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あだ花

2018-06-23 10:41:05 | 政治


>なかなか散らないあだ花   コラム狙撃兵  2017年8月10日
>支持率回復を狙った内閣改造も特効薬にはなり得ず、安倍政府は倒壊寸前まで追い込まれている。

後継者がないから、安倍政府は持ちこたえるでしょう。

>このなかで、野党の民進党もボロボロの状態で代表の蓮舫が辞任するなど、自民党と同じく混迷を深めている。

どこもかしこもダメですね。無哲学・能天気だからでしょう。各人に、哲学が必要である。Everyone needs a philosophy.

>そうして、いまや内閣支持率が低迷している最大の理由は「首相が信用できない」で、支持する理由は「ほかにいないから…」なのだという。

民信なくば、立たず。わが国は、人材不足ということですね。

>情けないかな、これが今日の政治状況のすべてを物語っているように思う。

これも、日本流の教育の成果でしょうね。

>政党政治の劣化はかねてから指摘されてきた。

政治音痴の国柄ですからね。当然の帰結でしょうね。

>その度に、ならばいつの時点が劣化していなかったのか? 

体質ですからね。いつの時点といわれても。昔から。

>誰の政治と比較してその人は劣化を嘆いているのか? 等等、細かい点についても気にかけてきた。

どんぐりの背比べでしょうね。’考える人’ が見当たらない。

>ただ、今目の前にしているのは、劣化もなにも、二流にも及ばない三流、四流政治がドタバタと騒々しい音を立てながら崩壊し、以前ならとっくの昔に禅譲していただろうに、なおもポストを握りしめて離さない異様な光景である。

政治的センス (判断力) がないのだから、どうしようもない。
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には、意思がない。仕方がないから、無為無策でいる。異様な光景である。

>これは恐らく、「千万人といえども吾行かん」(岸信介が座右の銘にしていた孟子の教え)の意味をはき違えているか、解釈変更しているのだろう。>「自ら省みて直くんば」が抜け落ちているように思えてならない。

我々は、反省が不得意ですからね。

>4年半前、民主党・野田政府の自爆ともいえる大政奉還(解散総選挙)によって、自民党は再び権力の座を手にした。

野田政府の腹切りですね。

>その「勝因」は政策云々ではなく、受け皿がないことにあった。

日本は、人材不足の国ですね。わが国には、人手不足はあるが、頭脳不足は聞いたことがない。どんぐりの背比べの状態では、選ぶところがない。

>自民党自身もそれ以前の選挙より得票数を減らしたのに、同じ選挙で民主党がおよそ2000万票近く得票数を減らした。>いわば他人が転けてくれたおかげで転がり込んだ1等賞だった。

‘Lucky Come 噛む’ ということですね。これは、英語ではありませんね。

>この政治不信と受け皿がない状況下で返り咲いたあだ花内閣が、その後自分たちの実力以上に自分たちを過信し、ことのほか思い上がって私物化に励んだうえで、退場を余儀なくされようとしている。

政治音痴のあだ花ですね。

>「美しい国」「日本の伝統」等等、叫びたいだけ叫べばいい。ただ、潔く散っていかない彼らにサクラは似つかわしくない。

風流であるのかな。彼らは、気分・雰囲気の話が得意ですね。

>ずるいのが奥の院で、そろそろ番頭役の安倍晋三がボロボロになってきたので、次は目先を変えて小池百合子率いる「日本ファースト」にチェンジしようとしているのが見え見えである。

気分一新ですか。難破船から逃げ出すネズミたちか。

>細野豪志をはじめとした民進党脱出組と「ファースト」に投機する元自民党や日本会議出身者などが野合し、「受け皿」もどきで急場を凌ぐ布陣にも見える。

無哲学・能天気な議員たちは、離合集散を事としていますね。

>みんなの党や維新の党に続く、自民党がダメになったときの宿り木確保、すなわち三番煎じである。

救命ボートは必要ですね。

>それらが改憲を唱え、まるで安倍自民党を批判するような格好をして同じことをやるという欺瞞である。>こうした目くらましに欺される訳にはいかない。

子供だましには、だまされないか。

>特定の政治家に限らず、政党や政治家というのが集団劣化している。

政治音痴の国柄ですからね。大同の提示がなければ、小異による混乱は収まらない。

>官僚も忖度が大流行してしまい、大手メディアも権力の監視という任務を放棄して久しい。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
文章には、理解が対応する。文章になっていないバラバラな単語には、忖度 (推察) が対応する。
忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、話者には何の責任もない。とかく、この世は無責任。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻語でない文章の重要性を以下のように強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>そして、独占資本は東芝筆頭にズタボロである。>これらがみんなして忖度している相手は米国だ。

日本人は、忖度 (推察) が大好き。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、話者には何の責任もない。とかく、この世は無責任。

>にわかにトランプの真似事ファースト劇場が始まろうとしている。

猿真似は、我が民族の得意技ですからね。
  



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