愛知 立てこもり事件〈県警SAT隊員ら4人を死傷〉上告棄却

2011-03-24 | 社会

愛知の立てこもり:被告の無期懲役確定へ 最高裁決定
 愛知県長久手町で07年、拳銃を所持して自宅に立てこもり、県警特殊部隊(SAT)隊員ら4人を死傷させたとして殺人罪などに問われた会社役員、大林久人被告(54)の上告審で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は22日付で、検察側と被告側双方の上告を棄却する決定を出した。無期懲役とした1、2審判決が確定する。
 検察側は死刑を求めていたが小法廷は「綿密な計画性は認められず、被害者や遺族に謝罪の態度を示している」と指摘。減刑を求めた弁護側の主張も「上告理由に当たらない」として退けた。
 1、2審判決によると大林被告は07年5月、元妻に拳銃を見せて復縁を迫り、駆け付けた男性警察官の首を撃って重傷を負わせた。長男と次女にも発砲してけがをさせ、元妻らを救出するために自宅前の路上にいたSATの男性隊員(当時23歳)を射殺した。【伊藤一郎】毎日新聞 2011年3月24日 21時54分
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逮捕の瞬間から2007-05-18 | 社会
 毎日新聞 ヘッドライン
<愛知立てこもり>大林容疑者を緊急逮捕 29時間ぶり決着
 愛知県長久手町の元暴力団組員、大林久人容疑者(50)が人質を取って自宅に立てこもり、拳銃を発砲して県警機動隊特殊急襲部隊(SAT)隊員の林一歩(かずほ)警部(23)=18日付で2階級特進=ら4人を死傷させた事件で、県警は18日午後8時48分、自宅から出てきた大林容疑者の身柄を確保、殺人未遂容疑で緊急逮捕した。

 〈来栖の独白〉
 NHKテレビニュースで、容疑者が自宅から出て来、逮捕されるところを映し出していた。殉職警部とその遺族を悼む一方で、逮捕の瞬間を私はある種感慨をもって見つめた。ペットボトルやビニール袋を持った両手を緩慢に上げる容疑者の姿が、やがて消えた。何人もの警察官達に囲まれ、見えなくなった。
 この瞬間から、この人は、二度と「独り」になることはない。絶えず、誰かに周囲を固められる。身体は自分のものであって、自分の自由にはならない。「身柄」と呼ばれるものとなる。それでもまだ容疑者・被告身分には、自由の片鱗が漂うかもしれない。が、刑が決まれば、その確定力は圧倒的である。
 私は自由な民間人であるが、弟藤原清孝との交流の中で、国家の権力といったものを折に触れ感じた。
 弟がまだ未決だった頃、面会中、何かで刑務官が席を外したことがあった。面会室で二人きりになった私と弟は、急にどぎまぎして会話ができなくなった。刑務官が戻ってくるのを待って、やっと会話を再開した。いつの間にか、第三者の介入に馴れてしまっていたのだ。
 そんな独りきりになれないことに慣れていた筈の弟だが、刑が確定して直ぐの頃、辛そうに言った。「確定してからは、廊下を歩くのも、これまでのような一人の刑務官ではなく、二人が前後を固めるようになった」と。
 独りになれないことは、少なからぬ重圧である。東野圭吾さんの言葉を借りるなら、「これも、刑の一部」ということだろう・・・。
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安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利 』 ・ 『光市事件 裁判を考える』2008-05-13 | 読書

  『死刑弁護人  生きるという権利 』の安田さんの記述は、幾つかの箇所で強く共感を覚えるものだ。
 昨年だったか、愛知県で元妻を人質に男が立て籠もり、警官に発砲して死亡させた事件があった。投降する犯人の姿に、私は、〈ああ、この瞬間から、この人は、一人になることは出来なくなるのだな。常に監視のなかに置かれることになる〉と感じた。この事件ではないが、『死刑弁護人  生きるという権利 』 のなかに、安田さんの以下のような記述があって、奇妙に切ない。
 “大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
 と慨嘆する。”
 安田さんは、次のようにも、言う。
 “いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
 なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
 他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
 私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。
 そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
 私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。”


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