〈来栖の独白〉
報道によれば、大阪市西区、暑い日が続く中、閉め切られゴミが散乱するマンションに3歳の女児と1歳の男児が置き去りにされ、死亡した。冷蔵庫は空だった、という。
死体遺棄容疑で逮捕された若い母親のブログには、平凡だが子育てを楽しむような書き込みもあった。が、その裏(現実)では、昨年五月離婚、風俗店従業員として働く、いわゆるシングル・マザーの「しんどさ」が色濃く刻印されていた。「ご飯をあげたり、お風呂に入れたりするのが嫌になった。子どもなんていなければよかったと思うようになった」と供述している。
児童虐待は日常的に報道されるほど、増加の一途だ。児相をはじめ公的機関が、中途半端な関わりしかできていない。
今度の事件でも、幼い姉弟が泣き叫ぶ異変に気付いた住民の通報で、大阪市の児相は五回も現場に足を運んだ。だが、誰が住んでいるのかさえ分からず、管理人に鍵を借りて部屋に入ることもしていない。
児相には強制的に住居に立ち入ることができる権限はあるが、裁判所に許可を求めねばならない。また、立ち入ったはいいが虐待が立証できない場合、責任を問われる。及び腰になってしまう。
私も過去、近隣に親の怒り声(というより恫喝)が頻繁に聞こえてきてじっとしていられず、児相へ連絡したことがあった。児相はすぐにその家を訪問した。が、そのあとの児相の報告によると「躾けということなので、これ以上は、何とも言えません」とのことであった。親と児相の常套句である。虐待を受けて育っている子特有の小柄な体躯が痛々しかった。
虐待の理由には、さまざまなストレスなどが挙げられるだろう。社会的に孤立を深め、精神的に追い込まれていく。
「無縁社会」という言葉に象徴されるように、今の社会、人々の心に孤立感は深い。大阪(冒頭)の若い母親はなぜ人に援けを求めなかったのだろう、との疑問も湧く。以前、NHK「クローズアップ現代」でだったか放送していたが、若い世代は、自分がいかに困窮しても援けを求めないのだという。冷蔵庫が空っぽになり、死んでゆく。・・・これは、どうしたことだろう。援けを求めようとせず、たった独りで死ぬにまかせるという。緩慢な自裁といえないだろうか。それほどに、若い世代に人生に対する失望感強いということだろうか・・・。
聖書には「隣人(となりびと)」という言葉があり、仏教でも「ご縁」などというが。
命のまえに、行政が無力なら宗教教団は無関心だ。
子どもを遺棄し死なせた母親の苦しみを思わずにはいられない。「小さい子にモノを与えず放置すれば死ぬことは、わかっていた」と供述したという。子が「ママ、ママ」と声の限り呼びながら飢えと絶望の中で死んだ、そうさせたのは自分であると思うことは、この上なく辛い。いま母親は、この苦しみと責めのなかで時を刻んでいるに違いない。その苦しみが生涯続く。仏陀の言った「この世は、苦である」との言葉が、彷彿する。
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◆ 「お水を下さい」哀願の声響く 相次ぐ虐待、行政救えず 悔やむ周辺住民2010-03-06
◆ 「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃」地縁や血縁、会社との絆「社縁」を失った日本人
◆ 特集「死刑100年と裁判員制度」
池田 さっき浜井さんが、死刑がなくなるためには、社会が安定して、つまり生きていくことに対する安心というか、そういうものが非常に重要だということを言っておられましたよね。僕も全くそうだと思うんですが、そういうことをどうやって意識化できるだろうか。
たとえば浜井さんの資料で僕は知ったんですけれども、犯罪で殺される人の人数が200人前後で推移している。で、自殺者は3万人越えているわけでしょう。だから100倍以上ですよね。つまりこの社会っていうのは犯罪によって殺されるよりも自分で自殺しなければいけない可能性のほうが100倍多いわけ。そういう中で私たちが生かされているんだということを考えたときに、自分は自殺を選ぶか、あるいは誰かを殺して金を盗るか。あるいは怨みのある奴をぶっ殺して、というふうな選択肢がほんとはリアリティをもってくるんですけれども、そこまで想像力がいかないという現実があって、それを何とかして掘り起こすというのも、それは直接死刑廃止につながるかどうかは別として、きちんとやらなければいけない仕事なんだなあというふうなことを浜井さんの話を聞いていて思いました。
安田 日本の犯罪の少なさというのは、自殺があるからだと言われています。外に向かえば犯罪で自分に向かえば自殺なんですね。だから日本が安定している社会だ、あるいは安全な社会だというのは間違っているんですね。
池田 絶対間違っていますね。他の国よりも犯罪が少ないということは、断固として言わなければいけないんですけれども。
安田 やはり将来に展望がある場合には犯罪は減っていくと考えるわけですし、犯罪を起こしても、その人は更生していくだろうという、寛容さがあるわけです。
池田 それで、本当はそういう社会になったら、今度は死刑も必要なくなるわけですよね。もういっぺん生き直すのを許すゆとりが社会にできてくるわけだから。
安田 全体の人権に対する意識なりあるいは秩序という意識なり社会に対する意識がすごくレベルアップする、底上げするんです。
池田 そうですよね。そういうふうなことは長いことかかるけれども・・・
安田 もしかしたら日本というのは、絶対的貧困が永久に続いているのかなという気もしますね。貧困というのは、物理的だけの問題ではなくて精神的にも、国体が常に全体を支配している問題も含めて。
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◆よきサマリア人のたとえ(ルカ10,30-37)
イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、 旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、 宿屋の主人に渡して 言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
>考えてみると、私だって、子守りはせいぜい30分ぐらいしかできなかったですね。
あ~。ほんとうにそうですよ。円さんと話していると、らくになります。
このところは、100歳以上のお年寄りの所在不明の報道・・・。
だけど、厳罰は犯罪抑止につながらないと言われますが、虐待はまさにそうですよね。
「しつけ」なわけだし。
考えてみると、私だって、子守りはせいぜい30分ぐらいしかできなかったですね。
とてもじゃないけど、一日中子供の面倒を見るなんてできないと思いました。
厳罰を求める人は、他人事にすることで、自分はあんなことをしないと安心したいんだと思います。