かわてつ日記 

三線弾いてハッピーライフ
クイチャーパラダイス三線教室(富山・高岡・金沢・野々市・京都・大阪)

声楽家から見た真央

2014年02月25日 12時47分09秒 | スポーツ・健康
永江一石という方が声楽家の高田正人氏のブログを紹介していました。
この声楽家の高田正人氏の書いてることにとても共感したので引用します。


Facebook眺めていたら、素晴らしいコメントが流れて来た。

コメントを書かれていたのは声楽家の高田正人氏なのだが、同文をブログにも掲載されていた。ふだん人の言うこととかにたいして感銘とか受けない自分が、真摯に感動してイイネを1億回押しそうになったが押せないのでこちらで原文ママまで引用させて頂きます。

本文はこちら

http://yaplog.jp/dachin55/archive/519

ここに見に行って頂くのが最もよろしいわけですが、モバイルとかだと外部リンクのクリック率がとっても低い(見に行ってくれない)ので内容を引用させていただいた次第。Yahoo!にも事務所の許諾を頂いて投稿します。引用だと行替えが表示されないのですこし見にくいかも。


出遅れたけど真央ちゃんのフリーは素晴らしかった。 ショートが終わった時は、もう演技うんぬんよりも真央ちゃんが呆然と悲しそうな顔をして立っているのを見て、それはもう胸が張り裂けそうな思いで一杯だったけど、フリーで圧巻の演技が見られて良かった。演技が終わった瞬間感極まって泣いてしまった真央ちゃんと一緒に泣いた日本人も多い事だと思う。最後にあんな良い表情の真央ちゃんが見られて本当に良かったと思う。 オリンピックの舞台に立つというのはどのような気持ちだろう。 日本の代表として舞台の上に立つというのはきっと想像を絶するプレッシャーだろう。 僕は17歳の時から20年以上も歌を続けているけど、世界はおろか日本で3本の指に入った事すら1度もない。 大学からずーっと順位をつけられ続けるという世界に僕たちはいるけれど、例えば学年で何位とか研修所の同期で何位とか、その年のコンクールで何位とか、そういうものと「その世界の全ての日本人の中」で何位というのはまったく次元が違う。 例えばジャンプの葛西は7回目のオリンピック。 7回目という事は、28年間日本の3位以内に君臨しているということだ。 28年間、彼を超える次の世代のジャンパーはいなかったということだ。 それぞれの年の1位たちも、彼を超えられず、そして41歳の彼に今もまだ勝つことのできない何千という若きジャンパーがいるということだ。オリンピックの代表というのは確かに何十年かに一人の天才たちの集まりである。 *** ところで毎度フィギアの大会になると、キム・ヨナの点数はおかしいとか、審査がイカサマとかいうネガティブキャンペーンが始まるけれど、ああいうのは本当に気分が悪い。もう沢山ですという感じ。 ご丁寧に画像やイラストまでつけてこの採点はおかしいとか、エッジの傾きがどうだとか、簡単なジャンプで逃げて云々、とか、しまいにはブスなのに、とか、まぁどれだけ暇なのか、、ほんとどーでもいいんですけど。。 真央ちゃんを応援するのは大いに結構だが、そこから転じて他の国を罵倒するような尊大な愛国心はどうも苦手だ。 真央ちゃんに罵声を浴びせる韓国人もいる一方で、今回真央ちゃんが転んだ時に客席のロシア人の何人かがそれを嘲笑したことに怒りの声をあげて抗議してくれた韓国人もいる。どこの国にも良い人も悪い人もいる。 僕は今回のキムヨナの演技も素晴らしいと思ったし、ソトニコワの演技もそれはもう素晴らしくて、それに敗れたキムヨナも清々しい顔をしていた。 キム・ヨナも、「真央の涙に自分も込み上げてくるものがあった」とコメントを出したし、真央ちゃんだって幼少のころから長い間戦ってきたキムヨナに好意的なコメントを出し「キムヨナは私の人生にとって良い思い出」と言った。 こういう競技者たちの友情や尊敬の気持ちが、イカサマ云々で蔑ろにされてしまうのが悲しい。ネガティブキャンペーンを張る人たちは、氷上の彼女たちのああいう輝いた顔を見て自分が恥ずかしいと思わないのだろうか。 では、(今回の話とかではなく)、100歩譲ってそのような不正が少しあったとしよう。 でもさ、そもそも世界というのは不公平なものなんじゃないのか。 人間が(芸術や美しさなどの)目に見えないもの点数をつける以上、そこには何らかの主観的な想いが入り込んでくるし、公正なジャッジと言ってもなかなか難しい部分もあるだろう。 もちろんイカサマだってあるかもしれない。 僕たちだって海外のコンクールで明らかに1位では無い歌を歌っている人が1位になっているのを何度も見てきているはずだ← 「日本は不公平な国だ、評価が偏っている!」と言ってヨーロッパに行った先輩に数年後イタリアで会ったら、「イタリアはもっと偏っていた」って言っていたし(笑) 世界どこに行ったって、地元の人間を勝たせたい、自分の生徒を勝たせたい、そういう理由で偏ったジャッジが下されることは多々ある。 サッカーの試合でアウェイに行けばこちらの反則はすぐ取られ、向こうの反則は見逃される。 小さな町に行けば審判がお金で買収されていることもある。 それはもちろん不公平だ。 でも、それはどこに行ってもある事なのだ。 世界というのは'''「平等に不平等なもの」'''なのである。 大体小学校の頃から可愛い子や頭の良い子は先生に贔屓されてたじゃないか。 カッコいい子や足の速い子はそれだけで女の子にモテてたじゃあないか そこで理不尽や不平等なんてとっくに学ぶべきなのだ。 不平等なこの世の中でどう生きるか。 その不平等な世界の中でどう咲くのか。 その力を持っている者だけが残っていくのだという事である。 咲くものはどんな条件の中でも必ず咲く。 環境やジャッジに文句を言っている人というのは一生文句を言い続ける。 この短い人生において、そんな無駄な時間を生きるのは勿体なさすぎる。 だいたい真央ちゃんやキムヨナがジャッジに文句を言っているのを見たことが無い。 いつも自分の演技への悔しさは語るけれど、その目はもう次に向いている。 でなければ一晩寝ただけであんな演技はできないだろう。 僕たちの世界だってそうだ。 コンクールで負けました、オーディションに落ちました、それをジャッジのせいにしている人はずーっとそこから抜け出せない。 たとえそこに不正があったとしてもだ。 僕の周りにも、「日本はさー」「二期会はさー」といつでもぶちぶち言ってる人がいるけどそういう人はたいてい売れない。 次を向く事、明日を見る事、不正があるのならその世の中でどうやったら力を出せるのかを考える事。文句の前に動くこと、努力を続けること。 それができる人だけが残っていくのだと思う。 あのオリンピックの氷上にいる人たちはそういう人たちだと思う。 それは良い人とか悪い人とかではなく、生きて行く力の問題だと思う。 だからネガティブキャンペーンをする人たちに僕が嫌な気持ちになるのは、そういう人たちの生きて行く力の弱さを見たくも無いのに見せられているからだな、と思う。 人の事を言っていても自分の事を言っていても同じ。 その場所で生きて行こうと決めたなら文句を言う間に進むこと。 世界を輝かせるのは自分なのだという事。 改めてそんな事を考えさせられたオリンピックフィギュアだった。 (※この文章は特定の記事や特定の個人に向けて書いたものではありません。この期間の様々な記事、ツイッター、メディア全てに対し思ったことです)
出典:うたうひとDACHONの人生奮闘記
自分のブログでこのコメントを引用させて頂いたら、いろいろな反応があった。否定的なコメントをされていた人もいる。多くは「不正をそのままにしていいのか」的なものだった。

しかし、考えたらわかる

フィギィア、ハーフパイプ、フリースタイルスキーのように、審判の主観が入る競技はそもそも完全に公平にしようが無いわけだ。A国の審判だからA国の選手に高い点をつけるという主張も、そもそもその審判の目には「本当に美しく」見えているだけなんじゃないか。

だって人間の先入観ってそんなものだし、物を見ているのは脳だから、人は1人ずつ見ている物が違うんです。ある人には幽霊やお化けが見えるけど他の人には見えないなんて普通でしょ。気分が明るいときには景色も明るく見えるし逆の時は暗く見えるじゃ無いですか。

韓国人ファンの目には我々とは逆で、キムヨナの演技のほうが真央ちゃんよりもずっと美しく見えていると思いますよ。だってそれが人間というものだから。

では機械が診断して技の難易度レベルだけで競わせようとなったらそれはもうフィギィアではないです

偏ってても不平等でも、それでも世界は美しいということを高田氏はおっしゃっている。人にあれほどの感動を与えたのであれば、メダルなんてどうでもいいことだ。自分は真央ちゃんの演技を一生忘れないよ。

高田氏は以下の公演の初日と最終日に出演される予定です。クラシックとかオペラには全く縁が無い私ですが、思わず調べて行ってみようかなくらいに思ってしまいました。

http://www.nikikai21.net/concert/week_2014.html


永江一石
WEB系マーケター&コンサルタント


新卒でリクルート → スプートニク設立 → ホリエモンのライブドア(現LINE)にM&Aされる→ 3年奉公してランダーブルー設立 3.11までのほほんとしていたが、震災を気に再起動。苦節2年半でブログが月間100万PVになったのでがんばって更新中。ネットの商品開発からサイトビュー設計、構築、集客、ソーシャルの本気活用までが得意のコンサルタント。灘中を退学になったトラウマで勉強が苦手。「金が無いなら頭を使え。頭が無いなら手を動かせ」が口癖です(イヤだわ〜) 著書6冊(PHP、マガジンハウスなど)

女子フリー

2014年02月21日 21時23分27秒 | スポーツ・健康
ウルトラスーパーハイパーでーじ面白かった!

メダリストの3人は3人とも凄かった!感動です。

それぞれの点数は妥当だと思います。
(もちろん真央ちゃんの点数も)

この時期特に彼女らの点数をあーだこーだいう輩がネットなどに現れますが(笑)、鼻で笑って『そういう見方もあるかもしれませんね(笑)』ぐらいの広い心で見守ることにします。

テレビ放映の為の国際映像のスローを素人が見て『回転不足!』とか『エッジエラー!』とか『スカスカのステップ』とか言うな。
恥かくだけだからやめておけばいいのに。
こういう人は100パーセント自国の選手を贔屓してます。

自分の応援している選手の為にそのライバルを攻撃するのはやめましょう。人としての品格を疑われてもしょうがない…です。

そして真央ちゃん、やっぱり凄い(涙) 久しぶりに泣きました。
メダリスト+真央ちゃんの演技は歴史に残る名演技だったと思います。

その2

2014年02月19日 18時01分21秒 | スポーツ・健康
でもほんとうはジャンプとか点数とかどうでもいいんです(笑)

おいしいワインとチーズを楽しむように純粋にフィギュア観戦してもいいと思います。
それぞれいろいろな音楽を使って表現しています。
それを楽しんでください。
理解しようとせずに、感じてください。

たぶん選手もそれを望んでいます。

いつも思うのですが、実況アナウンサーうるさい!

だいたいアナウンサーになるような人はもともとおしゃべりだからしょうがないか・・・。
しゃべるより無言のほうが伝わることだってあるのです!
緊張感や余韻を感じたいときに、どんな名セリフも邪魔!!!!!!!
頼むから黙っててくれ!

ちなみに中国の李子君選手は大阪教室の恵理子に似ている(笑)
スウェーデンのビクトリアヘルゲジョン選手はIKKOに似ている(笑)



女子シングルをさらに面白く見るために・・・その1(点数)

2014年02月19日 05時09分52秒 | スポーツ・健康
まずは前置きです(長いです)


男子シングルの報道を見ていると、
「ショートプログラムを終えた段階で11位の町田選手と3位の選手との点差はわずか3.5点。これは十分メダルを狙える点差です!」
みたいな解説しかしてなかったような・・・・。
でもさ、だいたいどういう点数のつけ方をしているのかを知らないと(点数の重み)イマイチぴんと来ないのでは?と思いました。

「転倒すると1点減点」
これはわりと知られています。
それと3.5点を比べるとなんか3.5点はかなり厳しいようにも思えてしまいますよね。


というわけで点数についてかんたんにかんたんに説明します。
とりあえず、ジャンプについてだけ説明しますね。

フィギュアはそれぞれの要素に点数がつきます。
ジャンプも種類・回転数・出来映えによって点数がつきます。
点数の幅は、女子で一番点数の高いジャンプであるトリプルルッツ(3Lz)を例にとるとルール上は8.1点~2.1点もの開きがあります。

この3Lzをごくごく普通に跳んだとすると
6.0点(基礎点)で出来映え点(GOE)は0点で合計6.0点のジャンプになります。

で、この3Lz回転数がちょっと足りないと判定されて(アンダーローテーション)さらに転倒したとします。
7割の基礎点4.2点と出来映え点がマイナス2.1点で合計2.1点になってしまいます。

さらに完全に少ないと2回転としてみなされてたら(ダウングレード)さらに点数は開いてしまいます。
基礎点は2.1点で、GOEはマイナス0.9となり合計1.2点になります。

だから演技後のスローで「回ったか回ってないか」を気にするわけです。

この出来映え点についてですが、上記は最低の出来映えである転倒を例にしました。
実際には高さ、飛距離、姿勢、着地、着地後の流れ、正しい跳び方などで判定されます。

みなさんは、回転数が足りてるかどうかと、高さや飛距離や流れなどを比べてみるとわかりやすいかもしれません。



おまけです

高橋選手のフリーの4回転トーループは転倒そしませんでしたが、3回転とみなされさらにGOEでもマイナスとなり2.1点でした
(基礎点4.1点、GOEマイナス2点)
町田選手のフリーの4回転トーループは転倒でしたが、4回転とみなされました。GOEはマイナス3点で合計7.3点でした
(基礎点10.3点、GOEマイナス3点)

つまり、「最悪転倒しても回り切れ!」これがひとつのポイントになりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・前置き終わり



さて本題です。

女子では大技の4回転はありません。
3回転ジャンプの点数の幅は基礎点だけでいうと6.0点から4.1点となります。

ではどこで点差がつくかというと2つあります。
ひとつは前置きで述べた「出来映え点}(GOE)

そしてもうひとつはコンビネーションジャンプ

です

特にショートプログラムはジャンプは3回だけです(女子のショートでは4回転は跳んではいけません)。

1、単独の3回転
2、3+3もしくは3+2のコンビネーション
3、3アクセルか2アクセル

です

なぜコンビネーションジャンプで差がつくかというと、

一番高得点のジャンプに2回転ジャンプをつけた点数(3Lz+2Tは6+1.3)は7.3点ですが、
3Lz+3Tは6+4.で10.1になります。

キム選手やリプニツカヤ選手は
3Lz(トリプルルッツ)+3T(トリプルトーループ)のコンビネーションを跳んできます(基礎点だけで10.1点)

村上選手や鈴木選手やコストナー選手は3T+3T(8.2点)です
もしかしたら浅田選手は3F+3Lo(5.3+5.1=10.4点)か3Lo+3Lo(5.1+5.1=10.2)をやるかもしれません。


そしてみなさんご存知トリプルアクセルです。
団体での3アクセルは最悪の結果でした。
2アクセル(3.3点)と認定され、さらに転倒でGOEはマイナス1.5となり合計1.8点しかとれませんでした。

もしこれが、3アクセルと認定されていれば転倒しても8.5マイナス3点で5.5点もらえました。
浅田選手以外は全員2アクセル(3.3点)なので、最高の出来映えで演技後半(点数が1.1倍になる)に跳んだとしても4点ぐらいにしかならないのです。



全国制覇!!!!

2014年01月13日 16時39分54秒 | スポーツ・健康
信じられない!

いまや野球とならぶメジャーなスポーツで、(世界的には野球なんかよりずっと上だし)
北陸の高校が、それも富山県の高校が優勝するなんて・・・!
それも0-2からの逆転優勝!

最近、サッカーはあまり観ないんですけど観てしまいました。
泣きました

夏の高校野球では全国で富山県だけなんです、準決勝にすらいったことないのは。
だからもう慣れっこなんですよ、富山県民は。
負けるのに慣れてるんです。

特筆すべきはなんといっても「部員のほとんどは富山県人」ということです。
だから、☆稜には勝ってほしかった(涙)

よくぞ、やってくれました!
感動をありがとう!
優勝おめでとう!





ついでに・・・・

部員が富山県人だからきっと練習も富山弁やわ。
「だらめ、あんにゃなにしとんがよ!はよせま!」とかゆーとるがかな?

監督のインタビュー、ぜひ富山弁で話してほしかった(笑)

そういえば準決勝は、石川県と京都府、富山県と三重県
すべてわたくしの三線教室とゆかりのある県でしたね。

明日は金沢で教室が2つあるけど、ちゃんと三線教室になるのか心配です。
「先生、サッカーの話はそれくらいにしてそろそろ三線弾きましょう」と誰か言ってくださいね(汗)

ベスト8

2013年08月19日 13時21分39秒 | スポーツ・健康
40年ぶりだって
学校が、じゃなくて県勢が。

すごいのぉ

甲信越、北陸、東海で残ってるのが富一だけだなんて、、、
信じられない(涙)
ついでに言うと近畿も中国も全滅。

富山県代表は一回戦負けか二回戦負けしかないハズなのに。
それが当たり前。
それがいつもの夏。

それなのに
ベスト8

すでにいつもの夏じゃなくなってる。

さあ大変だ!

弱くても勝てます

2013年08月18日 13時41分32秒 | スポーツ・健康
高校野球!
今日の第四試合は富山第一対木更津総合です。

なんか、おもしろそうな本を見つけました。
三線教室と共通する部分が多々ありそうです。
コラムを紹介しておきます。


いきなり言い訳になってしまうが、高橋秀実作品の面白さをレビューで伝えるのは、実は難しい。構成は徹底的に練られ、すべての章、すべての文が有機的につながっていて、その一部を取り出したところで、本全体が醸す、なんともいえない、そこはかとない面白さを伝えることができず、もどかしい気分になる。

 なので、こう書くしかない。本書はとびきりに面白い。近年の作品の中では、一番ではないだろうか。もちろん小林秀雄賞を受賞した『ご先祖様はどちら様』も面白いし、『おすもうさん』も、「R25」に連載していた『結論はまた来週』も素晴らしい。しかし、それらを越えて、本書が、なんというか、一番しっくりと来る面白さだと思う。もしこのレビューを読んで面白い本だなぁと思ったとしたら、この本は、その何倍も面白いことを保証する。

 著者が今回取り上げるのは開成高校である。

 開成高校といえば、なんといっても「東京大学合格者数第一位」。生徒の4~5割が東大に行く、「賢い学校」という印象がある。その野球部と聞けば、さぞかし弱いだろう、とまず想像してしまうのだが、東京都大会でベスト16まで勝ち進んだという。すごい。でも、なぜ? と疑問も湧き上がる。

 本書のタイトルおよびサブタイトルによれば、「弱くても勝てるセオリー」があるらしい。きっと体 力や練習時間、設備などに劣る超進学校の面々が、数学や物理を応用し、頭脳プレーやら高度なサインプレーやらを駆使して勝ち上がってゆく、そんな本なのだろう、と想像したのが、実際にページを開いたら、そんな安易の想像はまったく間違っていた。

 まず、開成高校が平成17年全国高等学校野球選手権大会の東東京予選の戦績を見てほしい。

1回戦 開成10ー2都立科学技術高校(7回コールド)
2回戦 開成13ー3都立八丈高校(5回コールド)
3回戦 開成14ー3都立九段高校(7回コールド)
4回戦 開成9 ー5都立淵江高校
5回戦 国士舘高校10ー3開成(7回コールド)

 なんというか、ものすごく大雑把な感じがしないだろうか?緻密さに欠ける、というか、もっと言ってしまえば、「賢さ」をまったく感じさせないスコアだ。著者はこう書く。「野球は9回裏まで何が起こるかわからない」という決まり文句があるが、開成の野球には9回がないのである、と。

 著者が開成高校の練習を見に行った際の、最初の感想を記しておく。

下手なのである。
それも異常に。

 内野ゴロが野手の股の下を抜け、球拾いをしている選手の股も抜け、壁にぶつかるまで転がり続ける。フライの落下点を誤って後逸し、走塁すれば足がもつれそうになる。キャッチボールでさえエラーするので、いつ球が飛んでくるかわからず、百戦錬磨の著者をして、「危なくて気が抜けない取材」だったという。

 レフトを守る3年生は言う。

「内野は打者に近い。近いとこわいです。外野なら遠くて安心なんです」





彼は固い地面もこわいそうで、ヘッドスライディングができないという。
ショートを守る2年生が言う。

「僕は球を投げるのは得意なんですが、捕るのが下手なんです」

 著者が「苦手なんですね」と相槌を打つと、「いや苦手じゃなくて下手なんです」と答える。そして「苦手と下手の違い」について淀みなく説明する。野球ではなく、国語の問題か?と思う著者。ちなみに開成中学校の国語の入試問題は選択式は一切なく、すべて記述式だそうだ。

 そしてサードの3年生は胸を張る。

「エラーは開成の伝統ですから」

 エラーしまくると相手は油断する。エラーは一種の戦略でもあるのだ。
そして個人的に一番気に入ったのは、2年生のピッチャーのこの一言

「実は、僕は逆上がりもできないんです」

 念のため書いておくが、小学2年生ではなく、高校2年生である。

 そんな面々が集う開成高校野球部の青木英憲監督がポジションを決める基準は極めて簡単だ。

・ピッチャー/投げ方が安定している。
・内野手/そこそこ投げ方が安定している。
・外野手/それ以外。

 向き不向きで決めようとしたら、全員が野球に不向き、ということになってしまう。 監督が言うには、「存在してはいけないチームになりかねない」のだ。

 ピッチャーに関しては、勝負以前に、「相手に失礼にならないことを第一に考えている」と青木監督はいう。

「球がストライクゾーンに入らないとゲームになりませんから」

 開成高校野球部には送りバントやスクイズはない。そもそもサインプレーがなく、監督は大声で指示を出す。サインプレーをし、スクイズで1点取っても、意味がない。なぜならていねいに1点取ったところで、その裏に相手に10点取られてしまうからだ。

「送りバントのような局面における確実性を積み上げていくと結果的に負けてしまうんです」とは聡明なる監督の弁である。

 そんな開成高校野球部の戦略は以下のようなものだ。

 まず、1番から6番まで、できる限り強い打球を打てる選手を並べていく。もっとも強い打者は2番。そして、ひたすら強振する。一番チャンスがあるのは8番、9番 からはじめるイニングで、彼らがうまいことヒットやフォアボールで出塁した場合だ。下位打線を抑えられなかったことで動揺する相手ピッチャーに1番が強振して長打、そして最強の2番打者が打つ。弱いチームに打たれたことにショックを受けている相手を逃さず、後続がとにかく振り抜いて連打を食らわせして大量点を取るイニングを作り、そのままドサクサに紛れて勝つ、のだそうだ。

 超進学校の勝てるセオリーは「ドサクサ」なのである。そして、実際そうやって勝ち上がってきたことは、冒頭の戦績で見た通りだ。



しかし、そんな開成高校野球部に、異変が起こる。平成19年の東東京予選。最初の試合は10-0と、開成らしい勝ちを収めるものの、続く試合は5-3、さらにその年の準優勝校となった強豪の修徳高校相手に0-1と善戦して負けた。

 ちゃんと「野球」になっているのである。著者曰く、守備がうまくなったという。エラーという開成高校野球部の伝統を、彼らは捨ててしまったのだ。しかしながら、「野球」になってしまえば、週に1度しか練習できない開成高校は非常に不利とも言える。同じ土俵に経てば、「ドサクサ」は通用しない。

 試合中、「野球をしようとするな!」という青木監督からの罵声が飛ぶ。「ピッチャーをしようとするな!」とピッチャーに指示を出し、ヒ ットを打っても「なんだそのスイングは!」と激怒。思いきりのよい空振りには「ナイス空振り!」と褒め、「ドサクサ! ドサクサ!」と連呼する。勝ったある試合の後には「これじゃまるで強いチームじゃないか」と怒りまくる。極めつけは「大体、打つのは球じゃない、物体なんだよ」とのお言葉。ほとんど禅問答である。


加えて生徒たちの言葉も不可思議だ。

 例えば、サードの藤田くん

「大事なのは反省しないってことだと思うんです」(中略)
「反省してもしなくても、僕たちは下手だからエラーは出るんです。反省したりエラーしちゃいけないなんて思うと、かえってエラーする。エラーしてもいい。エラーしても打ちゃいいやって思うとエラーしない。といってもエラーしますけど、下手だから」

 結局どうやってもエラーするんじゃん、とガクッとくる。理路整然と、なおかつやけに遠回りし、冷静に自分を客観視し、さらには客観視する自分をも客観視しているみたいだ。面倒くさいまでにいろいろ考えているのである。

 続いて試合中、セカンドベースを踏み忘れたとして審判にアウトにされた尾島くん。

「踏んだと思うんですけど、たぶん」(中略)
「でもそれはあくまでも審判が判断することですから、実は2塁ベースを回るところで砂埃が立ったんです。審判はベースに砂埃が立つと『踏んでない』と判断するんです。審判が見て『踏んだ』と思われなきゃいけないんで、それは反省しないといけないんです」

 そして彼は砂埃が立った理由も事細かに分析してみせる。しかし、そこは「踏み忘れたと判定されたけど、本当は踏んだ!」と腹を立てるべきところじゃないのか?と疑問が湧く。著者は「何を言っているのかよくわからなかった」「彼は勝負というより野球のルールにおける審判の存在理由について論じているのだろうか」と戸惑いを隠さない。

 彼らの多くが、自分自身のことを、ひとつの現象のように観察し、分析する。そして、考えすぎ、すべての動きがワンテンポ遅れ、試合中もいつも出遅れているように見えるのだそうだ。




 著者は、それを「は」と「が」の違いとして分析している。部員の多くは、「僕は◯◯なんです」と言う。まるで人ごとのように自分を冷静に見る。その「は」を「が」に変える。それこそが青木監督の思いなのだろう。

 思い切り球を叩く、というのも、『僕が』でなけばできないのだ。

 と著者は言う。そして、以下は青木監督の言葉。

「チームに貢献するなんていうのは人間の本能じゃないと思います」

「思いっきり振って球を遠くに飛ばす。それが一番楽しいはずなんです。生徒たちはグラウンドで本能的に大胆にやっていいのに、それを押し殺しているのを見ると、僕は本能的に我慢できない。たとえミスしてもワーッと元気よくやっていれば、怒れませんよ。伸びやかに自由に暴れまくってほしい。野球は『俺が俺が』でいいんです」

 実は青木監督は選手時代、常にチームに貢献することを考え、送りバント、セーフティーバントの練習ばかりしていたという。その経験を経て気づいたことを、選手たちに託しているのだ。

「大人になってからの勝負は大胆にはできません。だからこそ、今なんです」

 本当にそうだと思う。自分の楽しさのために、ただ思いっきりバットを振る。そんな素晴らしく心地良い経験は、大人げない大人ならいざ知らず、多くの人にとってなかなかできない。東大をはじめとする有名大学に進み、将来、国や企業の要職につくような開成高校の子たちならなおさらであろう。

 そして、最終章では、平成24年東東京予選大会でベスト16進出に挑む彼らの姿が描かれる。「は」を「が」に変えるため、選手たちは思いっきりバットを振る。彼らの空振りが空気を震わせるさまは感動的でさえあり、「爆発の予感」を感じさせるのだ……。

 読了後、僕は、開成高校野球 部の部員たちをすっかり好きになってしまった。彼らが「異常な」野球を続けている限り、彼らをぜひ応援したい。そしてとりあえず、小学2年生の息子のプラスティックのバットを借り、何十年かぶりに、思いっきり、素振りをしてみたのである。

 なお、開成高校野球部の部員たちのことを、「考えすぎ、すべての動きがワンテンポ遅れ、(中略)いつも出遅れているように見える」と書いたが、それって、他の著書で描かれる高橋秀実の性格そのものではないだろうか?ヒデミネさんがあの野球部のなかにいてもまったく違和感はない。その親和性の高さも、本書がとびきり面白い理由のひとつかも知れない。