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佐藤直樹氏 3/4  

2021-05-11 21:58:23 | 文化

 

> ただしこの発言だって、「たかがあの程度のことで、なぜ辞める必要があったのか?」と思った人は、とくに男性に多いのではないか。> 女性差別だという実感がまるでないのは、そもそも「世間」自体が「身分制」という差別構造を持ち、女性差別がそのなかに見事に埋め込まれ隠蔽されるために、きわめて見えにくくなっているからだ。

 

そうですね。食べ物にも差がある。学校にも差がある。男女にも差がある。人間にも差がある。差別と区別の見分け方が難しい。      

 

>夫との間で「母子関係」まで背負うことを求められる妻      

> 日本の「世間」で、女性差別が見えにくい理由がもう一つある。> たとえば、歌手で俳優でもある武田鉄矢さんは、3月にテレビ番組「ワイドナショー」に出演した際、西洋に比べて日本が「男性優位社会って言われていますけど、そんな風に感じたことはありません」と断定。>夫婦関係を念頭に、「やっぱり日本で一番強いのは奥さんたちだと思いますよ」と発言している。  

 

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

 

> どうだろうか。

>これを聞いて共感する男性は少なくないのではないか。

> やっかいなのは、夫婦関係において「日本で一番強いのは奥さん」と思い込んでいる人間に、社会関係におけるジェンダーギャップを指摘しても、まるで実感をもてないのではないかということだ。      

 

我が国では男女の間で性による役割分担ができていますからね。例えば男は台所に入ってはいけないなど。習うより慣れろですね。Custom makes all things easy.         

 

> つまりここには、夫婦関係と社会関係において一種の「ねじれ」があり、夫婦関係では、男性より女性のほうが一見「強い」ようにみえる。  

 

太陽が上か雲の方が上かの問題に似ていますね。判定の基準がどこにあるのかわからない。     

 

>しかし、この「ねじれ」は表面的なものにすぎない。> たとえば昨年6月、お笑い芸人の渡部建さんの不倫問題が起きたときに、妻で女優の佐々木希さんがインスタグラムで、「この度は、主人の無自覚な行動により多くの方々を不快な気持ちにさせてしまい、大変申し訳ございません」と、「世間」に謝罪したことは記憶に新しい。 > じつは、夫の不祥事を妻が「世間」に謝罪しなければならないのは日本特有の現象なのだが、「世間」が謝罪を要求するのは、夫に対して妻は母親としての「監督責任」があると考えるからだ。

 

そうですね。わが国は家畜・社畜の国ですからね。役割分担も欧米とは違いますね。役割分担はあっても個人の確立はありませんね。          

 

> つまりここにある夫婦関係は、相互に独立した個人としての男女関係ではなく、非対称の依存関係としての「母子関係」である。

 

そうですね。日本人の夫婦関係は日米安保のようなものですね。   

 

> この点で最近、心理学者の信田さよ子さんが、日本のDV加害者の男性の特徴について、面白いことを指摘している。 > すなわち、北米の男性の場合、妻への嫉妬がDVの引き金になっている例が多いのに対して、日本では妻が他の男性に惹(ひ)かれることなど考えもしない例が多いという。 > ようするに、「日本の男性は妻を女性としてではなく、『自分を分かってくれる存在=母』としてとらえている」ことがDVの根底にあるのではないか、というのだ。

 

妻への嫉妬は、オセロ(Othello) が有名ですね。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」   

 

> もちろん「母子関係」がすべて悪いわけではない。 >しかし、夫婦の関係で「自分を分かってくれる存在」といった「母子関係」を要求される女性にとってみれば、それは強制であり抑圧でしかない。  

 

そうですね。日本人はなれ合いにより人間関係を構築していますね。何が問題なのか分からないでしょうね。 ‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。   

 

 

 

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