なぜ外交文書の公開は必要か

2010-03-18 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

新S.「くらべる一面」新聞案内人.古城佳子 東京大学大学院総合文化研究科教授
2010年03月18日
なぜ外交文書の公開は必要か
 先週(3月9日)、外務省は日米の密約に関する外務省の調査結果と有識者委員会の検証報告書を公表した。「あらたにす」各紙とも大きく報道しており、当「新聞案内人」コーナーでも、弁護士の田中早苗氏が密約問題について述べておられる。長らくの懸案だった問題は、政権交代によって検証が行われたわけであり、その点で意義のある作業だったと思う。
 有識者委員会の報告書には密約問題の検証結果が述べられているのだが、もう一つ重要な指摘がなされている。
 それは、補章「外交文書の管理と公開について」における提言である(有識者委員会の報告書は、外務省のホームページやアサヒ・コムで読むことができる)。
 そこでは、1976年から始まった、30年経過した外交文書は公開するとした「30年公開原則」の徹底と審査体制の拡充が提言されている。
 日本の外交文書の公開の遅れや公開文書の制約については、以前から内外の研究者等がその改善を要望してきたことである。公開の遅れや制約は、国民が、外交交渉において過去にどのような事実があったのか、ということを知る権利を阻害しているという点だけでなく、研究者が憂慮してきたのは、日本よりも早く外交文書を公開した交渉相手国の記録によって、日本との交渉が描かれるという、ある意味、深刻な問題を生んできたことである。
有識者委が「30年公開原則」徹底を提言したわけ
 外交交渉において交渉当事者の見方は、立場によって異なることは当然多く、相手国の文書のみに依存した交渉の理解は、日本の外交を理解するには偏っていると言わざるを得ないのである。
 今回の密約問題についても、今まで全く秘密のベールに隠されていた訳ではなく、以前からアメリカの外交文書により、その存在は示唆されていたのである。今回の検証では、日本側の文書の欠落や不存在により、肝心な部分の検証には制約が生じた。これらの文書が残されていたら事実はより明らかにされたことだろう。
 有識者委員会の報告書が、「30年公開原則」の徹底を提言したのも、この検証を通じていかに日本側の文書が整理されていないかを痛感したためであろう。
 密約問題については、存在していた文書が、公開された場合の政治的な影響を懸念して破棄された可能性が指摘されている。証拠になる文書が存在しなければ、事実かどうかはわからないことになる。情報公開法ができた時に、懸念されたことである。つまり、情報を公開しなければならないのであれば、不都合な文書は作成しないか、破棄するということが起こるのではないか、ということである。
 この懸念を払拭する意味でつくられたのが、2009年に成立した公文書管理法である。国民に対する説明責任を果たすために必要な行政文書は作成し保存しなければならなくなったのである。年金記録のずさんな管理の問題などが、この法律の成立を後押しした。
文書の整理・保存ないと、事実が隠される
 意図的な文書の破棄を行うことは公文書管理法の成立によりできなくなったと言えるが、もう一つの問題は、文書が整理して保存されていないために事実が隠される、ということだろう。年金記録のようなずさんな管理が外交文書でなされているということはないと信じたいが、整理し保存するということに、どの程度労力が使われてきたのだろうか。
 アメリカの公文書館でリサーチした方ならわかるだろうが、アメリカにおける公的文書の保存と管理は実に整然としている。自国民のみならず他国からの人々に対しても公文書へのアクセスは日本に比べて遥かに容易である。
 外交文書も30年公開原則にしたがい、公開のスピードも早く、文書も圧倒的に多い。したがって、アメリカの外交文書に依存した研究も多くなるし、アメリカ外交への関心も高くなっている。
 現在、アメリカの相対的な影響力の低下とともに国際情勢は変動している。これからの外交を考える際に、過去において、交渉当事者はどのように国際状況、国内状況を認識して、どのように外交交渉を行ったのかという検証なくしては、新たな外交の地平を開くことも困難になるだろう。
 この点で、今回の有識者委員会の報告書の提言が、実効性のある行動に移されるか否かは、密約問題の検証と同等に日本の外交にとっては重要なことだと思う。

外交文書30年で公開徹底
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