以前のページで示した様に時計Aに対して時計Bの時刻を合わせるための静止系でも運動系でも成立している一般式は
tB=(時計Bは時計Aと何時も同じ時刻を示す)-(ローレンツの局所時間ずらし分)
と表すことができます。
そうしてこの一般式は見て分かりますように2つの部分からできています。
一つは「①:常に時計Bの時刻を時計Aと同じに調整する部分」。
もう一つは「②:ローレンツの局所時間分だけ時刻をずらす部分」です。
さてそれでアインシュタインの時刻合わせの定義ではそれまでの伝統的な常識に従ったものでした。
それはつまり「2つの時計の時刻を合わせる」というのは「常に2つの時計の針に位置が同じ場所を指している様にする事」でした。
それは上記一般式で言いますと①の部分に相当します。
そうであればアインシュタインが示した「時計Aに対して時計Bの時刻を合わせるための静止系でも運動系でも成立している一般式」は実は
tB=(時計Bは時計Aと何時も同じ時刻を示す)
というものでした。
そうしてアインシュタインは1905年の論文でアインシュタイン コンベンションを導入してその式を具体化しました。(注1)
その式は tB=tA+X と言う形をしています。
ここでtBは時計Aから時計A時刻でtAの時に出た光が時計Bに届いた時の時計Bが示している時刻で、Xは時計Aと時計Bとの間の距離Xを光速Cで割った値です。そうしてここではC=1の単位系を使います。
さてそれでアインシュタインはこの式をまずは静止系を前提として導出しました。
そうしてアインシュタインは相対性原理の信奉者でしたから、その最初の教義「すべての慣性系は物理的に同等である」に従って「この導出した時刻合わせの式は運動系でも同じように成立する」としました。
さてこうしてアインシュタインは「時刻合わせの一般式は tB=tA+X である」としたのです。
さてそれで実はローレンツ変換が主張するところの時刻合わせの一般式は
tB=(時計Bは時計Aと何時も同じ時刻を示す)-(ローレンツの局所時間ずらし分)
という形をしています。
この式を具体化しますとこれも以前のページで示しましたが
tB=(tA+X(1+V))-VX
となっています。
ちなみに
(時計Bは時計Aと何時も同じ時刻を示す)=(tA+X(1+V))
(ローレンツの局所時間ずらし分)=VX
です。
ここでVは静止系に対して運動している2つの時計AとBが置かれた慣性系の相対速度を示す。
そうして「この式がV=0ではどうなるのか」といいますとそれは「静止系での時刻合わせの式となる」のです。
tB=(tA+X(1+V))-VX にV=0を代入すると
tB=(tA+X*(1+0))-0*X
=(tA+X*(1))
=tA+X
これが「時刻合わせの一般式を静止系に対して展開した式」となります。
つぎに tB=(tA+X(1+V))-VX を運動系で展開します。
この場合はV=0ではありませんので、式はVを生かしたままの展開になります。
tB=(tA+X(1+V))-VX
=tA+X(1+V)-VX
=tA+X+XV-VX
=tA+X
こうしてローレンツ変換が示す「時刻合わせの一般式」を運動系で展開しますと
tB=tA+X
となることが分かるのです。
そうしてこれは静止系で展開した式と同じ形になっているのです。
さてそうであれば「ローレンツ変換が示す時刻合わせの一般式の形」は
tB=tA+X である、という事になります。
そうして式の形だけを見ますと「これはまさにアインシュタインが示した時刻合わせの一般式と同じ」という事になっているのです。
そうなりますと「そうであればローレンツ変換が示している時計の時刻合わせを行った結果」と「アインシュタインが示している時計の時刻合わせを行った結果」は全く同じになる事になります。
「ん、何を言っているのかわからない」と。
「同じになるのならそれでいいではないか」と。
いやそれでここで問題が発生しているのです。
静止系でtB=tA+Xと言う式で時刻合わせをしますとX軸上に並べられた時計は原点に置かれた時計といつも同じ時刻を示す様に調整されるのです。
つまりは「静止系のX軸の時間軸はNT時間軸になる」のです。
そうしてその事をもちろんアインシュタインは認識していました。
「そのように時計の時刻を調整するのがアインシュタインの狙いだったから」です。
さて静止系だけを想定している場合は問題はないのです。
問題は「運動系にこの時刻合わせの式を使ったとき」に発生します。
なんとなればアインシュタインはここで「相対性原理の最初の教義」を持ってくるのです。
「すべての慣性系は物理的に同等である」と。
そうであれば「運動系であってもtB=tA+Xと言う式が使えてその結果は静止系と同じになる」と。
つまりは「運動系のX軸の時間軸は静止系と同じでNT時間軸になる」としたのです。
はい、この主張の前半分「運動系であってもtB=tA+Xと言う式が使える」は合っています。
そのことはローレンツ変換も認めている事です。
しかしながら後ろ半分「その結果は運動系のX軸の時間軸は静止系と同じでNT時間軸になる」は実は成立していないのです。
そのことは以前のページで示した様に「実際にローレンツ変換を使いながら運動系で2つの時計の時刻合わせを行ってみればわかる事」です。
つまりは運動系でtB=tA+Xと言う式を使うとX軸の時間軸はBT時間軸となるのです。
言い換えますと「運動系で2つの時計の時刻を合わせるとそこにはローレンツの局所時間が現れる」のです。
しかしながらアインシュタインはその事に気が付くことはありませんでした。(注2)
なんとなればアインシュタインは相対性原理の第一教義「すべての慣性系は物理的に同等である」を提唱していたからであります。
注1:アインシュタイン コンベンションは「光がAから出てBに着いてそこで反射されAにもどったのに必要とした時間の長さの半分を光がAからBに行くのに必要だった時間の長さとする」というものでした。
そうしてその条件を「往復光速は常に1Cである」という実験事実とともに展開する事で「片道光速は常に1Cとなる」のです。
さてそうであればアインシュタイン同期は実は「片道光速は常に1Cとなる」と主張している事になるのです。
その部分の詳細についてはhttps://archive.md/Hlrs6でご確認ねがいます。
そうしてそこでの結論は
tB=tA+(距離A~B)/1C
となっていて、(距離A~B)/1C=Xであれば結局
tB=tA+X
がアインシュタイン同期の条件式となっているのです。
注2:アインシュタインはローレンツがローレンツ変換を導出する為に導入した局所時間について「それは仮想的な時間ではなくて実在している時間の事である」と見抜きました。
これはローレンツの解釈、それは「局所時間は単に数学的なテクニック(=トリック)であって物理的な実在ではない」という見方を超えていて正しいものでした。
しかしながらアインシュタインの理解の仕方は「時間は運動によって遅れが発生する」という事が「ローレンツが局所時間で示した事の物理的な内容のすべて」でした。
従って「運動系の時間軸ではずれが発生している」という「ローレンツの局所時間が示している本来の内容」については「1905年の論文で示されることは無かった」のです。
(後日の追記:実は1905年の論文で『時間のずれ』についての言及はありました。詳細は9-2にてご確認を願います。)
追記の1:本文で示しました様に「アインシュタインがアインシュタイン コンベンションを導入して導出した時刻合わせの一般式」は結果的に「ローレンツ変換から出てくる時刻合わせの一般式」と同じ形をしていました。
そうして「この宇宙ではローレンツ変換が成立している」ので結果的に「アインシュタインが導出した時刻合わせの一般式は正解だった」のです。
つまり「アインシュタイン コンベンションが正しかったから」ではなくて「この宇宙ではローレンツ変換が成立している」がゆえに「tB=tA+X と言う式が成立している」のです。
そうであれば「アインシュタインが導出した時刻合わせの一般式は正解だった」というのは「結果論」であってその事をもって「アインシュタイン コンベンションの導入は正しい」=「人が任意に設定する規定が特殊相対論には必要である」とはならないのです。
そこのところくれぐれも「お間違えの無いように」お願い致します。
追記の2:アインシュタインは「運動系でローレンツ変換を使いながら2つの時計の時刻合わせを実際に行う」という行為をしなかったものと思われます。
その行為とは「アインシュタイン コンベンションの導入によってアインシュタイン自身が導出したローレンツ変換を使っての時計の時刻合わせを行う」つまりは「アインシュタイン コンベンションについての検算」です。
しかしながらアインシュタインにとってみれば「相対性原理の前提から出てきた(様にみえる)ローレンツ変換が相対性原理を否定するような結果を生み出す」などという事はとても想定できない、考えられない事であったのです。
さてそうであればアインシュタインにとっては「運動系のX軸の時間軸がNT時間軸になっている」という事は「自明な事でした」。
そうして「人は誰も『自明だ』と認識した事を改めて1から再計算して確かめるような事はしない」のです。
しかしながら「アインシュタインが自明である」と認識していた事柄が実は成立していませんでした。
「実際に運動系で2つの時計の時刻を合わせるとBT時間軸となり、そこにはローレンツの局所時間が現れる」のです。
さてアインシュタイン以降で「その事に気が付いていた」のは「当方が初めてではない」のです。
しかしながら「それに気が付いていた方々は何故かそれを『大したことではない』と見なしました」。
「アインシュタインの提唱している相対性原理をひっくり返すような事ではない」と見ていたのです。
さてそれは本当に「特に注意をする必要のない、些細な事」なのでしょうか?
いいえ、実際は「とても重要な事だった」のです。
しかしながらその重要さは見逃されてきました。
それほどまでにアインシュタインの与えた影響力は大きかったという事になります。
そうであれば「皆さん、アインシュタイン トラップに見事にはまり込んでいる」という事になります。
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