遺族「極刑以上の刑を」奈良女児誘拐殺人事件(小林薫死刑囚)から5年・・・死刑の積極的な意義付け

2009-11-17 | 死刑/重刑/生命犯

奈良の楓ちゃん事件5年で両親が取材に答える 「極刑以上の刑を」
11月17日9時6分配信 産経新聞
 奈良市で平成16年、市立富雄北小学校1年の有山楓(かえで)ちゃん=当時(7)=が誘拐、殺害された事件は17日で発生から5年。楓ちゃんの父、茂樹さんと母、江利さんは一問一答式の取材に対し、楓ちゃんや小林薫死刑囚(40)に対する思いを寄せた。主な質問と回答は次の通り。
 --来年3月に、楓さんの同級生が小学校を卒業する。同級生や同年代の子供たちに伝えたいことは
 「思い出はかけがえのない宝物の一つです。命ある限り思い出は作られます。その思い出を糧に夢に向かって歩んでいってほしい。また、家族から授かった大切な宝である命の使命を考え、意識して生きていってもらいたいと思います」
 --卒業を迎える楓さんに対して伝えたいことは
 「楓に伝えたいことは言葉で表しきれないぐらいたくさんあります。ただ、最初に出てくるのは「守ってあげられなくてごめんね」という思いです」
 --楓さんのもので、何か携えているものは
 「楓が生まれたときからの写真をつづったアルバムをかばんに入れています」
 --小林死刑囚の早期の死刑執行を今でも望んでいるのか
 「私たちにとって死刑は一つの判決にすぎません。楓の夢も希望も奪った、そして私たちの幸せな生活を奪った小林死刑囚は決して許せません。『極刑以上の刑』という思いは今もこれからも変わりません。死刑は日本の憲法で定められているものであり、小林死刑囚には下された刑を最低限真摯(しんし)に受けとめてもらいたいです」
 --富雄北小の取り組み(見守り活動や命を考える授業など)については
 「大人も子供たちと一緒にかけがえのない命の大切さを考え、そして一人一人が意識できる取り組みであると思います。事件を風化させない取り組みが継続され、これからも命の大切さ、命の重さを伝えていってもらえたらと願っています」
 --子供たちの安全を守る防犯活動に望むことは
 「一番大切な防犯活動は、家族の触れ合いであると思います。親子の会話や触れ合いの中から子供たちは学び、行動していきます。親が安全を意識すれば子供たちはそれを見て育っていくのだと思います」
 --「なら犯罪被害者支援センター」が「犯罪被害者等早期援助団体」の指定を受けた。被害者の同意があれば県警から被害者の情報提供を受け、すみやかな支援を行えるようになった
 「被害者にとって精神的、身体的負担は想像以上に大きくのしかかってきました。事件直後は現実を受け入れたくない思いから、自ら連絡し支援を受けようとはしませんでした。助けてほしい、話を聞いてほしいと思っても、自ら手を伸ばしてしまうと、今にも気持ちが崩れてしまいそうで怖くてできませんでした。少しでも早い段階での支援が受けることができる制度により、犯罪被害者の二次的被害や精神的負担の軽減につながればよいと思います」
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奈良女児誘拐殺害事件
 奈良女児誘拐殺害事件 2004年11月17日、奈良市立小1年有山楓ちゃん=当時(7)=が下校途中で行方不明となり、奈良県平群町の道路脇側溝で翌日、遺体で見つかった。母親の携帯電話には「娘はもらった」などのメッセージや遺体の画像が送り付けられた。
 県警は同年12月30日、元新聞販売店員小林薫死刑囚(40)を逮捕。奈良地裁は06年9月、同被告に死刑判決を言い渡した。同死刑囚が自ら控訴を取り下げ、刑が確定したが、08年12月に奈良地裁に再審請求をした。今年8月、大阪高裁が即時抗告を棄却し、同死刑囚は最高裁に特別抗告した。(時事通信2009/11/17-07:06)
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死刑100年と裁判員制度〔年報・死刑廃止2009〕
 先ほどおっしゃった、魂までも殺してしまうというのは、僕なんかは光事件をやってきてすごくよくわかるんです。彼に死刑が宣告されると、そのときに言われたのは、死刑でも物足りない、反省して真っ当な人間になった上で処刑しろというわけですよ。魂までも殺してしまいたいという発想が実は政治犯に対してだけではないんですね。(略)
 もう一つは、死刑のとらえ方の変化です。今まで死刑は必要悪だとされてきた。死刑はない方がいいが、犯罪がなくならない現状ではやむを得ないとされてきた。しかし、死刑の日常化とともに、これに積極的な意義付けがなされてきて、今では、死刑は犯罪抑止に必要だというだけでなく、むしろ、正しい罪の償い方だとまで言われ始めてきているんです。他人の命を殺めた者は自分の命でもって償うのが当たり前とされているんです。(略)
 ここまでくると、死刑囚に対する思潮が代わったと思うんです。何人の命も奪ってはならないという倫理観が何人の命も絶対ではないという倫理観に、そして命ほど大切なものはないという倫理観が命より大切なものがあるという倫理観にとって代わられたわけですね。・・・・


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