もうこんな歳(どんな歳?)

30代半ばで化学物質過敏症を自覚。以来、過敏症の症状はありつつも、病院には行かず、普通に生活できています。

亡き義父を思い出す出来事

2014-03-04 20:58:49 | 美容・健康
今月は義父の祥月命日を迎えるので、度々義父を思い出します。

不幸な生い立ちから自暴自棄になり、10代の頃に志願して近衛兵となり、数々の戦場へ行ったそうです。

寡黙な義父でしたが、戦争の本は沢山集め、テレビの戦争番組は良くみていましたが、「戦争はそんなものじゃない」というのが口癖でした。

本やテレビの番組などは、戦争を美化したり、誇張したりし過ぎると言っていました。

実際にどんな事があったのか嫁である私にはわかりませんが、普段は寡黙な父が戦争の事については熱く語るのは、戦争を知らない者へ、もう戦争を起こしてはならないとの戒めだと思います。

ジャングルの中を1ヶ月間、食糧もなくさまよった話、自分達の部隊の居場所を知らせる手段が一人乗りの潜水艦しかなく、独身で一番若かった義父が乗った事のない潜水艦に乗って行く事になり、死を覚悟して潜水艦で知らせに行き、任務を全うしたけれど自分のいた部隊は全滅していた話は幾度となく聞かされました。


義父の話を聞くたび、戦争は怖い、二度と戦争を起こしてはならないと感じました。



今日は、母親の病院の付き添いで病院の待合にいましたら、看護師さんが「あの方91歳でお元気なのよ」という方にいらっしゃった方は、きちんとした身なりとしゃんとした姿勢の老紳士が一人でじっとしてらっしゃいました。
耳が遠いようで、看護師の声にもあまり反応しませんでした。

看護師さんがその老紳士に近寄り戦争を話を始めると、とても雄弁に戦争の話をされます。
母親が採血や心電図などの検査の間、私もその老紳士の所へ行き、お話を聞きました。

終戦からもう70年近くになるのに、昨日の事のようにいろんなお話をされました。

そしてやはり、死ぬ思いもされていました。

海軍の戦闘で、何千人もの人が亡くなり、生き残ったのはたった26人。

どこかわからない海の上に放り出され、浮いている板にしがみつき、敵の戦闘機の機関銃にゲームのようにもてあそばれた時には海の中に潜ってかわし、奇跡的に助けられたそうです。

その熱い話ぶりに、義父を思い出しました(義父も生きていたら、同じくらいの年齢です)。

91歳でも一人で暮らし、炊事など一人でされるそうです。

「そろそろ仲間が呼びに来たのかもしれない」とおっしゃっていましたが、ずっとお元気でありますようにと願います。

そしてさらに願うのは

NO MORE WAR
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