危機感の発信がカタカナになる日本語の不思議
冷泉彰彦 2020年03月26日(木)19時10分
<同じ言葉でも平仮名、片仮名、漢字の表記にはそれぞれニュアンスの違いがある>
河野太郎防衛相が、3月21日にツイートした内容が話題になりました。
クラスター 集団感染
オーバーシュート 感染爆発
ロックダウン 都市封鎖
ではダメなのか。なんでカタカナ?
正論ではあります。耳慣れないカタカナ言葉に違和感を覚える人は多いし、そもそも意味がすぐに通じないこともあるからです。
ですが、これには理由があります。こうした社会的な危機に際して、どうして危機感の発信がカタカナ語になるのか、それも目新しい言葉を使う傾向があるのかというと、日本語の特質が背景にあるからです。
まず、日本語は語彙が豊富です。平仮名や漢字の訓読みで表現されることが多い「やまと言葉」、そして中国由来の「漢語」、さらにはその他の各国から流入した「外来語」など、ルーツの異なる語彙が混在しているからです。
だったら整理してしまえばいいのですが、豊富な語彙というのは、同義語・類語ではあっても、そこには豊かなニュアンスが絡みついており、文脈に適切な語彙というのは、限られてしまう傾向があります。例えば、「おばけ、妖怪、ゴースト」はどれも意味としては同じですが、文脈によって選択が決まってきます。そうなると、この3つの語彙にはそれぞれ役割があって、一本化はできないということになります。
また、語彙に豊かなニュアンスが付加されるのは、同時に応用が効かない、つまり語義が狭く特定されてしまう傾向を意味します。また、目新しい語彙を使用して表現に強さを与えたつもりでも、その表現が行き渡ると陳腐化して意味が薄まってしまうということもあります。
そんななかで、「集団感染」という言葉をもってくると、どうしても「インフルの」という狭い意味、そして「社会的に共存できる季節性インフル」のような良くない意味での安心感を醸し出す可能性もあります。何よりもクラスターは、原義が「果物の房」を意味しますから連鎖して繋がっている関係性という意味も含むし、クラスターという言葉には感染を一対多で広める概念図を思い起こさせるという点もあります。
例えば「パンデミック」という言葉も、「大規模感染」としてしまうと、「市内の全校が学級閉鎖」程度のスケール感しか表現できません。そうなると、どうしても外来の専門用語を使わざるを得ないということになります。
また「ロックダウン」については、確かに「都市封鎖」で間違いはないのだと思いますが、江戸時代以来「お上の暴虐から庶民は自衛すべき」というカルチャーが残っている東京の「江戸っ子」に対しては、「都市封鎖」という「コワモテ」の表現よりも、欧米で一般的な「ロックダウン」という言い方をした方が、結果的に整然とした秩序が保てるという計算もあったかもしれません。だとしたら、これも実務上、仕方のない判断だと思います。
河野防衛相が挙げていた中では、「オーバーシュート」という言葉は、少々異質です。英語では別に感染症の大規模感染という意味はなく、数値を追っていくうちに異常値として、それまでのグラフの傾向から飛び出すような異常な増加を示すという、もっと一般的な言葉です。
ですが、専門家会議の尾身茂博士は、その緊急性、深刻さを表現するためにある種「劇画的」とも言える「感染爆発」の代わりに、カタカナ言葉としては「新語」とも言えるこの「オーバーシュート」を使ったのだと思います。そうしなくてはならないほど、切迫したメッセージということです。
そんなわけで、こうしたカタカナ語を使った注意喚起というのは、メッセージの緊急性を伝えるためには、日本語の特質をふまえると、一種の必要悪として仕方のない選択のように思われます。
一方で、25日に東京都の小池知事が会見で使用した「感染爆発、重大局面」という表現は修正の余地がありそうです。このパネルを使って発信されたメッセージというのは「このまま事態が悪化して行くと、感染爆発になるかもしれない、だから今はその岐路に立っているという重大な局面だ」という意味だと思います。
ですが、何でもビジュアル化しないとメッセージが伝わらないという方法論から、大きな緑色の字で「感染爆発、重大局面」と出してしまうと、切迫感というより、言葉のインフレ感が強くなって、メッセージは反対に弱くなってしまうし、万が一、次にもっと強いメッセージを出す際の言葉の選択を縛ってしまうようにも思います。
日本語の特質をふまえて効果のあるメッセージを出していくのは、非常に難しい判断になります。感染症や行政の専門家だけでなく、社会言語学などの専門知識も動員して、適切に判断して進めてもらいたいと思います。そして、どんなときでも「もしかしたら誤解を招くかもしれない」と思ったら、言い換えや説明を丁寧に行うことが必要でしょう。
<プロフィール>
冷泉彰彦(れいぜい あきひこ)
ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。
最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。
◎上記事は[NewsweekJapan]からの転載・引用です
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〈来栖の独白〉
同感。ところで別のことだが、「濃厚接触」という言葉への違和感。私には、いまだに拭えない。
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* オーバーシュート(爆発的患者急増)、ロックダウン(都市封鎖)、クラスター(感染者の集団)…言葉遣いも重みを増している日本の危機 2020/3/27
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クラスターは一人の感染者から周囲に伝染した一塊の集団(過去からの経緯をも表す名詞)を意味する名詞ですが、集団感染としてしまうと状態しか表していない。オーバーシュートは増加の程度を示す形容の表現で、感染爆発は結果を表しているに過ぎない。ロックダウンはロックするという動詞として使うべき言葉と思います。四文字熟語にすると全て「横から眺めた他人事」を表現した名詞に見えてしまいますよね。
コメント、ありがとうございます。
>「横から眺めた他人事」を表現した名詞に見えてしまいますよね。
確かに!