ヨハネ・ボスコ 由井滋神父様のこと 〈来栖の独白 2016.11.23〉

2016-11-23 | 日録

〈来栖の独白 2016.11.23 〉
 老年とは、視力、聴力など、己が肉体(能力)の喪失(低下)はもとより、親兄弟、友人など、親しかった人、共に人生を歩んだ道連れを失ってゆく季節でもある。この1年は、特にそのように痛感させられた。
 由井師は本年10月30日に亡くなったけれど(--10月30日は私の誕生日)、11月30日(16年前)には113号事件・勝田清孝が亡くなっている。清孝の死(喪失)は、年齢的なものではないが・・・。 歳をとるというのは、実に自然なお恵みで、清孝のことを思い出しても、寂しくはない。遠い過去になってしまったのか。だが今、流石に、由井師の死は、堪える。「由井滋」、慣れ親しんだこの名の人がこの世にいないなんて、信じられない。辛い。
 由井さんとは、一緒に活動し助けてもらった。あの人がいたから、そしてアロイジオ相馬信夫司教がいたから、教会レベルでの活動ができた。世間の死刑廃止運動体と一線を画すには、教会、カトリック教会という後ろ盾は大きかった。相馬司教と由井神父のお陰で、私は己が信じるままに動けた(相馬司教は、私の母と清孝との養子縁組の保証人だった)。
 由井師は、人の好さでは無類の人だった。
 ただ、多少(?)杜撰な面もあって、愚息がミサの侍者をしていた頃、侍者服の帯の結び方を主任司祭である由井師に尋ねても「適当にやればいいよ」と教えてくれなかったため、「これでいいのかな」と迷いながら結んでいたそうである。そんな或る日、由井師が留守で代行で神言会の司祭が来てくださった。息子は早速、その司祭に「教えてください」と言い、教わったそうであった。

 

 また、侍者と言えば、ミサ中、侍者は司祭の持つカリスに葡萄酒を注ぐが、注いでいると由井師の持つカリスが、下がる。そして「もっと入れていいよ」と小声で由井師。小学生の息子は、どの程度、注いでいいのか、深刻に悩んでいたのだが、後になって、「なあんだ、由井神父さんは、葡萄酒がもっと飲みたかったのだ」と判ったとか。
 いろんなことを思い出すが、息子は、オルガン弾きの母親(私)に連れられて日曜日には朝7時からのミサのため、教会へ行くのが習慣だった。ところが或る日のこと、7時になっても主任司祭の由井師が聖堂へ現れない。シスターにお頼まれして、司祭を居室にお迎えに行くが、前夜、友人と酒を飲み過ごし、居室から起きて来られない・・・。そんなこともあった。が、
>教会で会うたびに「どうもどうも」と、あの独特の声色と満面の笑顔で声をかけてくれました。
 「D’s(ディーズ)さんのぶろぐ」の記事の通りの由井師だった。彼を憎む人なんて、この世に一人もいないだろう。
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D’s(ディーズ)さんのぶろぐ 

訃報
 at 2016-10-30 14:28
 カトリック名古屋教区司祭、ヨハネ・ボスコ 由井滋神父様は、10月30日午前5時45分、肺炎で入院先の名古屋医療センターにおいて心不全のためご帰天されました。

“ 由井ロス ” が治まらない・・・ at 2016-11-03 18:03 
 11月1日に執り行われたヨハネ・ボスコ 由井 滋神父様の葬儀ミサは無事終了しました。
 私が所属する所属教会の神父様の急逝だったわけでしてショックを受けないわけがないのであります。
 実のところ内々に由井神父様の病状を伺ってはおりました。
 毎年の健康診断で肺に影が見つかり、その後の検査入院の結果「肺がん」の診断がくだり、状況は芳しくないものの「積極的な治療」の方向で入院されたところ、先週の金曜日あたりに肺炎になったと聞きました。
 そりゃいかんなぁ、とは思っていたのですが
まさかその二日後の朝に天国に帰られることになるとは、よもや思いもしませんでした。 教会で会うたびに「どうもどうも」と、あの独特の声色と満面の笑顔で声をかけてくれました。
 しょっちゅう会っているのに握手をしてくるのが “ 由井流 ” でした。
 ウチのお葬式のお仕事でも、何度となく葬儀の司式を請け負ってくださいました。
 私個人のゆるしの秘跡(告解)も、何度も聞いて下さいました。
 ・・・こうやって書いている今も、涙があふれてきます・・・
 今頃きっと「僕ね、病院に入院してね ちょっと苦しいなァと思って寝て、目が覚めたら天国に来ちゃってたの。参っちゃったなァ~」なんて仰るような気がします。

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 なんて可愛らしい神父様なんでしょう
 そしていま、由井神父様のご遺骨は、カトリック布池教会の聖マリア小聖堂に安置されています。

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 そちらでは大好きなお酒を飲めていますか?
 天国は禁煙ですか?(笑)
 いつか僕がそちらに行ったときには、また握手で迎えて下さいね。

 ◎上記事は[D’s(ディーズ)さんのぶろぐ ]からの転載・引用です
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