透析患者の僕だから言える「透析中止事件」の罪
竹井善昭
2019/3/14(木) 6:00配信 ダイヤモンド・オンライン
透析中止を医者が提示した結果、患者が死亡した事件が、テレビや新聞でも大きな話題となっている。マスコミもTwitterなどのネット言論も、おおむね透析中止した福生病院に批判的だ。一方で、福生病院を擁護する意見も散見される。しかもそれは、医師や病院理事長といった医療ど真ん中の人たちから擁護論である。
僕は透析中止を患者に提案する病院や医者がいること自体が衝撃だったが、それを擁護する医療関係者が何人もいることがさらなる衝撃だった。これはつまり、「患者が望めば死なせてもいい」と考える医療関係者が世の中の人が思っている以上に多い、ということだ。その意味では、今回の件は福生病院だけの問題ではない。読者の皆さんは、病院に殺されないためにも色々と情報は持っておいたほうがいい。
そこで今回は、患者の立場から「透析のリアル」を語ってみたいと思う。というのも、僕もまた透析患者だからだ。数年前、当連載の記事で「あと数年したら透析することになるだろう」と書いた通り、約1年前に透析患者となった。いまは週に3回、透析クリニックに通っている。出張も多いため、その時は出張先の病院で透析を受けている。合計すると10ヵ所くらいの病院で透析を受けてきたため、透析クリニックの医療現場について結構詳しくなってしまった。
● 透析中止!? 患者の僕が驚く あり得ない提案
そんな僕が今回のニュースを聞いてまず感じたのは、「透析って中止できるのか!?」という驚きだ。というのも、僕が知る限り透析クリニックというのは、とにかく何がなんでも患者に透析を受けさせようとするからだ。それは職業的な倫理というより、ほとんど執念みたいなものだといえる。
ちなみに透析は、週3回行うのが基本。つまり、どこかで中2日のインターバルが空くことになる。たとえば月水金で透析をしていると、土日の2日間は透析しない日が生じる。基本的にこの「中2日」が、透析患者にとっては最大のインターバルとなる。ただし、何らかの事情でそれが中3日になったとしよう。すると、医者も看護師も激怒するのだ。
実際、僕も一度、仕事の関係でやむなく中3日になってしまったことがある。そのことを病院に事前に伝えた時には、看護師にも院長先生にも激怒された。「何がなんでも病院に来なさい。死んでも責任とれないぞ」くらいの勢いで叱られたのだ。まあそうは言っても、仕事の都合。なんとかお願いして中3日にしてもらったのだが、彼らを説得するのは本当に大変だった。
また、旅行先やお正月の時期には、透析時間がいつもと変わることがある。一度それをうっかり忘れてしまい、予定の時間に大幅に遅れてしまったことがあった。そんな時も15分も遅れようものなら、電話がガンガンかかってきた。それも旅先のクリニックとかかりつけの病院のダブル攻撃で、「いまどこにいるのか?あと何分で病院に来れるのか?」と問い詰められる。ちょっと遅れたくらいで大騒ぎなのである。
こんな状況だからこそ、今回の事件のように透析中止を医者が提案するなど、僕の感覚からしてもあり得ないことだ。おかしいと思う点は多々あるが、最大の謎が「患者の状態」だ。報道によると、「シャントにトラブルがあり、医者は『首周辺にシャントを作るか、透析中止するか』の選択を迫った」という。
シャントというのは静脈と動脈をつなぐバイパスのことで、透析に必要な血流量を確保するためには、このシャントを形成する必要がある。通常は利き手の逆の手首、親指の付け根あたりに作る。しかし何らかの理由でこのシャントが詰まってしまい、使えなくなることがある。その場合は、利き手の手首に作る。それもダメになった場合は、左右の大腿部に作る。通常はこの順番を経て、それでもダメな場合には、前胸部に作る。報道が伝えた「首周辺に」というのは、前胸部のことだろう。つまり、普通に考えれば、死亡したこの女性患者はそれまでに4回もシャントをダメにしていると思われる。しかし、この女性はまだ44歳という若さだ。血管が細くなる高齢者ならともかく、44歳という年齢で、それだけのシャント・トラブルを起こしていたとは考えにくい。
そもそもまともな透析クリニックであれば、シャントが潰れないようにシャント管理もきちんとやる。透析を行うたびに聴診器で血流をチェックするし、3ヵ月に一度は腎臓外科に行き、専門医が血管にバルーンを入れて、血管が細くならないように処置したりする。このようにシャントは厳密な管理を行っているわけで、40代という若さでそう簡単に潰れるものでもない。もちろん、なんらかの理由でシャントが使えなくなることはあるし、大腿部でシャントが作れない場合もある。シャントは両腕とも潰れたのか、大腿部では作れなかったのか。そのあたりが分からないと、医師の対応が適切だったかどうか判断ができない。
それ以前に、「首周辺に」という説明自体が不適切だったと思う。一般の患者からすれば、首にカテーテルを入れるなど大ごとだと感じる。そこまでして生きていたくない、と感じるかもしれない。実際にこの女性患者はそう感じて、死を選んだ。これを「前胸部に」と言っておけば、印象はかなり変わったはずだ。その意味では、この医師たちは言葉によって患者を殺したともいえる。この女性は鬱も患っていたと報道されているが、もしそうであれば、余計に言葉には気をつけるべきだったろう。しかし、その配慮がなかったのは、そこに「明確な意図」が隠されていたからではないかと思う。
● 「透析しない」ことへ 患者を誘導していた?
福生病院の腎臓内科医、腎臓外科医は、毎日新聞の取材に対してこう答えている。
以下、『毎日新聞』2019年03月07日記事より引用
本来、患者自身が自分の生涯を決定する権利を持っているのに、透析導入について(患者の)同意を取らず、その道(透析)に進むべきだというように(医療界が)動いている。無益で偏った延命措置が取られている。透析をやらない権利を患者に認めるべきだ。
(透析学会や国の)ガイドラインは「説得をして透析を続けさせよう」という「継続ありき」だ。変わっていかなければならない。
このように福生病院の医師たちは、透析医療界の「透析ありき」を批判するが、彼らもまた「透析中止ありき」「透析非導入ありき」だったのではないか。実際、この病院では平成25年4月~平成30年3月、透析治療のため同病院を訪れた腎臓病患者149人のうち20人前後が、担当医と相談したうえで透析治療を行わなかったという。さらに言えば、この病院では透析中止で他に3人が亡くなっている。この数字はどう考えても異常だ。この病院がいかに「透析しない」ことへと患者を誘導していたかが分かる数字だ。
だが驚くべきことに、何人もの医師や医療関係者が福生病院を擁護し、マスコミを批判している。たとえば尼崎市にある長尾クリニック院長の長尾和弘氏は、自身のブログで「透析中止報道 『福生病院は悪くない』」という記事を掲載。愛媛県松山市にある医療法人ゆうの森理事長の永井康徳氏も、m3.com (エムスリー・ドットコム)という医療従事者向けのサイトにて、「問題は『透析中止』にあらず、マスコミ報道に違和感」という記事を投稿している。また、医療関係者ではないが、元東京都知事の舛添要一氏も「ジョルダンソクラニュース」というニュースサイトにて、「福生病院の人工透析中止、安楽死・尊厳死の論議につなげよ」という記事を投稿している。
掲載スペースの関係上、これら擁護派の意見に対する個別の反論はしない。ただ今回の事件に対する僕の見解を言えば、「これは、安楽死でもなければ尊厳死の問題でもない。また、無駄な延命治療の問題でもない」ということだ。
● 透析患者は終末期患者ではないし、 透析は延命治療でもない
透析患者というのは、透析さえしていれば、健康な人と同じように仕事をしたり、生活したりできる。というか、むしろ健康な人より健康管理ができているといえる。ちなみに僕の場合は、週に3回病院に行き、医師や看護師に問診される。毎回体重を計り、体温も測り、透析中は何度も血圧を測定する。月に2回は血液検査を行い、毎月レントゲン撮影をする。体調が悪いと言えばすぐに心電図を撮ったり、インフルエンザの検査をしたりもする。このように日常的に医師のチェックを受けているのだから、一般の人よりもずっと健康管理ができていると言えるだろう。
透析はよく、苦痛だとかしんどいと言われる。たしかに、透析直後は身体がつらい。ひどい時は歩くのも嫌になり、電車に乗るのも苦痛になる。でも、夜間透析にすれば夜の22時くらいに透析が終わり、食事して帰宅して寝てしまえば、翌朝には気分爽快。元気に仕事に向かうことができる。そうすれば、透析は日常生活において何の支障にもならない。
また、週に3回、4時間ずつとなると、多くの人は「大変ですねえ」と言う。しかし透析中はパソコンで仕事もできるし、テレビを観たり、本も読んだりできる。僕の場合はタブレットを持ち込んでNetflixで動画を見ている。おかげですっかり海外ドラマに詳しくなってしまった。つまり週に3回、勉強したり仕事したりするためのまとまった時間が取れ、それなりに有益な時間を作れるのだ。だから、透析患者は終末期の患者でもないし、透析も延命治療ではない。腎臓内科医、腎臓外科医であればそんなことはよくわかっているのだから、透析中止を提示するなどあり得ないのだ。
もちろん後期高齢者や末期癌など、他の重篤な病気のために身体が衰弱して、日常生活もままならず死を待つだけの患者に対しては、透析中止のオプションもあり得るだろう。しかし、今回の女性患者はまだ44歳だ。透析さえすれば、普通に生きていける。それなのに透析中止を提案し、それが正義であると主張する。この医師たちは、やはり倫理観が狂っているのではないか。
福生病院の医師およびその擁護者たちは、今回の事件はいわば自殺ほう助だとか、死ぬことの権利云々を主張するが、それならば、たとえば18歳くらいで精神を病んでしまって自殺願望を持つ若者に「本人が望んでいるから」といって、死ぬ方法を教えることが許されるのか。もちろん世の中には、「死にたいヤツは死なせれば?」と考える人もいるだろう。しかし、医者はそうではないはずだ。ましてや透析中止のような苦しい死に方を提示するのは、医師として間違っている。
昔、作家の団鬼六さんが腎不全になった時、潔く死のうと思って透析拒否をしたが、あまりに苦しいので、やはり透析することにしたという。それくらい、透析中止は苦しいのだ。高須クリニックの高須院長が「あの女性の最後は、地獄の苦しみだったと思う」という趣旨のツイートをしているが、本当にそうだと思う。
実際、透析患者が透析を中止するとどうなるか。まず水分を排出できないので、身体に水が溜まる。その水が心臓を圧迫し、肺にも水が溜まる。それで心肺機能が低下し、呼吸ができなくなって死ぬ。今回の女性患者は、死ぬ前日に「こんなにつらいなら、透析治療を受けようか」と言ったそうだが、さもありなんである。ちなみに、尿毒症は意識障害も引き起こす。福生病医の医師は、女性患者の意志がハッキリせず、意識が明瞭だった時の「透析中止」の判断を重視したというが、意識がもうろうとした時に発した言葉のほうがむしろ本音だったとも言えるわけで、この医師たちはそんなことも想像できなかったのかと思うと、そら恐ろしくなる。
というわけで、透析中止は安楽死でもない。苦しんで苦しんで死ぬわけで、それを安楽死の問題を絡めて論じるべきではない。たとえ本人に明確な意志があっても、心身に耐えがたい苦しみを与えるような処置は、けっして安楽死ではないのだ。
● 透析患者に対する大きな誤解
ちなみに透析と聞いて思い出すのは、元アナウンサーの長谷川豊氏のことだ。ご記憶の方も多いと思うが、長谷川氏は自身のブログで「自業自得の透析患者は殺せ」と書いて大炎上。レギュラー番組をすべて失うはめになった。このブログで長谷川氏が言っていたことは「医者の言うことも無視して暴飲暴食を繰り返して糖尿病になり、透析患者になったヤツは自費で治療費を払わせろ。それが無理と泣くなら殺せ」という趣旨で、炎上中に彼は「これは10人以上の医者に話を聞いて、病院も見学してそう思った」と弁明もしている。そして「透析患者の8割から9割はそんな患者だ」とも語っている。ずいぶんと偏った医者や病院ばかり取材していたようだ。
そもそも透析患者の大多数が、糖尿病性腎症が原因なわけではない。日本透析医学会の資料によれば、透析患者のうち、糖尿病性腎症の患者は男性で42%、女性で32%。慢性糸球菌腎炎は男性で26%、女性で31%。腎硬化症が男女とも約10%。長谷川氏が言うような数字ではない。
さらに言えば、糖尿病性腎症の患者も、すべてが「暴飲暴食を続けた自堕落な患者」ではない。誤解も多いのだが、糖尿病と生活習慣病はイコールとは言えないのだ。糖尿病には大まかに言って1型と2型がある。1型糖尿病は自己免疫疾患で、生後数ヵ月の赤ちゃんでも発症することがある。つまり、生活習慣病ではない。また、2型糖尿病も生活習慣病と言われるが、その発症原因は生活環境に加え、遺伝などさまざまな要因が絡み、必ずしも暴飲暴食が原因とは限らない。
子どもの場合は1型患者が多いが、小学生でも2型を発症する場合があるし、中学生以上では1型より2型の方が発症数は多くなるという。また、肥満でなくても糖尿病となる場合もある。このように、必ずしも暴飲暴食の自堕落な生活が糖尿病の原因とは言えないのだ。
つまり糖尿病性腎症で透析になった患者も、社会的、経済的、遺伝的など、さまざまな要因で発症しているわけで、むしろ自堕落な生活で透析になった人間のほうが少ないのではないか。そういう事情を無視して暴飲暴食で糖尿病になり、腎不全になった自業自得の透析患者は殺せという長谷川氏はあまりに偏見が強すぎると思うが、今回の事件で感じたのは、医師にもそのような偏見を持つ者が少なくないようだということ。福生病院の医師もそれを擁護する人間も、どこかで透析患者に対する嫌悪感を持っているのか。そうでなければ、日常的に治療すれば普通に暮らせすことのできる患者に、死の選択などさせないだろう。
透析はたしかに金がかかる。毎月40万円、年間で500万ほどの費用がかかるといわれるが、これは税金で賄われ、透析患者の負担はゼロだ。たしかに社会にとっては大きな負担だ。透析を受けながら、僕も申し訳なく思う。ましてや僕は、以前にも当連載で述べたように(下記記事参照)、高齢者の過剰な医療に対しては否定論者だ。欧米のように、ある年齢以上の高齢者の医療は廃止したり、自力で食事できなくなった高齢者の延命措置もやめたりしたほうがいい、とさえ考えている。実際、自分の母親が食事できなくなり、胃ろうを医師に打診された時も、それを拒否した。
*第115回:長生きすることは、本当に良いことなのか? 親の介護で未来を奪われる若者たち
*第150回:高齢者は適当な時に死ぬべきなのか?
そんな僕でも恥を忍んで透析治療を受けているのは、根性なしだから死ぬのが怖いというのもあるが、透析さえ受けていれば普通に働けるし、多少なりとも社会の役に立つことができるかもしれない、そう思えるからだ。
だからこそ、今回の件は強い憤りを感じる。治療を続ければ生きられる、まだ44歳の人間を死なせてしまったからだ。何をどう言い繕おうと、そこに正義はない。もし彼女が44歳で死ななければならない理由があったなら、それをちゃんと説明すべきだとも思う。「死ぬ権利」だとか抽象的な概念や思想ではなく、たとえば「ステージ4の末期癌でした」といった「事実」で語るべき。医者なのだから、思想ではなく、事実で語るべきだったのだ。そうでなければ、医療は医者の独善に支配されてしまう。多くの国民は、「自分の生き死にを、誰かの独善で決定されるなどまっぴらゴメン」、そう思っているはずだ。
【筆者からのお知らせ】
透析患者の多くを占める糖尿病患者を救い、2型糖尿病の予防のためにも、日常的な血糖値測定は大切です。しかし、血糖値測定のためには針で指先を刺す必要があり、これがなかなか苦痛です。そんな中いま、針を刺さない血糖値センサーが開発中です。これはレーザーによる測定器ですが、すでにISOの血糖値測定の基準もクリアしています。実用化まで、あとひと息。これが実用化されれば、血圧測定のように誰もが気軽に日常的に血糖値測定ができるようになり、2型糖尿病の予防にも大いに役立ちます。現在、その開発資金調達のための、ふるさと納税によるクラウドファンディングが実施されています。ぜひご協力をお願いします。
>>詳細はhttps://www.furusato-tax.jp/gcf/519から。
.竹井善昭
最終更新:3/14(木) 10:40 ダイヤモンド・オンライン
◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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高須院長 透析中止は安楽死とほど遠いと強調「最後は地獄の苦しみ」
2019/3/8(金) 9:20配信 東スポWeb
高須クリニックの高須克弥院長(74)が7日、ツイッターで人工透析について言及した。
昨年8月、東京・福生市の公立福生病院で40代の女性が透析治療の中止を選び、1週間後に死亡していたことが明らかになった。
女性は治療中止に同意していたが、時間の経過とともに、生きる意思も示していた。
「透析中止は安楽死ではありません」と訴えていた高須院長は、フォロワーからの質問にその真意を詳しく説明した。
「透析を止めれば延命治療を中止すれば自然に苦痛なく最後を迎えられるわけではありません。尿毒症の苦痛を理解しない第三者に透析を中止する権利はありません。最後は地獄の苦しみだったと思います。患者さんの最後の気持ちが理解できます。胸が痛みます」と、世間が抱く安楽死のイメージとは程遠い状況だとつづった。
「僕は当事者です。現場も知り抜いております。推論ではありません。患者に苦痛と絶望を与えることに反対するだけです」と改めて強調した。
最終更新:3/8(金) 11:40 東スポWeb
◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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◇ 公立福生病院 透析中止 感謝伝える家族も 次第に「自信を持って」選択肢提示
◇ 透析中止、院長が容認 「どういう状況下でも命を永らえることが倫理的に正しいのかを考えるきっかけにしてほしい」2019/3/10
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◇ 「胃瘻は一種の拷問 人間かと思うような悲惨な姿になる」中村仁一著『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
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