かわてつ日記 

三線弾いてハッピーライフ
クイチャーパラダイス三線教室(富山・高岡・金沢・野々市・京都・大阪)

2014年5月の教室日程

2014年04月27日 12時42分26秒 | 今月・来月の教室日程
北日本(火)14時~ 20日、27日
金沢(火)18時半~、 20時~、13日、20日、27日

アピア(水)19時半~ 7日、21日 
野々市(水)14時~  14日、28日
金沢南(水)18時半~ 14日、28日

豊田(木)14時~ 15日、29日
高岡開進堂(木)19時半~ 15日、29日
富山新聞(木)20時15分~、8日、22日

白山(金)19時~ 9日、23日
京都(金)19時~と19時半~ 16日、30日

大阪(土)10時半~ 17日、31日

豊田(日)10時~ 11日、25日

島唄・・・3(最終回)

2014年04月21日 09時02分05秒 | 三線・沖縄
最近、コピペばっかりですいません

関連記事として、作者の宮沢和史さんが書いた新聞記事(その1と9)を紹介(コピペ)します。


(宮沢和史の旅する音楽:その1)たった一人のために

「島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。

91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。

捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。

資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。

だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。

歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。

(みやざわ・かずふみ。66年生まれ。歌手)

2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)

宮沢和史の旅する音楽:その9)再び「島唄」のふるさとへ

02年夏。ぼくはアルゼンチンのマルチアーティスト、アルフレド・カセーロとともに沖縄の竹富島にいた。石垣島から船で10分。赤い瓦の伝統的な建物が美しいこの島では以前に「島唄」のビデオクリップを撮影したことがある。ぼくらは2人並んで海に浮かぶ月を眺めた。

翌日は沖縄本島のひめゆり平和祈念資料館に向かった。彼は、沖縄地上戦を生き延びたおばあさんの体験談に強い衝撃を受けたようだった。陽気な彼は黙っておばあさんの語りに耳を傾けた。

最後はコザの民謡酒場。夜が更けるほどに泡盛を飲み、一緒に民謡を歌いながら、彼はぼくが「島唄」に込めた意味を全身で受け止めてくれた。

ぼくにとって沖縄は本当に大切な場所だ。多くの人々との出会いがあった。
 
自分で「島唄」を作っておきながら、「本土出身者のぼくがこの歌を歌っていいのか」と悩んだことがあった。その時、「音楽では魂までコピーしたら許される」という言葉でぼくの背中を押してくれた人がいた。「花」を始めとする多くの名曲で知られる喜納昌吉さんだった。

沖縄はまた、大人になって出会った「ふるさと」でもある。特に竹富島は「隠れ家」のような場所。島を歩いていると、おばあさんから「あんたかい、『島唄』を書いたのは」と声がかかったりする。ゆったりとした時間が流れる沖縄は、自分が「人間」という生き物であることを改めて教えてくれる。

2005年09月01日 朝日新聞朝刊

慰問演奏・・・in 奈良

2014年04月20日 16時13分21秒 | 三線・沖縄
参加してくださったみなさん、お疲れ様でした。
今回は京都、大阪、兵庫、石川、富山、東京から生徒が集まりました。

半分以上は慰問演奏自体がはじめてのメンバーでしたが、それにベテランさんが加わりとてもいい催しものになりました。

今回、シンセサイザーが加わったことで演奏に厚みがでました。やはり歌謡曲には必要です。

みなさん、お疲れ様でした。




島唄・・・その2

2014年04月18日 07時01分52秒 | 三線・沖縄
だれかの解説です。


でいごの花:春から初夏にかけて赤い花が咲く。見事に咲いた年は天災に見舞われるという言い伝えがある。

洞窟:沖縄は石灰岩の土壌で畑の下には多くの洞窟や鍾乳洞(ガマ)がある。米軍の攻撃や、自決などでガマの中で多数の民間人が犠牲になった。宮沢の記事にあるとおり。Googleで"okinawa cave"で検索すると、当時の写真が多数出てくる。米軍の攻撃により民間人が洞窟から出てくる写真がこれ。第二次世界大戦の記録をしているアメリカ海兵隊のウェブサイトにある、沖縄戦のページに掲載されている。

ニライカナイ:沖縄の民間伝承で東の海のかなたにあると考えられている異界。豊穣や生命の源であり、神界でもある。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。

千代、八千代:国歌、君が代の歌詞に合わせて韻を踏んでいる。

プロモーションビデオで、宮沢和史が白の上下の服を着ているのは、死者が着る死装束(しにしょうぞく)を表しているとも考えられます。
-->

大阪チーム・松阪チームの写真など追加

2014年04月17日 10時55分30秒 | 三線・沖縄
高橋先生、小牧さんより写真いただきました。

2014松阪花見2
高橋先生より

名古屋から高橋です。
かわてつ日記への写真掲載ありがとうございました。
その中に京都大阪チームの写真が無かったですが、それは一般に、
ライブの前半の写真は多いのですが、後半は酔っ払うやら疲れやらで写真が少なくなっていきます。(笑)
そして、京都大阪チームが出演中は、当然、本人達は写せないので・・・・。
松阪チームが撮った貴重な写真を送信しますので掲載願います。


小牧さんより

松阪サンパークの小牧です
有難う御座いました 遠くから来て下さった川原師匠、皆さんお疲れ様でした
満開の桜が見えるとは、思っていませんでした 高橋先生ありがとうございました



島唄・・・その1

2014年04月16日 18時58分30秒 | 三線・沖縄
昨日の日記のコメントにもありますが花(すべての人の心に花を)がタイで流行っているらしい。
PVを見せてもらった。どこかの国のえーけーびーなんとかよりも数段セクシーな美女軍団がポップな感じで歌い踊っています。
来年は是非とも桜の花の下で見たいですね。

ところで世界的に有名な沖縄の唄といったらこれですね!

The Boomの『島唄』

ちなみにこの唄は沖縄民謡ではありません。沖縄の人が作った唄でもありません。
正確には『沖縄のことを唄ったうた』ということになるのでしょうが、完全に唄が一人歩きしてしまっていますね。

南米のある国で誰かがカバーし爆発的なヒットとなりサッカーの応援にも使われるようななったことは作者も知らなかったそうで。

曲集の第二集にも工工四が掲載されているこの The Boomの島唄、実はこの唄の歌詞に深い意味があった・・・・

最近知りました(汗)
以前から歌謡曲はほとんど聴かないので興味がなかったんです。
(と、いいながらシングルCDはちゃんと持っている・・・笑)
証拠写真

ここからはネットの記事をコピーさせていただきました。
興味あるかたは読んでみてください。

まずは、歌詞には書かれていない裏の意味を補足してあるものを掲載します。

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)

繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)

ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)

ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)

島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)

ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)

ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)

ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)

このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

つづく

お花見会

2014年04月13日 06時42分14秒 | 三線・沖縄
来たかいがありました。ホントに来てよかった!
花も天気も二重丸(笑)
昼の部も夜の部も楽し過ぎ!
(ゆ~とりあ越中での松阪チームのノリを思い出していただければわかりますよね)

さすが高橋先生です!

そして最初から最後まで最高のおもてなしをしてくださった松阪のみなさんに感謝感謝!

PS
こんなに色々していただいたのにわたくしの演奏はというと なかなかジャンプが決まらず、転倒こそしなかったものの回転不足などGOEはマイナスだらけでした。申し訳ありません。

田川匡士 絵画展

2014年04月11日 09時54分28秒 | お知らせ
田川さん、復活されました!
おめでとうございます。

突然ですがここで田川さんの個展のお知らせです。

田川匡士 絵画展
会期 2014年5月1日(木)~6日(火)10時~16時30分
会場 石川県立美術館 広坂別館 金沢市出羽町1-1

おりしも金沢のまちは「ラ・フォル・ジュルネ金沢」の真っ最中、クラシック音楽であふれています。

音楽と絵画、ゆっくり芸術の世界に浸ってみてはいかがでしょうか?

音楽も絵画も「どう楽しむか?」は個人の自由だと思っています。あまり難しく考えないで(解説に頼らないで)感じるがままに鑑賞してみては?

で、わたくし個人の楽しみ方をひとつ紹介します。
この絵をじっとみてるとある音楽が頭の中に生まれてきました。
ストラヴィンスキーのバレエ音楽です。(題名はあえて伏せておきます)

でも、せっかくですので「ラ・フォルジュルネ金沢」で演奏される曲のなかからひとつ選んでみました。
なんとなく合いそうなやつです(笑)
ここに掲載したこの作品は案内はがきのものですが題名もありませんし、作者さんから「どういうことを表現した絵なのか」を聞いたわけではありません。なので、田川さんの意図とはまったくちがったものになると思います。タガワワールドをぶち壊してしまうかもしれません(ゴメンナサイ)。
でもこういう楽しみ方も面白いでしょ?

L.ヤナーチェク/ピアノ・ソナタ「1905年10月1日の街角で」 第1楽章

三顧の礼、、、道楽者はウンチクのために生きている

2014年04月05日 08時37分40秒 | Weblog
サンシンおじさんからこんなメッセージをいただきました。
面白かったのでみなさんに紹介します。
で、わたくしが勝手にタイトルとサブタイトルを付けました。

三顧の礼、、、道楽者はウンチクのために生きている

川原師匠 様

名古屋から高橋です。
毎度、ご愛読ありがとうございます。(笑)
先日、桜苗を求めて長野県へ行ってきました。その報告書です。
写真は、完璧な梱包、羽生田さんの桜苗畑、枝変の発生したフゲンゾウの古木。

本文

園里黄桜を求めて

「おらあ、いくら金を出してもくれてやらねえど。
おらあ、いくら偉え人が頭さげても気にくわなければやんねえだ。」
「園里黄桜」の主、羽生田さんにやっと電話がつながったが、電話の向こうで何やらいきまいている。
羽生田さんは携帯電話を持たないので、自宅に電話すると奥さんがでて、牛に餌をやっているとか、出かけているとかでなかなか本人に繋がらない。何度も電話するので奥さんもオカンムリで、
「たびたびすいません。ご主人はいらっしゃいますか?」
「いません。」ガチャン
このガチャンの中には鬱積した思いが詰まっている。
(うちの父ちゃんときたら桜道楽でどうしようもないわ。それにしてもこんな信州の山奥まで桜苗を取りに来る酔狂な人もいるもんだわ。)というガチャンなのです。
何とか電話が繋がって4月2日に長野県須坂市へ「園里黄桜」をもらいに出かけました。
山間部なので須坂駅からタクシーで行き、恐る恐る玄関へ入ると、羽生田さんが現れて、
「タクシーは返しちまいな。帰りは俺が送ってやるから。」
こたつに入れてもらって、羽生田さんのウンチクが始まった。
奥さんが無言でお茶を出してくれて、無言で野沢菜のオヒタシをだしてくれる。このオヒタシが新鮮でうまい。奥さんはいい人なんだ。
園里黄桜の発見の経緯、命名の経緯、須坂臥龍公園桜守の会の話、日本桜の会から表彰を受けた話、全国へ寄付をしている話、・・・とめどなく。
帰りの電車時刻が気になる。
私は、この時期は「青春18キップ」でいろんなところへ出かける。今回もこのキップで各駅停車で7時間かけてここまでたどり着いた。帰路のことを考えタクシーを待たせておいて苗木を受け取ってサッサと帰る計画であった。しかし、甘かった。道楽者はウンチクのために生きているようなものだ。これを聞かなきゃ帰してもらえない。
話が終わってから、苗木畑を見学し、変異種が発見された桜の古木も案内していただき、
帰りには、大きなリンゴを鞄に10個ほど詰め込んでくれて、
「重いけど、電車はパンクしねえからな。」
そして園里黄桜の苗を2本いただいた。私も簡単な梱包準備をしていったが、既に入念に梱包されており肩にかけて持てるように細工がしてあって至れり尽くせり。
ああ、このお父さんもいい人なんだ。
 おわり。

                
2014年4月2日    高橋 勝史    
                           

(追伸)
帰りの電車は何とか間に合い、当日の内に名古屋へ帰りつきました。
そもそも、なんで私がこの桜にこだわったかというと、
桜には黄色~緑色の花をつける種類が古来ギョイコウとウコンの二種類しかなく、その来歴についても知られていません。ところが、
あっ、今度は読者が私のウンチクにつきあうはめに・・・。
つづけます。
ところが、ここ数年前にフゲンゾウという桜の古木に黄色の花をつける枝変突然変異があらわれて、これを接ぎ木して繁殖していると、その中から今度は緑色の桜「園里緑龍」が出現し話題になっています。
学者は緑色の桜の謎が解けたと言っています。
この園里緑龍は、日本花の会が販売しており、既に私は大河内城跡桜園へ植えています。ところが、園里黄桜の苗の入手の当てがなく、直接、現地の桜守にコンタクトしたというわけです。
羽生田さんの話の中で、
「俺は個人には桜はやんねえ。公園とか施設とか多くの人に見てもらえるところへは寄付するよ。先日、友人がやってきてさ、おれっちの庭に植えるからくれ、といいやがるさ。おれは、やんねえて言ってやったさ。それでもどうしてもって言うからさ。じゃ、盗んでけ。って言って、庭先へほりだしておいたら、いつのまにやら、なくなってたさ。」
彼はへそ曲がりでこだわりのお人よしの道楽者という感じでした。

なお、この珍しい桜の詳細は、以下のキーワードでネット検索してみてください。
 園里黄桜
園里緑龍
羽生田郁雄
                             おわり