旅人の体は、彼の寝台のサイズに合わせ、伸ばしたり切ったりされる

2008-08-26 | 相撲・野球・・・など

中日春秋
2008年8月25日

 投手がピンチの時、すかさず野手がマウンドに近寄り、何事か話し掛ける。ふだんのプロ野球ではよく見る光景だ
 どうも大した話はしていないらしい。野球担当記者によると、会話よりむしろ「間」をとること自体が狙い。意味は小さくないが、北京五輪では、回数が制限されていたようだ
 奇妙だと感じたルールはほかにも。野球ではあのタイブレーク、ソフトボールなら敬遠だ。宣言するだけで実際には四球投げないなんて。レスリングでは同点時に、審判が福引よろしくカラーボールで片方の選手を優位にする方式に目をむいた
 すべては、テレビを意識した時間短縮のためらしい。ふと思い出したのはギリシャ神話に登場するプロクルステスという、おっかない強盗の話。捕まった旅人の体は、彼の寝台のサイズに合わせ、伸ばしたり切ったりされる
 観戦の面からも、お金の面からも、もはや五輪はテレビなしに成立しない。五輪競技にとどまりたい、あるいは復活させたい競技団体に思惑が働くのは当然。愛する競技の身の丈を泣く泣くテレビのサイズに合わせた、ということだろう
 それにしても、だ。敬遠のボールは暴投になることもある。小さな「間」がピッチングを一変させることも。されば勝敗自体さえ…。テレビの画面に北京五輪の終幕を眺めつつ、<寝台>からはみ出てしまったドラマを、思った。

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〈来栖のつぶやき〉

 <寝台>からはみ出てしまったドラマも然ることながら・・・・。Japanは、技量では決して劣っていない。判定がヘンだった。こんな大雑把、粗雑な判定の下では、精度の高い日本の球は、怖くって、投げられるものではない。


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