北朝鮮のミサイル発射が浮き彫りにした日本の問題 危機に対応できない「自衛隊法」の限界が明らかに

2012-04-16 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

北朝鮮のミサイル発射が浮き彫りにした日本の問題 危機に対応できない「自衛隊法」の限界が明らかに
JBpress2012.04.15(日)織田 邦男
 4月13日午前、北朝鮮は、国際社会の非難の声を無視して「人工衛星」と称する長距離弾道ミサイル発射を強行した。だが発射後、1分程度飛行した後、洋上に落下し、打ち上げは失敗に終わった。
  米国の早期警戒衛星からの発射情報は得られたが、航空自衛隊の「FPS-5レーダー」や海上自衛隊のイージス艦「SPY-1レーダー」は捕捉、確認するには至らなかったようだ。
 ■ミサイルの高度不足が探知不能の原因
  赤道上に停止する早期警戒衛星はミサイルの噴射を探知する。その情報を受け、空自、海自のレーダーは、丸い地球の水平線上にミサイルが上昇してくるのを待ち受け、これを補足、確認する。だが、今回はミサイル自体がその高度まで上昇できなかったようだ。
  発射確認が遅かった、あるいは発射情報が流されなかったとかマスコミは喧しい。レーダーで探知できるまで上昇していないのだから、当然、発射確認はできない。
  レーダーで探知、確認しないまま、米国からの早期警戒衛星情報を公に垂れ流すわけにはいかない。政府の説明要領が悪いだけで、発射確認については遅れて当然なのだ。
  自民党までが一連の遅延について、政府の責任を問うと騒いでいる。ここまで日本政治の質も低下し、ワイドショーなみになってきかと暗然たる気分になる。
  こういった枝葉末節に大騒ぎするのではなく、国会では今回の自衛隊の行動について、もっと重要で本質的な議論をしてもらいたい。
  2009年3月27日、北朝鮮が「光明星2号」の打ち上げを予告した際、当時の浜田靖一防衛大臣が初めて「破壊措置命令」を発令した。今回は2度目のせいか、国民もマスメディアも当たり前のようで、誰一人この法律について疑問を呈しない。
  筆者はこの法律は、自衛隊の行動に係わる法体系全体の重要な問題を投影していると考えている。
  経過を振り返ってみよう。田中直紀防衛大臣は4月30日、4月12日~16日に予定される「人工衛星」と称する北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射に対し、ミサイル本体や部品が日本の領土、領海に落下する事態に備え、迎撃態勢を敷くための破壊措置命令を発令した。
 これを受け、航空自衛隊の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を飛行ルートに近い石垣島の新空港建設地や宮古島分屯基地、那覇基地(那覇市)、知念分屯基地(南城市)に展開させた。
  また、軌道が逸れた際の首都圏防衛のため市ケ谷基地(東京都)、朝霞駐屯地(東京都など)、習志野分屯基地(千葉県)にも展開させた。
  海上自衛隊の海上配備型迎撃ミサイル(SM3)搭載のイージス艦3隻は、沖縄本島付近と先島諸島南方、及び日本海で迎撃態勢を整えた。
 ■自衛隊法第八十二条が「破壊処置命令」の根拠
  陸上自衛隊も日本最西端に位置する与那国島(沖縄県)や石垣島に部隊を送り、警備や被害が生じた際の対応に備えた。
  ここで言う「破壊措置命令」とは、自衛隊法第八十二条の三に規定する「弾道ミサイル等に対する破壊措置」を根拠とする。
  この法律は、簡単に言えば、弾道ミサイル等が日本の領域に飛来や落下して、人命、財産への被害防止のため必要と認めるとき、防衛大臣がこの弾道ミサイル等を破壊する命令を発令できるというものである。
  諸外国にはこういった法律はない。軍隊は国家、国民を守るために存在しているのであり、仮に落下物を迎撃する以外に防護手段がなければ、それを用いて国民を守るのは軍隊の当然の任務であるからだ。
  今回の自衛隊の行動は、別に外国の基地を攻撃しようとするものではない。また正常に飛行している衛星を打ち落とすわけでもない。自国の領域に誤って落ちてくる物体に対して、国民の被害を最小限に食い止めるために打ち落とす行動である。いわば自然権の行使にすぎない。
  自然権行使を法律で縛ること自体、奇怪なことである。頭上に降りかかる火の粉を振り払うのに、親の許可をもらわなければいけない子供のようなものである。
  その度ごとに、防衛大臣による命令がなければ自然権行使さえできないという法体系は国際常識から大きくかけ離れている。戦前、軍部が独走したトラウマがそうさせているのだろうが、羹に懲りて膾を吹いていると言わざるを得ない。
 百歩譲って、法律での規定を是としよう。だが、命令によって迎撃するということは、論理的には命令が出されないこともあり得るということである。
  「人命又は財産に対する被害を防止するため必要があると認めるとき」に命令を出さなければ、国民を見殺しにすることになる。民主主義国家で為政者が国民を見殺しにする決断をした事例もなくはないが極めて稀である。
  第2次大戦中、英国首相ウィンストン・チャーチルがコベントリー市を見殺しにした事例がある。当時、ドイツは 「エニグマ」 という難攻不落の暗号を使用していた。
  英国はロンドン郊外のブレッチェリーパークに天才を集め、革命的とも言われる手法を導入してエニグマ解読に成功した。だが、チャーチルは戦局全般を考え、エニグマ解読の事実を最後まで秘密にしようとした。
  1940年11月、エニグマ解読によってコベントリー市が空襲を受ける情報を察知したが、チャーチルは エニグマ解読の秘密を守るために、あえて対策を取らず、コベントリー市を見殺しにした。
  ちなみにエニグマ解読の事実が公表されたのは、戦後20年以上を経た1970年代だった。
  まさかこういう事態に備えて、「破壊措置命令」の法律を定めたわけではあるまい。現代日本において、このような事態はまず考えられない。
  だが命令を出すいとまのない奇襲や、何らかのミスが重なって命令が出されないという事態は十分に考えられる。その時はPAC-3部隊やイージス艦が仮に日本に落ちてくる弾道ミサイルを探知しても、自衛隊はこれを撃ち落とすことはできない。
  この法律に限らないが、現在の法体系は政治がタイミング良く、適切な命令を下すという政治の無謬性を前提にしている。
  弾道弾ミサイル等が飛来して「人命又は財産に対する被害を防止するため必要があると認めるときは」政治がタイムリーに命令を出すという前提である。そうあってもらいたい。
 だが、政治の無謬性を前提に自衛隊の行動を規定するのは無謀であろう。政治はそこまで有能ではないし、常に予期せぬ「想定外」が起きるのが戦の常だからだ。
  ただ同法の第三項には「事態が急変し同項の内閣総理大臣の承認を得るいとまがない」場合、防衛大臣が作成し、内閣総理大臣の承認を受けた緊急対処要領に従って命令ができるとも定められている。
  だが、緊急対処要領は常に作成しているわけではない。さらに「措置をとるべき期間」も限定することになっている。
 ■自衛隊の即応体制も宝の持ち腐れ?
  仮に緊急対処要領を作成したとしても、「とるべき期間」に該当しなければ、部隊指揮官は身動きが取れない。こういう事態が生起してしまったら、また「想定外だった」というのだろうか。
  今回のような弾道ミサイル騒動のない平穏な時でも、空自のPAC-3部隊は不測の事態に備えて、15分程度で発射できる即応態勢を1年中継続している。
  だが、「頭上に火の粉が降りかかったら、これを払いのけよ」といった命令が平時から出されていない限り、即応態勢はとっていても現行法制下では何ら対応できないのが実情である。
  実はこの問題の根は深い。自衛隊の行動を規定する法体系全体に通底する問題だからだ。
  一般的に軍隊の権限規定は、「原則無制限」であり、やってはならないことだけ規定する、ネガティブ・リスト方式と呼ばれる。有事にあって予測しがたいすべての法令を整備することは不可能との認識があるからだ。
  また軍隊の活動を規制するのは国際法であり、国際法の主体であり客体であるのは、主権国家である。また国際法の基本的法理には主権絶対の原則がある。
  従って主権国家の行動は、「原則無制限」となり、それゆえ軍隊に対する法規制は、「原則無制限」であるという考え方もある。
 一方、警察活動は、「原則制限」、「原則禁止」である。法律に書いてあることしかできないことから、ポジティブ・リスト方式と呼ぶ。
  自由民主主義国家においては、国民が主権者であり、国家権力が国民の自由と権利を恣意的に制限することは許されない。
  従ってその関係は、国内法によって厳密かつ詳細に規定されていなければならない。警察については、国民に命令し強制する立場であるため、すべからく権限は明示的な法的根拠が必要とされるわけだ。
 ■ネガティブ・リストの代表は英国と米国
  ネガティブ・リスト方式は英米法系とも言われるように、英国と米国がその代表である。
  英国は成文憲法自体がない。緊急時に法に無いものはとりあえず行動できるものとする。事後、慣習・判例など経験的・歴史的事実を基礎として審査し、必要なものは免責するとしている。
  米国も憲法には緊急権の規定がない。大統領権限を制約する戦争権限法(War Power Act. 1973)、国家非常事態法(National Emergency Act. 1976)はあるが、緊急事態には基本的にまず措置を取り、事後に司法審査を受ける。
  ポジティブ・リスト方式は大陸法系と呼ばれるがフランスとドイツがその代表である。
  フランスは1958年憲法で大統領の非常大権を規定しており、ドイツは1968年第17次基本法補充法で非常事態憲法を制定しており、防衛事態、災害救助、市民防衛、必要物資の確保、郵便・電信の制限にいたるまで細部にわたる精緻な規定がある。
  だが、フランス、ドイツにあっても、作戦レベルについては「国民の自由及び財産に関係する」もの以外はネガティブ・リスト方式である。予測しがたいすべての法令を整備することは不可能との認識では一致しているのだ。
  自衛隊法の場合、策定時はネガティブ・リスト方式の共通認識であったという。
 だが、戦前のトラウマもあり、国会の論議を通じ、文民統制の見地から、国民の自由及び財産に関係すると否とにかかわらず、およそ自衛隊の活動については、すべて法律の根拠を要するとされてきた。
  作戦行動にあっても警察と同様、ポジティブ・リスト方式を採るのであれば、もっと詳細で精緻な規定が必要だ。だが近年の作戦様相の複雑化、任務の多様化に法体系は追随できていない。
 ■ポジティブ・リストはもはや役に立たなくなった
  既存の法律の援用ではもはや対応が困難な事態が数多く存在するようになっている。ポジティブ・リスト方式では、もはや部隊が適切に作戦行動できず、任務を果たすことが難しくなっているのだ。
  例えば、現代の紛争はほとんどが平時とも有事とも区分できないグレーゾーンでの事態である。だが自衛隊法には、平時と有事の狭間にあるグレーゾーンについては権限の空白がある。
  航空作戦を例に取ると、平時の対領空侵犯措置から一挙に防衛出動へと飛躍する法体系になっており、グレーソーンにおける行動の規定や武器使用権限の規定は存在しない。
  ネガティブ・リスト方式の軍隊では権限は「原則自由」であるが、通常、政治が示すROE(Rule of Engagement:武器使用規定)でこれを律しているため、状況に応ずる武器使用を適切に統制できる。
  だが、ポジティブ・リスト方式ではあらゆる事態を想定し、詳細かつ精緻に法律で規定していない限り、権限の空白が生じてしまうことになる。
  現行の法体系は、ネガティブ・リスト的な木目の荒さにもかかわらず、ポジティブ・リスト方式で律せられる。従って事態によっては権限の空白が生じ、対応が困難になることがある。
  事態のエスカレーションに応じ、自衛隊に権限を逐次与えて行くことによって、紛争の拡大を防止するという「拡大抑止」の考えは現行法制では取れないのである。
 今回の北朝鮮弾道弾ミサイル対応のような場合、米軍であれば、国防長官がいちいち命令を出すということはあり得ない。
  軍は国家の主権を守り、国民の生命と財産を守るのが任務であり、自国に落ちてくるミサイルを発見したならば、当然、指揮官の判断でこれを打ち落とさなければならない。軍隊の当然の任務であるので、指揮官に全て委任されているわけだ。
 ■大統領から名誉回復の署名をもらえなかったキンメル大将
  だからこそ、帝国海軍のハワイ真珠湾を許し、反撃できなかった米太平洋艦隊司令官キンメル大将は責任を取らされたのだ。
  真珠湾攻撃を受けた10日後の12月17日、彼は大統領命令で司令長官を解任され予備役少将に降等された。その後、1942年3月に退役している。
  真珠湾攻撃の際、米国は戦争状態でなかった。緊張は高まってはいたが「平時」であった。だが、平時、有事を問わず外国からの攻撃から国を守るのは軍の任務である。
  ネガティブ・リスト方式の軍であれば、特別な命令はなくても、指揮官の判断で防衛行動を取らなければならないのだ。
  ちなみに1999年5月25日、キンメル元大将の名誉回復決議が上院で採択され、2000年10月11日、下院でも名誉回復決議採択された。
  だが、時の大統領ビル・クリントンは署名を拒否した。最終採決は次代ジョージ・W・ブッシュまで持ち越されたが、ブッシュも署名をしなかった。
  それくらい重い裁量権が司令官に任されているということだ。予期せぬ事態や緊急事態に間髪を入れず適切に対応するにはネガティブ・リスト方式でなければ難しい。だが、ネガティブ・リスト方式の米軍でも真珠湾攻撃ではこうだった。
  もしポジティブ・リスト方式であれば、あらゆる事態について、微細にわたり精緻に法律で規定していなければ、ほとんど対応は困難となろう。
 かつて来栖弘臣統合幕僚会議議長が、奇襲を受けたときの対応として、ポジティブ・リスト方式の自衛隊法では対応困難とし、「その場合は超法規的に行動せざるを得ない」と述べ更迭された。いわゆる「来栖事案」である。だが、本質的には彼の主張は正しいのだ。
  真珠湾攻撃への対応を、日本の現行法体系に当てはめてみればよく分かる。命令がないにもかかわらず、即座に対応していたら、被害は極限できるが、指揮官は処罰を受けるだろう。
  第2の「来栖事案」だ。命令を待ち、拱手傍観して対応にしくじった指揮官は責任を問われることもなく司令官として留まることになる。これでは国は守れない。
  今回の北朝鮮ミサイル発射は失敗に終わり事無きを得た。だが確認や公表の遅延といった枝葉末節の議論に惑わされ、本質的な議論を安堵の内に忘れ去ってはならない。
  折角得た議論の好機である。「破壊措置命令」の奇怪さが投げかける防衛法体系の問題点について、今こそ想像力を働かせ、早急に改善を図っていかなければならない。
  我が国周辺は既に平時でも有事でもないグレーゾーン状態にある。明日何が起こっても不思議ではない状況だ。急がねばならない。国の守りに「想定外」があってはならないのだ。
<筆者プロフィール>
 織田 邦男 Kunio Orita
 元・空将、現・三菱重工業航空宇宙事業本部顧問
 1974年、防衛大学校卒業、航空自衛隊入隊、F4戦闘機パイロットなどを経て83年、米国の空軍大学へ留学。90年、第301飛行隊長、92年米スタンフォード大学客員研究員、99年第6航空団司令などを経て、2005年空将、2006年航空支援集団司令官(イラク派遣航空部指揮官)、2009年に航空自衛隊退職して現職。
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〈来栖の独白 2012/4/16 Mon.〉
> 発射確認が遅かった、あるいは発射情報が流されなかったとかマスコミは喧しい。レーダーで探知できるまで上昇していないのだから、当然、発射確認はできない。
  レーダーで探知、確認しないまま、米国からの早期警戒衛星情報を公に垂れ流すわけにはいかない。政府の説明要領が悪いだけで、発射確認については遅れて当然なのだ。
  自民党までが一連の遅延について、政府の責任を問うと騒いでいる。ここまで日本政治の質も低下し、ワイドショーなみになってきかと暗然たる気分になる。
  こういった枝葉末節に大騒ぎするのではなく、国会では今回の自衛隊の行動について、もっと重要で本質的な議論をしてもらいたい。

 強く同感する。狂騒には辟易した。国民は、肝心なこと(原発再稼働)から目を逸らされたことに気づくべきだ。
 他も、概ね同感のコラムである。ただ、本文中「来栖弘臣」は「栗栖弘臣(くりすひろおみ)」の誤記ではないか。


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