東京・秋葉原殺傷 事件10年 動機求め何度も手紙
毎日新聞2018年6月8日 東京朝刊
東京・秋葉原で17人が死傷した無差別殺傷事件は、8日で発生から10年を迎える。殺人罪などで死刑判決が確定した加藤智大死刑囚(35)は動機について「ネットでのトラブルだった」と公判で語ったが、脇腹を刺され生死の境をさまよった元タクシー運転手の湯浅洋さん(64)のわだかまりは消えない。「あれは本心だったのでしょうか」。湯浅さんは加藤死刑囚に手紙を書き続けている。
2008年6月8日。日曜日の歩行者天国、午後0時33分--。タクシーを運転していた時、人混みに2トントラックが突っ込むのを見た。とっさに車を降り、はねられた人に駆け寄った途端、背中に衝撃を感じた。抱きかかえられるようにして脇腹を刺され、路上を転げ回ったところで記憶は途切れる。意識が戻ったのは4日後だった。
「事件直前に『派遣切り』を告げられたことで、社会を恨んだのではないか」。こうした動機が取りざたされた。だが加藤死刑囚はこれをかたくなに否定した。公判で「ネットの掲示板で嫌がらせする人に、やめてほしいと伝えるための手段だった」と主張し続けた。
「ネットでのトラブルだけで、全く無関係な多くの人を殺傷できるのか」。湯浅さんは加藤死刑囚の言葉に納得することはできなかった。事件の1年半後に届いた謝罪文の手紙に返信を書いた。「なぜこんなに重大な事件を実行してしまったのか。一緒に考えたいと思います」。1年以上たってから2通目が届いたが、答えは書かれていなかった。拘置所にいる加藤死刑囚に4度面会を求めたが拒まれた。
後遺症は残る。冷や汗やめまい。急に目の前が見えなくなることもあった。2年前に運転手を辞め、知人のつてで島根県浜田市で働く。加藤死刑囚と同年代の息子たちとは離れて暮らす。
昨年5月、車で1400キロを走り青森市に向かった。加藤死刑囚が生まれ育った街に行けば、事件のことが少しは分かるかもしれないと思った。帰宅後に7通目の手紙を書いた。「見せてもらえませんか。加藤智大の今を、心を」
最近、ツイッターで多くの人と事件について議論したいと考えている。「いろんな意見を聞きたい。それに若い人に事件のことを知ってもらえれば、同じ事件を防げるんじゃないかなって」。生き残った被害者にとって、10年の節目も通過点に過ぎない。湯浅さんは3通目の手紙を待ち続けている。【土江洋範】
■ことば
秋葉原無差別殺傷事件
2008年6月8日午後0時33分ごろ、東京都千代田区外神田の歩行者天国で、加藤智大死刑囚がトラックで歩行者を次々とはねた後、ダガーナイフで無差別に切りつけた。男女7人が死亡し、10人が重軽傷を負った。加藤死刑囚は殺人罪などで1、2審で死刑判決を受け、15年2月に上告が棄却されて刑が確定した。
◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
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◇ 秋葉原連続殺傷事件から9年 死刑囚に問う「見せてもらえませんか。加藤智大の今を、心を」2017/6/8
◇ 秋葉原無差別殺傷事件 2015/2/2 上告棄却 加藤智大被告の父親 事件後、職を失い家族も離散
◇ 「秋葉原通り魔事件」そして犯人(加藤智大被告)の弟は自殺した 『週刊現代』2014年4月26日号 齋藤剛記者