小沢無罪判決の本質
永田町異聞 2012年04月27日(金)
「これから控訴するというのはなかなかつらいというのが正直なところです」
記者に控訴するかどうかを問われ、小沢裁判で検察官役をつとめた指定弁護士は苦笑いしてそう言った。
もともと、お気の毒な立場の方々である。自分たちが捜査したわけでもなく、証拠はもちろん、さしたる信念もないのに、行きがかり上、役柄を割り当てられて、仕事をこなしてきた。失礼ながら、東京地検特捜部の下請けのようなイメージで見られることもあるだろう。そのあげく、東京地裁の裁判長に、あなた方の言うことはよくわかるとその努力をたたえられたうえで、それでも小沢氏が元秘書と共謀したという証拠はないと突き放された。これ以上、我々になにができるというのか…そんな気分にもなるだろう。
小沢無罪は、当然すぎるほどである。もちろん、東京地裁の判決内容の細部には問題もあるが、「任意性の疑いがある捜査があった。あってはならないことだ」と東京地検特捜部の取り調べを批判し、虚偽捜査報告書について検察の自浄的調査を促した点は評価できる。
最高検は、大阪地検特捜部のFD改ざん事件で見せた身内への迅速な捜査を、東京地検特捜部についても進めるべきであろう。
さて、小沢裁判の本質は、政治資金収支報告書の記載方法というチマチマした問題ではなく、政権交代前夜の首相候補者を抹殺しようとした検察(行政)権力の企てに、司法権力がどう対処するかという、その一点にあった。
04年の陸山会収支報告書に「小沢一郎からの借入金4億円」と明瞭に記されている以上、小沢氏に4億円の資金提供を隠そうという意図や理由があったとは全く考えられない。にもかかわらず、むりやり「4億円には水谷建設からの裏金が含まれている」というストーリーをでっちあげたのが東京地検特捜部だった。
2009年春、麻生政権は国民の支持を失ってダッチロール飛行を続け、誰の目からも民主党への政権交代、すなわち「小沢総理」の誕生が間近に迫っていると見えた。
しかし、そのころ東京地検特捜部では、小沢民主党政権誕生を阻止する方策が練られていた。
自衛隊は別として、現代の公的暴力装置といえるのは、人をお縄にかけることのできる検察や警察、そしてペンや電波の威力で世論を変えうるマスメディアであろう。
それゆえにこそ検察は、政治権力ににらみを利かし、政治家をバカ呼ばわりし、司法記者クラブを通じてメディアをコントロールして、正義を体現する国家の主人公であるかのごとき幻想にひたっている。
彼らにしてみれば、政治家は誰しも叩けばほこりが出る汚れた存在だ。不動産売買などが目立ち、つねに彼らがマークしてきた小沢氏が、仕留めたい政治家のナンバーワンだったことは間違いない。
加えて、官僚支配体制の解体を唱えていた小沢に反発する空気は霞ヶ関全体を覆っていただろう。
自公政権下で検察内部の「裏金問題」を隠し通してきたことも、麻生政権救済へのモチベーションを高めたはずだ。政権が代われば自分たちの組織も安泰とはいえない。
「その道の第一人者をターゲットにする」といわれる国策捜査への着手に向けた流れは検察の穏健派にも押しとどめようがなかった。
特捜部が政治家への捜査で目をつけるのは当然のことながら贈収賄の匂いがする資金の流れだ。政治資金収支報告書への記載方法をめぐる些細な案件で小沢の元秘書らを逮捕したのは、ゼネコンから裏献金を受け取ったと口を割らせたいからにほかならない。
特捜部は小沢から出た土地購入資金4億円に裏献金が含まれていると思い込み、元秘書らを締め上げるとともに、関連する建設業者への事情聴取を躍起になって続けた。
しかし、元秘書らは裏献金を全面否定し、服役中だった水谷建設元会長の「5000万円を渡した」とする供述を除いて、何一つ小沢サイドに不利な証言は出てこなかった。
しかも、水谷建設元会長は、冤罪の疑いが濃い佐藤栄佐久元福島県知事の汚職事件で、佐藤の弁護士に「検察の言うとおりに証言した」と告白したいわくつきの人物である。当然、その証言は証拠価値が極めて薄い。結局、特捜部の手もとに残ったのは、建設業者への取り調べメモ70通だった。そして70通のすべてが、「小沢側にカネは渡していない」など、小沢有利の証言ばかりだった。
東京地検は上級庁と相談のうえ、やむなく小沢起訴を断念した。
しかし、「小沢一郎との全面戦争だ」と意気込んでいた特捜部の急進派検事たちはこの決定に納得しなかった。
真相の追求という本来の任務から逸脱し、自己目的化した小沢抹殺という、歪んだ情念をもはやかき消そうともしなかった。
彼らが目的達成に一縷の望みを託したのは、あろうことか、東京地検の不起訴処分が適正かどうかを判定する検察審査会の市民たちに与えられた強制起訴という新権力だった。
自分たちの組織が決定したことを不当だとして、小沢を強制起訴してもらうことが彼らの新たな目的になったのである。
吉田正喜特捜副部長は「今回は小沢を起訴できないけれども、検察審査会で必ずやられる」と、小沢の元秘書、石川知裕衆院議員に語ったといわれる。自分たちの組織の決定を否定されることを望む一種の倒錯的な言動だが、彼らの「気分本位」な行動原理のうえでは一貫性があるのだろう。
この国の政治は、菅政権、野田政権と移りゆくうちに、脱官僚依存、政治主導という政権交代の看板理念はどこかに消え失せ、いまや自民党政権時代に逆戻りしたかのごとく財務省を中心とした官僚支配が復活している。
このため、省庁縦割りの壁がたちはだかって震災復興への足取りは鈍く、揚げ足取りに終始する国会のていたらくで、必要な法案もスムーズに通らない。
このような国難の時こそ、勇猛果敢に政治決断のできる人物が必要であり、日本の政界を見渡すとき、その適格者がいるとすれば小沢一郎しか思い当たらない。
ところがこの国には、はるか昔から、中央集権官僚を軸とした既得権を守護するモンスターのような強力免疫システムが存在し、小沢のような異端者を見つけると撃退にかかる。
そこにマスコミはおろか「市民感覚」の衣をまとった正体不明の新権力「検察審査会」までが小沢退治に加わって、暴力的な政治破壊へと突き進んだ。
それは、まさに小沢が法廷で次のように陳述した戦前の歴史を彷彿とさせる。
「日本は戦前、行政官僚、軍部官僚・警察検察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。 その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でありました。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません」
モンスターのごとき官僚組織の最前線に立つ検察は戦前、天皇の名のもとに権力を使ったが、戦後は仕える相手を国家という抽象的な概念に置き換えて、国家の守護者たる自分たちこそ正義であると盲信し行動しているかに見える。
その傲慢な遺伝子のルーツをたどれば、平沼騏一郎に行き当たる。政治に介入する検察をつくった平沼の血を戦後に受け継いだのが「検察の鬼」といわれた河井信太郎といえるだろう。警察より検察の力が強くなったのは1909年(明治42年)の日糖事件がきっかけだった。
大日本精糖が衆院議員に贈賄攻勢をかけたこの事件で、検察は衆院議員二十数人と日糖の重役を起訴した。もちろんこれほど多数の国会議員がからんだ汚職事件は初めてのことであり、ときの大審院(今の最高裁)検事だった平沼が、桂太郎首相の懇請を一部受け入れるかたちで貸しをつくりつつ、検察という組織への恐怖を政界に植えつけた。
これを機に検察の捜査権限、訴追裁量権が拡大され、平沼を中心とした思想検事たちの、いわゆる「平沼閥」が形成されてゆく。
平沼の指揮のもと「史上最大の暗黒裁判」といわれる大逆事件で幸徳秋水らが死刑になったあと、海軍疑獄のシーメンス事件の捜査では第一次山本権兵衛内閣が倒れるほどの衝撃を政界に及ぼし、平沼がのちに第二次山本権兵衛内閣が誕生したさい司法大臣として入閣する道を開いた。
そのころ、平沼は皇室中心主義の「国本社」なる修養団体を結成し、司法官僚や軍部将校、国家主義的政治家を集めて、国粋主義、右翼思想の拠点とした。
平沼は天皇の諮問機関「枢密院」副議長だった1934年、帝人事件の発覚と同時に、首相の座をめざして大勝負に打って出る。
斎藤信内閣を倒すために配下の司法官僚を動かし、検察に政財界の16人を贈収賄などで起訴させて倒閣に成功したが、全員に無罪判決が出て、「検察ファッショ」「倒閣目的のでっち上げ」と批判された。
自由主義的な政策を打ち出していた斉藤内閣が崩壊したことにより、日本は軍国主義の道をひた走る。平沼は1939年、念願の首相の座に就いたが、三国同盟をめぐる閣内対立により8か月足らずで早々と退陣した。
明治憲法においては行政官庁である司法省が裁判所の人事権を握っていたため、現実には検察が裁判所に干渉することが可能だった。
平沼が登場してからは「検事司法」と評されたほど検察の優位がめだった。平沼主導のもと検察は政治性を強め、思想検察といわれるグループが主流派となっていった。
いまの東京地検特捜部を見ていると、その実態は平沼の「思想検察」とほとんど変わらないように思える。
平沼の強権性の遺伝子を受け継いだのは河井信太郎といっていいだろう。
1954年の造船疑獄は、誕生間もない東京地検特捜部が総力をあげて取り組んだ戦後初の本格的贈収賄事件だ。マスメディアの「検察正義史観」は、河井が関わったこの事件に端を発しているのではないかと思われる。戦争で疲弊した造船や船舶会社が経営再建のため、有利な立法を画策し、政官財界に巨額のカネをばら撒いた。容疑者の一人が、政権を握っていた自由党の幹事長、佐藤栄作だったが、指揮権発動で刑事訴追を免れた。
政治権力に幹事長の逮捕を阻まれ、河井ら正義感の強い特捜部の検事が涙を飲んだという伝説がいまだに信じられている。伝説をつくったのは、もちろんマスコミだ。政治家は自らの利益のために「正義の検察」を邪魔する悪党であるというイメージが国民の頭に刷り込まれた。
しかし実のところ、それは、検察が政治に敗北したのではなく、勝利したことを意味していた。ジャーナリスト、渡邉文幸の著書「指揮権発動」が、その理由を解き明かしてくれる。この本の核心は、事件捜査当時、法務省刑事局長だった井本台吉氏による40年後の証言だ。
それによると、河井信太郎ら特捜部が佐藤逮捕をめざして宣戦布告したものの、捜査が進むにつれ検察に勝ち目のないことが分かり、検察首脳の焦りはつのった。自ら撤退すれば検察の威信が揺らぐ。
そこで、東京地検検事正、馬場義続は、やむなく捜査を終結せざるを得ない状況をつくるため、副総理、緒方竹虎に「指揮権発動」を働きかけた。馬場の親友、法制局長官、佐藤達夫も援護射撃し、最終的に吉田茂首相が「指揮権発動」を決断したのである。
こうして東京地検特捜部には「名誉ある撤退」の道が開け、かろうじて面目を保った。
その一方で、犬養法相は「指揮権発動」の翌日、辞任した。
河井信太郎について、元検事総長、伊藤栄樹は「河井の調べを受けて自白しない被疑者はいなかった。しかし法律家とはいえなかった。法律を解釈するにあたって、無意識で捜査官に有利に曲げてしまう傾向が見られた」と語ったという。
ここに、ロッキード事件から村木冤罪事件につながる数多くの強引な捜査の原型があるとはいえないだろうか。
そしてそれは、石川知裕衆院議員への取り調べ録音テープでうかがえるように、陸山会裁判にも通底している。
河井の強引な捜査手法を形成したのは、やはり平沼騏一郎由来のDNAであろう。
マスコミによって「正義の特捜」vs「巨悪の政界」という単純図式を、世間は信じ込まされ続けてきた。
平沼から河井、そしてその後輩検事に受け継がれた独善・歪曲のDNAは、ロッキード事件、リクルート事件など、世間の喝さいを浴びる一方で冤罪の疑いも濃い捜査を生み出した。
その後は住専事件、鈴木宗男・佐藤優事件など、摘発のハードルを下げて、真実追求よりも、特定の対象を狙い撃ちにする国策捜査に堕落しながら、特捜の存在価値を維持しようとして間違いを犯してきたといえる。
陸山会事件は、政治資金収支報告書の記載方法をめぐる些細な解釈の違いをあげつらって、元秘書3人を逮捕し、国政に影響の大きい小沢という一人の政治家の政界追放を画策したものであり、まさに国策捜査のなかでも、最悪の部類に属する。
今回の小沢無罪判決は、元秘書三人への「推認」による有罪判決で「異常」を露呈したこの国の司法が、わずかながら、「普通」を取り戻したということであろう。
これを報じるテレビ、新聞は、三年余りにわたるほとんど誤報に近い小沢バッシングの自己正当化をはかるかのごとく、「グレー」とか「限りなく有罪に近い無罪」とか、判決の片面ばかりを異常に強調する。どの民放テレビ局を見ても、高井康行、若狭勝といった特定のヤメ検弁護士が登場してこの判決のコメントをしていたのも気になった。
「小沢元代表無罪 許せぬ検察の市民誤導」と題する東京新聞の社説があったのは、新聞界にとってせめてもの救いといえよう。
新 恭(ツイッターアカウント:aratakyo)
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◆小沢一郎氏 初公判 全発言/ 『誰が小沢一郎を殺すのか?』 2011-10-06 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
小沢元代表 初公判の全発言(10月6日 14時0分NHKニュースより)
今、指定弁護士が話されたような事実はありません。裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の主張に対し、私の主張を申し上げます。
指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきです。
百歩譲って裁判を続けるにしても私が罪に問われる理由はまったくありません。なぜなら、本件では間違った記載をした事実はなく、政治資金規正法の言う虚偽記載には当たりませんし、ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてないからです。
また本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじったという意味において、日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。以下にその理由を申し上げます。
そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、みずから発見したものであれ、マスコミ、他党など第三者から指摘されたものであれ、その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に自主申告して収支報告書を訂正することが大原則であります。
贈収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査すると、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性があり、ひいては国民の主権を侵害するおそれがある。
だからこそ政治資金規正法が制定されて以来、何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても実質的犯罪を伴わないものは検察の言う単純な虚偽記載も含めて例外なく、すべて収支報告書を訂正することで処理されてきました。陸山会の事件が立件されたあとも、今もそのような処理で済まされています。
それにも関わらず唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけがおととし3月以来1年余りにわたり、実質的犯罪を犯したという証拠は何もないのに東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領などの実質的犯罪はまったく行っていません。
なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。したがってこの事例においては、少なくとも実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。
それなのに、おととし春の西松事件による強制捜査、昨年初めの陸山会事件による強制捜査など、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸しています。
この捜査はまさに検察という国家権力機関が政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。
オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、政治的に類を見ない」と言っています。「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。
それ以上に、本件で特に許せないのは、国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。
おととしの総選挙の直前に、証拠もないのに検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を乱用して、私を狙って強制捜査を開始したのであります。
衆議院総選挙は、国民がみずから主権を行使して、直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分に予想された特別なものでありました。そのようなときに、総選挙の行方を左右しかねない権力の行使が許されるとするならば、日本はもはや民主主義国家とは言えません。
議会制民主主義とは、主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、その良心と良識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。
日本は戦前、行政官僚、軍部官僚検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でした。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。
東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、東京電力福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。そうした悲劇を回避するためには、まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。まだ間に合う、私はそう思います。
裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。ありがとうございました。
*『誰が小沢一郎を殺すのか?』〈カレル・ヴァン・ウォルフレン著〉
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◆誤算「小沢氏を確実に黒にできる証拠がない」起訴して無罪だったら、検察は政治に乗っ取られてしまう 2012-04-27 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
陸山会事件判決 小沢一郎元代表に無罪
供述頼み 検察に誤算 崩れた裏金シナリオ
中日新聞 8面 2012/4/27Fri.
政治資金規正法違反(虚偽記入)罪で強制起訴された民主党の小沢一郎元代表に、東京地裁は26日、無罪を言い渡した。政治資金収支報告書の虚偽記入を認める一方、元秘書との共謀はなかったと判断。さらに虚偽捜査報告書問題を引き起こした東京地検特捜部の捜査手法を批判。裁判を通じて「市民の判断」に基づく強制起訴制度の課題も浮かび上がった。政界実力者をめぐる歴史的な裁判から見えたものは何か。
■突破できる
一人の政治家の立件に、東京地検特捜部は2年以上こだわり続けた。しかし、関係者の取り調べは難航し、証拠もそろわぬまま検察内部の意見は対立した。結局、自ら起訴することもできず、最強と言われた捜査機関は自滅した。歯車はどこで狂ったのか。
「石川さえ逮捕すれば、必ず壁を突破できます」。2010年1月、特捜部長と陸山会事件を担当する最高検検事は小沢元代表の立件へ向け、秘書だった石川知裕衆院議員(38)逮捕の必要性を検察幹部に説得していた。
特捜部が描いた筋書きはこうだ。陸山会は04年10月、東京都世田谷区に秘書寮建設のために土地を購入。元代表が用立てた4億円の中には、ゼネコンからの裏金が含まれていたはずだ--。
事情聴取で、中堅ゼネコン水谷建設(三重県桑名市)の元社長は「04年10月に都内のホテルロビーで石川議員に現金5000万円を渡した」と、胆沢ダム(岩手県奥州市)の工事受注をめぐり裏金を渡したことを認めた。特捜部は、土地購入と時期が重なる資金授受を突破口に元代表に迫ろうとした。
一方、石川議員は元社長との面識を否定したが、国会開会を目前に強制捜査すべきだと特捜部長らは主張。慎重姿勢だった検察首脳も最終的に首を縦に振り、10年1月15日に石川議員らを逮捕した。
「現職議員の逮捕で現場は引き返せず、無理をしたのかもしれない。逮捕せずに捜査を続けていたら、捜査報告書などの問題は発覚どころか、そもそも起こらなかったんじゃないか」。当時の首脳の一人は、そんな思いが頭をよぎる。
■幹部の妄想
「あのゼネコンは2億円、この下請は5000万円、小沢に裏金を渡したはずだ」
石川議員ら元秘書3人を逮捕したころ、地検10階の執務室で特捜部長は部下たちに語っていた。捜査現場のリーダー格である主任検事はゼネコン各社の一斉聴取で応援に来ていた検事に「特捜と小沢との全面戦争だ」とハッパをかけた。
小沢事務所とゼネコンの癒着の有無の解明に、特捜部は全力を注いだ。連日、聴取に呼ばれた各社の担当者らは「検事は裏金を渡しただろ、の一点張りだった」と明かす。
結局、裏金にむすび付く供述は出てこない。捜査にあたった検事も「机をたたこうが、怒鳴ろうが担当者らは話さない。裏金は根拠のない思い込みだ」、「現場では上司への不満が渦巻いた。
大阪地検特捜部から応援に入った前田恒彦元検事(44)は元代表の公判で証言。「裏金の筋書きは一部の検察幹部の妄想だった。もう少し小沢先生や奥様の資金周りを捜査すべきだったのではないかと思う」
元秘書らの供述調書、陸山会名義の口座、土地登記簿の写し・・・。元代表の裁判で検察官役を務めた大室俊三弁護士(62)は、検察から引き継いだ証拠を見て、「意外に少ない」と驚いた。さらに、確定申告書や資産報告書など、元代表の個人資産の状況を示すものはなかった。
「ゼネコンしか頭になかったのかな」。リクルート事件など特捜部が手がけた事件の被告を弁護した大室弁護士は、捜査の不十分さを直感した。
■内部で対立
元秘書の拘留満期となる10年2月4日に向け、検察内部では元代表立件の可否が繰り返し議論された。
〈供述なしでも、秘書との共謀を十分裏付けることができる」。担当の最高検検事は、あくまで元代表の起訴を主張。根拠は、「元代表が銀行融資の書類に署名をしていたこと。さらに、4億円を提供しながら、土地購入当日に同額の銀行融資を受けるという不自然さもあった。最高検検事は「客観的な動かぬ証拠。小沢氏を有罪にできる」と強調した。
しかし、ほかの検察幹部の見方は違った。元代表に収支報告書の内容を報告し、了承を得たと認めた石川議員ら元秘書の調書は「具体性がなく、公判で否認されたら決め手を欠く」として、共謀を裏付けるのは困難との意見が大勢を占めた。
ゼネコンへの捜査で、4億円に直接結びつく裏金も判明せず、「特捜部を信じたのが間違いだった」と語る幹部もいた。起訴を主張した最高検検事は、孤立していった。
「小沢氏を確実に黒にできる証拠がない」。最終判断は不起訴。捜査現場にはこれに納得する者もいれば、上層部に不信感を抱くものもいた。当時の検察首脳の一人は「検察の良識を見せた。起訴して無罪だったら、検察は政治に乗っ取られてしまう」と語った。
しかし、別の首脳は断言した。「内部で意見が対立し、時間をかけすぎた捜査は必ず失敗する。陸山会事件の捜査は大失敗だ。それを特捜部が自覚していないなら、未来は暗い。
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◆検察の敗北 「特捜体質」敗因に / “巨悪”を設定/「検審」を誤導、冤罪の温床の危険 〈小沢無罪判決〉 2012-04-27 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
小沢元代表無罪判決 「特捜体質」敗因に
中日新聞 2012/4/27Fri. 特 報
小沢一郎民主党元代表の無罪判決は「検察の敗北」である。判決では、検察審査会が議決し、強制起訴される基となった東京地検特捜部作成の捜査報告書を「虚偽」と指弾した。かつて政治家の巨悪を摘発した特捜部は今、冤罪捜査の“連鎖”から「解体論」もささやかれる。地に落ちた信頼を回復する手立てはあるのか。(出田阿生、小倉貞俊)
「また捏造か」---。衝撃の事実が明らかになったのは、昨年12月の法廷だった。
東京地検特捜部の田代政弘検事=現在は法務総合研究所付=の証人尋問。検察審査会(以下検審)が1回目の「起訴相当」を出した後の2010年5月、田代検事が小沢氏の元秘書・石川知裕衆院議員を再聴取した際の捜査報告書に、ウソが書かれていることが判明した。
報告書では「国会議員として支持してくれた選挙民を裏切ることになる」と説得する田代検事に、石川知裕議員が「結構効いた。こらえ切れなくなって『小沢先生に報告し、了承も得ました』って話したんですよ」と答えたことになっている。
しかしその会話は、石川議員がかばんに隠していたICレコーダーの録音にはなかった。田代検事は「記憶が混同した」と主張したが、東京地裁は取り調べを非難。立証の柱だった石川議員らの調書29通を却下した。
捜査報告書は検審新聞が強制起訴の条件である2回目の「起訴相当」を出す際、有力な判断材料となった。「小沢氏を起訴できなかった特捜部が、代わりに検審に起訴させようと工作したのではないか」と疑う声すら上がった。
「特捜検察の闇」などの著書があるジャーナリストの魚住昭氏は「田代検事一人で作成したわけがない。特捜部の一部の幹部たちが、小沢氏を強制起訴させるために報告書を作らせたのは間違いないだろう」と話す。
検察への信頼を大きく失墜させたのは、大阪地検特捜部が手がけた障碍者郵便制度不正事件だ。担当した前田恒彦元検事が証拠品のフロッピーディスクのデータを改竄していたことが判明。村木厚子・元厚労局長は無罪となった。
前田元検事証拠隠滅罪で懲役1年6月の実刑となり、上司の元特捜部長と元副部長も先月30日に犯人隠避で執行猶予付き有罪判決=いずれも控訴=を受けた。
■“巨悪”を設定
「捜査のほころびは今に始まった話ではない。昔は巧妙に隠していたが、今は手法がずさんになって、ばれはじめただけ」と魚住氏は続ける。
「特捜検察の問題というのは、個人の資質ではなく、あくまでもシステムの問題。大事件をつくろうとするあまり、“巨悪”を設定して、無理筋でも押し切る。これは戦前からの遺伝子だ」
戦前も大事件ではチームを作り、強大な力を持っていた。戦後もその力を存続させたい検察幹部が、日本版の米連邦捜査局(FBI)の結成をめざし、連合国軍総司令部(GHQ)と駆け引きを繰り広げた。そして1948年に起きた汚職の昭和電工事件で実力を示し、独自捜査専門の特捜部が発足したという。
田中角栄元首相が裁かれた76年のロッキード事件、88年のリクルート事件、92~93年の金丸信元自民党副総裁の巨額脱税事件・・・。特捜部は内定から起訴まで独自捜査権限を持ち「検察の花形」ともいわれてきた。
■「検審を誤導」
「それが90年代後半からどんどん立件のハードルが下がってきた」と魚住氏。バブル期の不良債権をめぐる長銀・日債銀の粉飾事件では、いずれも無罪判決が確定。
証券取引法違反などの罪で経済界の寵児が実刑判決を受けたライブドア事件などでも、検察側の構図に「市場の実態と合っていない」との疑問が投げられた。魚住氏は「大事件をつくろうとするのは、検察の地位向上と検察官個人の栄達のため。引退後に特捜事件の弁護人をしたり、公的機関のトップに就任といったOBの権益確保にもつながるからだ」と指摘した。
ほかのジャーナリストはどう見ているか。まず検審について、青木理氏は「検審はもともと、検察が何らかの政治的思惑や組織の都合で起訴しなかった『恣意的な不起訴』を市民目線でチェックするためにつくられた機関。今回は検察が『どうしても起訴したかったのに見立ても捜査も不十分だったケース』であり、本来のあるべき姿とは逆だ」と解説。その上で「制度の趣旨を理解していない検審にも問題があるが、もっとも非があるのは検審を誤導した特捜部の一部暴走検事たちだ」と強調する。
大谷明宏氏も「現行の制度のままでは冤罪の温床になりかねず、危険だ」と話す。検審の議決による強制起訴は、2009年5月に制度が始まった。先月、詐欺罪に問われた投資会社社長が那覇地裁で無罪判決を受けるなど、今回で強制起訴の無罪判決は2例目だ。
大谷氏は「検察審査員の11人の素人が、検察の恣意的な資料を基に判断するのは難しく、虚偽報告書を見破れるわけもない。裁判員裁判に合わせて枠組みを作った拙速な制度であり、国会の力でやめさせるべきだ」。
特捜検察の在り方についてはどうか。青木氏は「起訴した裁判は99%有罪になり、外部からのチェック機能もない最強権力だが、絶対的な権力は必ず腐敗する。特捜はなくした方が良く、どうしても必要なら検察の外に別の組織をつくるべきだ」と語る。
一方、大谷氏は「自民党の長期政権の腐敗を監視し、『巨悪は眠らせない』との特捜理念は大事で、防腐剤の役割を果たす点で存在意義がある。陸山会事件のように政権交代のタイミングで動いて『国策捜査』の疑惑を受けないようにし、扱う事件は100%可視化する必要がある」。
捜査報告書の虚偽作成問題で、検察トップの笠間治雄検事総長は先月5日、都内の講演で「検証する」と述べたが、身内による内部調査だ。
■低い危機意識
元検事の郷原信郎弁護士は「検察の在り方検討会議」の委員を務め、今月17日に委員や法務・検察幹部の懇親会に参加した。同じくジャーナリストの江川紹子氏が障害者郵便制度不正事件などのさらなる検証を求める書面を配ったが、法務省幹部は「まずは乾杯」と呼びかけた。郷原氏は「組織として深刻な事態なのに、検察は当事者意識が薄すぎる」と嘆く。
郷原氏と魚住氏は口をそろえる。「組織的な関与を調べるべきだ。第三者機関による徹底した検証と反省なくして、国民の信頼は回復しない」
江川氏も同じ意見で「いったん『特捜』という金看板を取り外し、今の時代に適した捜査のやり方などを抜本的に見直すべきだ」と話した。
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小沢元代表無罪 許せぬ検察の市民誤導
中日新聞 2012年4月27日 社説
政治資金規正法違反に問われた民主党元代表小沢一郎被告は無罪だった。元秘書らとの共謀を示す調書などが排斥されたからだ。市民による検察審査会の判断を誤らせた検察の捜査こそ問題だ。
「事実に反する内容の捜査報告書を作成した上で、検察審査会に送付することがあってはならない」と裁判長は述べた。
小沢元代表の裁判は、新しい検察審制度に基づき、市民による起訴議決を経て、強制起訴されたものだった。
つまり、市民が判断の中核としたとみられる検察側の書類そのものが虚偽だった点を、裁判所が糾弾したわけだ。
問題の報告書は元秘書の石川知裕衆院議員が小沢氏の関与を認めた理由の部分だ。「検事から『親分を守るためにうそをつけば選挙民を裏切ることになる』と言われたのが効いた」と石川議員は述べたという。だが、実際にはそのようなやりとりがないことが、録音記録で明らかになった。
検察が虚偽の文書を用いて、市民を誤導したと指弾されてもやむを得まい。石川議員の供述調書も、検事の違法な威迫、誘導があり、裁判で証拠採用されなかった。取り調べ過程の全面録画(可視化)の議論は加速しよう。
そもそも、巨額なカネはゼネコンから小沢元代表側へと渡ったという見立てで、捜査は始まった。上司から「特捜部と小沢の全面戦争だ」とハッパをかけられたという元検事の証言も法廷で出た。今回の判決でも「検事は見立てに沿う供述を得ることに力を注いでいた」と厳しく批判された。予断となった特捜検察の手法をあらためて見直さざるを得まい。
検察審の在り方も論議を呼びそうだ。検察の大きな裁量を見直し、市民に事実上の起訴権限が与えられた新制度は評価できる。その特徴は黒白を法廷決着させたい意思だろう。一方で、強制起訴の乱用を懸念する声もある。
今回の裁判でも、弁護側は「検察が意図的に検察審に誤った判断をさせた」と主張していた。これは検察審の悪用であり、事実なら言語道断である。市民の議論をサポートする弁護士を複数制にしたり、容疑者に弁明機会を与えるなど、改善点を模索したい。
小沢元代表は法廷で「関心は天下国家の話。収支報告書を見たことすらない」とも語った。政治資金制度の根幹部分を改正することも急務といえよう。
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コラム 筆洗
東京新聞2012年4月27日
「江戸の敵を長崎で討つ」。検察審査会に提出した捜査報告書が偽造されていた驚くべき事実に、こんな言葉が浮かぶ。検察審査会を利用し、自らは起訴を断念した政治家の命脈を絶とうとしたのではないか。そう疑われても仕方のない捜査だった▼民主党の小沢一郎元代表にきのう、無罪判決が下された。小沢氏に道義的な責任は残るが、この裁判の敗者は誰かと考えてみた。強制起訴した検察審査会や指定弁護人ではない。法廷には姿がなかった検察組織である▼ロッキード、リクルート事件など、政治家や高級官僚を立件した輝かしい歴史がある特捜検察も、有罪立証には綱渡りの場面があった。負の遺産は継承されず、残ったのは尊大な世直し意識だった。その姿は無謀な戦争に突き進んだ昭和の軍官僚たちの姿と重なる▼日露戦争は革命思想が浸透したロシア国内の混乱の要因もあり、薄氷を踏む勝利だった。陸軍参謀本部が残したのは、司馬遼太郎さんが「明治後日本で発行された最大の愚書」と憤るほど都合の悪い事実を隠蔽(いんぺい)した戦史だ▼実戦の経験のない若手将校には完勝したイメージだけが残り、その慢心は昭和の戦争で日本を破滅に導いた。二つの戦争で旗を振り続けたのは新聞だった▼筆者は長く検察を取材してきた。特捜検察をおごり高ぶらせた責任を顧みなければならない、と自省を込めて書く。
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◆[政治的事件の政治的判決] 小沢一郎氏裁判 / ロッキード事件 / リクルート事件 / 佐藤栄佐久氏裁判 2012-04-28 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
田中良紹の「国会探検」
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◆小沢一郎裁判=「官僚支配に従う者」と「国民主権を打ち立てようとする者」とを見分けるリトマス紙である 2011-10-10 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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◆「小沢一郎氏を国会証人喚問」の愚劣 2011-10-20 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
◆「小沢氏は終わった政治家」 みんなの党・江田幹事長、無罪でも証人喚問求める 2012-04-24 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
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