「独裁者」の肖像 小沢一郎「天皇観」の異様 『文藝春秋』 2010年2月号 中西輝政

2010-01-16 | 本/演劇…など

「独裁者」の肖像 小沢一郎「天皇観」の異様 小沢が突き進む「民主集中制」への道
 文藝春秋 2010年2月号 中西輝政(なかにし てるまさ)京都大学教授
 「天皇陛下のお体がすぐれない、体調がすぐれないというならば、それよりも優位性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか」
 「天皇陛下はご自身に聞いてみたら『それは手違いで遅れたかもしれないけれども遭いましょう』と、必ずそうおっしゃると思うよ。わかった?」
 「国事行為は内閣の助言と承認で行われるんだよ。天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて。それが日本国憲法の理念であり、本旨なんだ」
  2009年12月14日、民主党の小沢一郎幹事長が記者会見でこう言い放った。私はこの会見を聞き、この民主党政権は戦後日本が経験したことのない“危険領域”にいとも軽々と足を踏み入れた、という暗然たる思いを抱いた。
  天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見が、いわゆる「1ヵ月ルール」を無視して、首相官邸の強い要請で決定され、それに対して羽毛田信吾宮内庁長官が説明会見で「こういったことは二度とあってほしくない」と強い懸念と遺憾の意を述べた、という経緯は周知の通りである。この羽毛田発言に反発した小沢氏の、天皇陛下の意思を勝手に忖度し代弁するかのような口ぶりや、自分の考えに宮内庁も天皇陛下も黙って従うべきだといわんばかりの態度に、多くの国民は強い違和感を覚えた。宮内庁には1千件を超える電話やメールが寄せられ、そのほとんどが羽毛田長官を支持する声だったという。私に「小沢氏は平清盛なのでしょうか」というメールをくれた学生もいた。
  小沢幹事長のこの発言をめぐって、新聞などでは「“特例会見”は政治利用か否か」あるいは「1ヵ月ルールの是非」といった議論が盛んに行われたが、私に言わせれば、それらは議論のすり替えか、枝葉末節に過ぎない。この小沢発言は、日本が培ってきた民主主義や、国民と天皇との関係を全て否定に向かわせる決定的な不吉さを秘めている。
  そして、民主党政権は次々と“危険領域”の核心に踏み込む決定を行っている。ここでは、小沢氏、そして民主党政権が日本をどこへ導こうとしているのか、そしてそこにはいかなる危機が潜んでいるのかを見定めてみたい。
*日米同盟が終わった12月15日
 小沢会見の翌日、鳩山由紀夫首相は、日本の国家としての基本方針を一変する、きわめて重大な発表を行った。普天間移設問題について、「無期限先送り」の決定を下したのである。後世の歴史家は、この日を「日米同盟が事実上、終わりを迎えた日」として特筆することになるだろう。
  民主党政権発足以来、沖縄の普天間飛行場移設問題は紛糾を極めた。鳩山首相は11月13日の日米首脳会談でオバマ大統領に普天間移設問題の早期解決を約束して、「私を信じてほしい(Trust me)」とまで言った。しかし、その後も、鳩山内閣は日米で合意済みだった辺野古地区のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設計画を変更しようとして、何の解決策も見出せないまま迷走を続けていた。そして、12月15日の「無期限先送り」決定に至ったのである。
  問題解決の期限を設定しない、ということは、事実上、移転計画を白紙に戻したということであり、国際関係の常識から見れば、問題解決を放棄したというに等しい。鳩山首相はもう二度とオバマ大統領と会談することはできないだろう。「信頼」を全く覆した首脳と一体、何を相談できるのか、というのが外交の常識だ。
  国際政治の知識が不十分な人は、同盟とは両国の結んだ条約のことである、と誤解している。日米安全保障条約がある以上、日米同盟は揺るぐことはない、と考えている。しかし、同盟の本質とは、同盟国相互の信義、つまり心の状態に懸かっており、紙に記された文言などではない。
  歴史をひもとけば、両当事者の合意で円満に放棄された同盟関係などほとんどないことがわかる。同盟国のどちらかが同盟のルールに違反したり信頼を失って破棄されるか、自然消滅に至ることのほうが圧倒的に多い。同盟の内実は両国の関係に応じて、常に変転する。信頼を失えば、その内実が損なわれ、ときには人知れず消え去っていく。
  歴史上の例を挙げれば、日英同盟もそうだった。条約としての日英同盟の失効が決まったのは1921年のことだったが、イギリスはすでに第1次世界大戦の最中に、戦争が終わったら必ず日英同盟は見直す、と決意していた。第1次大戦において、苦境にあったイギリスが同盟国である日本に陸軍の派遣などの協力を要請したにもかかわらず、日本は「世論の反対」を理由に消極的な姿勢に終始した。イギリスは、親ドイツに傾斜し、アジアでの利権確保にしか関心を示さない日本は同盟国として全く信頼できない、と判断したのである。つまり、日英同盟は第一次大戦中に事実上、終わっていたのである。
  もちろん日米同盟も例外ではない。米国が鳩山政権に対する信頼を失っても、「日米安保条約」がただちに破棄されるわけではない。しかし、米国は今後、日本が必要とする重要な情報を提供しなくなるだろうし、軍事技術の供与や人的交流も止め、共同演習を中止する可能性もある。鳩山首相の「無期限先送り」発言は、こうした日米同盟消滅への道筋に、大きく一歩を踏み出したものだった。
  なぜなら、普天間移設問題の無期限先送りが発表されたのとほぼ同時に、小沢-鳩山民主党はもうひとつの「外交方針の大転換」を内外に高らかに宣言していたからである。
  12月14日、小沢幹事長率いる訪中団の団長を務めた山岡賢次国対委員長は、上海で開かれたシンポジウムで、「日米関係が基地問題で若干ぎくしゃくしているのは事実だ。そのためにもまず、日中関係を強固にし、正三角形が築けるよう米国の問題を解決していくのが現実的プロセスだと思っている」(「産経新聞」12月15日付け)
  この「日中米正三角形論」は「最高実力者」小沢幹事長の持論を代弁したもので、鳩山首相の「友愛」イメージとも相俟って、「日本はアメリカとも中国とも仲良くしていく」というだけのこと、としばしば誤解される。しかし、そんな誤解は日本国内でしか成立しない。
  「日中米正三角形論」の正体とは何か。それは、日米同盟から日中同盟へのシフト・チェンジである。言うまでもなく、アメリカは日本の同盟国であり、中国はそうではない。これを「正三角形」、すなわち等距離に置くということは、日米同盟を破棄するか、新たに日中同盟を結ぶことを意味する。普天間移設問題とこの発言とを合わせるならば、「日本は同盟のパートナーをアメリカから中国に乗り替える」というメッセージ以外の何物でもない。
  さらに、山岡氏は同じ演説で、この正三角形論は、「小沢幹事長と胡錦濤国家主席との会談でも確認された」と述べている。これは驚くべき発言である。首相でも、外務大臣でもない与党幹部が、中国の最高責任者との間で、日本の根本的な外交方針について「確認」を行っているのだ。
  同盟関係の見直し、これは単なる「政策転換」ではない。日本国の運命にかかわる致命的な「国策転換」である。
  これほど重大な「国策転換」が、国民に対する説明もなく、民意の汲み上げもなく、易々と行われる。これが、今の民主党政権の危うさである。この軽さと危うさが重大な国難を招く可能性は高い、と言わざるを得ない。
  今、国民が気づきつつあるのは、こうした「国策転換」の要に、外交に関する権限など何も有していない小沢氏が位置していることの不気味さであり、しかも、小沢氏自身が自らの「越権行為」をごく当然のこととして振舞い、誰も異議を唱えないことの奇怪さだ。
  そして、自らの権限を無制限に広げていくかのような小沢氏の危うさが国民の目にはっきりと露呈したのが、冒頭で触れた天皇陛下まで動かした特例会見問題だった。
*なぜ中国は天皇との会見にこだわったのか
 山岡国対委員長が小沢幹事長を代弁する形で、「日中米正三角形論」をぶち上げた翌日、鳩山首相が普天間移設問題を無期限先送りし、日米同盟から日中同盟へのシフト・チェンジを宣言した。その12月15日に、天皇陛下と習中国国家副主席との“特例会見”が行われている。この符号は偶然ではない。
  まず、“特例会見”が決定されるまでの経緯を、新聞報道からたどってみる。
  中国から日本の外務省に、天皇陛下に習国家副主席が会見したい、という正式申請があったのが、11月26日。外務省が宮内庁に打診したところ、翌27日には、宮内庁は「1ヵ月ルール」に則って「応じかねる」と外務省に返答している。そして30日には、外務省が中国側に正式に「会見は無理」と伝えた。
  ここまでは通常の外交的なやりとりに過ぎない。しかし、中国は猛烈な巻き返しに打って出た。さまざまなルートで、再三、会見を要請。12月7日には鳩山首相が平野博文官房長官に「何とかできないか。非常に重要なんだけど」と指示したが、これを羽毛田宮内庁長官は再度断っている。そして9日、日本政府は中国側に「陛下のご健康がすぐれず、会見に応じるのは難しい」と伝えると、崔天凱駐日中国大使は小沢幹事長に国会内で懇願。小沢幹事長が平野官房長官に電話し、「しっかりやってほしい」と伝えた(小沢氏は一切の働きかけを否定)。
  そして、10日、平野官房長官から電話で、「首相の指示」と伝えられた羽毛田長官がついに屈服させられたのである。この日、小沢幹事長は、640人の訪中団を率いて中国に旅立ち、胡錦濤国家主席との会談を行った。
  この経緯を見ていると二つの疑問が湧いてくる。
  第一はなぜ、中国はそれほどまでして、習国家副主席と天皇陛下の会見を実現させたかったのか。羽毛田宮内庁長官は、12月7日に平野官房長官から要請された際には、日中関係の政治的重要性に加えて、「中国が天皇陛下との会見を強く望んでいる」と強調されたという。
  そして、第二は日本はなぜ中国の執拗かつルールを逸脱した要請を承諾してしまったのか。私の考えでは、今回の天皇陛下特例会見での、民主党政権の最大の過誤--国運を傾かせるほどの--は、ここにある。
  新聞各紙は、1998年に胡錦濤が国家副主席として訪日した際に天皇陛下と会見しているので、それと同等の扱いを求めている、とか、習国家副主席は胡錦濤の後を襲って次期国家主席になると目されているので、箔をつけたいからだ、と分析していた。しかし、中国外交とはそんな甘ちょろいものではない。「天皇陛下に会って、箔をつける」などという発想は日本にはあっても、中国にはない。
  そもそも、胡錦濤にとって習近平は望ましい後継者なのだろうか。次期国家主席として習を推しているのは江沢民につながるグループであり、胡錦濤に近いのは同じ共産主義青年団出身の李克強であることは、よく知られている。今回、中国がまさに政府一丸となって天皇会見を実現しようとしたのは、そうした個人的な関係などではなく、中国の国家戦略そのものから発していると見なければならない。
  相手国の嫌がることを無理強いして、上下関係を築くのは、中国外交の常套手段である。中国が強い圧力をかけて、「天皇への会見を無理強いさせる」という日本が最も忌避していることを実現させること。そして、国際社会に「日本はどんなことでも中国の言うことを聞く」とアピールすることこそ、中国の真の目的だった、と私は考える。
  天皇陛下との会見に中国が執着したもうひとつの理由は、天皇陛下が日本国民にとってどれほど重い価値をもつかを、中国は知っているからだ。
  かつて、この天皇の持つ重みに気がつき、利用しようとしたのがマッカーサーだった。第二次世界大戦後の日本占領を始めるに際し、マッカーサーはなぜ昭和天皇を呼びつけ、一緒に並んであの写真を撮らせたのか。それは日本国民に新たな為政者が誰であるかを示し、全ての日本人にマッカーサーへの信服を促すためだった。
  ここで、第二の疑問が生じてくる。つまり、なぜ民主党政権は中国の要請を受け入れたのか。
  陛下の体調に配慮するための「1ヵ月ルール」もあり、習国家副主席は国家元首でもない。天皇陛下との会見を断っても、外交儀礼上、何ら礼を失することにはならなかったはずだ。それでも、民主党政権が中国の意向にきわめて忠実に対応したのは、やはり「日米同盟から日中同盟へ」というシフト・チェンジを「最高実力者」の小沢幹事長が真剣に実現しようとしている証であろう。小沢幹事長は中国のこの無茶な要請に応えることが日中同盟を強固にし、自らが考える「日本の国益」にかなうと考えたはずだ。
  だから、今回の“特例会見”の最大の問題は「政治利用であったか否か」ではない。「政治」をどう定義するかによって、「政治利用」の意味はまったく変わってしまうので、私はその議論に参加するつもりはない。今回の“特例会見”の最大の問題はもっと個別具体的であり、数段、罪の重いものである。
  すなわち、政権与党の「最大実力者」小沢幹事長が、日本の根幹に関わる国策を国民の知らない間に転換し、その新しい国策のため、「日本は中国からの理不尽な要求に進んで従う」という日本屈服の劇(ドラマ)に、天皇陛下を利用したことこそが問われているのである。
  もし、このまま日米同盟を「対米従属」だと批判し、東アジア共同体構想をぶち上げ、「日中米正三角形論」を唱える小沢-鳩山政権が続けば、日本はどんな国に作り変えられてしまうのだろうか。
  テレビに映る天皇陛下と習国家副主席の会見を見ながら、私は暗い想像にとらわれた。米国元首たるオバマ大統領は天皇陛下に会ったとき、深々とお辞儀をした。しかし、元首でもない習国家副主席は、天皇陛下に頭一つ下げることはなかった。基本的な国際儀礼さえ共有していないような国への従属を強いられ、中国の一衛星国の立場に甘んじること。それが、“特例会見”を見ながら、私の頭に去来した日本の将来である。
  私自身、長年にわたり一貫して「対米従属構造からの脱却」を唱えてきたし、今もその考えは変わらない。しかし、そのためには準備と時間が必要だ。「対米従属」からの脱却は、アメリカと敵対関係になることではない。防衛体制を整え、独自の資源政策を築き、そして憲法改正を避けて通るわけにはいかない。今の民主党政権は、そうした備えを何もせずに、隣には北朝鮮という核武装国家まで存在する環境で、自らは裸のまま、靴でも履き替えるように保護者(パトロン)を米国から中国へ乗り替える綱渡りをしようとしているのである。その帰結はおよそ「独立した主体性を持った」国家とはますますかけ離れた場所に日本を追いやるだけだろう。つまり、小沢-鳩山政権の外交・安全保障政策は結局のところ、「対米従属」から脱却するために「対中従属」を選ぼうとしているにすぎないのだ。
*小沢氏の歪んだ「民主主義」
 なにゆえ、首相でもなく内閣の一員でもない、政権与党の幹事長にすぎない小沢一郎氏が国益に反するような会見に、無理を通して天皇陛下に出ていただく、という暴挙に躊躇なく出られるのか。あるいは日本の外交・安全保障政策を全く国民の信を問わないまま、ほとんど独断で易々と転換してしまえるのはなぜか。
  その答えを単に小沢幹事長の傲慢な性格や権勢欲に帰してしまっては本質を見誤るだろう。なぜなら、小沢幹事長は常に「民主主義」の名の下に、自ら民意の体現者としてあのような発言と行動に出ているからだ。
  その思考法が如実に現れたのが、冒頭にも引用した12月14日の記者会見だ。その発言を細かく読んでみると小沢氏の民主主義観、天皇観が浮かび上がってくる。
  まず、冒頭にも引いたように、天皇陛下の「国事行為」について小沢氏はこう語っている。「国事行為は内閣の助言と承認で行われるんだよ。天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて。それが日本国憲法の理念であり、本旨なんだ」
  まず、ここには天皇陛下の「国事行為」についての認識の誤りがある。「国事行為」は内閣の助言と承認」を必要とする天皇陛下の形式的、儀礼的行為を指し、憲法7条に定められている。たとえば、国会の召集、外国の大使及び公使の接受などである。
  12月15日の習国家副主席との会見のような外国の要人との会見は、「国事行為」にはあたらない。それは単に「公的行為」として、内閣が責任を持つが、内閣の助言と承認が必要とされるわけではない。かつては改憲論者として知られた小沢氏が、この程度の憲法知識しか持ち合わせていないことは、まことに意外だった。
  しかし、こうした間違いは、ある意味では、瑣末なものだともいえる。小沢氏はもっと甚だしい認識の歪みを、今回の会見で述べているからである。
  それは「天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて」の一語にあらわれている。ここからは、天皇の行為のすべてを「国民が選んだ内閣」の下で制御したい、すべきだ、という小沢幹事長の願望を読み取ることができる。もちろん、そんな権限を内閣は有していない。さらに小沢氏は後の記者会見で同様の考えを強調し、「天皇陛下には全くのプライベートはないに等しい」と述べた。
  小沢氏はなぜ、そのような“越権”を軽々と、しかも自信たっぷりに口にできるのか。
  その答えは、「国民が選んだ内閣」という小沢幹事長の表現に隠されている。国民が選挙で民主党を選んだ。だから、与党である民主党と内閣は国民から全権を与えられている。故に何をしてもいい、というのが、小沢幹事長の民主主義の論理らしい。もう一つの発言を見てみよう。
 「(宮内庁は)内閣の一部局じゃないですか、政府の。一部局の一役人が、内閣の方針、決定したことについてどうだこうだというのは、日本国憲法の精神、理念を理解していない、民主主義を理解していないと同時に、もしどうしても反対なら、辞表を提出した後に言うべきだ。当たり前でしょ、役人なんだもん。どうでしょう?」 
  ここでも「国民が選んだ内閣」の絶対性が表明されている。そして、この“内閣の絶対性”への信仰は、行政の様々な分野の権能を司る官僚への過度の軽侮と表裏一体だ。宮内庁の人事権を行使する立場にないにもかかわらず、羽毛田宮内庁長官に辞めろ、と言えるのはこのような小沢流の「民主主義」の論理に基づいた官僚への誤った軽侮の意識があるからだろう。
  私が懸念するのは、小沢氏や現内閣の首脳たちの頭のなかでは、国民の「象徴」であるはずの天皇陛下を「官」の一部として位置付けているのではないか、ということだ。だから「内閣の助言と承認」という政治主導は、天皇に対しても貫徹される、と考える。そうえでなければ、12月12日に小沢幹事長が訪韓した際に、天皇陛下の訪韓を約束するかのような発言ができるはずはない。しかも、小沢氏は「官」=行政を司る「内閣」の一員ですらないのだ。
  こうした小沢氏の論理を突き詰めていくと、天皇ですら「国民が選んだ内閣」に従うのだから当然、一般の国民も内閣の決定に従うべきだ、という結論に至るだろう。そこには同盟関係の組み替えも、マニフェストの唐突な撤回も、全てが含まれる。それに異を唱えるものには、「民主主義を理解していない」と恫喝する。あの異様な小沢会見から日本国民が感じた、得体の知れない不快感、違和感、恐怖感の源泉はここにあるのではないか。
*民主党は「民主集中制」か
 これまで近代日本が学び、定着させてきた「民主主義」は、小沢氏が口にする「民主主義」や「日本国憲法の精神」とは、およそ似てもにつかないものであった。選挙で勝った政党といえども全権が付与されたとは考えない。議会は民意とのズレを常に意識するが故に、様々な手段で民意を汲み取り、野党の意見にも耳を傾け、多少とも重要な国策変更については国民の信を問う。それが「自由主義的民主主義」であり、バリエーションの差こそあれ、英米をはじめとする先進諸国で標準とされてきた政治制度だといえる。
  これに対して、小沢氏の「民主主義」観は、ジャン・ジャック・ルソーの「一般意志」やギロチンによる粛清の嵐に至ったフランス革命、そして20世紀はむしろレーニン、トロッキー、スターリンの系譜に属する「全体主義的民主主義」や戦後左翼の「民主集中制」に近い。その建前は、国民は支持する政党を選ぶことはできるが、一旦選挙で選んだら、その政権党に全権を委任しなければならない。そして政権党は、党内で選んだ中央委員会にやはり全権をあずけ、最終的には中央委員会が選んだ一人の代表が独裁的な権限を行使するのである。
  民主党が8月30日の選挙で政権をとったとき、ある民主党員は「これは無血革命だ」と叫んだ。「なにを大げさな」と思ったが、恐らくそれが正しかったのだ。日本国憲法や民主主義についてまったく異なる理解をしている党が政権についてしまった。だから、これは政権交代というよりも「革命政府の誕生だ」といったほうがいいのである。そして今、日本国民の多数の票を得て、政権交代を果たした民主党は「国民から全権を付与された革命政府」となって、国の根幹をなす外交・安全保障政策や象徴天皇制を大きく変えつつある。しかし、民主党に投票した有権者のうちどれだけが今、起りつつなることを認識していただろうか。「そこまでの全権を付与した覚えはない」というのが国民の大多数、つまり今の「民意」だと知るべきだ。
*歯止めのかからない小沢独裁の恐怖
 「選挙に勝ったのだから、民主党が作った内閣には全権が付与されている。ひいては民主党の『最高実力者』である私には国民から全権が付与されている。ゆえに私の考えは国民の声である」
  そのような小沢流「民主主義」は、いまや外交・安全保障政策だけででなく、民主党政権が行う政治の隅々にまで浸透しつつある。
  天皇陛下の“特例会見”が行われた翌日の12月16日、小沢幹事長によって、2010年度予算への驚くべき「要望」が出された。これは小沢幹事長に一元化された陳情を予算に反映するために出されたものだったが、民主党が選挙であれほど呼号したマニフェストを、これまたあっさりと撤回する内容だった。その内容もさることながら、注目すべきは小沢氏が「党というよりは全国民からの要望なので、可能な限り予算に反映してほしい」と鳩山首相に言い、鳩山首相もしきりち「全国民の声」を強調していることだ。しかし、それは本当に「全国民の声」といえるのだろうか。報道によると、「子ども手当」の所得制限、ガソリン暫定税率廃止にかえて、「現在の租税水準を維持する」といった主要な要望については、実際には誰からの陳情も受けていなかったという。となると、小沢幹事長のいう「全国民」とは、選挙に勝った自分自身を指しているとしか考えようがない。
  こうした小沢氏の考えは、政権交代以降、着々と進めてきた民主党のシステム変更にもあらわれている。ことに注目すべきは、「陳情の一元化」と「議員立法の禁止」だ。「陳情」とは民主主義の最も古い権利のひとつである。自分の要望を行政や立法の担当者の誰に対してもいつでも伝えられるという請願権は国民の基本的権利だ。それを制限するのは明白な国民の権利侵害である。
  民主党議員に対し「議員立法の禁止」を課したのも、民主主義の自殺というべきだ。小沢氏が手本として掲げるイギリス議会では法案のほとんどを議員が作っている。今の民主党の体制はイギリス議会よりも、むしろ中南海に近い。
  そして今、もっとも恐ろしいことは、こうして小沢氏が「民主主義」を乱発しながら独裁的な権力を行使する仕組みを作り上げていることに対して、まったく歯止めがかかっていないことだ。かつて自民党が政権を担っていたときにも、全ての権力を掌握しようとするワンマン政治家は存在した。しかし、彼らに過度の権力が集中するとき、野党やマスコミは激しく批判し、党内からも、異を唱える声が必ずあがった。ところが、今の民主党政権に対しては、外からも内からもそうした声がほとんど上がっていない。
  新聞やテレビも、すぐに議論をあらぬ方向にはずしてしまう。たとえば、特例会見について、「1ヵ月ルール」の是非や官僚としての宮内庁批判といった本質とは無縁の議論が紙面を占める。「要望」に関しても、もともと財源がないのだから小沢氏は鳩山首相に「助け船」を出したのだ、といった方向になぜか話がズレていく。野党である自民党があまりにも弱体化していることも大きいのだろう。民主党政権を攻撃しても、別の選択肢がない、という深刻な手詰まり感も、メディアを萎縮させているのかもしれない。
  私が最も問題だと感じるのは、とりわけ与党である民主党から、小沢幹事長の手法に対する批判がまったく聞こえてこないことだ。かつて小沢氏が民主党代表だったとき、当時の福田康夫首相と大連立構想を打ち上げたのを党内の反対で潰したことがあったが、あの民主党と同じ政党とはとてもおもえない。野田佳彦、松原仁といった民主党の論客たちはなぜ沈黙を守っているのか。小沢幹事長に叛旗を翻したときによっぽど怖い、“制裁”が待っているのか。
  この「党内民主主義」の欠如こそ、小沢体制の底知れぬ暗さを感じさせる。党内での沈黙は官僚たちも含めた政府の「異論封じ込め」に拡がり、その輪を言論人にまで広げていく危険性がある。もの言えば唇寒し、という状況は民主主義にとって最悪の状況だ。
  しかし、いまや多くの国民が、小沢-鳩山政権が、これまでの民主主義とは異質の要素を持っていること、それがこの国の行方を危うくしつつあることに、気づき始めた。その最大の契機が、天皇陛下の“特例会見”であったことは、日本という国を考える上で、大いに示唆に富んでいるといえよう。日本の歴史を顧みたとき、平清盛にせよ、足利義満にせよ、権力者が皇室をないがしろにしたときには、歴史の“警報ベル”が鳴る。今回の小沢氏の記者会見における天皇陛下についての言葉は国民に大いなる違和感を呼び覚まし、民主主義への危機感を呼び覚ました。
  小沢幹事長は「選挙で勝ったのだから私が正しい」というかもしれないが、それは「ヒトラーだって選挙で勝った」という一言で片付けられるのである。民主主義とはシステムや紙や法律に宿るものではなく、国民一人一人の心に宿ることで機能していくものだ。そのことを決して忘れてはならない、という警鐘が12月15日に鳴ったのだと私は信じたい。
 (2010/1/15~22 up 来栖)


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