>現代ビジネス >「原爆投下は正当だった」アメリカ人学生の意見に日本人精神科医が返した言葉 >内田舞 (医師・小児精神科医) の意見・ 3時間・
>世界は日本人が思う以上に原爆の悲劇を知らない
>広島の例は使いたくない、長崎の例も使いたくないが、本質的には同じである」
そうですね。自分が滅亡すると分かれば人は考えを改めますね。
>6月25日、トランプ大統領は、6月22日午前中(日本時間)に行ったイラン国内での核施設空爆に対して、正当性を訴えた。
>原爆投下から80年、2024年には日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞し、12月の授賞式では、日本被団協の田中熙巳さんが、「その時目にした人々の死に様は、人間の死とはとても言えないありさまでした。
>誰からの手当ても受けることなく苦しんでいる人々が何十人何百人といました。
>争といえどもこんな殺し方、こんな傷つけ方をしてはいけないと、私はそのとき、強く感じたものであります」と自らの体験を語り、「核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたい」と核廃絶を求めたばかりだ。
そうですね。平和の道筋を知ることが肝心ですね。
>アメリカと日本では、原爆投下に関して温度差が大きいと感じることが少なくありません。
>広島・長崎の原爆投下に関して、“投下した”という事実以外、ほとんど語られることがないのです」
そうですね。
>そう語るのは、『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』、新刊『小児精神科医で3児の母が伝える 子育てで悩んだときに親が大切にしたいこと』などの著書があるハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞さん。
>内田さんは、祖父が広島出身で今も多くの親類が広島で暮らし、幼い頃から祖父や親戚から、原爆の体験について伝え聞いて育った。
>アメリカで暮らすようになって、原爆に対する意識の違いに面食らったという。
そうでしょうね。日本人は井の中の蛙ですからね。
>アメリカの学生との対話で感じた想い
>10年以上前のことですが、アメリカ人の学生とこんな会話をしたことがありました。
>その学生は日本語を学び、日本を訪れたときに広島の原爆記念館を訪ねたそうです。
>そこにいた日本人が「こんなことをしたアメリカ人を絶対に許すことはできない」と言っていたのを聞き、「反感を覚えた」と話してくれました。
>「アメリカがあのタイミングで原爆を投下して、どれだけ破壊力がある爆弾であるかを世界中に知らしめたことで、冷戦中の核兵器使用を防ぐことができた。
>原爆投下で“世界の滅亡”を避けられたじゃないか。
そうですね。
>大体、日本は被害者なのか。
日本人には被害者意識はあっても加害者意識 (罪の意識) がない。それは日本人には意思がないからである。
>ユダヤ人大虐殺をしたドイツと連盟を組んで、他のアジア諸国にもひどいことをしたじゃないか。
そうですね。
>それなのに第二次世界大戦といったら、日本人は原爆投下の被害の話ばかり語るのっておかしくない?
そうですね。おかしいですね。日本人には被害者意識はあっても加害者意識 (罪の意識) がない。これは子供と同じですね。子供には意思がありませんからね。
>そもそも戦争中はいろんな国がめちゃくちゃひどいことをしたわけだから、日本が、日本が、って核兵器についてばかり言うのはおかしいと思う」
そうですね。自己中心の考え方ですね。
>その場にいた日本人は私ひとりだったので、めちゃくちゃ孤独な状況でしたが、私は勇気を出してこう発言しました。
>「確かに、日本が他国にしたひどいことはもっと語られなければならない。
日本人にはそのような運動は無いようですね。
‘罪悪感を国民に植え付けるプログラム’ (WGIP: War Guilt Information Program) とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画ですが見事に失敗しました。カエルの面に水でした。わが国からは戦争犯罪人は一人も出していません。意思の無い人間に罪の存在を理解させるのは難しいからです。同様な理由でわが国の全ての宗教は罪と離れたところに存在します。日本人には贖罪の必要がないからです。罪の意識に苛まれる病める魂の持ち主を救済する必要がないからです。
>戦時中、日本国政府が日本国民に発したメッセージの問題に対しても、学ばなければいけないことはたくさんある。
>日本国政府が当時、国際政治の中でよくない判断を下したことも間違いない」
その原因が明らかにされたことはないですね。罪を知らなければ原因究明にも身が入りませんね。
>そして、さらに続けました。
>「でも……、それでも私は、日本から原爆投下を『Never Again(二度と繰り返さない)』というメッセージを発し続けなければならないと思う。
>誰かの責任だと言うことは簡単だけど、それだけが注目されるべき問題ではない。
日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。だから、日本人の中に責任者を見つけることは難しい。わが国からは戦争犯罪人が出なかった。戦争を軽く考えていたからでしょうね。
>日本に原爆が投下されたのは『冷戦での使用を防ぐための投下』というような、核戦争や核兵器についての議論を『理論的には』と、実体験から隔離した机上の空論のように語るのは良くないことだと思う。
実体験は歌詠みの内容ですね。歌詠みには意味がない。論拠の無い主張には意味がない。「それがどうした」「それでどうした」の答にならない。
>実際、原爆投下後のヒロシマやナガサキでどれだけの方が、どのように亡くなったのか……。
> 熱波で瞬間的に消えてしまった命、爆風にとばされた人、ガラスのかけらが体中に刺さった人、皮膚がとけ落ちてしまった人、ひどい火傷で川に飛び込んで亡くなった人、白血病で血を吐きながら亡くなった人、親を亡くした子どもたち……。
>もっともっとさまざまな生き様がそこにあり、その人々のストーリーなしには核兵器は語られるべきではない。
>それが『Never Again』に繋がると思う」
核による抑止力は重要ですね。弱い国は侵略を呼び込む。
>さらに、学生とのディスカッションの中で、「9.11とカミカゼ特攻隊を比べるのを嫌がる日本人がいるのもおかしい」という発言もありました。
>私は自分の意見を伝えました。
>「航空機で突進する、という部分に、9.11のテロリストとカミカゼ特攻隊の類似点を感じるのはわかる。
>そして、戦争中ではないときに、一般市民を無差別殺人した9.11のテロリストと特攻隊の加害は違う、と言う人がいるのもわかる。
>でも、何よりも『カミカゼ』という言葉でしか特攻隊のことを知らずにイメージするものと、実際に存在した特攻隊の人のストーリーを通して抱くイメージは全く違うものだと思うよ」
日本人には現実があって、非現実 (考え・哲学) がない。だから、あくまでも現実肯定主義になっている。そして、非現実の内容に基づく改革運動の抵抗勢力になっている。
日本に原爆があれば、アメリカは原爆を使わなかった。わが国の抑止力の不足が我が国の悲惨な結果を生んだ。戦って勝つことが善であるならば、戦わずして勝つことは善の善である。平和国家のわが国は善の善を目指さなくてはならない。
好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日
残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。めでたし、めでたし。
太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。
人の命はどのように考えられていたのか。‘ぬちだ宝’(いのちは宝)ではなかったか。