教訓となるために死んだんじゃない

2006-08-05 | 日録

 横浜で一人暮らしをしている長男(28歳)のところへ行ってきた。
 その間、流れるプールの吸水口に少女が吸い込まれて死亡するという事件があった。途端に、営業停止して各地のプールで点検。これまでなおざりにされていた安全管理に、痛ましい犠牲が警報を鳴らした格好だ。阪神の地震の時も、そう。各地、地震対策に躍起になった。あの教訓を生かせ、と。こういう状況に接するたびに私のような者は複雑な気持ちを抱かざるを得ない。「教訓を生かせ」と言うけれど、死者は教訓となるために死んだんじゃない。
 人間のある種逞しさというか、なんでも教訓としてしまう前向きな真面目さに、やりきれないものを禁じえない。少女のお母上はどんなお気持ちだろう、お辛さが一層なのではないか、とお気の毒でならない。無論、安全のために万全を講じなくてはならないが、私のような詰まらない人間は、一旦はどうしても、こういうマイナス思考を通過しないでは済まない。後ろを向いて生きてきた。なかなか前向きに生きられず、教訓とは無縁だったような気がする。


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