北方領土交渉 領土問題は強いものが勝つ 国際法も国力の強弱に依存 国際政治の現実

2013-02-24 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

[北方領土交渉] 首脳同士で知恵絞って
南日本新聞社2013年2月24日(日) 社説( 2/24 付 )
 安倍晋三首相の特使としてロシアを訪問した森喜朗元首相が、プーチン大統領と会談した。安倍首相の訪ロに向けた地ならしで、停滞が続いている北方領土問題の進展を狙ったと見られる。
  森氏と大統領は、森氏が首相就任直後の2000年4月にロシアを訪問したのがきっかけで、これまで会談を十数回積み重ねるなど親交が深い。01年3月には、平和条約締結後に歯舞、色丹2島を引き渡すとした「日ソ共同宣言」の法的有効性を規定した「イルクーツク声明」に署名している。
  今回の会談で大統領は、日ロ間に平和条約が締結されていないのは「異常な事態」と発言、両氏は「イルクーツク声明」の重要性も確認した。領土問題解決に向けた大統領の前向きな姿勢を確認できたのは大きな成果と言える。
  森・プーチン会談では、安倍首相の大型連休中の訪ロを調整することでも一致した。首脳間で交渉を重ね、領土問題で具体的な解決策を見いだすよう真剣な首脳外交を繰り広げてほしい。
  北方四島を実効支配するロシアと、四島返還を求める日本の立場の隔たりは大きい。打開策には、択捉島を除く「3島返還」案などがささやかれているが、国民の理解を得ているとは言い難い。
  だが、03年以来日本の首相の公式訪ロが途絶え、10年には当時のメドべージェフ大統領が国後島を訪問するなど、交渉が停滞状態に入っていたことを考えると、今回の森・プーチン会談が重要な一歩となったのは間違いない。
  プーチン氏は領土問題の解決に意欲的とされる。背景にあるのは、最重要の地政学課題と位置付ける極東シベリア開発の推進に、日本からの経済協力が必要との判断だ。そのため、日ロ関係進展の足かせである領土問題を解決する必要があるとの認識だろう。
  問題は今後の交渉がどうなるかだ。大統領は昨年3月、「引き分け」という言葉を使って領土問題の妥協点を見いだす必要性に言及した。今回の会談では「引き分け」の意味について「双方が受け入れ可能な解決策」と説明した。
  だが、歯舞、色丹の2島返還で決着させる立場のロシアと、四島の帰属が日本にあると認めるよう求める日本の主張の違いは大きい。「引き分け」には大きな壁が立ちふさがる。求められるのは壁を崩す互いの知恵である。
  その際重要なのは両国の経済発展を促進し、東アジアの平和と安定につながる連携強化の視点だろう。妥協を探るには双方の政権基盤の安定と、国民の理解を得る粘り強い説明も欠かせない。
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尖閣「日米対中国」と考える愚かさ/領土問題は強いものが勝つ。国際政治の現実/田中良紹「国会探検」 2012-09-25 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉 
 「日米対中国」と考える愚かさ 田中良紹の「国会探検」
 2012年9月24日 The JOURNAL
 尖閣諸島の国有化を巡り、日中が衝突すればアメリカは日本の側につくと考える日本人が多いようだ。アメリカがその地域を「日米安保の適用範囲」と発言しているからである。しかしだからと言ってアメリカが日本の側につくとは限らない。アメリカは自らの国益を考えて利益のある方につく。それが国際政治の現実である。
 まず現在の日本の領土がどのように確定されたかを考える。確定させたのは1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約である。第二次世界大戦で連合軍に無条件降伏した日本は領土についてすべての権利を放棄し処分権を連合国に委ねた。
 そこで日本が支配していた朝鮮半島をはじめ日清、日露、第一次大戦で領有した台湾、澎湖諸島、南樺太、千島列島、南洋諸島、南沙諸島のすべての権利を日本は放棄させられた。また北緯30度以南の南西諸島や小笠原諸島はアメリカの信託統治領となった。その南西諸島の中に尖閣諸島はある。
 一方、サンフランシスコ講和条約と同時に日米は安保条約を締結し、米軍が日本国内の基地に駐留する事になった。領土問題とは言えないが日本国家の主権が及ばない米軍基地が首都近郊を含め日本の至る所に作られた。
 現在日本が抱える領土問題の相手国は、北方領土がロシア、尖閣諸島が中国、竹島が韓国といずれも第二次大戦の戦勝国か戦勝国の側である。そして今回の竹島への韓国大統領上陸と尖閣諸島への香港活動家の上陸は、日本が敗戦国である事を思い出させる8月に決行された。
 中国の習近平国家副主席がアメリカのパネッタ国防長官との共同記者会見で、日本の尖閣諸島国有化を「第二次世界大戦以降の戦後秩序に対する挑戦」と発言したのは、まさに日本は敗戦国、中国とアメリカが戦勝国である事を指摘し、領土問題で米中は同じ側に立つことを強調したのである。
 これに対してパネッタ長官が「日米安保の適用範囲」と言うのは、サンフランシスコ講和条約から1972年までその地域をアメリカが統治し、その後日本に返還したのだから当然である。しかしそれはこの問題でアメリカが日本の側に立つことを意味しない。
 なぜならアジア地域でのアメリカの基本戦略は日本に近隣諸国と手を組ませないようにする事だからである。日本がアメリカだけを頼るようにしないとアメリカの国益にならない。そうした事例を列挙する。
 アメリカはまず北方領土問題で日ソ間に平和条約を結ばせないようにした。そもそも北方領土問題を作ったのはアメリカである。真珠湾攻撃の翌年からアメリカはソ連に対日参戦を要求し、その見返りとして日露戦争で日本に奪われた南樺太と千島列島を返還する密約をした。
 サンフランシスコ講和条約で領土が確定された時点での日本政府の認識は千島列島に国後、択捉島を含めており、日本領と考えていたのは歯舞、色丹の2島だった。従って2島返還で日ソ両国は妥協する可能性があった。
 ところが米ソ冷戦下にあるアメリカのダレス国務長官はこれを認めず、4島返還を要求しなければアメリカは沖縄を永久に返さないと日本に通告した。これに日本は屈し4島返還を要求するようになり日ソは妥協する事が出来なくなった。
 小泉政権の日朝国交正常化に横やりを入れたのもアメリカである。日本は200億ドルともいわれる援助の見返りに北朝鮮と国交を結ぼうとしたが、アメリカのブッシュ大統領はこれを認めなかった。国交正常化の可能性ありと見て金正日総書記がいったんは認めた拉致問題もそれから進展が難しくなった。
 韓国の李明博大統領がしきりに持ち出す従軍慰安婦問題にもアメリカの影がある。2007年にアメリカ下院はこの問題で日本政府に謝罪を要求する決議を行った。中東のメディアは「アメリカは日本と中国、韓国の間にわざとトラブルを起こさせようとしている」と解説した。
 日本がアメリカの戦略に反した唯一の例が日中国交正常化である。中ソの領土紛争を見て分断を図れると考えたアメリカは、中国と手を組めば泥沼のベトナム戦争からも撤退できると考え電撃的なニクソン訪中を実現させた。しかし台湾との関係をどうするかで国交正常化に手間取る隙に、先に中国との国交正常化を成し遂げたのが日本の田中角栄総理である。中国と極秘交渉を行ってきたキッシンジャー国務長官は激怒したと言われる。それがロッキード事件の田中逮捕につながったとの解説もある。
 アメリカは中国に対し日米安保は日本を自立させない「ビンのふた」であると説明し、中国はそれを共通認識として米中関係はスタートした。従って尖閣周辺の海域で米中が軍事的に睨み合う形になったとしても、それは日本のためにではなく、米中双方の利益のために何が最適かを導き出すための行動となる。
 ところでパネッタ長官の訪中は米中の軍事交流を深めるのが目的である。その一方でアメリカは日本に対し中国の軍事力の脅威を宣伝し、オスプレイの配備など日本領土の基地機能強化を進めている。中国の脅威を言いながらアメリカは中国との軍事交流を深めているのである。小泉政権時代の外務大臣が米中軍事交流に抗議するとアメリカから「そういう事はもう一度戦争に勝ってから言え」と言われたという。
 領土問題は力の強いものが勝つ。それが国際政治の現実である。話し合いで解決するにしても力の強い方に有利になる。力とは軍事力だけを意味しない。むしろ経済力、外交力、そして国民の意思の力が重要である。ところが「日米安保の適用範囲」という言葉にしがみつく日本人は何の保証もないアメリカの軍事力にしがみついているのである。それは日本が経済力、外交力、国民力に自信がないことを露呈しているに過ぎない。
(田中良紹)
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北方領土、ロシア側の呼び方「南千島」に / ロシア軍、北方領土にミサイルまで配備するか 2011-03-02 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉 
 北方領土が「南千島」に
 2011/03/01Tue.中日新聞夕刊「清水美和のアジア観望」
 中国メディアに北方領土を「南千島群島(日本名・北方四島)」と呼ぶ報道が目立ってきた。外務省ホームページや人民日報など党機関紙は「北方四島(ロシア名・南千島群島)」と表記している。
「南千島」はロシア側の呼び方「南クリール諸島」の中国語訳。メディアでは北方領土問題でロシア寄りになる傾向がはっきりしてきた。
■「日本の正義の闘い」
 「北方領土返還を求める日本人民の正義の闘いを支持する!」。1970年代に中国を訪れると、中国のホストは必ず、こう繰り返した。
 中国と旧ソ連は社会主義の路線対立から60年代末には国境で武力紛争を起こすまで関係が悪化した。「第三次世界大戦を起こすのはソ連」と決め付けた中国はソ連の北方領土占領を「拡張主義」の表れとして日本を応援した。
 80年代に中ソ関係が正常化に向かうと、中国は北方領土について「日本とソ連(ロシア)の間で歴史的に残された問題で両国が解決すべきだ」(外務省)と語るようになった。しかし、中国で出版されている地図は今でも北方四島に日本と同じ色を付け日本領として扱っている。
■核心的利益を支持
 こうした態度が微妙に変化したのは昨年9月末、ロシアのメドベージェフ大統領が訪中し胡錦濤国家主席とともに発表した共同声明で「主権と統一、領土不可分など核心的利益に関わる問題での相互支持」を申し合わせてから。
 同時に発表した第二次世界大戦終結65周年の中ロ共同声明では「歴史の改ざんを許さない」と述べ歴史認識の一致を宣言した。これらが第二次大戦の結果として北方領土の占領を正当化するロシアへの中国の同調を意味するかどうかははっきりしない。
 しかし、共同声明が尖閣衝突事件で日中が対立する中で発表され、直後にメドベージェフ大統領が北方領土訪問計画を明らかにしたため、中ロが尖閣諸島と北方領土の領有を相互に支持することで合意したとの観測が浮上した。
 その後、ロシアは北方領土への中国企業進出を呼びかけた。人民日報系の国際情報紙「環球時報」(2月16日付)には「大胆に南千島群島の開発に参加すべきだ」と応える国際関係研究機関トップの寄稿が掲載された。
 しかし、その2日後には同じ新聞に「中国企業が北方四島の開発に参加すべきかどうかは難しい。こうしたビジネスは日本を不必要に緊張させる」と否定的な外交研究者の意見も掲載されている。
 実際には日ロ対立で、どちらにつくかをめぐる論争は中国で決着していないようだ。それがメディアに「北方四島」「南千島群島」の表記が混在する現状に表れている。
■機敏な外交が必要
 70年代のように、中国に日本への全面的な支持表明を期待できる状況ではない。しかし故周恩来首相が「北方領土をいまだ返還しない」ソ連を糾弾した歴史(党10回大会報告)を中国も否定しにくいはずだ。北方領土の表記がすべて「南千島」に変わるのを阻止する機敏な外交が問われている。
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北方領土 ミサイルまで配備するか
産経ニュース2011.3.3 02:48
 ロシア軍が北方領土に対艦巡航ミサイルや新型対空ミサイルを配備する軍備増強計画をまとめ、国防相に提出した。
 国後、択捉両島には、すでに3500人の部隊が駐屯している。これに最新兵器を加え、軍事面でも不法占拠を強化しようという狙いだ。
 根室から目と鼻の先の日本固有の領土で、主権を侵害する危険極まりない計画は断じて許されない。枝野幸男官房長官は「わが国の立場と相いれず、大変遺憾だ」と述べるにとどまった。日本は強く抗議すべきだ。
 また、ロシア軍参謀総長は先月末、フランスから購入予定のミストラル級強襲揚陸艦4隻のうち、少なくとも1隻をロシア太平洋艦隊に配備し、北方領土などの防衛任務にあてる可能性を示した。
 この強襲揚陸艦はヘリコプター16機、兵員900人を輸送する能力をもつ。ソ連崩壊後、ロシアが欧米から購入する最大規模の艦艇である。日本政府はロシアに対してだけでなく、フランスにも強く抗議すべきだ。
 ロシアは新型原潜を開発したのに続いて、昨秋、核搭載可能な新型弾道ミサイルの原潜からの発射にも成功した。このミサイルは米国のミサイル防衛網を突破する可能性がある。
 近く、新型原潜はオホーツク海に配備されるようだが、問題の対空ミサイルなどは、同海の「聖域化」を図る狙いがあろう。北方四島を一切返還する意思がないことを示している。菅直人政権は米国と連携し、この方面での防衛体制を強化すべきだ。
 先月末、国後島の農場で、複数の中国人労働者がロシアの労働許可を得て農作物の栽培に従事していることも明らかになった。北方領土でのロシアの管轄権を認めることになる中国人労働者の雇用は、日本として認められない。
 先に発表された同島でのナマコ養殖の中露合弁事業を含め、こうした経済活動による不法占拠の既成事実化にも注意を払い、その都度、抗議していく必要がある。
 尖閣事件後の昨年9月、中露両国は「主権や領土保全にかかわる核心的利益」での協力をうたった共同声明を発表した。以来、ロシアは不法占拠の固定化に向け露骨な敵対行動を繰り返している。
 ロシアの不当な行為を逐一、指摘し、それを国際社会に知らしめていかねばならない。
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北方領土 仮に裁判となった場合、日本が負ける確立が高いというのが国際法の専門家の意見 2011-02-20
 日露の病根を除く機会に
ロナルド・ドーア〈英ロンドン大学政治経済学院名誉客員〉
中日新聞2011/02/20Sun.
 時どき日本の外務省は、一度採用した外交路線を放棄できずに成り行きに任せ、しまいにはにっちもさっちもいかなくなってしまうことがある。北方領土問題をめぐる対ロシア関係が正にその典型であろう。
 日本政府はこれまで、旧総務庁の前に「北方領土が帰る日・平和の日」という大きな石碑を建てたり、国後も択捉もわれわれの島だという国民感情に訴えてきた。
 これに対しロシアは、日本の主権を認めるような考えは基本的にしないが、勃興日本の経済力や、少しずつ増大してきた外交力に敬意を表し、日本の国民感情の手前もあって、日本のクレームには一応、真面目に対応してきた。ところが、日本の経済力・外交力の衰退も1つの原因だろうが、最近ではメドベージェフ大統領が国後島入りして以降、ロシア閣僚の訪問が相次ぎ、軍事的な防衛強化も発表するなど、「日本が主張する『主権の問題』は毛頭ない。交渉する意思はもうない」と、きっぱり告げた格好だ。
 2カ国外交で日本の主張を唱え続けても、日ロ摩擦の時代が永遠に続くだけだろう。極論になるが、諦めるのも賢明な道で、尊厳ある主権国として面目を失わない諦め方を探さねばならない。
 そういう道を国際司法裁判所(ICJ)が与えてくれそうだ。ロシアの北方四島占領は不法だと、日本が訴えればいい。もちろん、ロシアに根回しし、訴えられたら応じるとの確約を取り付けることが前提となる。それに、優秀な外交官の長い努力が必要だろう。小泉純一郎元首相の北朝鮮訪問の準備工作として、田中均氏が北京で交渉し、拉致の事実を認める約束を取り付けたようにだ。
 仮に裁判となった場合、日本が負ける確立が高いというのが、国際法の専門家の意見だ。理由は、サンフランシスコ条約で日本ははっきりと主権を放棄してしまったからだ。ただ、日本は裁判に負けてもそのままいれば、世界の目にはロシアにいじめられた国ではなく、平和的国際関係の法的秩序構築に貢献した国として映る。漁業権など実質的な利益を守るのも、逆にやりやすくなるかもしれない。
 日本の最近の北方領土問題に関する主張は、歴史的事実に訴えないのでおかしかった。明治8(1875)年の樺太千島交換条約で、樺太はロシア、安政条約で既に認められた国後、択捉2島のほかに、それ以北の千島列島も日本の所属と決まった。日露戦争の戦果として日本領土となったのは樺太の半分だけである。
 戦争が終ろうとするときのヤルタ会談で、連合国が「日独には帝国主義的侵略によって得た領土を返還させる」という原則を決めたが、千島列島がそうして得た領土ではないことが当時は分かっていなかった。その間違いはダレス米国務長官によってサンフランシスコ条約に持ち込まれ、吉田茂首相が苦情を言ったが、ダレス長官は「ロシアとの関係が微妙なときにうるさいことを言うな」と抑えてしまった。さらに、日ロ両国の親睦を邪魔しようと横槍を入れ、「沖縄を返すのも危うくなるぞ」と脅した。
 その後、日本は「明治8年の条約がある。国後、択捉は戦果ではない。ヤルタ会談での米国の誤解だった」などの論法を展開せず、条約における「千島列島」の定義など、些細な法文解釈に基づいた論法しか続けてこなかったからだ。
 いずれにせよ、これを機会に60年間の日ロ関係の病根を国際司法裁判所が取り除いてくれれば、さっぱりするだろう。
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自分の国は自分で守る決意/境外を保護するのは法律、正義、自由ではない。国際法も国力の強弱に依存 2011-01-12
 日本抹殺を目論む中国に備えはあるか?今こそ国家100年の計を立てよ、米国の善意は当てにできない
JB PRESS 2011.01.12(Wed) 森 清勇
今日の国際情勢を見ていると、砲艦外交に逆戻りした感がある。そうした理解の下に、今次の「防衛計画の大綱」(PDF)は作られたのであろうか。「国家の大本」であるべき国防が、直近の政局絡みで軽々に扱われては禍根を千載に残すことになる。
 国家が存在し続けるためには国際社会の現実から目をそらしてはならない。日本の安全に直接的に関わる国家は覇権志向の中国、並びに同盟関係にある米国である。両国の国家としての在り様を検証して、国家百年の計を立てることこそ肝要である。
中国は日本抹殺にかかっている
 1993年に中国を訪問したポール・キーティング豪首相(当時)に対して、李鵬首相(当時)が「日本は取るに足るほどの国ではない。20年後には地上から消えていく国となろう」と語った言葉が思い出される。
 既に17年が経過し、中国は軍事大国としての地位を確立した。日本に残された期間はわずかである。
 中国の指導者の発言にはかなりの現実味がある。毛沢東は「人民がズボンをはけなくても、飢え死にしようとも中国は核を持つ」と決意を表明した。
 当時の国際社会で信じるものは少なかったが実現した。小平は「黒猫でも白猫でも、ネズミを捕る猫はいい猫だ」と言って、社会主義市場経済を導入した。
 また香港返還交渉では、交渉を有利にするための「一国両制」という奇想天外なノーブルライ(高貴な嘘)で英国を納得させた。
 政治指導者ばかりでなく、軍高官も思い切ったことをしばしば発言している。例えば、朱成虎将軍は2005年に次のように発言している。
 「現在の軍事バランスでは中国は米国に対する通常兵器での戦争を戦い抜く能力はない。(中略)米国が中国の本土以外で中国軍の航空機や艦艇を通常兵器で攻撃する場合でも、米国本土に対する中国の核攻撃は正当化される」
 「(米国による攻撃の結果)中国は西安以東のすべての都市の破壊を覚悟しなければならない。しかし、米国も数百の都市の破壊を覚悟せねばならない」
 他人の空言みたいに日本人は無関心であるが、日米同盟に基づく米国の武力発動を牽制して、「核の傘」を機能不全にしようとする普段からの工作であろう。
 2008年に訪中した米太平洋軍司令官のティモシー・キーティング海軍大将は米上院軍事委員会公聴会で、中国海軍の高官が「太平洋を分割し、米国がハワイ以東を、中国が同以西の海域を管轄してはどうか」と提案したことを明らかにしている。
 先の尖閣諸島における中国漁船の衝突事案がらみでは、人民解放軍・中国軍事科学会副秘書長の要職にある羅援少将が次のように語っている。
 「日本が東シナ海の海洋資源を握れば、資源小国から資源大国になってしまう。(中略)中国人民は平和を愛しているが、妥協と譲歩で平和を交換することはあり得ない」と発言し、また「釣魚島の主権を明確にしなければならない時期が来た」
 こうした動きに呼応するかのように、中国指導部が2009年に南シナ海ばかりでなく東シナ海の「争う余地のない主権」について「国家の核心的利益」に分類したこと、そして2010年に入り中国政府が尖閣諸島を台湾やチベット問題と同じく「核心的利益」に関わる問題として扱い始めたと、香港の英字紙が報道した。
中国の「平和目的」は表向き
 1919(大正8)年、魚釣島付近で福建省の漁民31人が遭難したが、日本人が救助し無事に送還した。それに対して中華民国長崎領事が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島・・・」と明記した感謝状を出している。
 中国が同諸島の領有権を主張し始めたのは国連の海洋調査でエネルギー資源が豊富にあることが判明した1970年代で、領海法を制定して自国領に組み入れたのは1992年であるにもかかわらず、「明確な日本領」を否定するためか、最近は「古来からの中国領土」とも言い出している。
 実際、首相が横浜APECで“首脳会談を開けた”だけで安堵している間に、ヘリ2機搭載可能で機銃まで装備していると見られる新鋭漁業監視船を含む2隻が接続水域に出没している。
 海保巡視船の警告に対しては「正当に行動している」と返事するのみである。
 中国の言う「正当な行動」とは中国の領海法に基づくもので、尖閣諸島に上陸しても正当化されるということにほかならない。現に、石垣市議2人が上陸したことに対し、中国外務省は「中国の領土と主権を著しく侵犯する行為」という談話を発表した。
 漁船がさほど見当たらないにもかかわらず漁業監視船が接続水域を彷徨しているのは、日本人の感覚を麻痺させる(あるいは既に上陸しているかもしれない)のを隠蔽する作戦のように思われる。
 係争の真っ只中で、そうした行動が取れるはずがないという識者も多いが、「尖閣は後世の判断に任せる」、あるいは「ガス田の協議をする」などの合意を平気で反故にしてきた中国である。何があってもおかしくない。
 20年余にわたって2桁台の軍事力増強を図ってきた中国に透明性を求めると、「平和目的」であるとの主張を繰り返す。中国の「平和目的」は異常な軍事力増強の言い逃れであり、露わになってきた覇権確立のカムフラージュでしかない。
 軍事力増強と尖閣沖漁船衝突のような異常な行動、さらには北朝鮮の無謀をも擁護する中国の姿勢が日米(韓はオブザーバー)や米韓(日本はオブザーバー)の合同軍事演習の必要性を惹起させたのであるが、中国はあべこべに自国への脅迫であるとクレームをつけている。
 現時点では指導部の強権でインターネット規制などをしながら、人民には愛国無罪に捌け口を求めさせることで収拾している。
 しかし、矛盾の増大と情報の拡散で人民を抑えきれなくなった時、衣の下に隠された共産党指導部の意図が、ある日突然行動に移されないとは言えない。
米国を頼れる時代は終わりつつある
 日本人で米国の「核の傘」の有効性に疑問を呈する者は多い。歴史も伝統も浅い米国は、「国民の国民による国民のための政治」を至上の信条としており、行動の基本は世論にあると言っても過言ではないからである。
 フランクリン・ルーズベルトは不戦を掲げて大統領選を戦い、国民はそれを信じて選んだ。しかし、第2次世界大戦が始まるや、友邦英国の苦戦、ウィンストン・チャーチルの奮戦と弁舌巧みな哀願を受けた大統領は、米国民のほとんどが反対する戦争に参加する決心をした。
 当初はドイツを挑発して参戦の機会を探るが、多正面作戦を嫌うドイツは挑発に乗らなかった。
 そこでルーズベルトは日本を戦争に巻き込むことを決意し、仕かけた罠が「ハル・ノート」を誘い水として真珠湾を攻撃させることであった。
 日本の奇襲作戦を「狡猾(トリッキィー)」と喧伝し、米国民には「リメンバー・パールハーバー」と呼びかけて国民を参戦へと決起させたのである。
 逆に、世論が政府を動かないようにさせることも当然あり得る。核に関して言うならば、被害の惨状に照らして、国民が政府に「核の傘」を開かせないという事態が大いにあり得る。
 虎将軍ら中国軍高官の発言は、普段から米国民にこうした意識を植え付けて、米国が日中間の係争に手を出せないように仕向ける下地つくりとも思われる。
 米国初代のジョージ・ワシントン大統領は「外国の純粋な行為を期待するほどの愚はない」と語っている。
 日米安保が機能するように努力している現在の日本ではあるが、有事において真に期待できるかどうか、本当のところは分からない。能天気に期待するならば、これほどの愚はないということではないだろうか。
 今こそ、日米同盟を重視しながらも、「自分の国は自分で守る」決意を持たないと、国家としての屋台骨がなくなりかねない。
 中でも「核」問題が試金石であると見られる。親米派知識人は、「日本の核武装を米国が許すはずがない」の一点張りであるが、あまりにも短絡的思考である。
 日本の核論議が日米同盟を深化させ、ひいては米国の戦略を補強するという論理の組み立てをやってはいかがであろうか。
 米国が自国の国益のために他国を最大限に利用し、また国家戦略のために9.11にまつわる各種事象を操作(アル・ゴア著『理性の奪還』)したりするように、日本も自立と国益を掲げて行動しないと、米中の狭間に埋没しかねない。
 核拡散防止条約(NPT)は高邁な趣旨と違って、保有を認められた5カ国の核兵器削減は停滞しているし、他方で核保有国は増大している。
 「唯一の被爆国」を称揚する日本であるゆえに、道義的観点並びに核に関するリアリズムに則った新条約などを提案する第一の有資格者である。
 同時に、地下鉄サリン事件の防護で有効に対処できた経験を生かし、核にも有効対処できるように準備する必要がある。
 その際、形容矛盾の非核三原則ではなく、バラク・オバマ大統領の言葉ではないが、「日本は核保有国になれるが、保有しない」(Yes, we can, but we don’t)と闡明し、しっかり技術力を高めておくのが国家の使命ではないだろうか。
 ヒラリー・クリントン米国務長官は「尖閣には日米安保条約第5条が適用される」と言明した。
 しかし、かつて一時的にせよ、ウォルター・モンデール元駐日米大使が「適用されない」と発言したように、政権により、また要人により、すなわちTPO(時・場所・状況)に左右されると見た方がよい。
 米国では従軍慰安婦の議会決議に見た通り、チャイナ・ロビーの活躍も盛んである。
 ましてや、既述のように決定の最大要因が国民意思であるからには、核兵器の惨害が米国市民数百万から1000万人に及ぶと見られる状況では、「核の傘」は機能しないと見るのが至当ではなかろうか。「有用な虚構」であり続けるのは平時の外交段階だからである。
先人の血の滲む努力を無にするな
 日本は明治維新を達成したあと、範を欧米に求めた。新政府の要路にある者にとって自分の地位が確立していたわけでもなく、また意見の相違も目立つようになり内憂を抱えていた。
 しかし、それ以上に外患に備えなければ日本の存立そのものが覚束ないという思いを共有していた。そこで、岩倉具視を団長とする米欧使節団を送り出したのである。
 一行には木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などもいた。1年10カ月にも及ぶ長期海外視察は、現役政府がそのまま大移動するようなもので、不在間の案件処理を必要最小限に留めるように言い残して日本を後にしたのもゆえなしとしない。
 よく言われるように、英国を観ては「40年も遅れている」とは受け取らず、「40年しか遅れていない」と見て、新興国日本の明日への希望を確認した。
 また、行く先々で文明の高さや日本と異なる景観に感服するところもあったが、その都度、好奇心を発揮して記憶にとどめ、また瀬戸内海などの素晴らしい景観があるではないかと、「日本」を決して忘れることはなかった。
 米国のウエストポイント陸軍士官学校を訪れた時は射撃を展示され、そのオープンさにびっくりするが、日本人ならばもっと命中させると逆に自信の程を高めている。
 ことほどさように、初めて外国を視察しているにもかかわらず、その目は沈着で、異国情緒に飲み込まれることもなく、基底に「日本」を据えて比較検証しようとしている。
 こうした見識はひとえに、為政者として日本の明日を背負って立たなければならないという確固たる信念がもたらしたと見るほかはない。
 代表団が特に関心を抱いたことは、小国の国防についてである。オランダ、ベルギー、デンマーク、さらにはオーストリア、スイスなどを回っては、日本の明日を固める意志と方策を見出そうと懸命である。
 もう1つ、国際社会に出ようとする日本が関心を持ったのは万国公法(今日の国際法)についてであった。プロシアの鉄血宰相ビスマルクの話には真剣に耳を傾け、また参謀総長モルトケの議会演説にも強い関心を持った。
 概略は次のようなものだった。
 「世界各国は親睦礼儀をもって相交わる態度を示しているが、それは表面上のことでしかない。内面では強弱相凌ぎ、大小侮るというのが実情である。万国公法は、列国の権利を保全する不変の法とはいうものの、それは大国の利のあるうちでいったん不利となれば公法に代わる武力をもってする」(ビスマルク)
 「政府はただ単に国債を減らし、租税を軽くすることばかりを考えてはならない。国の権勢を境外に振るわすように勤めなければならない。法律、正義、自由などは国内では通用するが、境外を保護するのは兵力がなければ不可能である。万国公法も国力の強弱に依存している」(モルトケ)
 このことは、現在にも通用する。しっかり反芻し、記憶することが大切である。
 日本は「唯一の被爆国」や「平和憲法」を盾に、国際情勢の激変にもかかわらず官僚的手法の「シーリングありき」で累次の「防衛計画の大綱」を策定してきた。
 こうした日本の無頓着で内向的対応が、周辺諸国の軍事力増強を助長した面はないのだろうか。
 明治の為政者たちが意識した外国巡視に比較して、今日の政治家の海外視察はしっかりした歴史観も日本観も希薄に思えてならない。
歴史の教訓を生かす時
 ここで言う歴史の教訓とは、明治の先人たちが命懸けで体得した「国際社会は力がものをいう」というリアリズムである。今日ではそのことが一段と明確になっている。
 アテネはデモクラシー(民主主義)発祥の地であり、ソクラテスやプラトンを輩出したことで知られている。
 そのアテネでは人民(デモス)の欲望が際限なく高まり、国家はゆすり、たかりの対象にされ、過剰の民主主義が国力を弱体化させていく。
 専制主義国家スパルタとの30年戦争の間にも国民は兵役を嫌い、目の前の享楽に現を抜かし道徳は廃れ、ついに軍門に下る。
 その後、経済も復興するが、もっぱら「平和国家」に徹し続け、スパルタに代わって台頭した軍事大国マケドニアに無条件降伏を突きつけられる。一戦を交えるが惨敗して亡国の運命をたどった。
 例を外国に求めるまでもない。日本にも元禄時代があった。男性が女性化し、風紀は乱れ、国家の将来が危ぶまれた。この時、出てきたのが「武士道といふは死ぬことと見つけたり」で膾炙している『葉隠』である。
 ことあるごとに死んでいたのでは身が幾つあってもたまらないが、真意は「大事をなすに当たっては死の覚悟が必要だ」ということである。 
 こうした考えが、自分たちのことよりも国家の明日を心配した米欧派遣の壮挙につながった。日本出発から1カ月を要してようやくワシントンに着くが、いざ条約改正交渉という段になって天皇の委任状のないことを指摘され、大久保と井上博文はその準備に帰国する。
 往復4カ月をかけて再度米国に着いた時には、軽率に条約改正する不利を悟り代表団が米政府に交渉打ち切りを通告していた。
 何と無駄足を運んだかとも思われようが、当時の彼らにとっては、国力の差を思い知らされる第1章と受け取る余裕さえも見せている。
 国家を建てる、そして維持することの困難と大切さを身に沁みて知ったがゆえに、華夷秩序に縛られた朝鮮問題で無理難題を吹っかけられても富国強兵ができる明治27(1894)年まで辛抱したのであり、三国干渉の屈辱を受けても臥薪嘗胆して明治37(1904)年までの10年間を耐えたのである。
 佐藤栄作政権時代に核装備研究をしていたことが明らかになった。「非核三原則」を打ち出した首相が、こともあろうにという非難もあろう。
 しかし、ソ連に中立条約を一夜にして破られた経験を持つ日本を想起するならば、「日本の安全を真剣に考えていた意識」と受け取り、その勇気に拍手喝采することも必要ではないか。
 国際社会は複雑怪奇である。スウェーデンもスイスも日本人がうらやむ永世中立国である。その両国が真剣に核装備を検討し、研究開発してきたことを知っている日本人はどれだけいるであろうか。また、こうした事実を知って、どう思うだろうか。
 「密約」を暴かずには済まない狭量な政治家に、そんな勇気はないし、けしからんと難詰するのが大方ではないだろうか。しかし、それでは国際社会を生き抜くことはできない。
終わりに
 漁船衝突事案では、横浜APECを成功させるために、理不尽な中国の圧力に屈した。日本は戦後65年にわたって、他力本願の防衛で何とか国家を持ちながらえてきた。
 しかし、そのために国家の「名誉」も「誇り」も投げ捨てざるを得なかった。今受けている挑戦は、これまでとは比較にならない「国家の存亡」そのものである。
 米国から「保護国」呼ばわりされず、中国に「亡失国家」と言われないためには、元寇の勝利は神風ではなく、然るべき防備があったことを真剣に考えるべきである。
 そのためにはあてがいぶちの擬似平和憲法から、真の「日本人による日本のための日本国憲法」を整備し、名誉ある独立国家・誇りある伝統国家としての礎を固めることが急務であろう。
〈筆者プロフィール〉
森 清勇 Seiyu Mori 星槎大学非常勤講師
 防衛大学校卒(6期、陸上)、京都大学大学院修士課程修了(核融合専攻)、米陸軍武器学校上級課程留学、陸幕調査部調査3班長、方面武器隊長(東北方面隊)、北海道地区補給処副処長、平成6年陸将補で退官。その後、(株)日本製鋼所顧問で10年間勤務、現在・星槎大学非常勤講師。また、平成22(2010)年3月までの5年間にわたり、全国防衛協会連合会事務局で機関紙「防衛協会会報」を編集(『会報紹介(リンク)』中の「ニュースの目」「この人に聞く」「内外の動き」「図書紹介」など執筆) 。
著書:『外務省の大罪』(単著)、『「国を守る」とはどういうことか』(共著)
 国防 日米安保条約が締結されてから50年目が経ち、いつしか日米安保は空気のような存在となった。そんな折、日本では自民党政権が倒れ、沖縄にある普天間基地の国外・県外への移設を掲げる民主党政権が誕生した。普天間基地の移設問題では早くも日米間できしみが生じるなど、日本の国防が根底から揺らぎそうな雰囲気だ。一方、中国が軍事力、なかんずく海軍力を大幅に増強、北朝鮮からは核ミサイル発射の危険性も現実のものとなり、国を守ることを国民一人ひとりが真剣に考えなければならない時代を迎えている。 *強調(太字・着色)は来栖 
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『憲法が日本を亡ぼす』古森義久著 海竜社 2012年11月15日 第1刷発行 2012-11-28 | 読書
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『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』日高義樹著《ハドソン研究所首席研究員》 2012年07月25日1刷発行 PHP研究所
p1~
  まえがき
 日本の人々が、半世紀以上にわたって広島と長崎で毎年、「二度と原爆の過ちは犯しません」と、祈りを捧げている間に世界では、核兵器を持つ国が増えつづけている。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に加えて、イスラエル、パキスタン、インドの3ヵ国がすでに核兵器を持ち、北朝鮮とイランが核兵器保有国家の仲間入りをしようとしている。
 日本周辺の国々では核兵器だけでなく、原子力発電所も大幅に増設されようとしている。中国は原子力発電所を100近く建設する計画をすでに作り上げた。韓国、台湾、ベトナムも原子力発電所を増設しようとしているが、「核兵器をつくることも考えている」とアメリカの専門家は見ている。
 このように核をめぐる世界情勢が大きく変わっているなかで日本だけは、平和憲法を維持し核兵器を持たないと決め、民主党政権は原子力発電もやめようとしている。
 核兵器を含めて武力を持たず平和主義を標榜する日本の姿勢は、第2次大戦後、アメリカの強大な力のもとでアジアが安定していた時代には、世界の国々から認められてきた。だがアメリカがこれまでの絶対的な力を失い、中国をはじめ各国が核兵器を保有し、独自の軍事力をもちはじめるや、日本だけが大きな流れのなかに取り残された孤島になっている。
 ハドソン研究所で日本の平和憲法9条が話題になったときに、ワシントン代表だったトーマス・デュースターバーグ博士が「日本の平和憲法はどういう規定になっているか」と私に尋ねた。
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 私がこう憲法9条を読み上げると、全員が顔を見合わせて黙ってしまった。一息おいてデュースターバーグ博士が、こういった。
おやおや、それでは日本は国家ではないということだ
 これは非公式な場の会話だが、客観的に見ればこれこそ日本が、戦後の半世紀以上にわたって自らとってきた立場なのである。
 このところ日本に帰ると、若い人々が口々に「理由のはっきりしない閉塞感に苛立っている」と私に言う。私には彼らの苛立ちが、日本が他の国々とあまりに違っているので、日本が果たして国家なのか確信が持てないことから来ているように思われる。世界的な経済学者が集まる会議でも、日本が取り上げられることはめったにない。日本は世界の国々から無視されることが多くなっている。
 日本はなぜこのような国になってしまったのか。なぜ世界から孤立しているのか。このような状況から抜け出すためには、どうするべきか。 *強調(太字・着色)は来栖
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