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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

平岡敬氏  

2025-07-08 02:48:07 | 文化

>産経新聞   >米に原爆投下の責任を問うことが核廃絶への道 97歳元広島市長が考える「真の未来志向」   >12時間・   

>「米国が過ちを認めなければ、過ちは繰り返されてしまう」。   

>被爆者の思いを受け継ぐ元広島市長の平岡敬さん(97)は原爆を投下した米国の責任を問うべきだと考えている。   

>二度と核兵器が使われないように-。   

 

日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。責任の無い人間には信頼がない。信無くば立たず。  

 

>根付く「神話」   

6月上旬、広島市内であった戦後・被爆80年のシンポジウム。   

>平岡さんは講演で「原爆神話」に言及した。   

>「原爆が第2次大戦の終結を早め、多くの人命を救った」という、米国で拡散された正当化論だ。   

 

「アメリカがあのタイミングで原爆投下して、どれだけ破壊力があるかを世界中に知らしめられたことで、冷戦中の核兵器使用が防がれた。世界の滅亡を避けられたじゃないか。大体、日本は被害者なのか。  

ユダヤ人大虐殺をしたドイツと連盟を組んで、他のアジアの国にもひどいことをしたじゃないか。それでいて第二次世界大戦といったら原爆投下の被害ばかり語るのっておかしくない?  そもそも戦争中っていろんな国がめちゃくちゃひどいことをしたわけだから、日本が、日本が、って核兵器についてばかり言うのはおかしいと思う」 (あるアメリカの学生   

 

>無差別大量虐殺に対する非難をかわす方便に過ぎないが、神話は今も根付く。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日 

残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。 めでたしめでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。‘ぬちだ宝’(いのちは宝)ではなかったか。 

 

>「それは間違っていると言い続けなければならない。   

>原爆神話を打ち破るということが大事だと思っています」   

>真意を直接取材した。   

>「過ちを認めさせることから核廃絶への道が開けます」と平岡さん。   

>その思いを一層強くしたのは、20222月に始まったロシアによるウクライナ侵略だという。   

>米欧など西側諸国による非難をよそに、ロシアのプーチン大統領は核の威嚇を繰り返す。   

 

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領)

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相 

戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。= 真に勝つことは自らの力を増すことで、戦わずして勝つことが最善である。      

わが国は平和国家であるから自国の強大な抑止力 (物量) を相手国に見せつけながら、国家の最善を目指さなくてはならない。  

 

戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり(何度も戦ってそのたびに勝つというのは、最善の策ではなく、戦わないで相手を屈服させるのが最善だ)孫氏の兵法  

 

>「なぜそういう態度を為政者に取らせてしまうかといえば、米国が80年前、原爆を広島、長崎に投下した行為を『間違っていた』と認めていないから」。   

 

原爆投下により日本人は一億総玉砕をまぬかれました。当時、日本人で命を守ろうとする指導者はいなかった。     

 

>あえてロシア側に立てば、「米国に核についてあれこれ言われる筋合いはない」(平岡さん)との理屈になってしまうわけだ。

>被爆地・広島としては「(核保有国に)そういう口実を与えてはならない」。だから、米国の投下責任をあいまいにしてはいけないのだという。

 

>若い世代に望み   

>平成285月には、オバマ元米大統領が現職大統領として初めて広島市を訪れた。   

>「核なき世界」へ、思いこそ述べたものの、投下責任には触れず、謝罪もなかった。   

 

日本人には意思がない。意思のない人間には被害者意識はあっても、加害者意識がない。罪の意識がない。謝罪もない。子供のようなものです。     

 

>在任中のレガシー(政治的遺産)をつくるための舞台に広島がなってしまったとの見方すらある。   

>令和5年の先進7カ国首脳会議(G7サミット)で広島を訪問したバイデン米大統領からも原爆投下を悔いる言葉は出なかった。   

 

日本人は井の中の蛙ですね。考えが世界に追い付いていない。      

 

>日本政府は経済的かつ軍事的に緊密な関係を築く同盟国・米国に対し、今日に至るまで投下責任を問うていない。   

>投下直後には、日本が米国側に国際法違反だと抗議したが、戦後、かつての敵国は同盟国へと姿を変え、日本は米国の「核の傘」の下に入っている。   

>平岡さん自身は被爆者ではないが、外地から引き揚げ、長らく新聞記者として、被爆者の苦しみや怒りに接していた。   

>こうも考える。   

>「恨み続けるわけではない。   

>ただ『原爆投下は間違っていた』と米国が非を認めない限り、被爆者の無念は晴れないと思っています」   

 

歌詠みの内容では人は納得しませんね。趣味には論拠がない。There is no accounting for tastes. 気分・雰囲気・感情に関する事柄は議論にならない。   

 

>米国が将来、原爆投下の過ちを認めることはあり得るのだろうか。   

 

ないですね。   

 

>平岡さんは、先の大戦で日系人を強制収容した過ちを1988年、レーガン米大統領(当時)が認め、謝罪した経過を引き合いに、必ずしも「神話」にとらわれていない米国の若い世代にいちるの望みを見いだしたいという。   

 

それは米国民の権利に関することですね。   

 

>もっとも、現実は厳しい。   

>トランプ米大統領は625日、米軍によるイランの核施設攻撃がイスラエルとイランの「戦争を終結させた」とし、広島や長崎への原爆投下と「本質的に同じことだ」と述べた。   

 

そうですね。人は自己の滅亡に直面しなければ、考えを変えませんからね。日本もイランもそうですね。      

 

>まさに原爆投下の正当化であり、発言から責任や反省は感じられない。   

 

責任のある者は信頼される。そして尊敬される。

日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。だから信頼されることもない。一旦事が起これば、責任者捜しのために騒ぎが起こる。日本残酷物語の様な騒ぎになることもある。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)  

 

>「『未来志向』という美辞麗句のもとで米国の機嫌を損なわないようにしてきた結果が今日の状況」(平岡さん)。   

>トランプ氏の発言に対し、日本政府は公式に抗議などはしていない。   

>(矢田幸己)   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

>◇   

>ひらおか・たかし 昭和2年、大阪市生まれ。   

>日本統治下の朝鮮・京城(現ソウル)や広島市で育った。   

>中国新聞記者、同社編集局長、中国放送社長などを歴任。   

>平成3年の広島市長選で初当選し、2期務めた。   

>市長時代の1995年には、オランダ・ハーグの国際司法裁判所で核兵器の国際法上の違法性を訴えた。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


渋谷功太郎氏  

2025-07-08 01:06:12 | 文化

>読売新聞   >80年前の七夕の夜、思い出したくない「地獄絵図」語り継ぐ平和の思い「戦争はとんでもないこと」   >読売新聞によるストーリー・   >13時間・   

> 太平洋戦争末期に千葉市の中心市街地が狙われた「七夕空襲」から7日で80年となる。   

>米爆撃機「B29」が約1時間半の間に900トン近い 焼夷(しょうい) 弾や爆弾を投下し、1204人が死傷した。   

>当時を知る人が年々減る中、体験者たちは次世代に戦争の恐ろしさを伝えようと、懸命に声を振り絞る。   

>(渋谷功太郎)   

>「そんな暇ないぞ」急かした父   

> 「ヒューン、ヒューンって、焼夷弾が雨あられと降ってきた。   

>当たらなかったのは運が良かっただけだよ」   

> 千葉県四街道市の中央大名誉教授高橋治男さん(88)は、80年前の忌まわしい光景が今も忘れられない。   

> 陸軍少佐の父親の下で育った軍国少年で、クレヨンで戦闘機の絵ばかり描いていた。   

>当時、千葉市に住んでいて、富士見国民学校(現・新宿小学校)では竹やり訓練に励んだ。   

>「特攻隊になることが誉れ。   

>絶対に日本が勝つ」と信じていた。   

>そんな世界が一夜で一変した。   

> 7日未明、空襲警報のサイレンでたたき起こされた。   

>毎晩枕元に置いていたリュックを慌てて背負い、靴を履こうとしたところで父親から「そんな暇ないぞ」と 急(せ) かされた。   

>靴下で家を飛び出すと、背後で自宅が燃え始めた。   

> 間もなく大雨が降り出した。   

>出洲海岸を目指したが、「ヒューン」と音がするたびに火の手が上がり、焼け落ちた家のせいで道路が通れない。   

>都川にかかる鉄道用の鉄橋を家族で1列になって渡り、必死で海岸まで逃げた。   

> 2歳上の姉とともに、雨水でどんどん重くなる布団をかぶってぼう然と立ち尽くした。   

>雨がやみ、夜が明けると、海岸のあちらこちらに焼夷弾の筒が突き刺さっているのに気付き、ぞっとした。   

> 焦げ臭い街を歩いて自宅に向かった。   

>あちこちで煙が上がり、人が倒れていた。   

>遺体にすがりついてわんわんと泣いている人がいた。   

>自宅だった場所は、溶けて固まったガラスと、熱で真っ赤になった軍刀やミシンの脚などがあるだけだった。   

>「思い出したくないほどの地獄絵図。   

>だいぶ戦局が悪いんだろうと思った」。   

>39日後に日本は降伏した。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日 

残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。 めでたしめでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。‘ぬちだ宝’(いのちは宝)ではなかったか。   

 

> 戦後は高校、大学を出て、中央大で教べんを執った。   

>学生たちに自身の空襲体験を語り、平和を説いたこともある。   

> 「人が命を奪い合うなんて、そんなバカなことはない。   

>戦争はとんでもないことだ」。   

>そう語気を強めた。   

 

日本の平和運動は体験者の証言だけにずっと依拠し続けてきた。体験者は現実を語る者であるが、平和の礎には政治の仕組みを調べ、「改革」「運動」「参加」の考え (非現実) の内容を語る人が必要である。非現実の内容 (考え) は高等教育の成果から得られるものである。   

政治には未来 (非現実) の先取りが必要である。だが、日本人には現実があって、非現実がない。だから、日本人は現実にとらわれて行き先を見失い政治が迷走する。   

 

>田んぼに放り投げられつないだ命   

> 千葉市若葉区の栃木実子さん(87)は、本町国民学校(現・本町小学校)2年の時に空襲に遭った。   

> 空襲警報のサイレンを聞き、兄や姉と一緒に庭に掘られた半地下の防空 壕(ごう) に飛び込むと、間もなく数メートル先の隣家から真っ赤な炎が上がった。   

>熱くて怖くなった栃木さんは思わず、防空壕から 這(は) い出した。   

>消火活動をしていた両親が気付き、隣接する田んぼの水路に放り投げられて命をつないだ。   

> 避難しようと向かった友人宅は満員で入れてもらえず、自宅に戻るとそこは火の海だった。   

>ぬれていたはずの服は火災の熱であっという間に乾き、その後、親戚宅に逃げ延びた。   

> 数日後に学校の様子を見に行くと、校舎は焼失し、黒い物体が置かれていた。   

>炭化した遺体だと気付き、言葉を失った。   

>学校から約1キロ離れた千葉駅が見渡せるくらい、辺り一面焼け野原だった。   

> 「飛行機が低く飛ぶ音は今も好きじゃない」と語る栃木さん。   

>80年たっても、大きな音を聞くたびに当時の 凄惨(せいさん) な体験を思い出すからだ。   

> ロシアによるウクライナ侵略など、海外の戦争報道を見るたびに平和への思いを強くする。   

>「もう戦争は嫌だ。   

>やめてもらいたいよ」   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 

指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容が出て来ない。これが英米人の子供と違う所である。    

 

英米の高等教育は子供が大人になる為の教育である。子供は現実 (事実) に関する知識のみを持っているが、大人には非現実 (考え・哲学) に関する知識もある。それを若者に持たせるのが彼らの高等教育である。

日本語には非現実を内容とする構文がない。それは日本語文法には時制 (tense) というものが無いからである。日本人には非現実に関する知識がないのでわが国では英米の高等教育がなりたたない。だから、現実ばかり (現実肯定主義) の日本人は子供らしくみえる。   

非現実の内容を現実の内容に転換する方法を見つけることができたら、それは人間固有の創造力を発揮したことになる。日本人はその創造力に欠けている。        

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。