刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

東鯷人(とうていじん)って?(^^)/

2021-03-13 09:27:54 | 古代史
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2018-11-14 15:52:09に掲載した記事を少しだけ修正してアップします(HN名「弟子」さんの日記をリンクした日本を愛する人たちのSNS「my日本」はすでに終了しています。大変お世話になりました(*^-^*))。通説と違うので色々と疑問点をお寄せください(^◇^)

買ってきた。。。( ̄ー ̄)
2018年11月13日15:24 弟子さんの日記@my日本


ナンプラー買ってきたー♪

今日の夕飯はガバイご飯(ガパオライス?)を制作するよー!o(゚▽゚)o

くさーい!(><)

でも。。。 

まーいうー!o(゚▽゚)o

・・・久々にタイのおいにー嗅いだw

クサいモノ同士って事で。。。 納豆にナンプラーって、どーだろ?
攻め過ぎかにゃ?( ̄ー ̄)


>刮目天

ナンプラーってカタクチイワシの魚醤だって?

このあいだ初めて知った( ^)o(^ )

そういえば古代史で東鯷人というのが後漢書に出てくるんですが、

昔どこかで鯷(ひしこ)のことをナマズだと書いてあったので、訳分からなかったのですが(注1)

本当はカタクチイワシだそうです。

そうすると、東鯷人の居場所がハッキリしましたよ。

済州島の北の何とか諸島が昔からカタクチイワシの漁場で、
キムチの原料?
納得しました(*^▽^*)


「ナンプラー カタクチイワシ」 で検索すると・・・

東鯷人?

「とうていじん」って呼ぶようですよ( ^)o(^ )

「後漢書 東夷列伝倭条」に会稽郡(かいけいぐん)の海の彼方に20余りの国を作っているって書いてあります(^_-)-☆
古代は耽羅(たんら)国と呼ばれた済州島も含むかもしれませんが、
その北側で半島との間に楸子(チュジャ)島というのがあって、
そこが暖流と寒流がぶつかり合う最良の漁場のようです!
卑弥呼よりも前の時代から多分倭人だと思うけど、
古くから漁をしていたんだと思いますよ(^_-)-☆

「東鯷人って人達は東南アジアに散らばって行ったんだにゃー」って思っちゃいました^^;

いい、センス(^_-)-☆
倭人は江南出身の水田稲作と漁労をやって暮らす人々ですから、
東は半島南部から五島列島、北九州、有明海へ
大陸の沿岸に沿って南西方面にも行ってました(^^)/
確か一番遠くはマダガスカルあたりにも出没していたと
どこかで読んだ覚えがありますよ~

見つけました!(^_-)-☆
倭人がマダガスカル島へ(注2)

やったー!ヽ(´▽`)ノ いいセンスですかー?!

古代史って推理できて楽しいですにゃー♡
自称シャーロキアンとして興味津々でございます^^



折角、興味持ってもらったので、もう少しだけいいですかあ~(*^▽^*)

「後漢書 東夷列伝倭条」には倭人や周辺の国についてかなり正確に書かれていますンよ!

女王国の東へ海を渡り一千里(約450km)には
卑弥呼に敵対する同じ倭人の狗奴国があるとしっかり
書かれているので、もう女王国も狗奴国もどこだか
はっきり分かるんですが、

「魏志倭人伝」には女王国の南に狗奴国があると書かれているために、
九州説・大和説の学者から「後漢書」の方が信用されなかったんですよ。

でもね~、冷静に考えると、

卑弥呼の邪馬台国は、

帯方郡の東南一万二千里の海上で、

「三国志」の「魏」のライバルだった「呉」
(都は長江河口の建業、現在の南京)を圧迫する、

その東の海上にある大国なんだぞ!

って「三国志」の編者「陳寿」が「魏志倭人伝」にハッタリを書きたかった理由も分かってきたので、

「魏志倭人伝」よりも後の時代に書かれた「後漢書」の方が女王国に対する政治的思惑がないから信頼できるんですよ~(^_-)-☆。



考古学の成果から狗奴国の位置は奈良県の纏向遺跡と推理できます!

だから、そこから西に約450㎞瀬戸内海を渡って行けば、

宇佐に邪馬台国があったと分かるんですw!(^◇^)




そして、「後漢書」では女王国の南へ四千里余りに身長が三、四尺(90~120cm)しかない小人が住む侏儒国(しゅじゅこく)があると書いてますW~。つまり宇佐の女王国から南へ約2000km離れたフィリピンに古くから住む小柄な少数民族アエタ族のことで、ピナトゥボ山付近に住んでいた模様。東南アジア一帯に住む小柄な先住民族ネグリートの一種族のことでしょう(^_-)-☆

また、「後漢書」には「侏儒国から東南へ海路を1年行くことで、裸国・黒歯国に至る。中国への使者や通訳が往来する所としては、ここが最遠の地である。」(藤堂明保等「倭国伝」講談社学術文庫2000、p.32)とあるのが、「魏志倭人伝」は女王国の東に千里海を渡ったところに倭種の国があって、そこから南へ四千里余りで侏儒国、その東南に裸国・黒歯国とあるので方角が少しだけ違うだけで大体同じと言うことでしょう。裸の人や歯を黒く染めた人たちはニューギニア方面には居るようです。侏儒国へ女王国から直接南と書いた「後漢書」の方が少しだけ正確ですね(*^▽^*)。

ちなみに東シナ海の海流(左図)や倭人の航路は龜山勝さんの「安曇族と徐福」によれば右図の黒い矢印ですが、水田稲作の日本への伝来ルートは多分赤い矢印だと思いますよ。顔に入れ墨入れて、刳り舟(丸木舟)に乗って航海する人たちです(^_-)-☆



【関連記事】
水田稲作が日本へ伝来したルートは?


(注1)『漢書』地理志呉地条

「會稽海外有東鯷人 分爲二十餘國 以歳時來獻見云」
会稽海外に東鯷人あり、分ちて二十余国と為し、歳時をもつて来たりて献見すと云ふ。

「鯷(テイ)」は大きなナマズの意味である。

東鯷人と倭人の関係は不明であるが、谷川健一は「わが列島の中に「東鯷人」の国を求めるとすれば、阿蘇山の周辺をおいてほかにないと私は考える」と記している[1]。
(Wiki「倭・倭人関連の中国文献」『漢書』より)


(注2)「記事をよく読まれたし。
どこにもマダガスカルまで倭人が行ったなんて書いてまへんがな。このリンクと文章、消しといてや。
めーわくやから。」
とKawakatu様よりクレームが来たので、本文からリンクを除きました(2021.3.16 17:18:3)。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。いや、意見が違うことは記事を読んで気づきましたが、マレー人が何で倭絹?倭人が伝えたに決まっているさかい、そう書いたのかと思いました(^◇^) つづきはコメント欄でどうぞ(*^-^*)

【参考記事】
日本民族とその周辺民族の父系のルーツ!(^_-)-☆倭人Oー47zとマレー人(越人系O-M95)はルーツが違います!

マダガスカル島の特産品に天蚕絹があるようです。
固有種であるタピアの葉しか食べない蚕から取れる「ランディべ」と呼ばれる天蚕絹は、マダガスカルにしか存在していません。自然環境の中で集められた繭か ら糸を取り、手織りにします。粗く仕上げた織り地を、植物染料だけで染め上げていきます。最近まで天蚕絹は経帷子使用にされるだけでしたが、現在では ファッション業界とインテリア業界に進出しています(スカーフ、靴、ドレス、テーブルクロスなど)。駐日マダガスカル大使館 より)
しかし、天蚕は江南出身の倭人アズミ族が開発した信州の安曇野穂高にも在ることが分かりました。
“てぐす” という糸がある。あの釣り糸や手術糸、モノを吊るす糸が “てぐす” である。
 その “てぐす” を漢字では “天蚕” と書く。・・・そう、繊細でありながら強度ある天蚕(てんさん)糸は、共通の意味を持つ、てぐす、の語源でもある。
 さて、繊維のダイヤモンドと呼ばれる天蚕、なぜダイヤモンドなのか、いったいどんなカイコなのだろうか。
 ・・・信州、安曇野穂高にその答えがある。
絹の道 第三話 天蚕編 より)


天蚕(やままゆが)の原産地は日本家蚕(かいこが)と特性が異なり、天蚕の飼育には特殊な技術が必要のようです。(2021.3.19 追加)


最後までお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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8 コメント

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こんにちは (light77rira)
2021-03-13 13:26:23
タイの伝統な魚醤・ナンプラー を
紐解いて邪馬台国の所在地を判明とは
すごいですね。。(ピント外れだったらごめんなさい)

古代研究は奥が深いですねぇ。

しんどそうだけど情熱持って楽しそうです。

応援しています✨
ありがとうございました😊
Re:こんにちは (刮目天 一(はじめ))
2021-03-13 14:00:36
いつもうれしいコメントを頂き、有難うございます!ピントはばっちりです。連想ゲームみたいな推理ですから、ちょっと関係あるかな?って思ったときはとても嬉しい、楽しいゲームですよ。

古代史は、古代人って私たちの先祖のことですから、どんなことしていたのか思いを寄せる話ですから、固く考える必要なんかないですよ。思い付きでも何でもOK!ただし人に言う場合にはそれなりの根拠がないと相手にされませんけど、自分一人で妄想するのは自由ですからね(^_-)-☆

わたしは現役時代は理系の仕事でしたから、自然科学が相手でしたので、物理法則を使って考える、いわゆる演繹的な論理とか帰納法的なものになれていますが、でも理論的なことを考えるときには、実験結果から原因を想像する、妄想の段階で仮説を立ててますよ。でも科学にするにはそれを実験で検証しないと誰も相手にされませんから、自然と思ったことを確かめる癖がついています。

古代史の本はよく、現役の時からよく読んでロマンを感じていたのですが、ある時、人気作家の関裕二さんにはまって「日本書紀」のトリックが分かり、その前には東洋史家の岡田英弘先生の「日本史の誕生」を読んで「魏志倭人伝」の作られた経緯が分かりました。あ、権力者は権力を維持したいのでウソを書くんだという当たり前の原理を発見して、退職してから本格的に図書館に通って調べまくりました。

多くの方は正式な文献に書かれたことは、つい本当だという先入観で考えてしまいますね。ですから、ウソだという前提で疑って推理すると面白いようにデタラメが見えて謎が解けてきましたよ!楽しくて夜も寝られませんでした!最近は、ちょっとくたびれ気味ですが、いいコメントいただけると嬉しくて、また面白い謎を解いてお見せしたくなります。また、いいヒントをよろしくお願いします(^◇^)
そんなこと書いてない (Kawakatu)
2021-03-16 17:18:32
確か一番遠くはマダガスカルあたりにも出没していたと
どこかで読んだ覚えがありますよ~

見つけました!(^_-)-☆
倭人がマダガスカル島へ

記事をよく読まれたし。
どこにもマダガスカルまで倭人が行ったなんて書いてまへんがな。このリンクと文章、消しといてや。
めーわくやから。
Unknown (Kawakatu)
2021-03-16 17:19:40
その代わりランクリだけぽちっとくわ。
Unknown (Kawakatu)
2021-03-16 17:21:34
忘れてた。この記事、ブログ村には反映されてまへんで。ログインしてマイページから記事再取得ボタン押すべし。
Re:そんなことかいてない (刮目天 一(はじめ))
2021-03-16 19:35:03
本文からリンクを除きましたが、(注2)に言い訳を書いておきます。ご存知のとおり、倭人は江南系の呉の人々で北部九州に最初に水田稲作を伝えた人たちです。縄文人が輸入したのではなく、彼らが渡来したことで、弥生文化が列島に根付きましたから分かります。倭人はY染色体DNA解析で、O1b2の系統でO-47zであることが分かっています。O1b2からO-47zを除く人たちが、半島の4割を占める殷(商)人系と分かっています。これは、Wiki「日本人」に掲載されているデーターに基づいた解析結果です。マレー人の現代男性の34.4%はO-M95つまりオースロネシア言語をしゃべる人たちでわたしは越人系としました。彼らがインド南部に弥生文化と同様の文化や言語を伝えた人々です。でも、マダガスカルに倭絹を伝えたのは倭人だと思います。何故なら、倭絹(天蚕)が残っているのが信州とそこだけですから。日本には越人系は来た痕跡は確かにあります。米子市の角田遺跡に鳥の羽を付けて丸木舟を漕ぐ羽人の線刻土器が見つかっています。これは越人が作った雲南の滇王国(BC306年、越が楚に滅ぼされ作った)に見られる風俗ですから、倭人のものと区別できます。
ですから、結論はマダガスカルまで倭人が行って倭絹を伝えたということです。おっしゃる通り、マレー人はその後マダガスカルに行って言語を持ち込んだということではないでしょうか?
Re:Unknown (刮目天 一(はじめ))
2021-03-16 19:36:35
>その代わりランクリだけぽちっとくわ。
おおきに~(^◇^)
Re:Unknown (刮目天 一(はじめ))
2021-03-16 19:40:03
>忘れてた。この記事・・・・
年寄りに難しいことおっしゃられても分からんで~
URLを教えてくれまへんか~

とりあえず、いいコメントを頂き感謝!
ケンカは良くないが、学術的な議論はしないより、した方がえ~に決まっているさかい!こんごともよろしゅ~頼んマス(^◇^)

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