特殊相対論、ホーキング放射、ダークマター、ブラックホールなど

・時間について特殊相対論からの考察
・プランクスケールの原始ブラックホールがダークマターの正体であるという主張
 

その1・ローレンツ変換の始まりと棒の時間

2024-08-28 12:26:55 | 日記

:ういき「マイケルソン・モーリーの実験」 : https://archive.ph/ENUqB :より引用

静止したエーテル中の電磁気理論(1864年[3])を作り、光は電磁波であるという説(1871年[4])を立てたジェームズ・クラーク・マクスウェルは、ある時、自身の方程式の数式中に、直接的ではないものの、静止エーテル中の地球の運動が適当な光学上の実験で探知できることが示されていることに気づいた[注釈 4]。

ただし、その方法とは、マクスウェルがワシントンの航海年鑑局に勤務していたデイヴィッド・ペック・トッドに宛てた手紙の中で

「光速度を測定する地球上のあらゆる方法では、光は同じ道筋を通って帰ってくる。エーテルに対する地球の運動は、往復で、光速に対する地球の速度の比の二乗だけ変化するが、これは小さすぎて観測できない」

と述べている[5][注釈 5]ように、光の速さ c に対する地球の軌道運動の速さ v の比 (β = v/c) の二乗、すなわち β^2 で表される極めて小さい有限の量を測定するという非常に高い測定精度が必要なものであった[注釈 6]。

一方、上記マクスウェルからの手紙を読む機会を得た、トッドの同僚でアメリカ海軍士官であったアルバート・マイケルソンは、そのマクスウェルの考えた測定実験に興味を抱いた。

↑この話の発端がマクスウエルにあった、と言う事実は興味深いものがあります。

そうして「今はできないかもしれないが、こういう実験が可能である」と公表しておく事は意味がある、という例でもあります。

 

歴史の中でローレンツ変換を導入する必要性が認識されたのは、MMの干渉計の実験結果が公表されてからでした。

そうしてそこでキーポイントになっていたアイデアは「エーテルが光を伝達している媒質である」という考え方でした。

それで「光の媒質がエーテルである」とは誰が最初に言い出したの?」とチャットGPToに問いかけます。こたえは

「光の媒質がエーテルである」という考えは、17世紀から19世紀にかけて多くの物理学者によって支持されていましたが、最も早い時期にこの概念を提案した人物の一人は、フランスの哲学者兼科学者であるルネ・デカルトです。デカルトは、光がエーテルという媒質を通じて伝播するというアイデアを提唱しました。

エーテルの歴史的背景
デカルト(17世紀)
ルネ・デカルトは、光の伝播を説明するために「エーテル」という概念を導入しました。彼は、エーテルが宇宙全体に充満し、光がこの媒質を通じて伝わると考えました。デカルトの考えでは、エーテルは物質と同じように空間を満たし、光はこのエーテルの振動として伝播するとされました。

クリスティアーン・ホイヘンス(17世紀)
オランダの物理学者クリスティアーン・ホイヘンスも、光の波動説を提唱し、光がエーテルという媒質を通じて伝播すると考えました。ホイヘンスの波動説は、光の干渉や回折現象を説明するために非常に有効でした。

アイザック・ニュートン(17世紀末から18世紀初頭)
アイザック・ニュートンは、光の粒子説(光子説)を支持しましたが、彼もエーテルの存在を否定していませんでした。ニュートンは、エーテルが光の伝播に何らかの形で関与している可能性があると考えていました。

トーマス・ヤングとオーギュスタン・フレネル(19世紀)
19世紀初頭に、トーマス・ヤングとオーギュスタン・フレネルが光の干渉と回折の実験を通じて波動説を支持しました。彼らの研究により、エーテルが光の波を伝える媒質として再び重要視されました。

ジェームズ・クラーク・マクスウェル(19世紀)
ジェームズ・クラーク・マクスウェルは、電磁波としての光の理論を確立しました。彼のマクスウェル方程式は、光が電磁波としてエーテルを通じて伝播することを示唆しました。マクスウェルは、エーテルが電磁波の伝播を媒介する必要があると考えました。

エーテルの否定
エーテル仮説は、19世紀後半のマイケルソン・モーリーの実験(1887年)によって大きく揺らぎました。この実験は、地球の運動によるエーテル風を検出しようとしましたが、予想された結果が得られませんでした。この結果は、エーテルの存在に対する疑問を生じさせました。

最終的に、アルベルト・アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)により、光の伝播に媒質としてのエーテルが不要であることが示されました。アインシュタインは、光速度が真空中で一定であり、エーテルという媒質を仮定しなくても物理法則が成り立つことを示しました。

まとめ
エーテルが光の伝播媒質であるという考えは、デカルトによって最初に提唱され、その後ホイヘンス、ニュートン、ヤング、フレネル、そしてマクスウェルといった多くの科学者によって支持されました。しかし、マイケルソン・モーリーの実験とアインシュタインの特殊相対性理論によって、この概念は最終的に否定されました。とチャットGPToは回答します。

エーテルがデカルト起源である、と言うのは知りませんでした。

そうしてまたほぼ250年間に渡って、学会で広く認識されていた概念がエーテルであった、ということにもそれなりに感慨深いものがあります。

特にニュートンやマクスウェルがその考えを支持していた、という事は「エーテル概念についての当時の認識」=「当然そうなっているはずだ」=「それが常識というものだ」という状況をよく表しています。

 

ちなみにそのマクスウェルが「電磁波が光の正体である」と最初に言い出した方の様です。

マクスウェル方程式から電磁波の伝搬速度を最初に計算したのは、ジェームズ・クラーク・マクスウェル自身です。

詳細
ジェームズ・クラーク・マクスウェルは、1860年代に電磁気学の統一理論を確立しました。彼は、電場と磁場の間の関係を表す一連の方程式、すなわちマクスウェル方程式を導き出しました。

電磁波の伝搬速度の導出
マクスウェルは、電場と磁場が連続的に変化する電磁波が存在し、それが空間を伝播することを示しました。彼は以下の関係式を用いて電磁波の伝播速度を計算しました:

1、マクスウェル方程式(特にファラデーの法則とアンペールの法則を含む形式):

・ファラデーの法則(時間変化する磁場が電場を誘導する)
・アンペールの法則(時間変化する電場が磁場を誘導する)

2、媒質の特性:

・電場の変化に対する媒質の応答を表す電気定数(誘電率) ϵ0 
・磁場の変化に対する媒質の応答を表す磁気定数(透磁率)μ0​
 
マクスウェルはこれらの定数を用いて、電磁波の伝播速度 c を以下のように表しました:

c= 1/sqrt(ϵ0*μ0)

 この式から得られる速度 c が、実際には光の速度に等しいことを示しました。

影響と意義
マクスウェルの計算は、電磁波と光が本質的に同じものであることを示すものでした。これは、光が電磁波の一形態であるという電磁波理論の確立に繋がり、電磁気学と光学を統一する重要な一歩となりました。

結論
電磁波の伝播速度を最初に計算したのは、ジェームズ・クラーク・マクスウェルであり、彼の理論は電磁気学と光学の統一に大きく貢献しました。by チャットGPTo 

そのマクスウェル自身が「地球がエーテルの海の中を進む速さは検出可能である」と提案したのがMMの干渉計実験の始まりでした。

そうして行われたMMの干渉計実験の結果は「地球がエーテルの海の中を進む速さは検出できなかった」というものでした。

 

さてこのMMの干渉計実験結果をエーテルの存在を信じていたローレンツが何とか説明しようとして提案してきたのがローレンツ短縮であり、ローレンツ変換なのでした。

ヘンドリック・ローレンツがローレンツ変換を提案するに至った経緯は、主にマイケルソン・モーリーの実験結果と、それに続くエーテル理論の問題に対する解決策としての発展によるものです。以下に、ローレンツ変換の提案に至る主な経緯を示します。

1. エーテル理論の背景
19世紀末まで、光はエーテルと呼ばれる仮想的な媒質を通して伝播すると広く信じられていました。エーテルは、宇宙全体に均等に広がっていると考えられ、光や電磁波はこのエーテルを通じて伝わるとされていました。

2. マイケルソン・モーリーの実験
1887年に行われたマイケルソン・モーリーの実験は、地球がエーテルに対して運動している場合、光の速度が異なる方向において異なるはずだという仮説を検証しました。具体的には、エーテルに対する地球の運動を検出しようとしましたが、結果は否定的で、光の速度は地球の運動に関係なく一定であることが示されました。この結果はエーテル理論と矛盾しており、物理学界に大きな衝撃を与えました。

3. ローレンツの貢献
ヘンドリック・ローレンツは、マイケルソン・モーリーの実験結果を説明するために様々な理論を提案しました。彼の目標は、エーテル理論を修正して光速度一定の結果を説明することでした。

・ローレンツ収縮
ローレンツは、エーテルに対して運動する物体が、その運動方向に収縮するという「ローレンツ収縮」の概念を提案しました。この収縮は、運動する物体の長さがエーテルに対する速度に依存して短くなるものであり、これによりマイケルソン・モーリーの実験結果を部分的に説明しようとしました。

局所時間
また、ローレンツは「局所時間」(local time)の概念を導入しました。これは、エーテルに対する運動によって、異なる時間が観測されるというものでした。具体的には、エーテルに対する速度 v で運動する系での時間 t ′  を次のように定義しました:

t ′ =t− vx/c^2

 ここで、t はエーテルに対して静止している系での時間、x は空間座標、c は光速です。

4. ローレンツ変換の完成(注1
これらの概念を統合して、ローレンツは最終的にローレンツ変換を提案しました。ローレンツ変換は、異なる慣性系における空間座標と時間座標の変換を次のように定義しました:

・ローレンツ変換
ローレンツ変換は、2つの慣性系 S とS ′  間の座標変換を次のように定義します:
x ′ =γ(x−vt)
t ′ =γ(t−vx/c^2 )
y ′ =y
z ′ =z

ここで、v は S と S ′  の相対速度
c は光速、γはローレンツ因子 1/sqrt(1-v^2/c^2)

5. ポアンカレとアインシュタインの貢献
アンリ・ポアンカレは、ローレンツ変換がマクスウェル方程式を不変に保つことを示し、この変換が電磁理論にとって重要であることを認識しました。さらに、アルベルト・アインシュタインは1905年に特殊相対性理論を発表し、ローレンツ変換を光速度一定の原理と相対性原理に基づいて再解釈しました。これにより、エーテル仮説を排除し、ローレンツ変換がすべての慣性系で適用される基本的な変換式として確立されました。

まとめ
ローレンツ変換は、エーテル理論に基づいたマイケルソン・モーリーの実験結果の説明から発展しました。ローレンツは、運動する物体の収縮と局所時間の概念を導入し、最終的にローレンツ変換を提案しました。この変換は、ポアンカレとアインシュタインの理論によってさらに発展し、特殊相対性理論の基礎となりました。by チャットGPTo 

 

注1:ローレンツが最初に導き出したローレンツ変換では時間の変換式にミスがありました。

t ′ =t− vx/c^2 <--この式はミス

しかしながらローレンツはその変換式でマクスウェル方程式が不変に保たれる」と主張した模様です。(1900年)

そうして時間の変換式のミスを修正して最終的に今現在で知られている形にしたのがポアンカレでした。

t ′ =γ(t−vx/c^2 ) <--この式が正解・γが追加された

加えてポアンカレはその修正版のローレンツ変換がマクスウェル方程式を不変に保つ事を証明した模様です。

ちなみにそれらのポアンカレの仕事はアインシュタインの1905年の特殊相対論の発表よりも前に行われていた様です。

 

さてこのローレンツの仕事の中に歴史上初めて登場する事になったものが上記説明にある「局所時間」(local time)でした。

そうしてそれは正にいままで議論してきた「棒の時間」そのものの事なのでした。

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