しかし、クイチャーの意味は他の踊りとは背景も内容も違っている。それは国吉源次氏に語らせると「うさばらしをするために村々で踊りおこった歌だとおじいさん、おばあさんから聞かされた。腹いせの歌。実際自分も首里城の殿様がいたところを見てむかついた。(宮古の)人にあれだけ苦労させて食べるものも搾りこんなにしてたのかと」(NHK「琉球の魂を歌う」)クイチャーは「雨乞い」の歌として生まれたといわれている。しかし、この漲水のクイチャーは、人頭税という「世界でもっとも残酷な税」といわれる首里王朝が宮古八重山地方の人々にかけた重荷を自分たちの力で取り払ったときの喜びと怒りと願いが込められた歌だという。人頭税は、1609年薩摩が鎖国政策の中、中国との交易権を独占しようと琉球を侵略、重い租税を掛けられた琉球王朝が、その分を宮古、八重山地方の人々に転化した租税制度であり、1637年からはじまっている。その悪税制度は廃藩置県も終わっても続き、1893年(明治26年)農民代表の平良真牛(別名 保良真牛)らが廃止のための請願運動で上京し、戻ってくるときにこの漲水のクイチャーが唄われたという。人頭税の廃止はさらにその後1903年。』ここは、ホテルから歩いて行けます。例えば、宮古第一ホテルからなら、張水御獄(はるみずうたき)はすぐそばだし、人頭石も少し歩けば行けます。これらの前の海岸が張水の港だったらしい。 返信する 宮古島唄めぐり 5 (サンシン赴任おじさん) 2010-05-14 07:59:38 その5 西原のかなしゃがま『宮古民謡。結婚する男女の仲を唄った唄。「島中、国中探してやっと出会えたあなた、これから一緒に幸せになりましょう」という内容なので結婚式でよく唄われます。』『歌詞の意味私たちが今日一緒に居るのは. 二人が揃っているのは. 神様も親も許してくれるよ. 北の里を探しても. 南の里を探しても. 貴方ほど、愛しい貴方ほどの人はいない. 千人の中から. 万人の中から. 選び抜いた愛しい人 ...』宮古島の西原は、仲本師匠の出身地であり、毎年クイチャーパラダイスの発表会の打上会をやるのでおなじみの場所です。老人パワーがものすごく、発表会でも平均年齢80ウン歳の特別出演があったりします。以下もネット情報ですが、東京の音楽祭に出演したメンバーをご覧下さい。(年齢だけでも。)普通なら慰問される側の年齢なのに・・・。2009年度東京の夏音楽祭出演メンバー[宮古島西原地区の古謡]盛島 宏(歌、三線):82歳。若い頃より唄と三味線に親しむ宮古民謡の達人。その歌声とリズム感は右に出るものがいない。普段はサトウキビ栽培など農業に従事する。西原地区の慶事では必ず呼ばれ演奏する。本村キミ(囃子):82歳。盛島氏のはやしを長年努める。元神司でもある。長田トシ(太鼓):79歳。盛島氏の隣人にして、長年のリズム・パートナー。友利サダ(囃子、踊り):91歳。http://www.iaros.org/home/files/imgspdf/kamiuta20090615093744.pdf 返信する 宮古島唄めぐり (サンシン赴任おじさん) 2010-05-15 08:54:40 その6 池間ぬ主『宮古の北部にある池間島を納めていた役人と農民たちのこと、そして宮古の妻である ミガガマという女性のことを唄ったこの唄は美しい旋律に乗って 宮古のどこまでも透き通った青空や海を表現しています。』 『宮古島の北に浮かぶ池間島。来間島同様宮古島とは池間大橋でつながっています。池間大橋は1992年に開通し、今では絶景ポイントとして広く知られています。池間島自体は港周辺に集落がある程度の素朴な離島で、島の中央には池間湿原という湿地帯があり、独特の生態系を観察できることでしょう。池間島は八重干瀬への玄関口でも有名で、多くの八重干瀬ツアーがこの池間島の池間港から出航するようです。池間大橋の下をくぐって八重干瀬に行くツアーは一度は体験してみて頂きたいものです。池間島自体にはビーチもそこそこあり、池間大橋の近くのビーチにはお土産などを購入できるお店もあります。また北部にはロープを使って上り下りするビーチもあって、珊瑚礁の豊かな海を泳ぐこともできることでしょう。』私は「オヤジギャグ池間ぬ主」という迷曲を編集し、老人ホーム慰問のピエロ役をしています。この池間ぬ主は、どこか懐かしいメロデーで、前奏を弾いているといろいろな曲へつながります。一番合うのが、アリランです。もうこれはつなげて弾いても違和感無く同じ曲とさえ思えます。炭鉱節もつながります。花咲じじい、ももたろう、浦島太郎がつながることも発見し、これに昔流行ったナンセンスな漫談をくっつけて迷曲が完成しました。慰問の時、老人には、この童謡が喜ばれます。みんないっしょに唄ってくれます。 返信する 宮古島唄めぐり 7 (サンシン赴任おじさん) 2010-05-17 07:47:26 その7 中立ぬみががま『城辺の平安名地区に住んでいた真津小(まつがま)という絶世の美女が役人達に呼ばれて遊びに行くのを地元の男達がひやかしているのを真津小が巧みにかわしている様子が歌われています。』この曲は、エイサーメドレーの中の一つですね。発祥の地が漠然として特定できないので、唄めぐりとしては難しいので、そこいらの道端ででも演奏しましょうか。以上7曲を選んで宮古島唄めぐり計画を立てました。他に名案(行ってみたい所)ありましたらお知らせ下さい。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
せっかく紙面をいただきましたので話を整理します。
内容はいずれもネット検索の引用です。
まずは、目次から
その1 なりやまあやぐ(5月9日かわてつ日記コメント欄参照)
その2 御船ぬ主(5月10日 〃 )
その3 酒田川(5月11日 〃 )
その4 張水のクイチャー
その5 西原のかなしゃがま
その6 池間ぬ主
その7 中立ぬみががま
まだまだ宮古島は各地に数限りなく民謡がありますが、
以上の選択基準は「教室で習った唄」です。
そしてまた、現地で弾ける唄を選びました。
これらの発祥地をレンタカーで巡ります。
今回の特別紙面は、その4の紹介です。
その4 張水のクイチャー
『歌の背景
沖縄本島のカチャーシー、八重山の六調、宮古はクイチャーで人々は踊り、心を一つにする。
しかし、クイチャーの意味は他の踊りとは背景も内容も違っている。
それは国吉源次氏に語らせると
「うさばらしをするために村々で踊りおこった歌だとおじいさん、おばあさんから聞かされた。
腹いせの歌。実際自分も首里城の殿様がいたところを見てむかついた。
(宮古の)人にあれだけ苦労させて食べるものも搾りこんなにしてたのかと」(NHK「琉球の魂を歌う」)
クイチャーは「雨乞い」の歌として生まれたといわれている。
しかし、この漲水のクイチャーは、人頭税という「世界でもっとも残酷な税」といわれる首里王朝が
宮古八重山地方の人々にかけた重荷を自分たちの力で取り払ったときの喜びと怒りと願いが込められた歌だという。
人頭税は、1609年薩摩が鎖国政策の中、中国との交易権を独占しようと
琉球を侵略、重い租税を掛けられた琉球王朝が、その分を宮古、八重山地方の人々に転化した租税制度であり、
1637年からはじまっている。
その悪税制度は廃藩置県も終わっても続き、1893年(明治26年)農民代表の平良真牛(別名 保良真牛)らが
廃止のための請願運動で上京し、戻ってくるときにこの漲水のクイチャーが唄われたという。人頭税の廃止はさらにその後1903年。』
ここは、ホテルから歩いて行けます。
例えば、宮古第一ホテルからなら、張水御獄(はるみずうたき)はすぐそばだし、人頭石も少し歩けば行けます。
これらの前の海岸が張水の港だったらしい。
『宮古民謡。結婚する男女の仲を唄った唄。
「島中、国中探してやっと出会えたあなた、これから一緒に幸せになりましょう」
という内容なので結婚式でよく唄われます。』
『歌詞の意味
私たちが今日一緒に居るのは. 二人が揃っているのは. 神様も親も許してくれるよ.
北の里を探しても. 南の里を探しても. 貴方ほど、愛しい貴方ほどの人はいない.
千人の中から. 万人の中から. 選び抜いた愛しい人 ...』
宮古島の西原は、仲本師匠の出身地であり、毎年クイチャーパラダイスの発表会の打上会をやるのでおなじみの場所です。
老人パワーがものすごく、発表会でも平均年齢80ウン歳の特別出演があったりします。
以下もネット情報ですが、東京の音楽祭に出演したメンバーをご覧下さい。(年齢だけでも。)
普通なら慰問される側の年齢なのに・・・。
2009年度東京の夏音楽祭出演メンバー
[宮古島西原地区の古謡]
盛島 宏(歌、三線):82歳。若い頃より唄と三味線に親しむ宮古民謡の達人。
その歌声とリズム感は右に出るものがいない。普段はサトウキビ栽培など農業に従事する。
西原地区の慶事では必ず呼ばれ演奏する。
本村キミ(囃子):82歳。盛島氏のはやしを長年努める。元神司でもある。
長田トシ(太鼓):79歳。盛島氏の隣人にして、長年のリズム・パートナー。
友利サダ(囃子、踊り):91歳。
http://www.iaros.org/home/files/imgspdf/kamiuta20090615093744.pdf
『宮古の北部にある池間島を納めていた役人と農民たちのこと、そして宮古の妻である
ミガガマという女性のことを唄ったこの唄は美しい旋律に乗って
宮古のどこまでも透き通った青空や海を表現しています。』
『宮古島の北に浮かぶ池間島。来間島同様宮古島とは池間大橋でつながっています。
池間大橋は1992年に開通し、今では絶景ポイントとして広く知られています。
池間島自体は港周辺に集落がある程度の素朴な離島で、島の中央には池間湿原という湿地帯があり、
独特の生態系を観察できることでしょう。
池間島は八重干瀬への玄関口でも有名で、多くの八重干瀬ツアーがこの池間島の池間港から出航するようです。
池間大橋の下をくぐって八重干瀬に行くツアーは一度は体験してみて頂きたいものです。
池間島自体にはビーチもそこそこあり、池間大橋の近くのビーチにはお土産などを購入できるお店もあります。
また北部にはロープを使って上り下りするビーチもあって、珊瑚礁の豊かな海を泳ぐこともできることでしょう。』
私は「オヤジギャグ池間ぬ主」という迷曲を編集し、老人ホーム慰問のピエロ役をしています。
この池間ぬ主は、どこか懐かしいメロデーで、前奏を弾いているといろいろな曲へつながります。
一番合うのが、アリランです。もうこれはつなげて弾いても違和感無く同じ曲とさえ思えます。炭鉱節もつながります。
花咲じじい、ももたろう、浦島太郎がつながることも発見し、これに昔流行ったナンセンスな漫談をくっつけて迷曲が完成しました。
慰問の時、老人には、この童謡が喜ばれます。みんないっしょに唄ってくれます。
『城辺の平安名地区に住んでいた真津小(まつがま)という絶世の美女が
役人達に呼ばれて遊びに行くのを地元の男達がひやかしているのを真津小が
巧みにかわしている様子が歌われています。』
この曲は、エイサーメドレーの中の一つですね。
発祥の地が漠然として特定できないので、唄めぐりとしては難しいので、そこいらの道端ででも演奏しましょうか。
以上7曲を選んで宮古島唄めぐり計画を立てました。
他に名案(行ってみたい所)ありましたらお知らせ下さい。