ドラ、やっと勝った。藤井が決死のダイブで和田と交錯、交代を余儀なくされた

2009-09-07 | 相撲・野球・・・など
逆転あきらめん!捨て身竜
2009年9月7日 中日新聞スポ紙面から
 竜ナインの逆襲は仲間の負傷退場から始まった。6日の横浜戦(ハードオフ新潟)は、1点を追う6回の守備で藤井が和田と交錯して、退場。戦列離脱のピンチに見舞われた。しかし、直後の7回に井端、荒木の連打を足場に追いつくと、8回は谷繁の7号ソロで勝ち越し、連敗を4で止めた。負けていたら、弱り目にたたり目となるところ。逆境をはね返した勢いを巨人追撃の足がかりにしよう。
 ともに戦う仲間の衝撃的な負傷退場。藤井が決死のダイブで和田と交錯、左脇腹付近を痛めて試合途中に病院へ運ばれた。ナインはより一丸となって逆転で勝った。
 スタンドから悲鳴があがったのは、1点を追う6回2死二塁。横浜石川の打球が左中間へ上がった。中堅の藤井と左翼の和田が捕球しようと、正面衝突。衝撃で両者ともその場に突っ伏し、しばらく動けなかった。心配そうにナインが次々と駆け寄る。和田は出場を続けたが、藤井は交代を余儀なくされた。
 首位の巨人に大きく離され、奇跡の逆転優勝へ向け、これ以上の取りこぼしは許されない状況だった。そこに降ってわいた仲間の危機。ナインが結束しないはずがない。「あれで気持ちが入った? そうですね」。井端が全員の気持ちを代弁した。直後の7回。その井端の左翼への二塁打をきっかけに、同点に追いついた。1死満塁から、和田の二ゴロ併殺崩れで三塁走者が生還。全力疾走で併殺を免れ、「とにかくやるべきことをやりました」と井端。
 決勝点を奪ったのは谷繁だった。同点の8回1死。カウント1-2から真田のシュートをとらえると、打球は左翼ポールに当たった。7号ソロ。これで通算201号。実は、プロ初本塁打も同じ新潟県で放っていた。横浜時代の89年5月27日のヤクルト戦(柏崎)の5回、尾花からだった。それ以来、新潟での本塁打は200発ぶりとなる。「苦しいときに出た? そうですね」。9回にもチームは3点を追加し、試合を決めた。
 巨人も勝ったため、ゲーム差は7・5と大きく離されたまま。優勝へのマジックも1つ減って「16」になった。苦しい状況は続いているが、谷繁は「あきらめない? はい。またここからスタートです」と話した。藤井の衝撃的な離脱という代償は大きいかもしれないが、チームの結束は高まり、最下位の横浜相手の取りこぼしは回避した。このまま最後まで一丸となり、奇跡の逆転優勝を目指す。(清水裕介)

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