特集は 高橋秀雄・中脇初枝・梨木果歩 -90年代から現代へ-。
高橋秀雄論、まっさきに読んだ。
沢崎友美さまは高橋秀雄氏の作品を「動かなさ」をキーにひもといている。
その中心のモチーフが「囲炉裏」。
「じいちゃんのいる囲炉裏ばた」主人公の浩太は囲炉裏の中に、
--自分も手を灰の中に入れ、「いろんな人に会ったような奇妙な気分」に打たれるのだ--
と語る。
目黒強さまは、近頃の若者の「キャラ的コミュニケーション」との違いを高橋秀雄作品に見る。
「わたしたちうんこ友だち?」は、「全人格的な親密さと身体性を備えた付き合い方をポジティブに描いている」と。
それは「キャラ的コミュニケーション」の対極にあると語る。
そして高橋秀雄氏の愛弟子である、開隆人さまの高橋秀雄論。
深いなぁと、うならせられた。
「地をはう風のように」が心に沁みる理由を、わからせてくれた。
「作者が小学六年生の自分自身に完全に同化したことで前出の三部作を超えた臨場感がこの作品にはあった」と。
そしてだれもが疑問に思うこと「古い時代を描いたこの作品が子どもたちにどう読まれているか」も書ききってくれた。
読書感想文で子どもたちはこう語る。
「私がコウゾウだったらやってられない」「どんな時にも無心につきすすむ--その力強さが、とても妬ましかった」
自分と同世代の主人公の怒りに、現代の子どもたちも共感しているのだ。
そして最後に、
「コウゾウのように本音で生きることができる社会はかつて存在したし、君たちに望む力があるなら、また創り出すことができる。さあ、一歩踏み出してみないか」
と高橋秀雄は読者に訴えているのだと。
なんだか、ひでじぃさまの作品を読んだような読後だった。
短編では、うたかいずみさまと季巳明代さまの作品が。
うたかいずみさまの「声」。
ひっこしてきたぼくは、夕方になると聞こえてくる数匹の犬の悲しそうな声が気になってたまらない。
警察署に引き取られた捨て犬や捨て猫の声だと知らされ、半年前に亡くなった飼犬のリキを想う。
「あんな悲しいのは、もういやだ。けど、犬を連れて散歩している人がいると、気になって見てしまう。リキの匂いやさわり心地を、思いだしてしまう」
可愛がっていた犬とのお別れがあった人にしか書けない言葉。
(リキ、ぼくにもできることって、なにかあるのかな…)
しんみりとせつない、でもあったかい読後感の作品だった。
季巳明代さまの「東京行きは、トラックで」。
月のきれいな夜に、倉庫の段ボール箱の中で、じゃがいもとにんじんが鹿児島弁で語る。
話に加わったタマネギとカボチャが箱に飛びこんできて、朝に入れるはずの青野菜が入らないかもという困った状況に。
でも翌朝、青野菜を抱えてきたばっちゃんは、首をかしげ、
「あれぇ、あとからつめるつもりじゃったタマネギとカボチャが、もうつまっとる!」
季巳明代さまのお話はいつも、くすっと笑えて楽しい。
同人誌評では田中風馬さまの「口笛と風」が推薦作品としてあげられていたり、
新人登場では「すてもる」のはやみず陽子さまの美しい近影を拝めたり。
zb通信では、高橋秀雄さまのひみつのエピソードがこっそり書かれていたり。
楽しい一冊でした。
登場人物がそれ以上拡がらないように設定してみた。
今日もびよよよ~~ん (*^ __ ^*)
高橋秀雄論、まっさきに読んだ。
沢崎友美さまは高橋秀雄氏の作品を「動かなさ」をキーにひもといている。
その中心のモチーフが「囲炉裏」。
「じいちゃんのいる囲炉裏ばた」主人公の浩太は囲炉裏の中に、
--自分も手を灰の中に入れ、「いろんな人に会ったような奇妙な気分」に打たれるのだ--
と語る。
目黒強さまは、近頃の若者の「キャラ的コミュニケーション」との違いを高橋秀雄作品に見る。
「わたしたちうんこ友だち?」は、「全人格的な親密さと身体性を備えた付き合い方をポジティブに描いている」と。
それは「キャラ的コミュニケーション」の対極にあると語る。
そして高橋秀雄氏の愛弟子である、開隆人さまの高橋秀雄論。
深いなぁと、うならせられた。
「地をはう風のように」が心に沁みる理由を、わからせてくれた。
「作者が小学六年生の自分自身に完全に同化したことで前出の三部作を超えた臨場感がこの作品にはあった」と。
そしてだれもが疑問に思うこと「古い時代を描いたこの作品が子どもたちにどう読まれているか」も書ききってくれた。
読書感想文で子どもたちはこう語る。
「私がコウゾウだったらやってられない」「どんな時にも無心につきすすむ--その力強さが、とても妬ましかった」
自分と同世代の主人公の怒りに、現代の子どもたちも共感しているのだ。
そして最後に、
「コウゾウのように本音で生きることができる社会はかつて存在したし、君たちに望む力があるなら、また創り出すことができる。さあ、一歩踏み出してみないか」
と高橋秀雄は読者に訴えているのだと。
なんだか、ひでじぃさまの作品を読んだような読後だった。
短編では、うたかいずみさまと季巳明代さまの作品が。
うたかいずみさまの「声」。
ひっこしてきたぼくは、夕方になると聞こえてくる数匹の犬の悲しそうな声が気になってたまらない。
警察署に引き取られた捨て犬や捨て猫の声だと知らされ、半年前に亡くなった飼犬のリキを想う。
「あんな悲しいのは、もういやだ。けど、犬を連れて散歩している人がいると、気になって見てしまう。リキの匂いやさわり心地を、思いだしてしまう」
可愛がっていた犬とのお別れがあった人にしか書けない言葉。
(リキ、ぼくにもできることって、なにかあるのかな…)
しんみりとせつない、でもあったかい読後感の作品だった。
季巳明代さまの「東京行きは、トラックで」。
月のきれいな夜に、倉庫の段ボール箱の中で、じゃがいもとにんじんが鹿児島弁で語る。
話に加わったタマネギとカボチャが箱に飛びこんできて、朝に入れるはずの青野菜が入らないかもという困った状況に。
でも翌朝、青野菜を抱えてきたばっちゃんは、首をかしげ、
「あれぇ、あとからつめるつもりじゃったタマネギとカボチャが、もうつまっとる!」
季巳明代さまのお話はいつも、くすっと笑えて楽しい。
同人誌評では田中風馬さまの「口笛と風」が推薦作品としてあげられていたり、
新人登場では「すてもる」のはやみず陽子さまの美しい近影を拝めたり。
zb通信では、高橋秀雄さまのひみつのエピソードがこっそり書かれていたり。
楽しい一冊でした。
登場人物がそれ以上拡がらないように設定してみた。
今日もびよよよ~~ん (*^ __ ^*)