「死刑で然るべきだと思います」と「人の道に外れたのなら、どうか天罰を下してやってください」との間

2009-07-25 | 死刑/重刑/生命犯

〈来栖の独白 2009.7.25〉
 先日、Sさんから以下のようなメッセージを戴いた(抜粋)。

“死刑囚の方とは、本当の家族であっても縁を切りたがる人が多いのではないかと思っていました。なので、死刑囚の方とあえて姉弟になるなどといったら、対外的に辛いことがたくさんあったのではないかと思うのです。想像つかないくらい傷ついたこと、大変なこともあったと思います。”

 過去のエピソードとともに、私の気持を書いてみたい。藤原清孝が存命であった頃の、名古屋拘置所での話である。
 いつものように面会票を出して、待合所で、面会室に呼ばれるのを待っていた。若い女性が、売店で、差し入れ物品を購入表に書き込んでいた。その女性に、離れたところ(面会票記入の台のところ)から「○○ちゃん、『続柄』って、どう書くの?」と、母親と思しき年配の婦人が尋ねた。娘は差し入れ物品購入、母親は面会票記入という役割分担のようだ。離れているので、ちょっと大きな声で「ナイサ~イ(内妻)って、書いといてぇ」と、娘の朗らかな返事。
 また、ある日、同じように面会室に呼ばれるのを待っていた。この日は、黒いスーツの男性(暴力団?)が何人も並んで立っていた。兄貴分らしい年配の男性一人、腰掛けている。と、なぜか、その兄貴分が私に声をかけてきた。ちょっと緊張!
「奥さん。旦那、どういう刑(求刑)で、(ここに)入ってんの?」
「あ、ちょっと、死刑です。いま、最高裁です」
 兄貴分は、大層驚いた様子で、
「え、死刑! そりゃぁ、旦那、相当、派手に・・・。自分たち、いつだって地裁どまりよ。最高裁なんて、奥さん、たいへんだな」
 「ちょっと死刑」という言い方は変だと思ったが、ドキドキしていた。清孝は「旦那」ではないが、説明すればキリがない。説明する義理もない。なぜ私に声をかけて来たのかなどと思い、わけもなく怖かった。兄貴分は会話が終わった後も、なおも何か言いたいのか私を見ていた。冬のことで、私は着物に被布を羽織っていた。のっけから余談を書いてしまった。
 拘置所へは数え切れないほど何度も面会に行ったが、面会票を書くたびに、必ず思うことがあった。「続柄」のことである。最高裁係属中は「友人」と書いた。刑確定してからは「姉」と書くようになった。「必ず思うこと」というのは、私の頸木の軽さである。「続柄」が、実の親や姉弟であったならどんなに苦しいだろう、と毎回毎回必ず私は思った。
 冒頭のメッセージを下さったSさんも兄貴分も「たいへんだ」とおっしゃるが、所詮義理(養子縁組)の間柄なのだ、ということを感じてきた。それほどに私には、勝田のお父様お母様の辛さが身に沁みていた。清孝には、私と同年の姉がいる。離婚はしていないが、婚家で、どれほどに肩身狭い日々だろう。また、清孝の2人の息子はどうだろう。この人たちの苦難の人生を、私は面会票に続柄を記す度に思わない日はなかった。本当の家族であるから縁を切りたいのである。が、本当の家族であるから、縁が切れない。苦しいことだ。
 そんなとき、上記女性の「ナイサ~イ」は、爽快に響いた。明けっぴろげ。正式に入籍していなくても、そんなこと、いいじゃん、平気。刑務所へ行くのかも知れないけど、それでも、いい。あの人に面会して、それから好きな物を差し入れて、それでいい、そんな感じの、真っ直ぐで、可愛い人だった。

 実の親たちの辛さについて、3人の姿を見てみたい。
 まず、土浦8人殺傷事件公判での金川被告の父親の証言である。以下。
土浦8人殺傷事件公判 金川被告の父親に対する証人尋問
 弁護人「被告人にはどういう刑が望ましいと思っていますか」
 父「親としては酷ですが、本人にも酷ですが。重大な犯行であることを考えると、当然の裁きがあってしかるべきだと思います」
 弁護人「はっきり聞きます。死刑と考えていますか。イエスかノーで答えてください」
 父「当然、死刑でしかるべきだと思います」
土浦8人殺傷事件公判 金川被告の父親に対する証人尋問
 裁判長「手紙のやりとりをしているということですが、言っておきたいことはありますか?」
 父「誰にですか?」
 裁判長「金川被告にです」
 父「被告人に言っておきたいことは…」
 《法廷の場で裁判長に促されたとはいえ、父親はこのとき、自らの息子のことを「被告人」と呼んだ。すぐ横の被告席には、当の金川被告が座っているが、そちらのほうを向きもせず、裁判長の方を向いたまま、ゆっくりと語り始めた》
 父「自分が犯したことは重大なことで、許されることではないということを認識してほしい。気が付いた暁には、謝罪した上で、男らしく責任をとれ、と言いたいです」

 次に、テレビ朝日で放映された『「刑事一代~平塚八兵衛」』というドラマ(あくまでもドラマ)における吉展ちゃん誘拐殺人事件小原保容疑者の母親。
 雨の中、捜査に当たる平塚刑事らに土下座して「足の悪い保を注意して育ててきた。もし、もしも保が人の道に外れたことをしたのなら、どうか天罰を下してやってください」と懇願している。 テレビ朝日「刑事一代~平塚八兵衛」 死刑囚が漂わせる極限の侘しさ

 勝田の父親も私に「1日も早く死刑が執行されることを願っている」と言った。「清孝に、そう伝えてくれ」と。
 二人の父親の「死刑」と母親の「天罰」との間に違いは、あるだろうか。
 あくまでも私一己の受けた感じだが、天地の開きがある、と思う。
 母親の心底からの願いを聴いた平塚刑事が「親のためには、嘘吐きではなく、真人間になることだ」と、いみじくも小原容疑者に諭しているように、母親の願いは、自分がお腹を痛めて産んだ子が、死(嘘吐き)の状態から蘇ることではなかったか。人としての道を外したわが子が、どうぞして人間として生きなおす、そういうことではなかっただろうか。私には、田舎の老母が必死の思いから口にした「天罰」という言葉に、死の臭いが嗅げないのである。生かす願いしか、嗅ぎとれない。
 一方、二人の父親の胸は、自分自身の辛さに領されている。何とかして、少しでもそこに間隙を空けたい。そのためには、息子に死刑になって貰うしかない。子が死んでくれるしかないのである。金川氏は中央省庁に勤務しており、勝田の父親も、謹厳実直を絵に描いたような人であった。が、二人の父親はそれぞれ家庭でのあり方に根本的な問題があった。養育に問題があった。言葉に語弊があることを恐れずに言わせていただくなら、統合失調症の子、或いは犯罪者を生む典型的な家庭形態であった。そして終に、その子にいなくなってくれ、と存在を全否定する。人格のみならず。
 ・・・・親子とは、哀しいものだ。あやういものだ。死刑という刑の悲しみ以上に、私には、勝田の父の、そして故宮崎勤死刑囚の父の哀しみ が胸に迫ってならない。

〈来栖の独白〉 追記
 清孝との往時が懐かしくなり、久しぶりに拙著を読み返した。交流が始まって初めて迎える清孝の生誕日にどう対応すればよいのか、悩んだことがあった。人を殺めた人の生誕を祝っていいのだろうか、素朴な躊躇いがあった。この頃からである。罪について、命について、死について・・・、じっと考えるようになったのは。
 何をしていても、じっと考えた。考え詰めた。
 次のような聖句がある。

  〔主よ、〕あなたは私の腎をつくり、母の胎内に、私を織りこまれた。・・・私の骨は、あなたに隠されていない。私が秘かにつくられ、地の深みでぬいとりされた時、それらはみな、あなたの書の中にあって、私の日々は記され、集められた。その一日さえも、まだなかったのに。(詩編139章13~16節)
 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていてくださる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。・・・また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投入れられる野の花でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。(マタイ6,26~30)

 生誕日について、以下のように清孝に手紙を書いた。
“ 勝田様が、四〇年まえに生まれられたということ、そして今日生きておられるということ。それが神のご意志であると信じますゆえに、私には尊い、尊いのです。
 私のように小さな、塵のような人間が、これほどに勝田様を思い、御身を案じているのなら、四〇年まえ勝田様を造り、今日一瞬一瞬を生かし保っておられる御方は、どれほどに勝田様を心に掛けておられることかしれません。”
 私にとって、天とは、生かす御方であった。いのちの根源であった。そういった背景が、天罰という語をも、生かすものとして、理解させたと思う。
 清孝が役所から点字奉仕を許可されたころの拙著の箇所(p240)、以下である。
“ 面会のとき、勝田は、自分の右掌をガラス越しに私に見せた。白い手だった。その指に、彼が手紙に書いて寄越したように、点筆を握ったために出来た豆の跡が見えた。
 その夜、やっと勝田に宛てて、「一粒の麦」に寄せる私なりの返事を書いた。およそ、以下の文面だったように思う。
「逮捕されて、一切の罪を告白されたあなた。死(刑)を恐れつつも、ご自分の命よりも、被害者への詫び、真実を優先されたあなた。その時に、古いあなたは死んだのです。(パウロの言うように)罪に対して死んだ。
 今生きておられるのは、新しいあなた。犯罪者のあなたではない。
 どうぞ、豆のできている、清らかな手から、盲人の皆さんに多くの楽しみを造り出して上げてください」
 ガラスの向こうに、勝田が掌を見せたとき、私はそれを正視できなかった。「豆が出来てね」と言って無邪気に見せた手であったのに、「この手で八人の人を殺めたのだ」という思いが私の中を走った。それを恥じて咄嗟に目を伏せたのだった。
 夜、勝田に手紙を書きながら、私は勝田に申し訳なくてならなかった。依然として古い自分を意識しないわけにはいかなかった。”
 実に、勝田と出会ってからの歳月、私は、生きること、命について、切ないほどに考えた。「谷川の水を求めて喘ぎさまようよう鹿のように」、来る日も来る日も考えた。そういった生活スタイルは、清孝がいなくなった現在も、さほど変わっていないように思う。

土浦連続殺傷事件 相談できる家族や友達が傍らにいても、彼は事件を起こしたのだろうか 2009-12-22  


2 コメント

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Unknown (rice_shower)
2009-07-26 08:26:16
渡辺謙のドラマを観たのが切っ掛けで、吉展ちゃん誘拐殺人事件を記した、ノンフィクションの古典とも言うべき『誘拐』(本田靖春著)を読みました。

おどおどと仲間外れの足萎えの
鳩も来よこよわが蒔く餌に

彼の生い立ち、犯行に至る境遇を知るに、死刑確定後に創られたこの歌は、哀しすぎます。
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本田靖春著『誘拐』 (ゆうこ)
2009-07-27 11:34:13
rice_showerさん。
 いま、本の注文をしたところです。

おどおどと仲間外れの足萎えの
鳩も来よこよわが蒔く餌に
>哀しすぎます。
 ほんとうに、そう。小原保という人の佇まいが彷彿して、言葉を失います。島秋人さんには島さんの、坂口弘さんには坂口さんの歌風がありますが、このお歌には、もはや歌風という言葉すら当てはまらない・・・。
 rice_showerさん、いつも心に響く本の紹介、ありがとう。 
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