〈来栖の独白2020.1.3 Fri〉
本日は能楽堂。能・狂言自体は見ごたえもあり期待に違わぬものだったが、1点、私自身に問題行動。
通常、チケットは[Pコード]で購入するのだが、前回11月は宝生会の能ということで、当日会場前で購入、席は全席自由席であった。私の脳に前回の当日現場!でのチケット購入の記憶がしつこく残っており、今回チケット購入せずに能楽堂へ行ってしまった。会場入場間際にその(チケットを持っていない)ことに気づき、慌てて受付(能楽堂玄関)へ戻り、購入。うんざり。
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正月特別公演 能「翁」「高砂」 狂言「福の神」
日 時: 令和2年1月3日(金) 12:30開場 13:00開演
演 目:
能「翁(おきな)」(観世流) シテ/久田 千歳/伊藤裕貴 三番叟/伊藤泰
狂言「福の神(ふくのかみ)」(和泉流)シテ/鹿島俊裕
能「高砂(たかさご)」(観世流) シテ/清沢一政
あらすじ
醍醐(だいご)天皇の御世の延喜年間のこと、九州阿蘇神社の神主友成(ともなり)は、都見物の途中、従者を連れて播磨国(兵庫県)の名所高砂の浦に立ち寄ります。友成が里人を待っているところに、清らかな佇まいをした、一組の老夫婦があらわれました。松の木陰を掃き清める老夫婦に友成は、高砂の松について問いかけます。二人は友成に、この松こそ高砂の松であり、遠い住吉の地にある住の江の松と合わせて「相生(あいおい)の松」と呼ばれている謂われを教えます。そして『万葉集』の昔のように今の延喜帝の治世に和歌の道が栄えていることを、それぞれ高砂、住の江の松にたとえて、賞賛しました。老翁はさらに、和歌が栄えるのは、草木をはじめ万物に歌心がこもるからだと説き、樹齢千年を保つ常緑の松は特にめでたいものであるとして、松の由緒を語ります。やがて老夫婦は、友成に、自分たちは高砂と住吉の「相生の松」の化身であると告げると、住吉での再会を約して夕波に寄せる岸辺で小船に乗り、そのまま風にまかせて、沖へと姿を消して行きました。
残された友成の一行は、老夫婦の後を追って、月の出とともに小舟を出し、高砂の浦から一路、住吉へ向かいます。住吉の岸に着くと、男体の住吉明神が姿を現しました。月下の住吉明神は、神々しく颯爽と舞い、悪魔を払いのけ、君民の長寿を寿ぎ、平安な世を祝福するのでした。
みどころ
高砂は、室町以来現在に至るまで、能の代表的な祝言曲として、広く人々に親しまれてきました。能を見たことがない人でも、「高砂」の名を一度くらいは耳に入れる機会があるでしょう。たとえば婚礼の席で、この曲から取られた「高砂やこの浦舟に帆をあげて…」や「千秋楽は民を撫で…」といった謡を聴いたことがあると思います。
「高砂」では、松が作品の中で重要な役割を果たしています。松は、古来、神が宿る木とされ、常緑なところから「千歳」とも詠まれることが多く、長寿のめでたさを表します。また、雌雄の別があり、夫婦を連想させます。
世阿弥はこの能を、「古今集」仮名序の「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」という一節を題材として作出しました。「播州高砂、摂津の国住吉と、国を隔てて住みながらも、夫婦として暮らす老人老女」という人物設定で、長寿や老夫婦の睦まじさを称えるとともに、松の長生のめでたさを和歌の道の久しい繁栄になぞらえ、美しい詞章と、清々しい所作、舞いとで、傑出した表現を創り上げたのです。
寿ぎ、祝いといっためでたさに貫かれ、どこまでも明るく、崇高で清らかな雰囲気に満ちた、気品のある、名曲中の名曲です。素直に見て、聴いて、感じて、楽しめる能です。清めの体験を我が物にできるのではないでしょうか。
◎上記事は[the 能 com.]からの転載・引用です
あらすじ
2人の男が、福の神の社に年越しのお参りにやってきて、参拝を済ませて豆をまきはじめると、笑い声がして福の神が現れます。福の神は自分から名乗ると神酒(みき)を催促し、酒奉行である松の尾の大明神に神酒を捧げてから自分も飲み干します。そして、豊かになるには元手がいると2人に話します。2人が、元手がないからここに来たと反論すると、福の神は「元手とは金銀や米などではなく、心持ちのことだ」とさとします。さらに、早起き、慈悲、人付き合いを大切にすること、夫婦仲よくすることを説くとともに、わたしのような福の神に美味しい神酒をたくさん捧げれば楽しくなること間違いないと言って、謡い舞い、朗らかに笑って帰っていきます。
鑑賞のポイント
「笑う門には福来たる」という言葉がありますが、ここに登場する福の神も、大きく高く「ウワアッハッハッハッ」と笑いながら出てきます。福を与える条件について、特別な修行を要求するわけではなく、誰もが心得るべき日常の教訓を説くだけで親しみやすく、二言目には神酒(みき)をねだるなど人間くさくて笑いを誘います。福の神の登場には、「福は内、福は内」と豆がまかれます。豆まきは、現在では節分の行事ですが、もともとは大晦日に宮中で行われていた「追儺(ついな)」または「鬼やらい」という、悪鬼を追い払うためにいり豆をまく儀式でした。節分が立春の前日で、旧暦の正月に近いため大晦日の行事と混同されたようです。
◎上記事は[文化デジタルライブラリー]からの転載・引用です
旧年中は、いろいろ御教示いただきありがとうございました。
本年もよろしくお願いします。
宥子さまの御多幸と御健康を、お祈りいたします。
☆☆『お能』は、いいですね。
お正月の祝言にふさわしいと思います。
私が子供のころの思い出ですが、
親戚の人が集まって宴会をした時、おじさんの誰かが、
必ず、『お能』の『謡曲(うたい)』を唄っていたものでした。
私には意味がわかりませんでしたが、そういう雰囲気には、
懐かしさを感じます。
昨日は体の具合がいま一つだったのですが、頑張って(笑)行きました。お正月は、天下泰平・国土安穏を祈る儀式能「翁」が定番ですね。
本年も、あやか様と可愛い猫ちゃまのご多幸をお祈りします。