密約文書―破棄なら、二重の背信だ
朝日新聞 社説2010年3月20日(土)付
それが本当なら、国民に対する二重の背信行為である。徹底した真相の解明と責任の追及が必要だ。
日米密約の核心にかかわる重要文書が、外務省内で破棄されていた可能性が高まった。元条約局長の東郷和彦氏が衆院外務委員会で、後任に引き継いだ「最重要資料」のうち半数が公表されていないと証言したのだ。
先に、安保改定時の核持ち込み密約の存在などを認めた外務省の有識者委員会の報告書も、「当然あるべき文書が見つからず」、「不自然な欠落」も見られたと指摘していた。
2001年4月の情報公開法施行を前に、当時の幹部が密約文書の破棄を指示したとの証言はすでにあった。東郷氏も省内事情をよく知る人から「文書が破棄されたと聞いた」と語った。
民主主義国の外交で、密約は本来、あってはならない。ぎりぎりの国益判断で秘密にせざるをえない場合には、経緯を記録し、後年、一般に公開して、歴史の審判を受けるべきものだ。
「密約はない」と半世紀にわたって国民にウソをつき続けたうえに、国民から重要な判断材料を奪うなどということが許されていいわけがない。
今回、秘密指定を解除されて公開された外交文書からは、冷戦の下、日米安保体制による核抑止力と国民の強い反核感情の折り合いをどうつけるか、当時の政治家や外交官が真剣に悩み苦しんだ姿も浮き彫りになった。
外交記録の破棄は、そうした先人の歩みを消し去る行為でもある。過去の政治判断や政策を検証し、将来に生かす道を封じてしまう。
来年4月施行の公文書管理法は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけ、廃棄には首相の同意を義務づけるなど、厳しいルールを定めている。
岡田克也外相は東郷氏の証言を受け、「外務省としても、よく調査しなければいけない」と語った。
比較的近年の話で、現役官僚が関与している可能性もある。個人の責任が明らかになることで、省内に亀裂が走る懸念もあろう。
しかし、政権交代を経て、ようやく政府が密約の存在を正面から認めたのに、文書破棄の疑惑を放置したままでは、外交への国民の信頼回復も中途半端に終わりかねない。
岡田氏には明確な指示を出して欲しい。改めて第三者機関を設置し、当時の外相や外務省幹部らから事情を聴くべきだ。
外務官僚だけの判断で破棄が行われていた可能性もある。官僚の無責任な隠蔽(いんぺい)体質をただすうえでも、事実関係を明らかにすることが不可欠だ。
真相に迫る責任は国会にもある。外務省任せにせず、国会が国政調査権を発動して調べる道もある。
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沖縄核再持ち込みは「密約」=西山氏ら
2010年3月19日(金)14:03
「密約」問題をめぐる衆院外務委員会の19日の参考人質疑で、沖縄返還に絡み当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領による秘密の合意議事録の存在が確認された沖縄への核再配備を、外務省の有識者委員会が「密約とは言えない」と結論付けたことに対し、元毎日新聞記者の西山太吉氏と東郷和彦元外務省条約局長が異論を唱えた。
西山氏は、報告書の判断を「誤認だ」と批判。「米国はトップによる実名の合意を前提に対日政策を立案し、進めてくる」と強調した。東郷氏も合意議事録について「常識的な意味で言えば約束で、かつ国民に伏せられていた」と述べ、密約だったとの見方を示した。[時事通信社]
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【核密約】抄録(2) 衆院外務委員会参考人質疑(西山太吉元毎日新聞記者意見陳述)
3月19日14時40分配信 産経新聞
西山太吉元毎日新聞記者「私は当局の内部には携わっていませんので、外部からの私なりの認識、その後にいろいろ調べました米国の関連文書、相当たくさん読みましたが、そういうものとの対比において、主として沖縄返還交渉を中心として、簡単に意見を述べさせていただきたいと思います。
その前に、まず密約の調査に関連した委員会なので、まず密約がなぜ日米関係だけに集中して行われているのか、お気づきになったでしょうか。外務省、財務省を含めて、この4つの調査対象項目は全部日米同盟に関する密約です。戦後のいろんな外交史の中でたくさんの重要な外交案件はありましたが、密約に関して今までのところ発覚しているのはすべて日米同盟に関するものです。ここに注目していただきたいと思います。
なぜ日米同盟に密約は集中するのか。私の認識では、戦後の冷厳な戦勝国・米国と戦敗国・日本という冷厳な上下に近い関係が、冷戦構造の中に組み込まれ、そして非常に冷厳な日米同盟の関係が維持され、強化された。それが一種の日本の寄りかかる聖域のような形で認識されてきたということです。
しかし、その一方、もう1つの流れとして、55年体制にかかわらず、その後もそうですが、もう1つの流れがあった。それは何かというと、反核、非核であり、やはり憲法9条による戦争放棄に対する非常に強い感覚があり、また戦後断絶したいわゆる近隣諸国、特に中国、朝鮮を中心とした近隣諸国との関係をもう1回再構築しないといけない。何とかして調整して、もう1回日本との関係を充実させなくちゃいけないという、片方ではそういう潮流が根強くあったわけです。
従いまして、もし前者の日米同盟の絶対的な形の聖域の方に、そのときの政策なり方針がぐっと傾斜していった場合には、必ずそこに日本国内政治独特の軋轢(あつれき)、摩擦というものが生じてきます。それをカムフラージュするというか、調整するというような1つの機能を密約という形で持ったと私は認識しています。
それからもう1つの要素は、これは大枠的な考えですが、そのときの内閣の政治思想、内閣の性格、また、いわゆる内閣を取り囲む政治環境ですね。そのときの国内政治、政治上から来る政略論というものも、やっぱり密約という問題には絡んでくる。いい例が、まさに沖縄返還交渉で、ニクソン政権と佐藤政権による沖縄返還交渉というのは、1969年の事実上、5月から始まった。5月28日に、今ではもう有名になっていますが、米国の対沖縄施政権返還交渉方針の基本方針であるメモランダム13号、これができたのが5月28日です。そのときの沖縄返還協定にまつわる大綱がすべて固まったのが、いわゆる佐藤・ニクソン共同声明。11月21日です。わずか5カ月ちょっとの間に、あの重大、複雑多岐な日米間の最大の懸案といわれた沖縄返還問題が全部実質的に解決した。というのは、要するにそのときの(佐藤・自民党)総裁の任期が1970年から72年、4選で最後の任期だった。すでにその方から逆算されてきた政治日程があるわけですね。
従いまして、どうしても71年前半には調印を終えていなくちゃいけないと。そのためには69年中に絶対に日米間の諸懸案を全部解決してしまわなくちゃいけない。そういうような逆算的な政治日程がありまして、そして米国は、このときにメモランダム13号、これは72年、もし日本が返還を望むのであれば、この69年中に米軍の使用にかかわる不可欠な諸問題、これを細目に至るまで全部解決しろと。それが解決されない限りは、72年返還には応じられないという鉄の方針を打ち出してきたわけです。その最大のものが、朝鮮半島、台湾、ベトナムに対する最大限の基地の自由使用であり、もう1つの大きな柱が、いわゆる財政問題。これを言うわけなんです。
ですから、結局そのときの国内的な政治情勢、政治環境というものが、やはり密約を促進させる1つの大きな材題だ。大きな2つの潮流を埋めていく、調整していくとが密約の大きな機能ですけれども、もう1つの促進機能は、そういった国内の内閣の性格、および内閣を取り囲む政治的環境というものが大きく影響しいているということです。
結局、その中で私が申し上げたい最大のテーマは、今度の基地の問題、核の問題および財政問題ですが、今度の調査委員会の関連で申し上げますと、まず私の調査委員会に対する簡単な感想を述べますと、1960年安保に関する密約が2本、それから沖縄返還にかかわる密約が2本。前半、後半2本ずつです。その中で前半の60年安保における核の持ち込み問題と朝鮮半島に対する直接戦闘作戦行動。いずれもやはり、そのときの岸内閣としては日米同盟を再編・強化すると。要するに相互の義務を確定するということを打ち出しましたが、やはりそこに私がさっき申し上げましたもう1つの潮流に対する配慮、それから日本の自主性、日本の自主的ないわゆる選択権といいますか、国家としての独立性を提示するために、いわゆる事前協議3項目を出したわけです。
ところが、そのときの事前協議3項目のうちの2項目については、やはりこれは狭義の表示であったことが判明しました。それは今度の調査委員会の報告で明確になりましたけれども、私が問題にするのは、前半の2つよりも後半の2つについてです。後半の2つについては、まず第一に沖縄に対する核の持ち込み、緊急事態における核の持ち込みについての佐藤・ニクソン共同声明、非秘密合意議事録ですね、これは若泉(敬)さんが暴露しましたけれども、これを今度の調査委員会は密約ではないと言い切っております。
密約ではないと断定した2つの根拠は、1つはあくまでも日本側から言えば全部総理大臣の私邸に隠匿されていたということもありますが、要するに引き継ぎがなかった。次の政権に。引き継がれていないんです。これが1つの理由ですね。2番目は佐藤・ニクソン共同声明の第8項にいわゆる事前協議というものをやるぞということを核の問題に関して言っているんだから、この秘密合意議事録の中身と、いわゆる共同声明の第8項とはそんなニュアンスは違わないということです。その2つを理由にあげています。
しかし、私はそういうような見方はやっぱり1つの誤認だと思います。むしろ少数意見じゃないか。2000年に若泉・キッシンジャーの間にできた例の秘密合意議事録の草案を、そのままつけて、朝日新聞ですけれども、これを米国務省にこれと同じ文案があるかないかということを提示したわけです。それと同じものがあるかないかということで、文案そのものをここで開示することはできないけれど、その文案に相当するものは国務省にちゃんとあります。イエスだと言ったわけです。そういうことから考えて何が言えるかというと、米国側は日米の最高のトップが実名で署名した文書は、それは絶対に揺るがすことのできない両国政府の合意事項である、秘密事項であろうと何であろうと、合意事項であるという認識の元に国務省にちゃんとおろしているわけです。
国務省におろしているということは、国防省にもおろしているということです。仮に日本側において、内部で引き継ぎがなかったとかという国内的な手続き上の問題を仮に言ったとしても、米国には何の影響もありません。米国はトップの実名による合意を前提として、対日政策を立案し、それを前提にして対日政策を示します。ですから、これは完全に今言ったように、引き継ぎがないから、これは密約ではないというのは全く、これ学者の概念論争としても間違っている。
第2番目は、合意議事録の中身は、共同声明第8項とほとんど変わらないじゃないかという見方。これも間違っていると私は思います。というのは合意議事録の中身は、辺野古、那覇、嘉手納、この3カ所の核貯蔵施設はそのまま維持すると。そして非常事態のときには、いつでもそれを全部すぐ動かすことができる体勢をもっていると。そして結局緊急事態の時には、事前協議はするけれども、遅滞なくその必要を満たすと。はっきり言えば、イエスの予約です。事前協議をやるけれども、事実上すぐイエスするということを言っている。一方の共同声明は、ただ単に共同声明というものの事項に関することなくと言って、イエス・オア・ノーということを言っているわけで、重大な差があるということが1つ。それで私はこれは密約というものの条件を備えていると思います。
それからもう1つ。最後の問題ですが、財政問題、これは400万ドルについては広義の密約を認めるけれども、狭義の密約は認めないと。しかし私は1971年6月17日に沖縄返還協定は調印されました。そして吉野・スナイダーの例の密約文書、VOAの肩代わりの密約は6月12日です。局長室で。6月12日に吉野・スナイダー、これもまた今言った軍用機、補償の肩代わりの議事録、議事要旨です。11、12と連続しているんです。最後の懸案だったんです。ところがそのときの直前の9、10の、今もう秘密開示をされていますが、877号という極秘電信文並びに559号という極秘電信文は詳細に書いています。
要するに、秘密書簡の内容は完全に合意したんだけれども、これはひょっとしたら外部に漏らすんではなかろうかということを愛知外相の方から米国側にただしています。そしたら米国側は国会に説明する場合もあるから、それはひょっとしたら公表せざるを得なくなるかも分からないと言ったもんですから、それは大変なことだということで、どうしても字句を修正して、和らげようということで10日終わっている。字句を修正した結果、最初は日本側が400万ドルを全部支払うということを明確に述べた秘密書簡案だったのです。それがだんだんゆるめ、発表するかもわからないというもんですから、字句を徹底的にゆるめようということで行われた字句調整の結果が、あの吉野・スナイダーであって、吉野・スナイダーというものが愛知・マイヤーに変わった。愛知さんが警戒心を持ったから、おそらくリタイアしたんでしょうけれども、少なくとも吉野・スナイダーが代行したと。
例えば、柏木・ジューリックは全部あのときに福田蔵相とケネディ財務長官の代行としてすべて調印して、あの沖縄返還に伴う財政問題というのは、ほとんど全部解決して、それに基づいて全部動いていったという面からみれば、吉野・スナイダーになっても何も差し支えはない。私はだからそういう意味で、この秘密書簡というものの秘密取り決めというもののジャンルにやっぱり入ると認識しております。
最後に、財政問題というのは400万ドルであるとか、1600万ドルであるとか、あるいはまた米国に対する無利子預金であるとかいって、項目ごとに分析してもなんにもならないんです。これは氷山の一角をあらゆる面からなでているだけ。財政問題の本質は米国の最高方針というものに基づいて分析しなくちゃいけない。その最高方針は、27年間にわる米国の、いわゆる沖縄に対する投資7億ドルを全部回収すると。2番目は、返還に伴っては一切の支出をしない。ドルを一文も出さない。第3の方針は、要するに新たなる財政負担の枠組みというものを作るということで、これから全部流れてきておるわけです。それがつかみ金という方式で、全部米国側の要求を底上げする形でのんでいったということです。
そして、最後に申し上げたいのは、日本側に対する新しい枠組みを要求したのが6500万ドルの米軍施設改良工事費で、72年から77年までの5年間にわたって、協定外において盟約されながらも、国会にかかることなしに全部米国側に物品および役務によって供与された。それが終わったのが77年3月です。それに続いたのが72年4月からの思いやり予算。だから思いやり予算というのは72年4月から始まったんじゃなくて、72年の沖縄施政権返還に伴う6500万ドルから始まったと。これが私は最大の秘密だと思います。密約というのはこれが最大だと思っています。ほかの密約と性質が違う。
というのは、前向きの新たなる後年度負担である、新たなる安全保障の枠組みを作り出したと。安全保障の枠組みを変えたということです。これは最も国民が知らなくちゃいけないという意味では最大の密約だった。この点の解明を国会の調査権なるものを発動していただいて、今後とも検索していただきたいと思います。以上です」
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「密約文書」破棄の可能性=後任に引き継ぎ、元外務省局長が証言-衆院委参考人質疑
3月19日11時18分配信 時事通信
核持ち込みなどに関する日米の「密約」問題をめぐり、衆院外務委員会(鈴木宗男委員長)は19日午前、関係者4人を参考人として招き、質疑を行った。東郷和彦元外務省条約局長は「外務省の内情をよく知る人から、情報公開法施行前に(核持ち込み「密約」の)関連文書が破棄されたという話を聞いたことがある」と証言。外務省内で関連文書が意図的に廃棄された可能性について言及した。
東郷氏は、1998~99年の条約局長当時、60年の日米安全保障条約改定時に端を発する核搭載艦船の寄港をめぐる「密約」に関し、58点の文書を5冊のファイルにまとめ、リストを作成した上で、後任の条約局長の谷内正太郎元事務次官に引き継いだことを明らかにした。外務省の有識者委員会による「密約」問題の報告書では、東郷氏の父親の文彦氏が北米局長当時の68年に作成し、歴代政権の引き継ぎに使われた文書などが確認されたが、証言で東郷氏は、「わたしの感触では、残した文書のすべては残っていないと思う」と述べるとともに、「廃棄が本当なら、外務省は管理の実態と今後の対応に向かい合ってほしい」と指摘した。
また、72年の沖縄返還時、米軍基地跡地の原状回復補償費400万ドルを肩代わりした問題で機密公電をスクープ報道し、その後国家公務員法違反罪で有罪が確定した元毎日新聞記者の西山太吉氏は、「(肩代わりは)秘密の取り決めのジャンルに入る」として、明確な密約であると主張。当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領の合意議事録の存在が確認された沖縄への核再配備について、有識者委の報告書が「密約とは言えない」と判断したことに対しては、「誤認だ」と批判した。
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「密約文書99年に引き継ぎ」元局長が証言 以後破棄か
asahi.com2010年3月19日3時5分
日米の核持ち込み密約をめぐり、外務省の東郷和彦・元条約局長が1999年に関連の極秘文書を整理して後任らに引き継いだと、密約調査に関する同省の有識者委員会に証言していたことが18日、わかった。9日に報告書を発表した有識者委の調査では、東郷氏が引き継いだとする重要文書が欠落しており、99年以降に破棄された可能性が強まった。
東郷氏は19日の衆院外務委員会に参考人として出席し、こうした経緯も証言する見通し。岡田克也外相は、文書が破棄されたかどうかの調査に慎重姿勢を取ってきたが、改めて判断が問われそうだ。
密約調査の関係者によると、東郷氏は条約局長室保管の大量の文書を整理した際、核兵器を積んだ米艦船の日本寄港・通過が核の「持ち込み」に当たらないとする密約に関する文書を、「赤ファイル」として知られる赤い箱5箱にまとめたうえ、文書の一覧表を作成し、保管。有識者委にも示したという。
文書は60年の日米安保条約改定交渉時や、74年にラロック米海軍退役少将が米議会で核搭載艦船の日本寄港の可能性を証言した際の対応など計58件。当時の外務省条約局長と米政府当局者が会談した60年1月20日付の記録もあり、米側はこの会談で、核兵器配備を否定も肯定もしない「NCND政策」を説明していたという。この文書は今回の調査で見つかっていないが、確認されれば、安保条約改定時、核を持ち込む場合に必要として導入された「事前協議」が、当初から形骸(けいがい)化していた裏付けとなる。
東郷氏の父、文彦氏が北米局長時代の68年、核持ち込みをめぐる米側の立場や日本の対応を詳細に記した「東郷メモ」、安保条約改定時の「討議記録」も含まれていた。外務省の調査で見つかり、今回公表された「東郷メモ」には歴代の首相らに説明した記録が余白に書き込まれていたが、東郷氏の手元にあったものに書き込みはなかった。説明に使われたものとは別の写しだったと見られる。
東郷氏は有識者委に対し、これらの文書を99年、後任の条約局長の谷内(やち)正太郎・元事務次官に引き継いだと証言。条約局長最終日の8月30日に作成した「核兵器の寄港・通過問題について」と題した対処方針メモも渡したという。核搭載艦船の寄港・通過を容認する可能性なども含めて少人数での議論を呼びかける内容。メモと文書の一覧表は北米局幹部にも封筒に入れて渡したという。谷内氏は朝日新聞の取材に「東郷さんから説明を受け、もらったものはあるが、中身は知らない」と話している。(倉重奈苗)