死刑執行、解決されぬ苦しみ - 奈良・女児誘拐殺人9年/両親が手記発表 (2013年11月17日 奈良新聞)

2013-11-18 | 死刑/重刑/生命犯

死刑執行、解決されぬ苦しみ - 奈良・女児誘拐殺人9年/両親が手記発表
 2013年11月17日 奈良新聞
 平成16年11月17日、下校途中に連れ去られ、殺害された奈良市立富雄北小学校1年、有山楓(かえで)ちゃん=当時(7)=の事件から、きょう17日で9年目を迎える。楓ちゃんの両親からは同日までに、県警を通して報道機関に手記を寄せた。両親は、今年2月に死刑が執行された小林薫死刑囚=当時(43)=への思いや、癒えることのない悲しみ、事件を忘れることなく二度と子どもたちが犯罪被害に遭わない安心・安全への社会の実現を切望している。
 手記の全文は次の通り。

 事件から9年が経(た)ちました。
 時間だけが動き続け、決して止まることも戻ることもありません。
 事件の10日前に母親も着た着物で七五三に行ったときのうれしく、恥ずかしそうにしていた姿がつい先日のことのように感じます。
 2月には小林薫元死刑囚の死刑が執行されました。
 これが望み続けてきた刑なのかは分かりません。夢も希望も奪われた楓の大きな命、どん底まで突き落とされた恐怖、そして悔しさ。
 死刑を望んだことに後悔はありません。
 自らが犯した罪と向き合い、執行に臨んだことを信じたいです。
 刑は執行されましたが、残された私たちはこれからも失われた命や思いを背負い、現実に向き合っていかなければなりません。
 楓の元気な声も聞けない、時間だけでは解決されない苦しさです。
 学校や地域、そして市や警察の安心・安全への新たな取り組みも絶えることなく継続されています。
 加害者がいなければ楓のような被害者は生まれません。
 人と人とのつながり、そして子どもたちの笑顔のあふれる社会を心より願います。

 ◎上記事の著作権は[奈良新聞]に帰属します
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遺族「極刑以上の刑を」奈良女児誘拐殺人事件(小林薫死刑囚)から5年・・・死刑の積極的な意義付け 2009-11-17 
  2009年11月17日 9時6分配信 産経新聞
  奈良市で平成16年、市立富雄北小学校1年の有山楓(かえで)ちゃん=当時(7)=が誘拐、殺害された事件は17日で発生から5年。楓ちゃんの父、茂樹さんと母、江利さんは一問一答式の取材に対し、楓ちゃんや小林薫死刑囚(40)に対する思いを寄せた。主な質問と回答は次の通り。
--来年3月に、楓さんの同級生が小学校を卒業する。同級生や同年代の子供たちに伝えたいことは
 「思い出はかけがえのない宝物の一つです。命ある限り思い出は作られます。その思い出を糧に夢に向かって歩んでいってほしい。また、家族から授かった大切な宝である命の使命を考え、意識して生きていってもらいたいと思います」
--卒業を迎える楓さんに対して伝えたいことは
 「楓に伝えたいことは言葉で表しきれないぐらいたくさんあります。ただ、最初に出てくるのは「守ってあげられなくてごめんね」という思いです」
--楓さんのもので、何か携えているものは
 「楓が生まれたときからの写真をつづったアルバムをかばんに入れています」
--小林死刑囚の早期の死刑執行を今でも望んでいるのか
 「私たちにとって死刑は一つの判決にすぎません。楓の夢も希望も奪った、そして私たちの幸せな生活を奪った小林死刑囚は決して許せません。『極刑以上の刑』という思いは今もこれからも変わりません。死刑は日本の憲法で定められているものであり、小林死刑囚には下された刑を最低限真摯に受けとめてもらいたいです」
--富雄北小の取り組み(見守り活動や命を考える授業など)については
 「大人も子供たちと一緒にかけがえのない命の大切さを考え、そして一人一人が意識できる取り組みであると思います。事件を風化させない取り組みが継続され、これからも命の大切さ、命の重さを伝えていってもらえたらと願っています」
--子供たちの安全を守る防犯活動に望むことは
 「一番大切な防犯活動は、家族の触れ合いであると思います。親子の会話や触れ合いの中から子供たちは学び、行動していきます。親が安全を意識すれば子供たちはそれを見て育っていくのだと思います」
--「なら犯罪被害者支援センター」が「犯罪被害者等早期援助団体」の指定を受けた。被害者の同意があれば県警から被害者の情報提供を受け、すみやかな支援を行えるようになった
 「被害者にとって精神的、身体的負担は想像以上に大きくのしかかってきました。事件直後は現実を受け入れたくない思いから、自ら連絡し支援を受けようとはしませんでした。助けてほしい、話を聞いてほしいと思っても、自ら手を伸ばしてしまうと、今にも気持ちが崩れてしまいそうで怖くてできませんでした。少しでも早い段階での支援が受けることができる制度により、犯罪被害者の二次的被害や精神的負担の軽減につながればよいと思います」
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 ◇ 『年報・死刑廃止2009』 「死刑100年と裁判員制度」命より大切なものがあるという倫理観にとって代わられた
 『年報・死刑廃止2009』インパクト出版会
  池田浩士(京都精華大学教授、ドイツ文学)
  浜井浩一(龍谷大学法科大学院教授、犯罪学)
  高木憲彦(刑事政策研究)
  安田好弘(フォーラム90・弁護士)
  岩井 信(司会・弁護士)
  2009年8月22日、港合同法律事務所にて
 (抜粋)
  先ほどおっしゃった、魂までも殺してしまうというのは、僕なんかは光事件をやってきてすごくよくわかるんです。彼に死刑が宣告されると、そのときに言われたのは、死刑でも物足りない、反省して真っ当な人間になった上で処刑しろというわけですよ。魂までも殺してしまいたいという発想が実は政治犯に対してだけではないんですね。(中略)
  もう一つは、死刑のとらえ方の変化です。今まで死刑は必要悪だとされてきた。死刑はない方がいいが、犯罪がなくならない現状ではやむを得ないとされてきた。しかし、死刑の日常化とともに、これに積極的な意義付けがなされてきて、今では、死刑は犯罪抑止に必要だというだけでなく、むしろ、正しい罪の償い方だとまで言われ始めてきているんです。他人の命を殺めた者は自分の命でもって償うのが当たり前とされているんです。(略)
  ここまでくると、死刑囚に対する思潮が代わったと思うんです。何人の命も奪ってはならないという倫理観が何人の命も絶対ではないという倫理観に、そして命ほど大切なものはないという倫理観が命より大切なものがあるという倫理観にとって代わられたわけですね。
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生き直そうとした小林薫さん FORUM90 VOL.128 2013年3月30日発行 
 中道武美 
 どうもこんばんは、大阪の中道です。
  今ずっと話を聞いていて、ここに出てくるのが辛くて、本当に打ちひしがれている思いです。それはこれから申し上げることで分かっていただけると思いますけれども。
  小林さんは2月21日の朝に大阪拘置所で死刑執行されました。拘置所の所長が出した記録に依りますと、死亡時間は8時4分です。いま河村さんの手紙を前提とすれば、7時45分に連れ出されて8時4分に死亡。これは何を意味するのか。とても私には信じられない。もしそれが前提であれば、強引に連れだして有無を言わさず縛ったとしか思えない。僕は最初、河村さんの手紙を知りませんでしたから、7時前後に連れ出されたのかなと思っていたのですが、7時45分という時間を聞いて、8時4分の死亡時間の確認であれば、とても耐えられない気持ちでいっぱいです。
 小林さんの執行に関しては、確定後6年4か月経っています。小林さんは2006年9月26日に奈良地方裁判所で死刑判決を言い渡されました。当時の弁護人は即日控訴しましたけれども、控訴期間満了のその日に大阪高裁宛ての控訴取下書を提出したとして、その結果、死刑判決が10月11日に確定されたというふうにされました。
  小林さんの事件は、関東の方はあまり知らないかも分からないので、若干詳しくご説明したいと思います。(略=来栖)
 判決書で書かれた量刑の理由を並べてみますと、「犯行態度は極めて執拗で残忍。結果が重大。動機と経緯は身勝手極まりなく、酌量の余地はみじんもない」。“みじんもない”という言葉を使っています。
  「自己顕示欲を満たすため、自己中心的な行為をとるなど、犯行後の態度も極めて悪い」。これは多分、死亡写真等を携帯メールで送ったということを指すのだと思われます。
  「性犯罪の常習性が認められ、犯罪傾向は十分。規範意識は鈍化している。反省も認められ難く、更生は極めて困難だ」というのがその理由です。
  「反省も認められない」というのは後で述べますけれども。本件が被害者の数だけをもって死刑を回避することが明らかであるとは言えない、1人であるにもかかわらず死刑を選択したということを述べています。小林さんは公判で、「犯行後早く逮捕されて楽になりたいと思ったけれども、自首すると刑が軽くなると思い、自首しなかった」とか、「自分のしたことを考えたら死刑になりたい」とか、「生きていくのが面白くなく、嫌だから死刑を望んでいる」とか、そのような行為が判決に影響しました。判決はこのようにも言っています。小林さんが子どもを狙った犯罪ということで「第2の宮崎勤とか、あるいは宅間守として、自分の名前と行った行為が世間の人たちの記憶に残ってほしいと思っている、とうそぶいている」とまで書いています。非常に感情的な言葉を判決は書き残しています。もっと言い換えれば、「君が死刑になりたいんだから、死刑にしてやったよ」と読もうと思えば読めるような文章です。しかも小林さんは法廷で死刑判決を聞いて、これも新聞紙上で書き立てられましたが、ガッツポーズをしたという言葉も書かれました。非常にこのことが話題になりました。
  弁護人は、そのような死刑判決でありましたけれども、小林さんが育ってきた不幸な境遇を無視したものであり、(鑑定書ではこのように書いていますけれども、「反社会性人格障害はあるものの、それは不幸な成育環境に基く人格発達の未熟さを反映する特徴というべきもので、小林さんの生来的かつ持続的な性格の偏倚と見るべきではない」と述べています)、このようなことを根拠として、「小林さんは反省しており十分に更生可能性がある」として、即日弁護人は控訴しました。しかし小林さんは、先に述べましたように控訴期間満了のまさにその日に、公訴を取り下げました。
  実際、小林さんはどのような環境で育ってきたのか簡単に述べます。
  小林さんは生まれつき弱視で、そのためいろんな仲間からいじめられていました。しかし家庭では、そのことを言ってもお父さんはまったく理解をせず、家庭内暴力にさらされていました。しかもそれは素手ではなくてゴルフバッグであるとか、そういう凶器でもって殴られていました。小学校4年生の時に、小林さんは可愛がってくれていたお母さんを亡くします。小林さんはその時から母親に代わって弟たちの面倒を看るという家庭の仕事を全部するようになりました。しかし、それでもお父さんは暴力を振るってきたわけです。こうした絶望的な環境が小林さんの人格形成に深く影響し、自己に対する否定的な感情や社会に対する憎悪を惹起させたというふうに鑑定書は述べています。
  小林さんの言動は、こうした育った環境を理解しないと、その真意は測れないのですが、マスコミはこのことを、一切無視して大々的に騒ぎ立てたのがこの事件です。
  このように小林さんは控訴取下げで判決が確定しました。私が彼の代理人になったのは確定以降です。そのときから小林さんの生きる意味を見出す歩み、生きることが始まりました。2007年6月18日、小林さんは控訴の取下げは無効であるから、大阪高裁で公判期日を指定してくださいという申し立てをしました。私が代理人をしました。マスコミが真実を報道せず、小林さんの言葉を悪いほうへ悪いほうへ捻じ曲げて伝えたことや、弁護人からの適切な助言がなかったことから、完全な意思判断ではなかったということがその理由です。自ら小林さん控訴を取り下げた小林さんがこのような申し立てをしたのは、心の奥底にある真意をやはり社会に理解してほしい、そして生き直したいという欲望が生まれてきたからです。
  この裁判の中で小林さんは大阪拘置所で行われた証言で、「被害者に死んでお詫びをしようという気持ちから死刑を望んでいました。ご両親に対して面と向かって会うことができるのであれば、ちゃんと謝罪をしたいというふうに思っています」と述べています。これが彼の本心です。しかしそれがなぜ奈良地裁の法廷で述べられなかったのかということについて、彼は次のように述べています。
  「しかし、マスコミに死刑回避のための言い逃れ的な謝罪、心からの謝罪ではない、命乞いのために反省をしていないのに謝罪していると書かれたから、法廷では述べられなかった」。このように彼は言っています。
  しかしこの控訴取下げ無効の裁判は結局、2008年の最高裁判決で敗訴が確定しました。
  その中で小林さんは再び生きようという気力を燃やし始めました。控訴を自ら取下げながら、その後、生きようという努力を彼はし始めたんです。その中で、彼は生きることの意味を、自分でずいぶん深めていかれました。自己省察を深めて被害者に対する謝罪の気持ちを育てていかれたのです。教誨師を通じての心からの謝罪がそれにあたります。その過程で小林さんは、彼は本当に努力家で勉強家でしたから、北方謙三さんという小説家御存知だと思いますが、彼の小説は全部読まれました。しかも文章も思考も、時の経過とともに深くなっていきます。今日、パンフの中で43歳の時と39歳の時の彼の文章が書いてありますが、これだけ論理的に深く考えられる方でした。
  また余談ですけれども、小林さんは『週刊新潮』の記事に対して、これが「名誉毀損である」と、まったくたった1人で名誉毀損の損害賠償に取り組まれ、法廷で闘い、勝訴判決を得ました。小林さんの文章は、とても論理的で素直です。
  控訴取下げ無効が負けた段階で、2008年12月18日に第1次再審を、10年の10月8日に第2次再審を申し立てました。小林さんは生きて生きて、事件の真相と自分の真意を伝えるために生きる意味を見出そうとして、再審申立をされたんです。被害児童の頭を押さえつけて溺死させた殺人ではなくて、彼の主張によれば、ハルシオンという睡眠導入剤を飲ませたところ、女の子が寝て、死んでしまったという、つまり自分殺していないというのが再審の理由でした。
  しかしこの第2次再審請求も11年6月2日に最高裁で敗けます。それで11年9月28日に小林さんは第2次の恩赦申立をしました。生きたい、本当のことを知ってほしいという彼の生きる意味の見い出しです。その結果、今年2月7日です。恩赦の結果が彼にもたらされました。「恩赦不相当」というものでした。
  この段階で、私はもう一度再審請求をやろう、第3次再審請求をやろうということで、彼にお伝えしたんですが、彼はいろいろ考えることがあってなかなか書けないということで、再審申立理由をどうするか、もう一度相談したいという手紙が来ました。その時に僕が行けばよかったし、僕が再審申立を書けばよかったんだけれどもなかなか時間がなくて。ようやく再審申立をしようということで会いに行った日が2月21日でした。拘置所の会える時間は8時30分からですよ。でも彼は8時4分にはもう死んでいたんですね。なにか、我々の動きをさせないようにはかられたとしか思えません。
  自ら控訴を取り下げて生きることを断念した彼が、再び、自分で生きたい、なんとか自分の生きる道を見出そうと、もちろんそれは被害児童に対する謝罪を含めるものですけれども。そういう中で生き直そうとしたこの時点で、この突然の仕打ちというのは、とてもショックを受けました。本当に打ちひしがれています。
  さっき安田さんがおっしゃいましたけれども、1989年にフォーラムを立ち上げた時には、「21世紀になったら何とかなるよね」と思っていたのですが、もうすでに13年経過して、ますますひどい状況になっています。われわれは常に負けて負けているわけです。ただ、死刑囚がいて執行される、その度に命が1つずつ失われていく。そのことについて、やはり私は耐えられません。小林さんのこの生きようとして生きようとして、生き直そうとした気持ちも引きずって、頑張っていきたいと思います。
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  「今回の執行の意味するもの(FORUM90 弁護士 安田好弘)」より 
  大阪の小林さんの死刑執行については、小林さんと3つ房が離れている河村啓三さんからフォーラム90のメンバーに手紙が来ています。それを紹介したいと思います。
  「先日、2月21日木曜日、私の居室から3監房となりの小林薫さんが、朝の点呼のあとすぐ(午前7時45分頃)刑場へ引っ立てられてゆきました。彼は新聞やテレビで報道されている写真とは別人で、色白で小太りのよい男でした。収容生活も非常にまじめで、ほとんど声も出さないとても静かな死刑囚だったので、私はいつも偉いなあと思っていたのです。たぶん心の底から改悛したのだと思います。でね、この日は彼が一番風呂だったのですが、入浴もさせて貰えず、処刑台に立ったのです。彼は自分が一番風呂であることを知っていたので入浴の準備をしていたのか、洗面器がキャリーバッグの上に置かれたまま死にゆきました。またこの日はとても寒い朝だったのに、はんてんも着ず、刑場へと歩みを進めていったのです。彼の独房には、ハンガーに掛けられたはんてんがさびしそうにしていました。私は・・・・いつもそうなんですが、死刑囚が刑場に引っ立てられていくたびに、その残像が脳裏に残り苦しんでいます。何日も何日も残像から抜け出せないのです。小林さんのように、とても元気な人を無理やり国家の手で殺すのはやはり残酷ですよね」
  というふうに記されています。(以下略)
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望んだ「極刑」に揺れる心「奈良女児誘拐殺人」小林薫死刑囚 中日新聞 特報 2008/4/16 
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