2008/10/30(59
幼年期との別れ(7)
それは、
「お山へいく」
という、大それた望みである。
「お山」
とは、もちろん、比叡山のことだ。あの晩、鴨の河原で法螺坊は忠範の目をじっとのぞきこむようにしていった。
〈われら悪人でも、地獄へはいきとうない。救われるものなら救われたい。みなが心のなかでそう願うておるのじゃ〉
そして、こうもいった。
〈十悪五逆の極悪人、あの平四郎のごとき奴でさえ、ひとたび弥陀の名を呼べば、本当に救われると思うか〉
わかりませぬ、とそのとき忠範は答えた。頭のなかが混乱して、どう考えていいかわからなかったのだ。
これは大事なことだぞ、と法螺坊は念をおすようにいった。
〈その答えを本気でみいだしたいと思うか〉
はい、と忠範はきっぱりうなずいたのだ。すると法螺坊はいった。
〈ならば、いくしかない、あの山へ---〉
あの山へ、という言葉が、木魂のようにずっと忠範の体の奥で反響しつづけている。あの山へ----。あの山へ。あの山へ----。
忠範には生来、いちど決断したことは一筋につきすすんでやまない、かたくななところがあった。迷いに迷った末に、どこからかきこえてくる遠い声にじっと耳をすます。その運命的な声がきこえてこないときには、なにもしない。だが、まれにではあるが、その声がはっきりときこえてくるときがある。そんなとき忠範は一切、迷わない。
〈ならば、いくしかない、あの山へ〉
その声は法螺坊の言葉としてではなく、自分の体の奥から響きあう運命の声として忠範には感じられた。
〈はじめから自分はそうきめていたのだ〉
きめていたのか、それともきめられていたのか、それはわからない。それがとんでもないことだったと、子供なりにわかっている。比叡の山は、選ばれた者だけが登ることのできる最高の場所だという。
だが、しかし、忠範は疑わなかった。瞼の裏に、あの馬糞の辻へ急いだ日、八角九重塔(はっかくくじゅうのとう)のかなたに見えた比叡の山嶺がくっきりと浮かびあがった。あの山が自分を呼んでいるのだ、と忠範は思った。
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