「日米対中国」と考える愚かさ 田中良紹の「国会探検」
2012年9月24日 The JOURNAL
尖閣諸島の国有化を巡り、日中が衝突すればアメリカは日本の側につくと考える日本人が多いようだ。アメリカがその地域を「日米安保の適用範囲」と発言しているからである。しかしだからと言ってアメリカが日本の側につくとは限らない。アメリカは自らの国益を考えて利益のある方につく。それが国際政治の現実である。
まず現在の日本の領土がどのように確定されたかを考える。確定させたのは1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約である。第二次世界大戦で連合軍に無条件降伏した日本は領土についてすべての権利を放棄し処分権を連合国に委ねた。
そこで日本が支配していた朝鮮半島をはじめ日清、日露、第一次大戦で領有した台湾、澎湖諸島、南樺太、千島列島、南洋諸島、南沙諸島のすべての権利を日本は放棄させられた。また北緯30度以南の南西諸島や小笠原諸島はアメリカの信託統治領となった。その南西諸島の中に尖閣諸島はある。
一方、サンフランシスコ講和条約と同時に日米は安保条約を締結し、米軍が日本国内の基地に駐留する事になった。領土問題とは言えないが日本国家の主権が及ばない米軍基地が首都近郊を含め日本の至る所に作られた。
現在日本が抱える領土問題の相手国は、北方領土がロシア、尖閣諸島が中国、竹島が韓国といずれも第二次大戦の戦勝国か戦勝国の側である。そして今回の竹島への韓国大統領上陸と尖閣諸島への香港活動家の上陸は、日本が敗戦国である事を思い出させる8月に決行された。
中国の習近平国家副主席がアメリカのパネッタ国防長官との共同記者会見で、日本の尖閣諸島国有化を「第二次世界大戦以降の戦後秩序に対する挑戦」と発言したのは、まさに日本は敗戦国、中国とアメリカが戦勝国である事を指摘し、領土問題で米中は同じ側に立つことを強調したのである。
これに対してパネッタ長官が「日米安保の適用範囲」と言うのは、サンフランシスコ講和条約から1972年までその地域をアメリカが統治し、その後日本に返還したのだから当然である。しかしそれはこの問題でアメリカが日本の側に立つことを意味しない。
なぜならアジア地域でのアメリカの基本戦略は日本に近隣諸国と手を組ませないようにする事だからである。日本がアメリカだけを頼るようにしないとアメリカの国益にならない。そうした事例を列挙する。
アメリカはまず北方領土問題で日ソ間に平和条約を結ばせないようにした。そもそも北方領土問題を作ったのはアメリカである。真珠湾攻撃の翌年からアメリカはソ連に対日参戦を要求し、その見返りとして日露戦争で日本に奪われた南樺太と千島列島を返還する密約をした。
サンフランシスコ講和条約で領土が確定された時点での日本政府の認識は千島列島に国後、択捉島を含めており、日本領と考えていたのは歯舞、色丹の2島だった。従って2島返還で日ソ両国は妥協する可能性があった。
ところが米ソ冷戦下にあるアメリカのダレス国務長官はこれを認めず、4島返還を要求しなければアメリカは沖縄を永久に返さないと日本に通告した。これに日本は屈し4島返還を要求するようになり日ソは妥協する事が出来なくなった。
小泉政権の日朝国交正常化に横やりを入れたのもアメリカである。日本は200億ドルともいわれる援助の見返りに北朝鮮と国交を結ぼうとしたが、アメリカのブッシュ大統領はこれを認めなかった。国交正常化の可能性ありと見て金正日総書記がいったんは認めた拉致問題もそれから進展が難しくなった。
韓国の李明博大統領がしきりに持ち出す従軍慰安婦問題にもアメリカの影がある。2007年にアメリカ下院はこの問題で日本政府に謝罪を要求する決議を行った。中東のメディアは「アメリカは日本と中国、韓国の間にわざとトラブルを起こさせようとしている」と解説した。
日本がアメリカの戦略に反した唯一の例が日中国交正常化である。中ソの領土紛争を見て分断を図れると考えたアメリカは、中国と手を組めば泥沼のベトナム戦争からも撤退できると考え電撃的なニクソン訪中を実現させた。しかし台湾との関係をどうするかで国交正常化に手間取る隙に、先に中国との国交正常化を成し遂げたのが日本の田中角栄総理である。中国と極秘交渉を行ってきたキッシンジャー国務長官は激怒したと言われる。それがロッキード事件の田中逮捕につながったとの解説もある。
アメリカは中国に対し日米安保は日本を自立させない「ビンのふた」であると説明し、中国はそれを共通認識として米中関係はスタートした。従って尖閣周辺の海域で米中が軍事的に睨み合う形になったとしても、それは日本のためにではなく、米中双方の利益のために何が最適かを導き出すための行動となる。
ところでパネッタ長官の訪中は米中の軍事交流を深めるのが目的である。その一方でアメリカは日本に対し中国の軍事力の脅威を宣伝し、オスプレイの配備など日本領土の基地機能強化を進めている。中国の脅威を言いながらアメリカは中国との軍事交流を深めているのである。小泉政権時代の外務大臣が米中軍事交流に抗議するとアメリカから「そういう事はもう一度戦争に勝ってから言え」と言われたという。
領土問題は力の強いものが勝つ。それが国際政治の現実である。話し合いで解決するにしても力の強い方に有利になる。力とは軍事力だけを意味しない。むしろ経済力、外交力、そして国民の意思の力が重要である。ところが「日米安保の適用範囲」という言葉にしがみつく日本人は何の保証もないアメリカの軍事力にしがみついているのである。それは日本が経済力、外交力、国民力に自信がないことを露呈しているに過ぎない。
(田中良紹)
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◆ 『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』日高義樹著《ハドソン研究所首席研究員》2012年07月25日1刷発行 PHP研究所
p240~
北朝鮮のクルージングミサイルは、沖縄や横須賀の基地だけでなく、アメリカの軍艦を攻撃する能力を十分に持っている。海兵隊を乗せて乗せて上陸作戦を行おうとするアメリカ第7艦隊の輸送部隊が沈められてしまうことになる。
中国と北朝鮮がミサイル戦力を強化したことによって、朝鮮半島と台湾をめぐるアメリカの戦略は大きく変わらざるを得なくなっている。アジア太平洋の他の地域についても同様である。中国が尖閣諸島を占領した場合、あるいは攻撃してきた場合、日本はアメリカ軍が応援してくれると期待している。日米安保条約がある以上、アメリカが日本を助けるのは当たり前だとほとんどの日本人が考えている。 (p241~)しかもアメリカは、決定的な抑止力である核兵器を持っている。限定された戦いにアメリカが介入すれば、勝つのは当たり前だと日本人は考えてきた。だが日本人は、この考え方が通用しなくなっていることを理解しなければならない。
朝鮮半島や台湾と同じように、尖閣諸島でも、あるいは南シナ海の島々でも、アメリカ軍は簡単に中国と戦うことができない。北朝鮮と戦うこともできない。アメリカの軍事力がアジア極東を覆い、日本の安全保障の問題はすべてアメリカが日本のために処理してくれる時代は終わってしまった。
アメリカ軍は世界のあちらこちらで、自国の利害に関わる問題に手を焼いている。自らの犠牲を顧みず、日本のために北朝鮮や中国と戦うことは出来ない。日本は自分の力で自分の利益を守らなくてはならない。
尖閣諸島の問題が起きたときに、アメリカが日本の利益を守ろうとすれば、アメリカ本土を狙う長距離攻撃能力を手にした中国と話し合いをつけなければアメリカ自身の国益を守ることができなくなるのである。簡単に言えば、日本に供与されてきたアメリカの「核の傘」がなくなりつうあるのだ。
台湾はすでに、この状況を理解している。自らの利益を守るため、アメリカの力を借りる代わりに、ミサイルを開発して三峡ダムや北京を攻撃する能力を持ちつつある。
p242~
韓国はすでにアメリカから中距離ミサイルの購入を始め、最新鋭の戦闘機F15Eを買い入れた。F15Eは日本の航空自衛隊が持つF15Jよりも優れた電子兵器を装備していることで知られている。
2012年3月に出版した拙著『帝国の終焉』でも述べたことであるが、アメリカの核抑止力がなくなり、アメリカが核の力で日本を助ける体制は、急速に消えつつある。アメリカの「核の傘」がなくなることは、戦後の半世紀にわたる日本の基本的な立場がなくなることを意味している。
日本人はこのところ、「世界で最も好かれている国は日本」などといった世論調査のデータをありがたがっているが、国際社会で好かれたり嫌われたりといったことは、あまり意味がない。
第2次大戦以来、日米同盟が存在し、日本がアメリカの核の抑止力のもとにあったことは、日本が紛れもなくアメリカの一部であることを示していた。世界の人々、とくに中国や韓国、東南アジアの人々が、好き嫌いとは関わりなく、アメリカの一部として日本に対応してきたことは、紛れもない事実である。
p243~
日米安保条約のもとで、アメリカがどう考えているかということに関わりなく、アジアの人々は、日本がアメリカの一部であり、日本の国土や船舶を攻撃することは、アメリカを攻撃することだと考えてきたのである。
日本では国際主義がもてはやされ、国際社会では民主的で人道的な関わり合いが大切で、そうした関係が基本的に優先されると思ってきた。だがこうした考え方が通ってきたのは、アメリカの核兵器による抑止力が国際社会に存在していたからである。そのなかでは日本はアメリカの優等生として受け入れられてきた。
日本は、国際社会における国家の関係は好き嫌いではなく、損か得かが基本になっていることを理解しなければならない。国際社会における国家は、国家における個人ではない。国際社会というのは、それぞれの国家が利益を守り、あるいは利益を求めて常に混乱しているのである。国家は、世界という利益競合体のなかにおける存在単位なのである。当然のことながら、好き嫌いといった感情が入る余地はない。
日本人は感情的であるとよく言われるが、世界を感情的に捉えて、国家を理解しようとするのは間違っている。日本人が世界で最も好かれているという思い込みは、世界という実質的な利害共同体のなかで、日本がアメリカのもとで特別な存在だったからに過ぎないことを忘れているからだと私は思う。
p244~
いずれにしてもアメリカの力が大きく後退し、アメリカの抑止力がなくなれば、日本は世界の国々と対等な立場で向き合わなければならなくなる。対立し、殴り合ってでも、自らの利益を守らなくてはならなくなる。そうしたときに、好きか嫌いかという感情論は入る余地がないはずだ。(略)
アメリカの核兵器に打ちのめされ、そのあとアメリカの力に頼り、国の安全のすべてを任せてきた日本人は、これから国際社会における地位を、自らの力で守ることを真剣に考えなければならない。
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