〔小沢氏出馬〕冷静を欠くメディアと踊らされる国民/「政治とカネ」で批判するのは政策不在の証拠

2010-08-27 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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政治生命をかけた小沢の決断
新恭 提供:永田町異聞 2010年08月26日10時21分
 小沢一郎氏が民主党代表選に出るようだ。党内がまとまらず、ものごとが決まらない現下の政治状況では仕方がないかもしれない。
 そもそもこのままでは、小沢氏を信奉する議員たちの鬱積する不満を抑えきれないだろう。
 菅首相と仙谷官房長官は、いったん掲げた「脱小沢」の旗をいまさら降ろせなくなってしまっている。降ろせば、気骨のなさを批判され、ますます評判が落ちる。
 小沢氏としても、菅首相の「脱小沢」路線が変わらない以上、中途半端なかたちで握手をするわけにはいかない。
 鳩山由紀夫前首相のグループ内にも、鳩山が進めようとした「脱官僚依存」を早々に店じまいしたかのような菅政権への苛立ちがつのっている。
 小沢は「政治とカネ」問題に再び火がつくのを承知のうえで、決戦にのぞまざるをえない心境に至ったということになる。
 鳩山氏は、菅と小沢の間をとりもつというより、むしろ、挙党態勢をつくるには、二人が戦うしかないと腹をくくっていたはずだ。与党であるかぎり、戦いの果てに党が分裂することは、まずありえない。
 軽井沢での集まりに、小沢氏が姿を見せたときに、決戦への流れははっきりしていた。
 ここまで書き進めたところで、小沢立候補のニュースが飛び込んできた。鳩山氏の全面支援をとりつけたという趣旨の話を、小沢氏が記者団にしている。
 鳩山氏は「私の一存で小沢先生に民主党に入ってもらった経緯からして、応援するのが大義だ」と語る。
 鳩山氏の思いは分からぬでもない。自らが掲げた理念は、菅政権ではどこかへすっ飛んでいったかのようだ。
 決断と実行、といえば陳腐な言葉だが、いまの菅政権ではその点が不安でもある。官僚を使いこなすどころか、取り込まれつつあるように見える。
 枝野幹事長は政策通であっても、清濁あわせ呑む器量を必要とする党務の責任者としては、はなはだ心もとない。
 民主党政権が誕生してもうすぐ1年になろうとしているが、この間、功罪は別として、決断と実行を鮮やかに示したのは小沢だった。
 たとえば、陳情の幹事長室への一元化だ。各省庁に個別に出向くことを許さないというのだから、自治体、業界団体は反発と困惑で揺れ、官僚や族議員も権限、利権のタネを召し上げられて、面白いわけがない。
 「幹事長への権力集中だ」という非難轟々の声をものともせず、さっさとこれをやってのけたのは、小沢流というほかなかった。
 かつてさんざん煮え湯を飲まされた野中広務が会長をつとめる全国土地改良事業団体連合会の予算をばっさり切って半減させたのも、小沢ならではの判断だった。
 ところが、来年度予算の概算要求で、農水省がこれを復活させる方針だというあたり、やはり現政権の生ぬるさを感じさせる。びしっと、内閣にスジが通っていないのが歯がゆいところだ。
 鳩山氏は、小沢復活によって、ねじれ国会における民主党政権の窮状の打開をはかろうと決意したに違いない。
 1年に3人も総理が変わるのは世界に対して恥ずかしい、などという常識で、歴史的政権交代後の予想された試行錯誤をコントロールしようという小さな考えは捨てるべきではないか。
 この国を変えてほしいという政権交代時の期待を、いま誰に託せばいいのか。その一点で民主党代表、すなわち首相を選ぶべきであろう。
 選挙の結果、どちらに決まろうと、民主党員は恨みっこなしで運命に従えばいいのだ。
 もしかりに、小沢首相が誕生した場合、「政治とカネ」問題など恐るべき逆風のなかでの政権運営となろうが、国難を救うという気概を失わず、着々と手を打っていけば、自ずから道は開けるはずだ。
 菅vs小沢の一騎打ちは、ドラマとしてスリリングである。しかし、小沢氏にとっては政治生命をかけた最終決戦といえるだろう。
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「小沢氏の出馬表明を冷静に受け止められないメディアと踊らされる国民」08/27/2010
 今日の話題はメディアの飯のタネとしては、格好のネタである小沢氏の代表選出馬表明について、メディアのようなドンチャン騒ぎとは一線を画して、つとめて冷静な視点で、これを評価してみようと思う。
 次の首相を選ぶことに直結する民主党代表選挙の舞台は整ったようである。
 そうであっても、私の民主党に対する根深い不信感は消えないし、民主党が失格であるという烙印も消すことはできない。
 もっとも、小沢氏の出馬により、今後3年間の日本の国のあり方、昨年の衆議院選挙で掲げたマニフェストの実行という点が再度議論され、マニフェストを反故にしたことへの反省と政権交代の原点回帰がなされるとするならば、これは歓迎すべきことである。
 そもそも、私は何度もこのブログを通じていってきているように、民主党のマニフェストについて、賛同しているわけではない。
 しかし、民主党は、「公約→政権公約・マニフェスト」と言い変えて、さらに、長妻厚生労働大臣の言葉を借りれば、「マニフェストは民主党議員と有権者との契約である」とまで言い放ったという事実を我々は忘れてはいけない。
 そのマニフェストの実行がなされず、普天間問題では、沖縄の有権者との約束を反故にし、期待を裏切った姿を見て、全国の有権者は、鳩山由紀夫氏が率いる民主党政権に愛想を尽かした。
 そこで、鳩山路線の継承を掲げた菅直人率いる政権が誕生するも、この政権は何を勘違いしたことか、マニフェストは説明なく反故にするし、しまいには有権者の半分近くが批判的な消費税の増加議論を軽々しく口にし、しかも、今まで散々批判してきた自民党の消費税10%案を飲み込むような発言を選挙期間中にしてしまうのである。
 これでは、去年夏の民主党支持者にとっては、「言っていたことが違うだろ?」、「もう無駄は無いと思って増税議論しようという認識か?」、「財務官僚に抱き込まれてるだけだろ!」、「バカなのは官僚じゃなくて菅だろ」と感じたのではないだろうか。
 案の定、有権者の支持を失い、参議院議員選挙は民主党の大敗ともいうべき議席数で終わったが、この結果の責任をだれも取ろうとしなかったのが、菅直人率いる現執行部である。
 それをごまかすかのように、菅政権は、直ぐに9月の代表選に争点を移し、全く生産性のない反小沢を旗印掲げた権力エゴの現実化に終始して、円高や若い人々の就職難という日本の直面する問題に全く時間を割いていない。
 ここにきて、小沢一郎という政治家が代表選に出馬すること自体は、私は大いに歓迎すべきであると考える。
 ただし、間違って理解してほしくないのは、私は小沢一郎が代表になれば民主党に希望が持てると言っているわけではないし、私もそうは思っていない。
 この出馬表明により、菅直人率いる子ども内閣、子ども執行部の下らない好き嫌いというような幼稚な「脱小沢」の議論から、政策議論に移ると考えられ、ここで改めて、マニフェストへの回帰が検討されることは好ましいと思っているに過ぎない。
 この点は、冷静に肯定的に評価すべき点である。
 また、小沢氏の出馬について、ここぞとばかりに検察審査会の件を背景として、「違法なことをしたのに首相にするのはおかしい」という見解をもっともらしく主張している人々がいるが、法律的な思考に照らして考えれば、これは全く説得力の無い無知な方の見解であるといわざるをえない。
 起訴すらされておらず、有罪の確定もない段階では、刑事責任の関係では、完全な白として扱うべきとするのがルールである。
 にもかかわらず、「小沢は疑わしい、説明をしないから黒だ」という前提は、バカなマスメディアの受け売りの主張しかできない人間が、自らが、法律知識において、無知であることを告白する以外の何物でもない。
 これに対し、憲法上の規定を理由にそのような人物が首相になるのはふさわしくないという主張がある。既に、ニュース番組や新聞記事などで散々このような論調の主張が公平であるはずのメディアから飛び交っている。
 これも、主観的な価値観が先行しており、憲法上の規定の存在意義を解っていない非常にレベルの低い議論である。
 憲法75条は、「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。」と規定する。
 この趣旨を、「検察行政は、内閣の統括下にあるとはいえ、職務の性質上、ある程度独立性が保障され、政治から中立に職務を遂行すべきものであるため、このことが結果的に内閣の職務遂行を阻害することがありうることに注目しておかれた規定」と通説は解し、他方、多数説は「検察機構の政治的圧迫から内閣を保護するためのもの」と解している(野中、中村、高橋、高見、「憲法Ⅱ」p176-177)。
 いずれにしても、検察審査会で起訴相当決議がでるような人物が総理大臣になるとしても、それ自体を妨げる規定はないし、むしろ、憲法はそうした事態に対応した規定を置いているのであって、ふさわしいかどうかというのは、個々人の主観的価値判断の先行に過ぎず、憲法に照らして考えれば、全く説得力の無い空虚な主張といわざるをえない。
 また、「小沢氏は起訴を免れるために、首相になろうとしており、この規定を悪用して、刑事責任を逃れようとしている」という主張も、まったくもって説得力に欠ける。
 既に、法的センスのある方はお気づきであろう。
 注目すべきすべきは、憲法75条の但書部分である。
 「これがため、訴追の権利は害されない。」
 日本国憲法が極めて優秀なのは、こうした但書を設けていることで、75条本文の悪用を防ぐことを想定していたのである。
 つまり、国務大臣の職から離れれば、起訴されるのである。
 通説(前掲野中他 p177)は、「(訴追)のための準備として証拠の保全等必要な措置は、大臣の職務遂行を阻害しない限り、行いうるし、最も重要な点として、公訴時効は停止すると解される」と考えている。
 このように、小沢一郎が仮に総理大臣になって、憲法75条の規定を使い、訴追の不同意をしたとしても、国務大臣の職から離れれば、起訴されうるし、有罪が確定すれば、刑に服することになるのであって、刑事責任の回避のために、憲法75条を悪用することは不可能である。
 しかし、浅はかなマスメディアはもちろん、小沢一郎に対し、有罪のイメージを植え付けようとしている人々は、憲法75条本文には言及するものの、但書の存在とその意味については全く説明していない。
 これは立派な印象操作であるし、いわゆる、洗脳に近いメディアによる事実の歪曲である。
 そして、メディアの論調を聞いて知ったかぶりをしたい人々は、ろくに憲法の規定を見ることもなく、「小沢はこの規定を悪用して、刑事責任を逃れようとしている」などと法的センスゼロの主張を恥かしげもなくしてしまうのであろう。
 また、こうした主張が民主党執行部の議員、つまり、法律を作る立法者からすら出てくるのであるから、本当に法律のセンスがない無能な立法者が多くの税金を無駄にしていることが良く解る。
 以上の理由から、私は小沢一郎が代表選に出馬したこと自体は、政策議論がやっと始まるという点で、肯定的に評価したいし、彼が次の総理大臣にふさわしいか否かは代表選までの彼の言動に注目して、改めてゼロベースで菅首相よりふさわしい人物なのか評価したいと思っている。
 私は、扇動政治家や扇動マスメディアに乗せられないように、有権者である個々人が、広く情報を集め、その真偽を常に確かめながら検証することが、主権者としての非常に重要な責務であると改めて感じる。(以下略)
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小沢出馬を「政治とカネ」で批判するのは政策不在の証拠 2010/8/26
 民主党代表選に小沢一郎前幹事長が出馬。今のところ、菅首相との一騎打ちとなる模様だが、これほど露骨に政局オンリーの首相選出選挙が行われるのは、1990年代の自民党総裁選以来だろう。有権者が望んだ通り、「新しい民主党=古い自民党」政治が着々と実現している(もっとも、仮に十分な公開討論が行われなければ、「古い自民党」以下の最悪の首相選出選挙となる)。
 案の定、菅陣営はおかしなことを言っている。「政治とカネ」などという、くだらないことをまた持ち出しているのだ。「政治とカネ」というのは、日本政治の中では、政策不在で政局しかない状況において多用される、愚民思想満載の言葉である。「政治とカネ」ということを強調する政治家は、「政策なんてどーでもいい。クリーンとかフレッシュとか言ってれば、バカな有権者どもはいくらでも操作できる」と言っているに等しい。
 まず、小沢出馬が決まる前段階から、蓮舫行政刷新担当相がこんな愚民思想丸出しの発言をしていた。
「蓮舫行政刷新担当相も『前政権時代のようにさまざまな政治とカネの問題を起こしてもらいたくないとの思いが政権交代につながった。その国民の声は無視できない』と、小沢氏を牽制した」(産経新聞 )
 今さら言うまでもないことだが、政権交代が起きた2009年衆院選で、「政治とカネ」がテーマになったことは一切ない。バラマキ・既得権護持という、「古い自民党」もびっくりの利権政治を約束したからこそ、民主党は政権交代を果たせたのだ。これまでも何度も書いてきたように、「政治とカネ」がテーマなら、民主党は2007年参院選と2009年衆院選で惨敗していなければおかしい。蓮舫氏は、事実とは正反対の「国民の声」を捏造するのをやめるべきだ。
「安倍政権でも荒井大臣と同様の事務所費問題が発生したが、安倍首相本人には問題は発生していなかった。一方で、民主党の小沢代表には、本人に土地取得問題が発生していた。それでも、参院選では民主党が勝利した。『政治とカネ』などという問題に有権者が重きを置いていない明白な証拠である。(略)
 民主党の鳩山代表にも小沢幹事長にも、『政治とカネ』問題は浮上していた。総選挙前から、その内容についてはメディアでしっかりと報道されていた。それでも、総選挙では民主党が勝利した。2度の国政選挙で、有権者は『政治とカネなんてどうでもいい』という意思を明確に示したのである」(「菅政権でも『政治とカネ』報道──『有権者はイメージでしか政治を理解できない』という愚民思想報道はいい加減やめるべき」 より)
「政治とカネ」で真っ黒な民主党を有権者は圧倒的に支持した。「政治とカネ」なんかよりも、バラマキ・既得権護持の方が重要だからだ。鳩山・小沢が支持を失ったのは、バラマキ・既得権護持政策の実現に疑問符がついたからであって、菅がそれ以上にダメなら、やっぱり小沢か、となっても何ら不思議はない。
 要は、税負担や機会損失をすべて新卒・無業などの新規参入者や将来世代に押しつけて、労組利権、高齢者社会保障給付などのバラマキ・既得権を護持することが最優先事項というわけだ。「今現在の自分たちさえ良ければ、あとはどうでもいい」という「政権交代の精神」は今もはっきりと生きている。
 だからこそ、菅陣営は「政治とカネ」でしか小沢陣営を批判することができない。政策的にはバラマキ・既得権護持ということで一致しているからである。問題は、どちらが利権を握るかということなのであって、人口減少、グローバル化への対応や世代間格差の解消といった重要課題を解決する発想はそこには存在しない。唯一、課題解決を実践してきた構造改革路線をぶっつぶしたのが民主党なのだから、当然といえば当然だ。
「首相側近は『首相は完全にファイティングポーズだ。「この代表選は、民主党が本当の民主党になれるかの分水嶺だ」と思っている』と対決姿勢」(朝日新聞 )
 ここで、菅首相が言っているとされる「本当の民主党」というのも、別に政策的な特徴があるわけではない。単に「小沢と違ってクリーンでフレッシュでオープンな民主党」といった、フワフワとしたイメージしかないのである(実際には菅陣営もクリーンでもフレッシュでもオープンでもないわけだが、愚民思想の持ち主にとっては自己イメージだけがすべてなので彼らは気にしない)。「本当の民主党」などというものは、菅陣営のお仲間にとってはおおいに盛り上がるネタなのだろうが、大多数の国民はもちろんのこと、民主党支持者にとっても、心の底からどうでもいい話だろう。代表選の結果がどうなろうと、政策論争を封じた民主党利権政治は、あと3年続く。
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民主代表選、小沢氏出馬/「陸山会事件は特捜部の暴走でした」と、国民に説明する責任が検察にあるのでは 2010-08-26 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
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民主党代表選/来年度予算は省庁の概算要求通りとなるだろう 2010-08-23 | 政治/検察/メディア/小沢一郎

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