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卑弥呼神社?弁天様ですよ(^_-)-☆

2022-02-23 05:50:58 | 古代史
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2018-09-17 22:58:51に「弁天様が卑弥呼だよ(^_-)-☆」というタイトルで掲載しましたが、リンク先が途切れていたので、少しだけ改訂しました。日本のリベラルのインチキについて教わった田中英道先生がなぜ卑弥呼神社がないのか ――日本のどこにも存在しない「邪馬台国」と主張されています。しかし、正史「日本書紀」やそれに基づく官製の神社伝承は「古代史の盲点はここだ」で述べたとおり、歴史の真相を隠すためのものです。卑弥呼という名称はもとは敵対していた倭国王難升米が魏の役人に書いて教えたもので、漢字を読み書きできない倭人をバカにしたものです。本当は「日御子」あるいは「姫巫女」ということでしょう。この記事のタイトルも変えましたので、お付き合いください(*^▽^*)

【武田鉄矢】定説がヒックリ返る壮大な話!『実は邪馬台国は 』
2018/03/30 に公開 武田・中野・論客CH@YouTube
(現在リンク先がありませんが、以下のようなコメントをしました。)
范曄の後漢書には邪馬台国とありますが、魏志倭人伝には邪馬壹国とあります。
でもヤマイーとかヤマイチとかいう国はありませんよ(^◇^)

古代の倭人語では母音が続くことはないということが分かっています(^_-)-☆

邪馬壹ですが、邪馬臺の「臺」の字が魏の皇帝を意味するので畏れ多いので、原本では似た字「壹」としたようですが、ヤマイチではなくヤマトゥ(ヤマドゥ)と読みます。山門(ヤマト)とも違う!邪馬臺(台)の発音はヤマトゥなのです!

九州説も畿内説も皆さん、「女王国東渡海千餘里、復有國、皆倭種(女王国の東へ、千余里のところにまた、国がある。皆、倭の種族である)」(藤堂他2名「倭国伝」講談社学術文庫2010,p.111)という「魏志倭人伝」の記述を無視して、都合の良いように解釈するからどこにでも置くことができますよ。九州説では福岡も山門も西都原も、もちろん畿内説の纏向も当てはまりません。ですから、建国の歴史を考古学の成果などで推理する必要があります(「なぜヤマト王権の始まりが分かるの?」参照)。

この記述に合う場所は、有力な説ではたった一つだけです。

宇佐市安心院(あじむ)町の邪馬台国は女王(御台様)が住むヤマ国という意味ですよ。

倭国大乱期に、海に面して物騒な縄文系ムナカタ海人族の不弥(ウミ)国から、安心院町(和妙抄の野麻郷)の邪馬(ヤマ)国に疎開して女王(院)が安心したというのが安心院町名の由来です。ここには耶馬渓もあります(*^▽^*)

仙の岩(宇佐市安心院町 宇佐市公式観光サイトより 綺麗な写真がたくさんあります!)


「魏志倭人伝」に卑弥呼は多くの兵士に厳重に警護されたとあります。その卑弥呼の宮室(三女神社)墓(径百歩=直径約150mの円墳)が安心院町三柱山で見つかってます。昔から地元の伝承も残っていますが、朝廷に遠慮して広くは知られていなかったようです。拙ブログのバナーにしている「二女神社」の神額は卑弥呼にゆかりのある方の謎かけでしたからとても面白いですよ(^_-)-☆

朝廷にとって卑弥呼はとても恐ろしい祟る存在でしたので、特に篤くお祀りしてます。

建国の歴史の真相を隠すために宇佐神宮では比売大神の名前で祀っていますし、宗像大社・宗形神社などでは宗像三女神としています。でもそれだけでなく宗像三女神の主神のイチキシマヒメとして、日本全国の厳島神社でお祀りされています。江島神社の弁財天も卑弥呼ですよ(注)。


八幡総本宮宇佐神宮ホームページより


天平勝宝元年(749年)東大寺大仏建立への八幡大神の託宣により朝廷が贈呈した神階が宇佐神宮の応神天皇に一品、比売大神に二品です。八幡大神(応神天皇ですが大国主と一体です)の一之御殿、神功皇后(女王台与)の三之御殿より中央の比売大神の二之御殿の方が立派です。比売大神も最終的には一品となっています。数ある神様の中でも品位を奉授された神様は、後に二柱の皇祖神、淡路島伊弉諾尊に一品、備中吉備津彦命(実は饒速日命)に二品で、わずか四柱だけですから本当に特別扱いになっています。地震や火山噴火などの天変地異は建国時代にヤマトに恨みを持って亡くなった高貴な三柱の神(大国主、台与、卑弥呼)の祟りが引き起こすと信じられていました!朝廷自身が隠した歴史の真相を暴露しているようなものですから、解明のヒントになりました(^_-)-☆

247年3月24日の北部九州で観測された日食が原因で卑弥呼が伊都国男王に暗殺されたその場所まで突き止めました(「卑弥呼の墓の遥拝所に何がある?」参照) 

卑弥呼の墓は見つかってるよ(^◇^)

卑弥呼は日食で殺されたムナカタの姫巫女だろう

(注)三女神のタギツヒメとタギリヒメは古事記と先代旧事本紀で大国主と結婚したとしています。これはこの二女神の正体が大国主の妃になった女王台与だとほのめかして、真相を暴露しています。江島神社の御祭神は宗像三女神となっていますが、市寸島比賣命(イチキシマヒメ)をお祀りしている中津宮は、もとの上之宮で、文徳天皇仁壽三年(853年)に慈覚大師(じかくだいし)が創建したとあり、下之宮の辺津宮は建永元年(1206年)将軍・源實朝の創建とあります。興津宮は龍神伝説発祥の地である相模湾を臨む岩屋に一番近いとありますが、創建の年が不明です。


五頭龍伝説(まんが)より



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