光市事件差し戻し控訴審(2008/4/22)判決要旨②弥生さん殺害「供述経過は不自然であり…」 広島高裁

2008-04-22 | 光市母子殺害事件

 判決要旨①光市事件差し戻し控訴審(2008/4/22)判決要旨①第1審判決を破棄する。被告人を死刑に処する。 広島高裁 

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差し戻し控訴審(2008/4/22)判決要旨《弥生さん殺害「供述経過は不自然であり、信用することはできない》

 (ウ)弁護人は逮捕当日に作成された被告人の警察官調書(乙1)には、「右手で首を絞め続けたのです」と記載されているとして、このとき被告人は右逆手で押さえたという新供述と同じく、被害者の頚部(けいぶ)を「右手」で押さえた旨供述していた旨主張する。
 上記警察官調書は、警察官が被告人から録取した供述内容を手書きして作成したものである。しかし、同じ警察官が手書きで作成した被告人の警察官調書4通(乙1ないし4)のうち、弁護人が指摘する上記部分のほか、「左」または「右」の文字が書かれた部分は別紙のとおりであるところ、同警察官の書く「右」という文字にははっきりとした特徴があり、これらの文字を比較対照すれば、弁護人指摘の警察官調書の上記部分は「右手」と記載されているのではなく、「左手」と記載されていることが明らかである。
 (エ)第1審判決は被告人の旧供述と関係証拠とを総合して事実を認定しているところ、弁護人は第1審判決が認定した被害者の殺害行為の態様について、被害者の遺体所見と矛盾があるなどとして、第1審判決は殺害行為の態様を誤認しており、ひいては殺意を認定したのも事実誤認である旨主張するので検討する。
 (a)弁護人は、旧供述では両手で扼頚(やくけい)したというのに、被害者の頚群に被告人の右手指に対応する創傷がないのは所見と矛盾している旨主張する。
 しかし、被告人は左手の上に右手のひらを重ねて置いて、被害者の頚部を絞めつけたというのであるから、被告人の右手が被害者の頚部に直接接触せず、右手指に対応する創傷が被害者の頚部に形成されなかったとしても、何ら不自然ではない。
 弁護人は、左手を順手として扼頚したというのに、被害者の左側頚部などに被告人の左手親指に対応する創傷がないと主張する。
 たしかに、左順手で被害者の頚部を圧迫すれば、通常、同女の左側頚部に左手親指に対応する創傷が形成されると考えられるところ、被告人の左手親指による圧迫行為によって、被害者の左側頚部上部(左下顎部)にある表皮剥奪Dが形成されたと推認することもできる。
 弁護人は4条の蒼白(そうはく)帯のうち、最上部の蒼白帯Aの長さが約3.2センチと最も短く、最下部の蒼白帯Dの長さが約11センチと最も長いことに照らすと、左順手で圧迫したとは考えられない旨主張する。
 しかし、遺体を解剖した吉田医師は4条の蒼白帯について、左順手で被害者の頚部を強く扼頚したために生起されたものとしても、特別矛盾しない旨鑑定している。また石津日出雄医師も、左順手で頚部を握るように強く圧迫した場合、小指による圧迫は指だけでなく手掌小指側(尺骨側)辺縁の圧迫が加算され、蒼白帯の長さが11センチになって当然であると判断している。
 以上の次第であるから、被告人の旧供述に述べられた被害者の殺害行為の態様が、被害者の遺体所見と矛盾しているとはいえない。
 (b)弁護人は、被害者の左側頚上部の表皮剥脱Dについて、被告人が被害者にプロレス技であるスリーパーホールドをした際に、被告人着用の作業服の袖口ボタンにより形成された旨主張している。
 しかし、表皮剥脱Dは直径が約1.2センチの類円形を呈し境界明瞭(めいりょう)であるところ、作業服の袖口ボタンおよびその裏側の金具はいずれも円形であるものの、その直径は、それぞれ約1.5センチ、約1センチであると認められ、いずれも表皮剥脱Dとは大きさが異なっている。しかも、被告人は、当審に至って初めて、スリーパーホールドをして被害者の力が抜けた後、呆然(ぼうぜん)としていたところ、背中辺りに強い痛みが走り、同女が光る物を振り上げていた旨供述したものである。この供述は、被告人がまず最初に被害者に対し暴行を加えたにせよ、その後被害者から攻撃されて、なりゆき上、反撃行為としてやむを得ず被害者に対しさらに暴行に及んだと主張することも可能な内容であるにもかかわらず、当審公判まで1回もそのような供述をした形跡がない。このような供述経過は不自然であり、この供述を信用することはできない。
 表皮剥脱Dがボタンによって形成された旨の弁護人の主張は、採用できない。むしろ、被告人の左手親指により形成されたと推認するのが合理的である。
 (ア)被告人は当審公判で、性欲を満たすために被害者を姦淫したことや、強姦の犯意および計画性を否認する供述をした。そして、被害者が死亡していることに気付いた後、山田風太郎の「魔界転生」という小説にあるように、姦淫することによって復活の儀式ができると思っていたから、生き返って欲しいという思いで被害者を姦淫したなどと供述している。
 (イ)しかし、被告人は被害者の死亡を確認した後、その乳房を露出させてもてあそび、姦淫行為におよび射精しているところ、この一連の行為をみる限り、性欲を満たすため姦淫行為に及んだと推認するのが合理的である。しかも、被告人は捜査段階のごく初期を除き、姦淫を遂げるために被害者を殺害した旨一貫して供述していた上、第1審公判においても、性欲を満たすために姦淫した旨明確に供述している。また、被告人の新供述によれば、被告人は姦淫した後すぐに被害者の遺体を押し入れの中に入れており、脈や呼吸を確認するなど同女が生き返ったかどうか確認する行為を一切していない。被告人の行動をみる限り、被害者を姦淫した目的が同女を生き返らせることにあったとみることはできない。
 さらに死亡した女性が姦淫により生き返るということ自体、荒唐無稽(むけい)な発想であって、被告人が実際にこのようなことを思いついたのか、甚だ疑わしい。被告人が挙げた「魔界転生」という小説では、瀕死(ひんし)の状態にある男性が女性と性交することにより、その女性の胎内に生まれ変わり、この世に出るというのであって、死亡した女性が姦淫により生き返るというものとは相当異なっている。そして、死者が女性の胎内に生まれ変わりこの世に現れるというのは、「魔界転生」という小説の骨格をなす事項であって、実際に「魔界転生」を読んだ者であれば、それを誤って記憶するはずがなく、したがって、その小説を読んだ記憶から、死んだ女性を生き返らせるために姦淫するという発想が浮かぶこともあり得ない。被害者を姦淫したのは、性欲を満たすためではなく、生き返らせるためであったという被告人の供述は到底信用できない。
 (ウ)また、被告人は当審公判で、被害者を通して亡くなった実母を見ており、お母さんに甘えたいという気持ちから被害者に抱きついた旨供述している。しかし、被害者に甘えるために抱きついたというのは、同女の頚部を絞めつけて殺害し、性的欲求を満たすため同女を姦淫したという一連の行為とはあまりにもかけ離れているといわねばならず、新供述は不自然である。
 しかも、被告人は捜査のごく初期の段階から一貫して、強姦するつもりで被害者に抱きついた旨供述しており、第1審公判においても、強姦しようと思った時期について供述し、襲ってもあまり抵抗しないのではないか、多少抵抗を受けても強姦できると思いこんだ旨供述していた。
 さらに、被告人は当審公判で、玄関ドアを開けた被害者が左腕に被害児を抱いているのを見て、淡い気持ちを抱いた旨供述している。
 しかし、被告人は捜査段階においては、玄関で応対した被害者が被害児を抱いていたとは一度も供述していない。被告人は被害者方に入った後、トイレで作業をしているふりをしてから風呂場に行き、そこを出たところで被害児を抱いて立っている被害者を見て、初めて同児の存在を知った旨供述していたのである。このような犯行前の経緯は被告人が供述しない限り、捜査官が知り得ない事情であるのみならず、新供述と対比して、犯罪の成否や量刑に格別差異をもたらすものではないのであるから、捜査官が真実と異なる内容の供述をあえて被告人に押しつける必要性に乏しいというべきである。また、被告人としても、このような事情について、真実とは異なる供述をする理由というのも考えられない。犯行前の経緯に関する被告人の上記供述は信用できない。
 (エ)被告人は当審公判で、戸別訪問をしたのは人との会話を通して寂しさを紛らわし、何らかのぬくもりが欲しかったからであり、強姦を目的とした物色行為をしたのではない旨供述する。
 (a)しかし、被告人は各部屋を訪問した際、玄関で「排水検査に来ました。トイレの水を流してください」などと言うのみで、その住民が水を流して玄関に戻っても、会話しようという素振りもなく立ち去ったり、住民がトイレの水を流している間に玄関に戻って来るのを待つことなく立ち去っている。このような被告人の行動は人との会話を通して寂しさを紛らわすために訪問した者の行動として、不自然との感を免れない。そのように立ち去った理由について、被告人はゲーム感覚になっており、ロールプレーイングゲームの中で登場人物が同じせりふしか言えないのと同じ状態で一定の言葉しか紡げない状況下、機械的な感じで、すぐその場を離れるようになった旨供述するが、被告人のいう訪問目的とは担当趣旨が異なっている。
 (b)しかも、被告人は第1審公判で、強姦の計画性を否認する供述をしていたものの、最終的には、戸別訪問を開始した時点で、半信半疑ながらも強姦によってでも性行為をしたいなどと考え始めていたことを認める供述をした。強姦の計画性を争っていた被告人が、供述を強制されることのない法廷で任意にした上記第1審の公判供述は高度の信用性が認められるというべきであり、強姦については、この供述で述べられた程度の計画性があったことは動かし難い事実であって、これに反する被告人の当審公判供述は信用できない。
 (オ)ところで、加藤意見では、本件は強姦目的の事案ではなく、母胎回帰ストーリーともいうべき動機が存在するというのである。すなわち、被告人は母子一体の世界(幼児的万能感)を希求する気持ちが大きい。被告人は本件当日の昼、義母に甘えたものの、それが満たされずに自宅を出ることになったため、人恋しい気持ちに駆られ、自分を受け入れてくれる人との出会いを求め戸別訪問をした。そして、被告人を優しく部屋に招き入れてくれ、赤ん坊を抱く被害者の中に、亡くなった母親の香りを感じ、母親類似の愛着的心情を投影し、甘えを受け入れて欲しいという感情を抑えることができなくなり抱きついたところ、予期しない抵抗にあって平常心を失い、過剰反応として反撃した。そして、被害者の死を受け入れられず、戸惑いから非現実的な行為に導かれた。それは、自分を母親の胎内に回帰させることであり、母子一体感の実現であり、被告人はその行為に「死と再生」の願いを託した、というのである。
 しかし、加藤意見は被告人の新供述に全面的に依拠しているところ、被告人の新供述中、人恋しさから戸別訪問をした、玄関で対応した被害者が被害児を抱いていた、被害者に甘えたくて抱きついた、被害者を生き返らせるために姦淫したという供述は到底信用できないのであるから、加藤意見はその前提を欠いており失当である。
 (カ)弁護人は第1審判決が強姦の計画性があったと認定したことを論難するので、この点に関連する野田正彰教授の見解にも言及しつつ付言する。
 (a)野田教授は、強姦という極めて暴力的な性交は一般的に性経験のある者の行為であり、性体験がなく、性体験を強く望んで行動していたこともない少年が突然、計画的な強姦に駆り立てられるとは考えにくいなどとして、強姦目的の犯行であることに疑問を呈している。
 しかし一般論として、性体験のない者が計画的な強姦に及ぶことは、およそあり得ないなどとはいえない。
 (b)弁護人は、第1審判決が被告人は脅迫を用いて強姦することを計画した旨認定しながら、実際には脅迫を用いず暴行を用いて強姦した旨認定しているのは論理的に破綻(はたん)している旨主張する。
 しかし、第1審判決は被告人の計画について、カッターナイフを示すほか、布テープを使って女性を縛れば抵抗できないだろうと考えた旨認定しているところ、布テープで縛る行為は暴行にほかならない。第1審判決は被告人が脅迫と暴行とを手段として強姦することを計画した旨認定しているのであるから、脅迫を手段とすることを計画しながら、実際には暴行を手段としたというものではない。
 そして犯行計画というものは、その程度がさまざまである。本件のように、襲う相手も特定されておらず、相手を襲う場所となるはずの相手の住居も、その中の様子も分からないという場合、犯行計画といっても、それは一応のものであって、実際には、その場の状況や相手の抵抗の度合いによって臨機応変に実行行為がなされるものであり、あらかじめ決めたとおりに実行するというようなことが希であることは多言を要しない。
 第1審判決も、被告人が事のなりゆき次第でカッターナイフを相手に示したり、布テープを使用して相手を縛ったりして、その抵抗を排除することを考えていたことを認定したものと解される。弁護人の主張は、第1審判決を不正確に理解した上で、これをいたずらに論難しているにすぎない。
 弁護人は被害者方と被告人方とが近接した場所にあり、しかも、被告人が戸別訪問の際、勤務先の作業服を着て勤務先を名乗り、身元を明らかにしているなどとして、本件のような犯行をすれば、被告人が犯人であることが発覚する恐れが高いのであるから、被告人は戸別訪問をする際、強姦目的を有していなかった旨主張している。
 たしかに被告人が強姦に及べば、それが被告人による犯行であることが早晩発覚するような状況であったことは、弁護人指摘のとおりである。しかし、被告人は排水検査を装うため作業服を着用することが必要であったのである。そして、被告人が首尾よく性行為を遂げることに意識を集中させてしまい、本件でしたような戸別訪問をした上で強姦すれば、それが自分の犯行であることが容易に発覚することにまで思い至らなかったとしても、不自然とはいえない。
 しかも、被告人は差し戻し前控訴審の公判において、戸別訪問をしている時点では、作業服の左胸に会社名が書かれていることを忘れていた旨供述し、第1審公判では、父親に迷惑がかかるという考えは全くなかった旨供述しており、戸別訪問していた時点において、犯行が発覚することにまで考えが及んでいなかったことがうかがわれることも併せ考えると、弁護人指摘の点を考慮しても、強姦の計画性は否定されない。


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