交野市立第3中学校 卒業生のブログ

中高年の

皆さ~ん  お元気ですか~?

「草もまた生きている」

2012-12-29 22:56:03 | 教育

┌───今日の注目記事───────────────────────┐

           「草もまた生きている」

                千玄室(裏千家前家元)
                『致知』2013年1月号
                 特集「不易流行」より

└─────────────────────────────────┘


(復員して)京都に帰ってからの私には、
「死に損ないの自分は胸を張っては歩けない」
「戦友に申し訳ない」という忸怩たる思いが
消えることはありませんでした。

修行のために僧堂へ入り、ある時、
庭の草抜きをしていたんですね。

すると後藤瑞巌(ずいがん)老師が立っておられて
「あんたはいま、どんな気持ちで草を抜いてるんや?」
と聞かれた。

そう言われても、別段何も考えていない。
老師はそのまま黙って行かれたのですが、
後で呼ばれてこう言われたんですね。


「あんたは戦争から生きて帰ってきて、
 忸怩たる思いでいることは分かってる。

 けどな、あんたが抜いてたあの草も生きてるのやで。
 その草をなんとも思わずに抜いてたらダメや。
 生きてる草に“抜かせていただきます”
 という気持ちを持たなあかん」


この言葉を聞いてハッとしました。
生きて帰ってきたことは何も恥ずべきことではない。
生かされて帰ってきたからこそ
仲間の分まで頑張らねばならないのだ。


そう思った時、私は滂沱(ぼうだ)と涙しました。



僧堂の修行は、ある意味で軍隊よりも厳しいものですよ。
軍隊は命令に従って動いていればいいのですが、
僧堂では何一つ指示されない。

だから最初は何をしていいのか皆目分からず、
先輩に聞いても知らん顔をしている……。


結局大徳寺には一年ほどいて、翌年アメリカへ行きましたが、
その後も老師の元へは参禅しました。

私がアメリカへ行くと告げた時、老師は
「なんでアメリカなんぞ行く必要がある?」と言われた。
茶道の普及にまいりますと答えると、
そんなに容易いものじゃないぞと言って渡されたのが

「主人公」

という言葉でした。
禅の公案にある、自分自身をよく見つめ直せという教えですね。

唐代の瑞巌師彦和尚は、自分自身に


「主人公よ」と呼び掛けては、


「惺惺著(せいせいじゃく)」(おい、しっかり目覚めているか?)、


「諾(だく ※正しくは口偏)」(はい、しっかり目覚めています!)

と自問自答したといいます。

向こうの国へ行けばいろいろな人からいろいろなことを言われる。
おまえは居眠りをせず、目と心をはっきり開けておけ。
己に与えられた大きな使命を自覚し、それを全うせよと。
この教えは大変ありがたかったですね。



最新の画像もっと見る