住田紘一元死刑囚の裁判員裁判 「私たちはこうして救われた」殺害された加藤みささんの父、裕司さん

2019-05-08 | 死刑/重刑/生命犯

「我が事と思ってくれた」=裁判員裁判、被害者参加の遺族

2019年05月06日07時16分

 

 住田紘一元死刑囚の裁判員裁判を振り返る加藤裕司さん。遺族として被害者参加した=2018年12月9日、岡山市

 住田紘一元死刑囚=当時(34)=の裁判には、殺害された加藤みささん=同(27)=の父裕司さん(66)が被害者参加した。検察官のそばで審理を見届けた裕司さんは「裁判員は真剣に聞いていた。我が事のように思ってくれたと思う」と振り返る。
  岡山地裁での裁判員裁判。元死刑囚は殺害の事実関係を認めており、争点は量刑に絞られていた。「目的のためなら殺人も手段としてあり得る」。元死刑囚の独善的な主張を聞き、裕司さんは「裁判員は受け入れられないだろう。間違いなく死刑だ」と確信した。
  審理3日目、それまで平然としていた元死刑囚が突然泣きだした。「お父さん、ごめんなさい」。立ち上がって頭を下げられたが、「謝る相手が違う」と一喝。翌日の法廷で、裁判員に「昨日の涙にだまされてはいけない」と訴えた。
  極刑を言い渡す裁判長の声が響く。「裁判員は味方してくれた」。大事な娘を失った思いを直接伝えたことが、判決につながったと考えている。
  控訴取り下げで死刑が確定した後の13年末、裕司さんは元死刑囚に「面会したい」と手紙を書いた。娘の人柄を伝えることで「苦しんで、苦しんで、執行されてほしい」との思いがあった。だが返事はなく、元死刑囚のことを忘れようと努めた。3年以上が経過した17年7月、死刑が執行された。何の感慨もなかった。

 ◎上記事は[時事ドットコムニュース]からの転載・引用です


私たちはこうして救われた

公益社団法人被害者サポートセンターおかやま 加藤 裕司

 犯罪被害者の家族の思いをどう伝えるべきか悩みましたが、起きた事件、その時に私たちが何を感じていたのか、そして今何を思っているのか、ありのままに書き綴りました。

 平成23年9月30日(金)
  こんなことが起きるなんて‥‥まったく予感も予想も働かなかった。娘はいつも私と相前後して帰ってくるため、毎日習慣のように妻に、「みさくんは?」と尋ねることにしていた。「まだよ。今日はヨガ教室があるから遅いよ。」の返事に少しがっかりしながら着替えに寝室のある2階に上がったことを覚えている。
  その日は、仕事の関係で帰りが遅くなっていたのでとっくに娘は帰っているものと思っていた。まさか、この時すでに娘が住田紘一に殺されているなんて想像もできなかった。

10月1日(土)
  娘が何らかの事故か事件に巻き込まれたのじゃないかと思ったのは、土曜日の夕刻になっても帰ってこなかったからだ。どんなに帰りが遅くなっても、必ずメールか電話で返事をしてくる娘だったし、黙ったままで何の連絡もしないなんて考えられなかった。
  土曜日の夜7時過ぎに仕事から帰った私は妻と一緒に赤磐警察署に駆け込んだ。大の大人が行方不明だなんて後でバツの悪い話になるかも知れないという思いは少しあったが、それよりも異常事態の感覚の方が強かった。
  ふと携帯電話の履歴検索ができれば居場所がわかるのではないかと気づき、その場でKDDIに事情を話し検索のお願いをした。ところが、KDDIは本人でなければお応えできない、の一点張りで全くとりあわない。KDDIにかなりきつい罵声を浴びせていた私を警察署の方が気の毒に思ったらしく、本庁経由でKDDIに要請し電波の発生確認をしていただいた。結果としては、夕刻会社近辺から発信はあったものの、それ以降は途絶えたままということだった。
  その後、行方不明の捜索のお願いし自宅に戻った。しかし、依然消息の知れない娘のことを考えると居ても立ってもいられず、娘が車で通っていただろう道を追いながら、ひょっとするとコンビニに車が置きっばなしになっているかもしれないと思い、一軒一軒立ち止まりながら娘と娘の車を追っていった。とうとう会社の駐車場にまで到達したが、会社の契約駐車場があちこちにあるため特定できずにその日は帰った。一体何がどうなっているのか、さっばりわけがわからない。

10月2日(日)
  翌朝、岡山西警察署から、娘の車を会社の駐車場で発見したとの電話が入った。昨晩すでに岡山西警察は娘の車を調べに会社の駐車場まで来られたらしく、見つからなかったので改めて早朝調査し発見したとのことだった。
  駐車場に駆け付けた私は、警察の現場検証に立ち会ったが、どうやら金曜日の晩には娘はこの駐車場までたどり着いていないことがわかった。車の中に乱れは一切なく、ヨガ教室の道具も置かれたままだったからだ。妻にも現場に駆け付けてもらい、その後娘の車を西署で預かってもらうと同時に、事情聴収のために妻と一緒に西署に伺うことにした。
  あれこれと娘の性格や行動を刑事さんに話している最中に、突然一枚の写真(動画をプリントアウトしたもの)を見せられ、「ここに一人の男性と一緒に歩いている女性はお嬢さんですか?」と尋ねられた。見ると、鮮明ではないものの明らかに娘の「みさ」であることは認識できた。「隣の男性は彼氏ですか?」の問いに対し、「いえ、違います。誰だかわかりません。」と答えた。この男がカギを握っているに違いないことはその時点でわかったが、全く見当もつかない。
  その日は、警察の方々にお礼を言って帰宅した。一体だれなんだ、どういう素性の人間が「みさ」と一緒に歩いているんだ‥・・と私たちの不安はますます広がっていった。
  しかし、私たちが帰宅した後、会社から提供を受けたビデオは犯人らしき男が血を拭ったり、血痕を拭き取るためにモップやトイレットペーパーをもって往来している姿をとらえていた。その結果、翌日の月曜日には会社に出勤する社貞全員に照合し、被疑者の特定ができていたようである。
  私たちは家に帰り、一体どうなっているんだろう、娘を連れだした人物はだれなんだろう、いくつもの不安に対しても答えをだすこともできず悶々としてその夜を過ごした。

10月3日(月)
  すごく不安を抱えながらも家にいてもどうすることもできず、とりあえず仕事に行くことにした。しかし、仕事が手につかない。今頃「みさ」はどうしているんだろう、悪い奴に捕まってひどい目にあっていないだろうか、ご飯は食べているんだろうか‥ 。ひょっとしたら、悪い奴から逃げ出して野や山を血だらけになった裸足で駆け回っているんじゃないだろうか、お父さん助けてと叫び声をあげているんじゃないだろうか‥‥。
  そう思うともうだめだ。涙が次から次へと溢れ出し、止めることができない。今にも助けに行きたい、でもどこへ行っていいかわからない。何をすることもできないもどかしさ、己の無力さに腹が立ち、次いで情けなさが襲ってくる。仕事どころの話ではない。仕事場の上司にお願いをし、仕事を中断して家に帰らせてもらった。帰る電車の中でも、助けてやれない無念さで涙が止まらない。

10月4日(火)
  この日をどう過ごしたのかほとんど記憶にない。恐らく前日同様に半日で家に帰ったのではないだろうか。仕事を休んだかも知れない。確かこの日、DNA鑑定をしたいといことで警察の方が来訪されたと思う。会社の倉庫内から血痕らしきものを発見し、その血が「みさ」のものであるかどうかを鑑定したいとのことだった。大急ぎで鑑定に回すとのことだった。この日もよく眠れない。

10月5日(水)
  この日も出勤したが、やはり仕事にならない。出てくるのはため息と涙だけ。周囲に変に思われてはいけないので一生懸命に我慢し続けてきたが、お昼頃になって涙をこらえ切れなくなった。上司にお願いし、その日もお昼で帰らせてもらうことにした。
  何か自分にできることはないのか?そう考えながら、かつての部下で、霊能力の強い女性がいたことを思いだし、彼女に相談してみよう、何か手がかりが発見できるかもしれない。何年ぶりかわからないが、携帯電話の名簿から彼女の電話番号を探し出し、つながるかどうか不安だったがかけてみることにした。
  コールが二度ほど鳴っていきなり、「部長?お久しぶり。」の声だった。何かを知っていたかのような返事に少々驚いたが、簡単に事情を話し途中下車して会うことになった。せっかくだから、妻も呼んで一緒に話をさせてもらうことにした。
  妻が所持していた写真をしばらく見つめながら、彼女は不思議そうにこう言った。「おかしいなあ、普通だったらすぐに分かるんだけど、死者の場にもいないし、現世にもいない。」、「でも、お二人夫婦を見ていると悲しみのオーラは感じられない。多分、何か事情があって出てきにくいんじゃない?あまり騒ぎ立てず、いつもと同じ生活をしていた方がいいように思う。そのうち、照れくさそうに現れるんじゃないかしら?」
  結局、その予測は残念ながら当たっていなかったが、彼女が言ってくれた「騒がず当たり前の生活をしないさい。」の言葉で私たち夫婦はどれだけ救われたか。ここ何日も十分な睡眠も食事もとれず、もう少しこんな状態が続いたら夫婦のどちらかが倒れていたかもしれない。それが彼女の言葉に大いに勇気づけられたのだ。そうだ、いつもと同じでいいんだ。朝起きたら窓を開けて、いつものように部屋を片付け、掃除をし‥・・妻は妻でそう思い直し、もう一度仕切り直しをしようという気持ちになることができた。彼女は、後日予想が当たらなくて申し訳ないと詫びていたが、決してそんなことはない。むしろ感謝したいくらいだということを伝えた。

10月6日(木)
  この日は気分も爽快で、何か憑き物がとれたような軽い気持ちで仕事に向かうことができた。そして一日が終わり、いつも通りの時間に家に帰った。帰ると妻が「すぐ2階に上がって着替えて!8時過ぎに警察の方が来られるから。」と言うので慌てて着替え1階に降りてきた。
 ゆっくりする暇もなく警察の方が大勢見えられた。一体何だろうか、何か新しいことでも分かったのかくらいにしか思っていなかった。   沈痛な面持ちで大男が数名居間に入ったため、ところ狭しの状況で何か異様な気配は感じることができた。刑事課長さんが目線を下に落としたまま、「とても悲しいお知らせをしなくてはなりません・‥。」と言われた瞬間、「その先を聞きたくない!」という思いが一瞬走ったがそのまま聞くことになった。
  正確にはどうお話されたかは覚えていない。ただ記憶しているのは、娘が元同僚の住田に会社の倉庫に誘き出され、所持していた刃物で殺害され、遺体は住田の車で大阪に持ち帰られ、契約で借りた車庫の中でバラバラに解体され、ゴミとして捨てられ、ほんの一部の肉体しか残されていないという事実だった。
  その話を聞いた瞬間、何か頭の上から大きなもので押さえつけられ、息ができないくらいに胸が押しつぶされたような感じになった。妻のワーツと泣き崩れる姿を隣で感じた。キューッと喉を絞り上げられたような‥・声にならない鳴咽が涙とともに止まらなかった。誰にも声を掛けられない、声を発することもできない。ただ押し黙ったまま‥・無言のままの状態がいつまで続いていたかわからない。
  ふと正気に返り、このままではいけない、事実を伝えに来てくれた刑事さんたちに帰っていただかなくては、と気づき丁重にお礼を述べてお帰りいただいた。すぐに息子には電話で伝え後は、何か放心状態が続いていて2時間くらいは夫婦間でも話ができなかったように思う。
  なぜ?どうして娘がこんな目に遭わなければならないんだ、本当に現実の話なのか、人間違いではないのか・・・・・、夢じゃないのか・・・・そんな思いがその後ずいぶん長く続いたように思う。家族全員が今まで生きてきた中で、最も辛く深い悲しみ包まれた一日となった。

 事件が発生して1年4か月、ようやく裁判が始まることになった。 その間、担当の検事さんが人事異動で替り、事件を引き継いだ検事のもと住田の供述により新たな事実が発覚することとなった。住田は、娘をただ殺害したというだけでなく、最初から強姦目的で誘い出し、強姦した後は口封じのため殺害し、証拠を隠滅させるために遺体をバラバラにして捨てる計画だったことを知らされることになった。
  何の罪もない娘を己の欲を満たすためだけに強姦し、命だけは助けてと懇願する娘をあざ笑うかのように平然と殺害した。大阪に持ち帰った遺体を、首、手、足、胴体と順番にバラバラに解体し、肋骨は素手でポキン、ポキンと折って小さくしゴミステーションの他のゴミ袋に紛れ込ませ、削いだ肉片は大和川から投げ捨てたそうだ。
  それを検事さんから聞いたとき、もう絶対に許さない、たとえ神様や仏様が許すと言っても私たちは絶対に住田を許さない。何一つ悪いことをしていない娘に対し、どうしてそこまで酷いことができるのか、奴は人間ではない、犬畜生にも劣る悪鬼だ。  娘には結婚を約束した彼氏がいた。これから二人で力を合わせて頑張っていこうと決心した矢先の事件、さぞや悔しかっただろうな、彼氏に申し訳ないという思いでいっぱいだったろうな、もっと生きていたかっただろうな・・・・そんな無念さを思うと、涙がとめどもなく溢れてくる。二人の間に生まれてくるはずだった孫も私たち夫婦は抱き上げることもできない。住田は娘の命だけでなく、彼氏の将来も私たちの小さな幸せも未来も奪ってしまったのだ。

   今回の裁判員裁判では、私たち家族と彼氏は娘のために闘わなければならない裁判だと心に誓っていた。そして私は、娘のために闘う父親として恥ずかしくない振る舞いと準備をしなくてはいけないと思った。仕事は週3日だけにし、残りの4日間はすべて裁判に関する情報集めに充てることにした。裁判、判事、検事、弁護士、裁判員のそれぞれの役割、裁判員裁判の仕組み、過去の重篤な事件の第1審における判決および主文とその時担当していた裁判長(平成19年以降の)などあらゆるものを食欲に吸収しようと読み漁った。また、被告人が精神情状鑑定を二度もおこなった関係から、精神鑑定から精神情状鑑定、精神疾患、神経疾患に関する病名と症状についてもかなり調べることになった。尊敬できる精神科医の先生の著書に関しては、それぞれ5冊程度は読んだように思う。被害者側だけの話でなく、加害者と加害者家族のその後についてもドキュメンタリーなど知りうる範囲で読んだ。ただ被害者家族だからといってヒステリックに泣きわめくようなみっともない姿は娘に見せたくない、一体何が起きているのか、どんな不幸な結末になっているのか冷静に、平等な視点で見つめてみたいと思ったからだ。
   そして多くの被害者が泣かされてきた死刑判決を避けるための判断基準、俗にいう永山基準についてもじっくりと考えてみた。考えれば考えるほど、裁判長の自己保身の姿が浮き彫りになってくる。官僚主義といったヒエラルキーの社会が生み出した、一般市民の犠牲の上に成り立つご都合主義であることがよくわかる。裁判長はこうまでして死刑判決を避けたいのかと思うと情けなくなってくる。つまり、我々が必要以上に裁判官、裁判長を神格化しすぎてきた結果であり、じっくり観察してみると裁判長も人の子、その小心者の姿は論理の一貫性を欠き、誰が聞いても不可思議と思える主文に表れている。
  私たち被害者家族は、極めて優秀で正義感の強い検察官、良識のある裁判員の方々、永山基準に影響されなかった裁判官、裁判長のおかげで被告人に死刑判決を与えることができた。裁判員裁判制度が始まって平成25年5月21日でまる4年が経過したが、私たちが勝ち取った死刑判決は、裁判員裁判開始後16番目だった。殺人の数が1名での死刑判決は3番目。初犯で殺人が1名での死刑判決は裁判員裁判史上初めてのようである。しかも、死刑囚である住田が3月の終わりに自ら控訴を取り下げたため、判決後1か月余りで死刑が確定した。
  結果的に私は司法に絶望せずに済んだようだ。もし、無期懲役の判決が出ていたらどう思っただろうか。もし無期懲役の判決が出ていたならば、これ以上にどんなひどいことを重ねれば死刑になるというのか、これ以上のひどさとは一体何なのかを尋ねていただろう。裁判長に答えてもらいたいところだ。
   幸いなことに、私たちは多くの支援者に恵まれることができた。
  まずこの事件の最初に相談させていただいた赤磐警察署の署員の方々、赤磐署と見事に連携をとって最初から捜査に乗り出していただいた岡山西署の刑事さん、なかでも事件直後から毎日のように(多い日は三度も)自宅に来ていただいた担当の刑事さん、支援室の署員さん、最後の最後まで大和川に投げ捨てられた娘の遺体を2週間にわたって探し続けていただいた岡山県警本部の署員の方々には、いくら感謝しても感謝し足りない思いがある。あと一日捜査が遅れていたら娘の遺体は完全に捨てさられ、加害者を殺人罪で起訴することすら難しかったかもしれない。
   娘が働いていた会社の社員の方々にも感謝したい。まだ事件にもなっていない段階であるにもかかわらずビデオ提供していただいた娘の会社の課長さん(日曜日で休日出勤されていた、何という偶然と幸運なんだろう)と警察の捜査に協力いただいた会社の同僚、上司の皆様。
  犯罪被害者支援の会であるVSCO岡山のスタッフの皆様。被害者参加制度により被害者側にも国選弁護人がつけられるようになり、VSCO岡山の理事長でもある高原先生に弁護をお願いした。また、第1審判決後の賠償請求訴訟についても、引き受けていただくことになった。
   実際に裁判の経験もないことから、通常の裁判の仕組みから今回の裁判員裁判の有りようを詳細に説明いただき、私たちは直接表に出ることなく弁護士同士でやりとりを重ねていただいた。良い悪いの判断がはっきりしていてとても理解がしやすかった。何度も何度も打ち合わせを重ね、裁判に臨むにあたっては遣り残したことはなかったと思う。実際の公判中には予想外の出来事も発生したが、咄嵯の判断で検事や裁判長にかけあうなどまさに武闘派の弁護士さんだった。
  また、VSCOの女性スタッフにも多くの場面で助けられた。検事さんとの打ち合わせでは毎回私たち家族に付き添いをしていただいた。  空気のような存在で黒子に徹しておられ、いざ何かあったとしても何も困らない状況作りをしていただいたと思う。公判中の妻の意見陳述の際には、証言台に立つ妻と加害者の間にいすを置いて遮り、妻が無用な圧力を感じずに証言できるように取り計らっていただいた。非常に細かい部分ではあるが、やはり女性ならでは配慮が行き届いていたと感謝している。
   近所の方々にもお礼を述べたい。事件が起きてからは蜂の巣をつついたように、大勢のマスコミ関係者に我が家は取り巻かれていた。私たち家族が一切報道の前に出なかったことから、近所の方々が根掘り葉掘りして取材を受けたようだ。後で聞いた話であるが、「こんなことを聞いてきたから、当たり障りのないように答えておいたよ。」と後で困らないようにと気遣っていただいたようだ。
  マスコミの追及も予想をしたほどではなく、警察との協定をしっかりと守っていただき余計なストレスを感じることがなかった。マスコミの方々にとっては、取材し甲斐のない私たちであったかも知れないが、そのお陰で私たちは悲しみに包まれながらも平穏な生活が送れたと思っている。
  しばらくして、裁判員裁判が始まって4年が経過し、裁判員裁判の見直しの特集を組むということで、ある地方新聞紙の記者から取材を受け、そのときに「前例のない画期的な判決でしたね。」と言われた。本当にそうだろうか、否、これが当たり前の判決だ、やっと一般市民感覚の判決が下りただけだ。裁判を市民の手に近づけることができた第一歩に過ぎない。特殊な職業に従事する人たちだけの特別なゲーム・・・長いこと被害者家族たちを不本意な判決で苦しめ続けてきた・・・は終わりつつある兆候だと思いたい。
   加害者の死刑は確定したが、私たちは決してこの事実を手放しで喜んでいるわけではない。住田がいつ処刑されようとも、私たち被害者家族の悲しみが帳消しされるわけではない。娘が生き返ってくるはずもない。私たちは生ある限り悲しみの十字架を背負って生きていかなければならない。いくら望んでももう二度と会うことができないという悲しみと、親として娘を幸せにすることができなかったという辛さからどうやっても逃げることができない。
   また手放しで喜べないもう一つの理由として、裁判員裁判以前の判決で悔しい思いをされた被害者家族のみなさんが、法改正に向け血のにじむような地道な努力、運動を続け闘っていただいた結果、私たち被害者家族が救われたのだ。諸先輩の努力の恩恵を最大限に享受したのが私たち家族だったと思っている。私たちが勝ち取った結果を単なる事実として終わらせてはならない。
  これで終わりだとは決して思っていない。やるべきことはまだまだ残されている。私の本当の闘いはこれから始まる。多くの被害者家族の方達が築いてくれた道をさらに広げていくことが私に課せられた使命だと感じている。私たち家族と同じような思いをする人たちが一人でも少なくなることを願って、自分にできる最大限の努力を続けていきたいと思う。

 ◎上記事は[被害者サポートセンターおかやま(VSCOヴィスコ)]からの転載・引用です


 “最低でも死刑を”の声 加藤みささん殺害(住田紘一 故死刑囚) 犯罪被害者たちは何と戦ってきたのか㊤ 2018/6/3

岡山・元同僚女性殺害 住田紘一被告 疑問残し、幕引く  控訴取り下げ死刑確定 2013/3/28

◇ 死刑執行[2017/7/13]の住田紘一死刑囚「自分は生きているという罪悪感があります」 / 「娘は生き返らず喜びなどない」被害女性の父

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加藤みささんに対する強盗殺人・強姦・死体損壊・遺棄…住田紘一被告に死刑判決 2013/2/14 岡山地裁  

   

   女性の遺体の一部が遺棄された大和川の捜索を行う岡山県警=平成23年10月、大阪市住之江区(本社ヘリから) 


どんぐりと「いのち」 われらを養ってくれるいのち 2010/1/13 

    

〈来栖の独白〉
  1月11日、実家のお墓参りと掃除をした。夥しい落葉が重なっている。それらを掃き集める。枯葉とともにどんぐりも、いっぱい転がっている。
  どんぐりの形の可愛らしさに、つい一つを手に取ったとき不意にホームページに書いた一節を想い出した。私は次のように書いている。

 勝田は、書信にそれら悔いを綴ってきた。面会でも、繰り返し犯罪を口にした。悔やんだところで、罪を償うことはできない。よく判決理由として「命をもって償うしかない」と裁判所は言うが、死刑によっても罪は償えないのではないか、と私は思っている。原状回復できない限り、償いとは言えないのではないか。原状回復とは、喪われた命だけでなく時計(環境一切)をあの時刻に戻すことだ。犯罪が起きる前の次元に戻すことだ。それは人間には不可能だろう。人間には、せめて命で詫びる、それが精一杯ではないかと思う。

 「喪われた命」と、私は簡単に書いている。裁判所も、被害死者の数を判示する。勝田事件の場合、被害死者数は8名である。
  ところが、どんぐりを手にしたとき私はなぜか唐突に「8名ではない」と強く心に呟いた。勝田事件被害者のなかには、婚約中の女性がいた。彼女が事件に遭わず結婚していたなら、お子さんが生まれたのではないか。そして、その子は、また子どもを生んだかもしれない。そのように考えるなら、勝田の奪った命は8名どころではない。いにしえから連綿と続き、被害者に受け継がれた命、そして被害者から更に広がっていっただろう命を思うとき、勝田の奪った命は数字で表されるようなものではなかったろう。続いて来、さらに将来へ広がるはずの命の営みを、勝田は途絶えさせたのである。
  さらに考えるなら、一人のいのちは、人間以外のあまたのいのちによって養われてきたものである。
   五木寛之氏は『人間の運命』(東京書籍)のなかで次のように言う。

p171~
 真の親鸞思想の革命性は、 「善悪二分」の考え方を放棄したところにあった。 「善人」とか「悪人」とかいった二分論をつきぬけてしまっているのだ。
 彼の言う「悪人正機」の前提は、 「すべての人間が宿業として悪をかかえて生きている」という点にある。
 人間に善人、悪人などという区別はないのだ。
 すべて他の生命を犠牲にしてしか生きることができない、という、まずその単純な一点においても、すでに私たちは悪人であり、その自覚こそが生きる人間再生の第一歩である、と、彼は言っているのである。
 『蟹工船』と金子みすゞの視点
 人間、という言葉に、希望や、偉大さや、尊厳を感じる一方で、反対の愚かしさや、無恥や残酷さを感じないでいられないのも私たち人間のあり方だろう。
 どんなに心やさしく、どんなに愛とヒューマンな感情をそなえていても、私たちは地上の生物の一員である。
 『蟹工船』が話題になったとき、地獄のような労働の描写に慄然とした読者もいただろう。
 しかし、私は酷使される労働者よりも、大量に捕獲され、その場で加工され、母船でカンヅメにされる無数の蟹の悲惨な存在のほうに慄然とせざるをえなかった。
 最近、仏教関係の本には、金子みすゞの詩が引用されることが多い。
 なかでも、「港ではイワシの大漁を祝っているのに、海中ではイワシの仲間が仲間を弔っているだろう」という意味をうたった作品が、よく取り上げられる。
 金子みすゞのイマジネーションは、たしかにルネッサンス以来のヒューマニズムの歪みを鋭くついている。
 それにならっていえば、恐るべき労働者の地獄、資本による人間の非人間的な搾取にも目を奪われつつ、私たちは同時にそれが蟹工船という蟹大虐殺の人間悪に戦慄せざるをえないのだ。
 先日、新聞にフカヒレ漁業の話が紹介されていた。中華料理で珍重されるフカヒレだが、それを専門にとる漁船は、他の多くの魚が網にかかるとフカヒレだけを選んでほかの獲物を廃棄する。
 じつに捕獲した魚の90%がフカ(サメ)以外の魚で、それらはすべて遺棄されるというのだ。しかもフカのなかでも利用されるのはヒレだけであり、その他の部分は捨てられるのだそうだ。
 私たち人間は、地上における最も兇暴な食欲をもつ生物だ。1年間に地上で食用として殺される動物の数は、天文学的な数字だろう。  狂牛病や鳥インフルエンザ、豚インフルエンザなどがさわがれるたびに、「天罰」という古い言葉を思いださないわけにはいかない。
 私たち人間は、おそろしく強力な文明をつくりあげた。その力でもって地上のあらゆる生命を消費しながら生きている。
 人間は他の生命あるものを殺し、食う以外に生きるすべをもたない。
 私はこれを人間の大きな「宿業」のひとつと考える。人間が過去のつみ重ねてきた行為によってせおわされる運命のことだ。
 私たちは、この数十年間に、繰り返し異様な病気の出現におどろかされてきた。
 狂牛病しかり。鳥インフルエンザしかり。そして最近は豚インフルエンザで大騒ぎしている。
 これをこそ「宿業」と言わずして何と言うべきだろうか。そのうち蟹インフルエンザが登場しても少しもおかしくないのだ。
 大豆も、トウモロコシも、野菜も、すべてそのように大量に加工処理されて人間の命を支えているのである。
 生きているものは、すべてなんらかの形で他の生命を犠牲にして生きる。そのことを生命の循環と言ってしまえば、なんとなく口当たりがいい。
 それが自然の摂理なのだ、となんとなく納得できるような気がするからだ。
 しかし、生命の循環、などという表現を現実にあてはめてみると、実際には言葉につくせないほどの凄惨なドラマがある。
 砂漠やジャングルでの、動物の殺しあいにはじまって、ことごとくが目をおおわずにはいられない厳しいドラマにみちている。
 しかし私たちは、ふだんその生命の消費を、ほとんど苦痛には感じてはいない。
 以前は料理屋などで、さかんに「活け作り」「生け作り」などというメニューがもてはやされていた。
 コイやタイなどの魚を、生きてピクピク動いたままで刺身にして出す料理である。いまでも私たちは、鉄板焼きの店などで、生きたエビや、動くアワビなどの料理を楽しむ。
 よくよく考えてみると、生命というものの実感が、自分たち人間だけの世界で尊重され、他の生命などまったく無視されていることがわかる。
 しかし、生きるということは、そういうことなのだ、と居直るならば、われわれ人類は、すべて悪のなかに生きている、と言ってもいいだろう。
 命の尊重というのは、すべての生命が平等に重く感じられてこそなのだ。人間の命だけが、特別に尊いわけではあるまい。
 金子みすゞなら、海中では殺された蟹の家族が、とむらいをやっているとうたっただけだろう。
 現に私自身も、焼肉大好き人間である。人間に対しての悪も、数えきれないほどおかしてきた。
 しかし、人間の存在そのもの、われらのすべてが悪人なのだ、という反ヒューマニズムの自覚こそが、親鸞の求めたものではなかったか。

〈来栖の独白〉続き
  食糧となって人間を養ってくれる(人間に奪われる)いのちもあれば、薬品や化粧品等の実験に供されるいのちもある。それらのどれ一つとして、人間が創造したものは無い。人は、奪うだけだ。
 私は、深い畏れに囚われざるを得ない。「いのち」に対する深い畏れに囚われないわけにいかない。
 司法は、8名を殺害したとして死刑を選択する。髪の毛1本すら造れない人間の、人間らしい有限・物理的な決着・・・。足の竦む思いがする。
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