拘置所衛生夫が見た「オウム麻原彰晃」の今 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(1) 「週刊新潮」2018年3月29日号

2018-03-29 | オウム真理教事件

拘置所衛生夫が見た「オウム麻原」の今 死刑執行まで秒読み
2018年3月28日 8時0分 デイリー新潮
■「オウム死刑囚」13人の罪と罰(1)
 執行、秒読み。突然のオウム真理教死刑囚の「移送」はそれを雄弁に物語っている。事件から四半世紀、凶行が歴史の一部となりつつある彼らの「罪と罰」を振り返る。
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 事態が急展開したのは、3月14日の朝だった。
 一連のオウム真理教事件の死刑囚は全部で13名。いずれも東京・小菅の東京拘置所に収監されている。この日6時半、13名のうち7名を乗せたバスが1台ずつここを出た。乗っていたのは、林泰男、岡崎一明、横山真人、新実智光、井上嘉浩、中川智正、早川紀代秀の各死刑囚。そして、仙台、名古屋、大阪、広島、福岡の各拘置所に移送されたのである。
 「司法記者は“臨戦態勢”を取り始めています」
 と振り返るのは、さる全国紙の司法担当デスク。
 「とりわけオウムの場合、死刑囚の移送はそのまま、執行の準備が整ったことを意味する。いつ頃Xデーが来るのか、どの社も取材に追われています」
 どういうことか。
 日本には現在、死刑を執行する「刑場」を持つ拘置所は、東京拘置所を含めて7カ所。7人が移送された各拘置所も、いずれも刑場を持つ。
 「ひとつの事件で複数の共犯者に死刑が確定している場合、同時に執行するのが原則です。しかしオウムの場合、13人もが確定している。東京拘置所には刑場はひとつしかなく、執行は1日2人が限界です。そのため、まとまった数を同時に執行するには、予め他の拘置所に分散しておかないと不可能なのです」(同)
 裏を返せば、そのための措置をとったということは、執行の準備が整ったということ。いつハンコが押されてもおかしくないのだ。
“今年中に終わらせる”
 大阪拘置所の元刑務官・藤田公彦氏も言う。
 「死刑というのは、準備がものすごく大変なんです。死刑囚を独房から連れ出す時だって、暴れるかもしれないし、自殺を図るかもしれないので、屈強な刑務官が廊下に5メートル置きに並んで不測の事態に備える。また、失敗は絶対に許されないので、絞首台がきちんと動くかどうか、事前の機械のチェックがものすごく厳しい。スイッチを押す刑務官の心理的負担も大きいのです。1日2人が限界。今回、移送したのも、同時執行に備え、全国に散らしたものと見て間違いないでしょう」
 現在、東京拘置所に残っている6名も、近く数名は追加で移送される可能性があると言うのである。
 となれば気になるのは、執行はいつ、どのように行われるか、ということだ。
 司法に詳しいジャーナリストが言う。
 「13人まとめて、というのは、あまりに“大量処刑”感があり過ぎて難しいでしょう。もっとも現実的なのは、地下鉄サリン事件、松本サリン事件、坂本弁護士一家殺害事件など、事件ごとに死刑を執行していく方法です。ただ、地下鉄サリンだけでも10名が死刑確定していますから、一回では多過ぎる。これも複数回に分けるのではないでしょうか。はじめに麻原が執行されるのは間違いなく、同時に、関わった事件が2番目に多い中川や、関わった死者数が2番目の新実など数名を執行する。そしてその後は、残った数名を分けて断続的に行う、となるでしょう」
 時期についても、
 「麻原の執行は明日行われてもおかしくない。来年は、5月に新天皇への代替わりが行われるなど“慶事の年”。平成の事件は平成で終わらせる、という観点から考えても、13人の執行は今年中に終わらせるのが常識的ではないでしょうか」(同)
 オウム真理教に関しては、殺人から微罪に至るまで数多の事件が立件された。中でも犠牲者が多かった坂本堤弁護士一家殺害事件(1989年)、松本サリン事件(1994年)、地下鉄サリン事件(1995年)は、「三大事件」と呼ばれ、凶悪性の象徴と語られている。
 13名中、三大事件すべてに関わり、死刑判決を受けた死刑囚は3名のみ。ひとりはもちろん麻原彰晃、そして残り2人は、中川智正と新実智光である。
“生気”なき麻原の姿
 すべての首謀者・麻原。彼は今回の移送に漏れ、東京拘置所に残されたままだ。その麻原の5年前の目撃証言がある。当時、東京拘置所の「病舎」で「衛生夫」として働いていた男性のものだ。
 彼が振り返って言う。
 「『病舎』とは、HIV感染者や覚醒剤中毒者などが集められるフロア。ここの独房に麻原はいました。左右の部屋は空き室になり、さらにその入り口周辺は鍵付きのパーテーションで囲われていた。衛生夫はもちろん、刑務官でも勝手に入れない。麻原の姿を外部に漏らさない体制になっていました」
 この元衛生夫は、麻原不在の折に掃除を命じられ、何度かその独房に入ったことがあるという。
 「本や置物など、生活感のあるものは一切ありませんでした。床には糞尿が散らばり、酷い臭いを放っていました。布団も毎日のように替えられていましたから、きっと毎日“お漏らし”をしていたのでしょう」
 一度だけ偶然、麻原の姿を目にしたこともあった。
 「車椅子に乗せられてどこかへ移動する時のものでした。刑務官5~6人に囲まれていましたが、髪も伸びたままで、事件当時よりは痩せていた。“生気”はまったく感じられず、ただ為されるがままに生きている、という印象でした」
 それが5年前。現在はより状況が“悪化”していることは想像に難くない。
 (2)へつづく
「週刊新潮」2018年3月29日号 掲載 デイリー新潮

 ◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
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獄中の麻原彰晃に接見して 会ってすぐ詐病ではないと判りました 拘禁反応によって昏迷状態に陥っている
『獄中で見た麻原彰晃』 麻原控訴審弁護人編 インパクト出版会 2006年2月5日 第1刷発行
◇  東京拘置所「衛生夫」が語った オウム首魁「麻原彰晃」闇の房 / 大道寺将司~午後の一番風呂の“厚遇” 2014-01-31 
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◇ 拘置所衛生夫が見た「オウム麻原彰晃」の今 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(1) 「週刊新潮」2018年3月29日号
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