「基地問題どうにもならぬ」 首相、昨年もらす
日経新聞2010/6/16 12:20
菅直人首相が昨年9月の政権交代直後、沖縄県の米軍普天間基地移設問題について「基地問題はどうにもならない。もうタッチしたくない」と周囲に漏らしていたことが分かった。民主党の喜納昌吉参院議員が自著「沖縄の自己決定権」で当時の発言を記した。
当時、菅氏は喜納氏に「沖縄問題は重くてどうしようもない。もう沖縄は独立した方がいいよ」と語りかけたという。喜納氏は自著で「内部で猛烈な戦いがあったのだろう。彼が音を上げて言った言葉だ」と推察しつつ「非公式であったとしても重い」としている。
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菅首相「基地問題どうにもならない」「もう沖縄は独立した方がいい」と発言 喜納参院議員が暴露
産経ニュース2010.6.15 23:57
菅直人首相が副総理・国家戦略担当相だった昨年9月の政権交代直後、民主党の喜納昌吉参院議員(党沖縄県連代表)に対し、「基地問題はどうにもならない」「もう沖縄は独立した方がいい」などと語っていたことが15日分かった。
首相は23日に沖縄訪問を予定しているが、就任前とはいえ、国土・国民の分離を主張していたことは大きな波紋を呼びそうだ。
喜納氏が、鳩山前政権末に記した新著「沖縄の自己決定権-地球の涙に虹がかかるまで」(未来社)で明らかにした。
この中で喜納氏は政権交代後、沖縄の基地問題に関して菅首相と交わした会話を紹介。喜納氏が「沖縄問題をよろしく」と言ったところ、首相は「沖縄問題は重くてどうしようもない。基地問題はどうにもならない。もうタッチしたくない」と漏らし、最後は「もう沖縄は独立した方がいい」と言い放ったという。
喜納氏は著書の中で「半分ジョークにしろ、そういうことを副総理・財務相であり、将来首相になる可能性の彼が言ったということ、これは大きいよ。非公式だったとしても重い」と指摘している。
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春秋 2010/6/15
「安保は重い」と言われていたのだという。後に「60年安保の年」としてくくられる50年前を、政治学者の丸山真男はそう振り返っていた。「安保は難しすぎる。もっと切実な経済問題でなければ大衆は動かない」といった趣旨だった。
▼ところが、5月20日に日米新安保条約批准が衆院で強行採決されると、「突如として大爆発」が起きた。多くの市民が、時には子の手を引いて、国会議事堂の周りを幾重にも埋めた。そしてきょうが、デモに参加し国会内で警官隊と衝突して死亡した東大生、樺(かんば)美智子(当時22)の50回目の命日ということになる。
▼樺は活動家だった。同時に普通の女子学生だった。当日昼過ぎまで、ガリ版刷りの資料を配り鎖国をテーマにゼミで熱心に発表していたという。「反安保」の主張や運動の形については、いまだに根強い批判もあろう。ただ、普通であることと政治的であることが当たり前に両立する、そんな時代ではあったのだ。
▼先日の日経俳壇に「議事堂に弔旗なくとも樺の忌」(宇井偉郎)とあった。彼女は偶像であり続けている。樺の死後、安保改定を見届けて岸信介首相は退陣した。そういえば、鳩山由紀夫首相が辞任したのは安保をあまりに軽々に扱ったからだろう。50年たったところで、安保が国の大事であることは変わらない。
日経新聞2010/6/16 12:20
菅直人首相が昨年9月の政権交代直後、沖縄県の米軍普天間基地移設問題について「基地問題はどうにもならない。もうタッチしたくない」と周囲に漏らしていたことが分かった。民主党の喜納昌吉参院議員が自著「沖縄の自己決定権」で当時の発言を記した。
当時、菅氏は喜納氏に「沖縄問題は重くてどうしようもない。もう沖縄は独立した方がいいよ」と語りかけたという。喜納氏は自著で「内部で猛烈な戦いがあったのだろう。彼が音を上げて言った言葉だ」と推察しつつ「非公式であったとしても重い」としている。
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菅首相「基地問題どうにもならない」「もう沖縄は独立した方がいい」と発言 喜納参院議員が暴露
産経ニュース2010.6.15 23:57
菅直人首相が副総理・国家戦略担当相だった昨年9月の政権交代直後、民主党の喜納昌吉参院議員(党沖縄県連代表)に対し、「基地問題はどうにもならない」「もう沖縄は独立した方がいい」などと語っていたことが15日分かった。
首相は23日に沖縄訪問を予定しているが、就任前とはいえ、国土・国民の分離を主張していたことは大きな波紋を呼びそうだ。
喜納氏が、鳩山前政権末に記した新著「沖縄の自己決定権-地球の涙に虹がかかるまで」(未来社)で明らかにした。
この中で喜納氏は政権交代後、沖縄の基地問題に関して菅首相と交わした会話を紹介。喜納氏が「沖縄問題をよろしく」と言ったところ、首相は「沖縄問題は重くてどうしようもない。基地問題はどうにもならない。もうタッチしたくない」と漏らし、最後は「もう沖縄は独立した方がいい」と言い放ったという。
喜納氏は著書の中で「半分ジョークにしろ、そういうことを副総理・財務相であり、将来首相になる可能性の彼が言ったということ、これは大きいよ。非公式だったとしても重い」と指摘している。
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春秋 2010/6/15
「安保は重い」と言われていたのだという。後に「60年安保の年」としてくくられる50年前を、政治学者の丸山真男はそう振り返っていた。「安保は難しすぎる。もっと切実な経済問題でなければ大衆は動かない」といった趣旨だった。
▼ところが、5月20日に日米新安保条約批准が衆院で強行採決されると、「突如として大爆発」が起きた。多くの市民が、時には子の手を引いて、国会議事堂の周りを幾重にも埋めた。そしてきょうが、デモに参加し国会内で警官隊と衝突して死亡した東大生、樺(かんば)美智子(当時22)の50回目の命日ということになる。
▼樺は活動家だった。同時に普通の女子学生だった。当日昼過ぎまで、ガリ版刷りの資料を配り鎖国をテーマにゼミで熱心に発表していたという。「反安保」の主張や運動の形については、いまだに根強い批判もあろう。ただ、普通であることと政治的であることが当たり前に両立する、そんな時代ではあったのだ。
▼先日の日経俳壇に「議事堂に弔旗なくとも樺の忌」(宇井偉郎)とあった。彼女は偶像であり続けている。樺の死後、安保改定を見届けて岸信介首相は退陣した。そういえば、鳩山由紀夫首相が辞任したのは安保をあまりに軽々に扱ったからだろう。50年たったところで、安保が国の大事であることは変わらない。