永田死刑囚が病死=元連合赤軍の最高幹部―脳腫瘍で寝たきり・東京拘置所
(時事通信社-02月06日 03:03)
1971年から72年に起きた一連の連合赤軍事件のうち、山岳アジトで仲間を次々と殺害したなどとして殺人や死体遺棄などの罪に問われ、93年に最高裁で死刑が確定した元連合赤軍最高幹部永田洋子死刑囚(65)が5日午後10時6分、多臓器不全のため東京拘置所で死亡した。法務省が6日、発表した。
永田死刑囚は脳腫瘍と診断され、脳萎縮と誤嚥(ごえん)性肺炎の治療中だった。弁護士によると、寝たきりの状態だったという。
確定判決によると、永田死刑囚は71年8月、元連合赤軍幹部の坂口弘死刑囚(64)らと共謀し、組織を離脱した2人を絞殺して、千葉県・印旛沼付近の山林に遺棄(印旛沼殺人事件)。同年12月から翌年2月にかけては、群馬県・榛名山などの山岳アジトで「総括」と称し、仲間を暴行して11人を殺害、1人を死亡させ、遺体を山中に埋める(山岳ベース大量リンチ殺人事件)などした。
連合赤軍は71年、過激な武装革命路線を掲げた共産主義者同盟赤軍派と京浜安保共闘が統合して結成。山岳ベース事件やあさま山荘銃撃事件を起こし、一連の事件でメンバー14人と警官2人、民間人1人が犠牲となった。
永田死刑囚は、あさま山荘事件が起こる前の72年2月に逮捕された。
一審東京地裁は82年6月、「共産主義社会の実現を、憲法の許さない銃と爆弾で貫徹しようとした独善的、反社会的な犯行」として死刑を言い渡し、二審東京高裁は86年9月に控訴を棄却。93年に最高裁で確定した。
2001年7月には再審を申し立てたが、東京地裁が06年11月、棄却を決定。永田死刑囚が東京高裁に即時抗告していた。
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続く極刑「殺人の連鎖」「事件の背景 解明が先」瀬戸内寂聴さん
中日新聞2008/06/24
幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤元死刑囚(45)ら3人の死刑が17日、執行され、鳩山邦夫法相下での死刑執行は13人となった。比叡山延暦寺「禅光坊」住職で、作家の瀬戸内寂聴さん(86)は、「死刑の判決と執行が続く現状を「殺人の連鎖」として憂い、事件を死刑で終結させず、背景を考えようという。(岩岡千景)
京都・嵯峨野の寂庵では、アジサイが美しい空色の花を咲かせていた。「仏教の一番重い戒律に、『殺スナカレ、殺サセルナカレ』という釈迦の教えがあります。私は仏教とですから死刑には反対です」。閑静なその庵で、寂聴さんは死刑に対する考えを語った。
寂聴さんは、1968年~69年の連続ピストル射殺事件を起こし、97年に死刑執行された永山則夫元死刑囚=執行当時(48)=や、連合赤軍事件などで殺人などの罪に問われ、死刑が確定した元同軍幹部の永田洋子死刑囚(63)と親交があった。作品にも明治の大逆事件を取り上げ、12人処刑された中の大方は冤罪だと書いている。「死刑反対」が長年にわたる主張である。
しかし、死刑反対と言うと、必ず返される言葉があるという。「自分の家族が殺されても考えを貫けるか」「被害者の肉親の苦しみを思えば、死刑反対などとは言えないではないか」という二つの問い。
「もちろん、家族が理不尽に殺されたら、たまらない悲しみと苦しみを味わうに違いない」と寂聴さん。ただ、「だからこそ、死刑で加害者を抹殺してしまいたくない。被害者と遺族の悲しみを思うと、死刑反対と言い続ける自分の心にたじろぎを覚えます。しかし、趣旨は曲げない」
塀の中で悔悟して
今月8日に東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件でも「被害者の肉親はどんなに悔しいでしょう」と、遺族の姿を思い浮かべるように目を潤ませる。
でも、「遺族」について考える時、一方で脳裏に浮かぶ出来事がある。2001年9月に起きた、米中枢同時テロの後。都内のホテルで話しかけてきた、初老の夫婦とのやりとりだ。
夫婦の長男は、テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービルにいた。出張していて事件に遭った。直後のことで生死も分かっていない。「おつらいでしょう。相手も死んでしまって、敵も打てませんね」。慰めの言葉も浮かばないまま、夫婦の手をとり、つぶやく寂聴さんに、悄然としていた夫は顔を上げ、きっぱりと言った。「こんな無駄な殺し合いは二度とやってほしくない。相手を報復で殺すのは嫌だ」
寂聴さんは言う。「死刑も殺人にほかならず、殺人の連鎖でもある。それよりなぜ起きたかを考えないと」
そして、極刑を「永久に罪を償う終身刑にして」欲しいと語る。「塀の中で生きているのは、つらいことですよ。だから塀の中で反省させ、罪を償わせるしかない。中での生き方によって本心から悔悟する可能性も絶無ではないでしょう」
最近は死刑判決が激増。2000~07年は、1990~97年に比べ、地裁で3倍、高裁で4倍に。4月にも、山口県光市の母子殺害事件で、広島高裁被告の元少年(27)に死刑を言い渡した。
「妻と子を殺された夫は、少年を死刑にしてほしい、と言いましたね。あの悔しさは本当によくわかる」。寂聴さんはそう言って「だけど・・・」と加える。
「あの少年が本当に死刑になった時、夫は『ああ、せいせいした』と思うでしょうか。心は今までも揺れ、これからも揺れると思います。相手を殺しても死者は帰ってこない。夫は少年が死刑にならなければオレが殺す、とも言いましたが、殺して敵を討ち、誰が救われるんでしょう?墓前に報告しても、むなしいのでは」
そして「なぜ、ああした犯罪をする子ができたか。境遇に同情するのではなく、背景の解明を」と繰り返す。「貧困や虐待、家庭や学校の教育の問題があったかもしれない。だとしたら、われわれ大人がつくった社会の責任。ひとごとのようには言ってられない」
内閣府の世論調査では、死刑容認は8割を超えるといわれる。世論を盾にするかのように、鳩山法相は執行を続ける。
「皆さん、被害者の側に身を置いて考えるんですね。自分は加害者にはならないと思っている。人間って非常に危うい存在。絶対に自分が加害者にならない保証はない」
私たちが、幼い時から「人を傷つけてはいけない」と教えられるなどして身に付けている教養や自制心が、「断ち切られる瞬間がある」という。「秋葉原事件の容疑者のように、学校を出たって職がなければ自暴自棄になるかもしれない」
「誰でもよかった」「死刑になりたい」--そんなせりふを吐く若者による無差別殺傷事件が続発する中、寂聴さんは説法でこう説いている。「人間、一番大事なのは優しいということ。子どもには偉くなれ、金持ちになれと言わず、優しい人に、他者の苦しみを想像できる人になれ、と育ててください。男も女も、優しけれりゃいいんです」「幼いころから自分がされて嫌なことは他者にするなと教えるべきです」「自信を持てるものを何か一つ、見つけられるようにしてあげて」とも。
優しくあることは、決して簡単ではない。「優しい人っていうのは、想像力がある人。他者の苦しみが想像できる人。相手の気持ちを想像できなければ、優しくはできない」
「だから、優しい人にするためにまず想像力を養うべきです。それには本を読ませなさい」
(2008/06/24 up)
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