大阪女児誘拐 伊藤仁士容疑者「別の女の子のオンラインゲームの相手になって」と誘い出す dot.2019.11.24

2019-11-25 | 社会

大阪の女児誘拐 伊藤容疑者「別の女の子のオンラインゲームの相手になって」と誘い出す
今西憲之2019.11.24 14:30週刊朝日 
 大阪市住吉区の小学6年の女児(12)を誘拐したとして、大阪府警に未成年者誘拐の容疑で23日夜に緊急逮捕された栃木県小山市犬塚1丁目の職業不詳、伊藤仁士容疑者(35)。
 当初は家出の可能性が高く事件性は低いと見られていた今回の逮捕劇。
 一転したのは、23日午後1時半ころ、栃木県小山市の交番に女児が「男の家から逃げてきた」と交番にかけ込んだことで発覚した。
「小雨が降る中、女児は靴を履かずに、靴下だけで逃げてきた。白いパーカー姿だった。はっきり自分の名前を言っていた。栃木県警が撮影した女児の写真を送り、家族に確認してもらい、本人だとわかった」(捜査関係者)
 しかし、すぐに解決とはならなかった。女児は「男に監禁されていた。もう一人、監禁されている女の子がいます」と交番で話したからだ。
 栃木県警は女児の記憶を頼りに伊藤容疑者の自宅を突き止めた。
「男の一戸建ての家が割れ、そこに行った時、伊藤容疑者と女の子が出てきた。任意同行を求めた」(前出の捜査関係者)
 女児が行方不明になったのは11月17日。たった数時間のうちに連絡がとれなくなった。大阪と栃木と距離が離れているのに、伊藤容疑者はどうやって誘い出したのか。
「2人が知り合ったのは11月10日ころ、SNSのやりとりを通じてだった。17日に女児が行方不明になる2、3日前に会う約束をして、17日午前中に女児の自宅近くの公園に伊藤容疑者が現れて落ちあった。電車で栃木県まで移動したようだ」(同前)
 35歳の伊藤容疑者と小学6年生の女児は、2回り以上の年齢差があるが、接点はスマートフォンのオンラインゲームだったとの情報がある。
 9月6日に本誌オンライン限定記事で配信した、小学6年生の男児と性的交渉を持ち強制性行の容疑などで有罪判決を受けた長尾里佳被告(23)も同じく、オンラインゲームが知り合うきっかけだった。
 長尾被告は男児を鹿児島県から香川県高松市にまで呼び出して関係を持ったことが、裁判で明らかになっている。
「伊藤容疑者がゲームをきっかけに、女児に家出を持ちかけて、誘拐したようだ。もう一人の女の子も同じような手口とみられる。初対面だが、オンラインゲームではすでに接点をもっているので、気を許してついていったところ、誘拐されてしまったようだ。しかし、暴行など受けた様子はない。伊藤容疑者は『誘拐などしていない。一緒にいただけ』と否認している。だが、女児は会ってすぐにスマホを取り上げられ、電源を切られたと言っている。計画的な犯行ではないか」(同前)
 女児は伊藤容疑者からの呼び出しに応じた理由を「もう一人、女の子がいるので、オンラインゲームや話し相手になってくれないかと言われた」と話しているという。伊藤容疑者と一緒のところを、保護された女の子のことを指しているとみられる。
「もう一人の女の子は15歳の中学生で、今年6月に茨城県の自宅からいなくなり、捜索願が出ていた。それ以降、数カ月ほど伊藤容疑者の家にいたようだ」(同前)
 オンラインゲームの闇も解明する必要がありそうだ。(今西憲之)
 ※週刊朝日オンライン限定記事 

 ◎上記事は[dot.]からの転載・引用です


朝日新聞デジタル>記事
茨城の少女「しんどい」書き置き 誘拐容疑者宅から保護
  2019年11月25日12時39分
   行方不明になっていた大阪市に住む小学6年の女児(12)が保護された未成年者誘拐事件で、大阪府警に逮捕された栃木県小山市の自称派遣社員、伊藤仁士容疑者宅から保護された茨城県の中学生の少女(15)は、6月ごろに自宅を出た際に「しんどい」などと書き置きを残していたことがわかった。
 捜査関係者によると、書き置きには「少し自由にさせてほしい」とも書いてあり、学校生活などに悩んでいたようだったという。その後、少女から「東京にいる。1週間ぐらいで帰る」と書かれた手紙が自宅に届いたが戻らなかったという。
 茨城県警によると、家族が同月に行方不明者届を提出。部屋に伊藤容疑者のものなど複数の携帯番号が書かれた紙もあったことから、7月に捜査員4人が伊藤容疑者の立ち会いのもと、任意で伊藤容疑者の自宅内を捜索したが、少女は見つからなかったという。県警などが伊藤容疑者と接触した経緯などを調べる。

  ◎上記事は[朝日新聞デジタル]からの転載・引用です


〈大阪女児誘拐〉助けた女の子に「余計なことをしないで」と言われ……伊藤容疑者の正義感と挫折
 11/24(日) 18:15配信 文春オンライン
    大阪市の小学6年生の女児が誘拐された事件で、未成年者誘拐の疑いで逮捕された栃木県小山市の伊藤仁士容疑者(35)の自宅で、11月24日(日)午後、家宅捜索が行われた。13時過ぎ、警察のトラックが現場に到着し、青いビニールシートによる目隠しの衝立を立て始めた。14時半頃、立会人の車が到着。14時40分、大阪府警の捜査員が入った。
「この日の朝、伊藤容疑者は大阪府警に送致されました。小山駅から新幹線でしたが、伊藤はいったん普通席に座らされた後、多目的室に入れられた。移動する際は一般客が降りてから。つねに捜査員に囲まれていて、フードで顔を隠し、記者の問いかけには無言でした」(社会部記者)
  現場付近は新興住宅地で、これから家を建てるという土地も多い。外で遊ぶ子供の姿もよく見かけるが、「伊藤家に子供(容疑者)がいたことには気が付かなかった」(近隣住民)という証言もある。

自動車学校の正社員の誘いに「うーん」
   伊藤容疑者がかつてアルバイトをしていた自動車学校の社長はこう話した。
 「半年以上1年未満ほど働いていた。無断欠勤はしたことがなく、勤務態度はいたって真面目で正義感の強い子だった。主な仕事は教習生の送迎。他は雑務やコース管理などを担当していました。辞めるときもトラブルがあったわけではない。しっかりと働いてくれていたので、『正社員になってほしい』という話をしたところ、『うーん』と悩んでいました」
  この自動車学校には、幼い頃から伊藤容疑者が遊びに来ていたという。
 「仁士君が7歳くらいのときに弟と教習所によく遊びに来ていた。しりとりや車の絵本を読んでいました。明るくて弟の面倒を見て、母親を支えようとしていた。弟が道に飛び出しそうになると、仁士君が注意していた」(近隣住民)

「県内トップクラスの高校に伊藤くんだけが落ちた」
   伊藤容疑者が小学生時代に通っていたという剣道教室の関係者が話す。
 「道場には小学校3年生の頃からから3年間通っていた。真面目で堅物だった。でも、成績はイマイチ。2、3回戦くらいまでかな。下の弟や妹が優秀だったから印象がどうしても薄い。妹さんはお医者さんになられてるしね」
  勉強はよく出来たという。中学の同級生の証言。
 「皆から伊藤君って呼ばれていました。比較的におとなしいグループに属していた。受験のとき、うちのクラスからは4、5人、県内トップクラスの高校を受験したのですが、伊藤くんだけが落ちた。『えっ? あの伊藤君が?』って皆が驚いていて、本人もショックを受けていた。誰も声をかけられないほど落ち込んでいました」

助けた女の子から「余計なことをしないで」と言われた
   前出の自動車学校の社長は伊藤容疑者との会話を覚えているという。
 「世間話でニュースの話をしたときに、世界情勢について語っていたのを覚えています。『なんで日本がこうなっているのか。世界の情勢が、イラクや中東とかが間違っている。世の中は矛盾している』と話していました。休み時間は本を読んでいた。小説。タイトルはわからない。中学生の時に男子数人に虐められてる女子を助けたことがあるとも言っていました。でも、その女子から『余計なことをしないで』と言われたのだそうです。優しい子だったんですが……」
  正義感が強く、真面目で優しい青年だったという伊藤容疑者。30代半ばの大人になった今、なぜ未成年誘拐に手を染めてしまったのだろうか。 
  最終更新:11/24(日) 20:06 文春オンライン

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です


大阪小6少女誘拐 容疑者は「安倍晋太郎」金庫番の孫だった…父“自殺”のトラウマも
   2019/11/27(水) 6:00配信 デイリー新潮

 大阪市に住む小6少女が行方不明になった事件では、未成年者誘拐容疑で伊藤仁士(ひとし)容疑者(35)が逮捕された。もう一人、15歳の女子中学生もいたことで“少女連続監禁”となったこの事件、容疑者には、あるトラウマがあった。
  「仁士の祖父は五十男と言います。会社員です。確かに安倍晋太郎さんの秘書は10年ほどやっていました」
  こう証言するのは、仁士容疑者の父の弟、つまり叔父にあたる人物だ。
  五十男氏のことは、安倍家と親交のある、元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏も記憶しているという。晋太郎元外相の資金管理団体のひとつを仕切っていた人物だといい、  「最も集金力のあった晋和会の秘書代表が伊藤だった。ガッチリした体躯でね。金儲けが上手で金庫番と言って差し支えないでしょう。会社員? う~ん、もともと山口の農協トップの秘書を務めていて、頭角を現して晋太郎さんの秘書に収まったんです」(濱岡氏)
 仁士容疑者については、長く引きこもりだったと報じられている。大物政治家の金庫番を務めた祖父を持つ身の彼の人生の歯車は、いかにして狂ったのか。ひとつには、“父の死”の影響があったのかもしれない。
  仁士容疑者は、30年ほど前に父親を亡くしている。先の叔父がいう。
 「それまでは東京・新宿で暮らしていました。仁士が5歳くらいだったと思いますが、彼の父親が運転するクルマで事故を起こし、病院に運ばれる前に亡くなってしまった。そこから彼の母親は子供と栃木に移り住んだのです」
  その後、地元の小中学校に進んだのち、公立トップ高校に不合格。宇都宮短大付属高に進学するも、やがて引きこもり状態に。そして1年ほど前、祖母の介護のために母が家を出て、仁士容疑者は一人で暮らすことになる。監禁事件の舞台になった、あの2階建ての家である。 
 「当時、私立大学振興政策のため、自民党の代議士は各私大の担当を持っていました。晋太郎さんは71年にできた愛知医科大を受け持っており、その繋がりもあって、72年に秘書の息子が二人そこに入学します。そのうち一人が伊藤五十男の息子、(仁士容疑者の)父です。ただ、医師国家試験になかなか受からず、色々あって自殺されたと聞いています」
  取材によって、仁士容疑者の父は85年卒だとわかった。亡くなったのはその3年後である。入学から卒業までの13年間をどう過ごしたのか……。
  ともあれ、父の“死”が仁士容疑者にもたらしたトラウマは如何ばかりだっただろう。11月28日発売の週刊新潮では、奇妙な共同生活を生んだ被害者の家庭環境にも迫る。
 「週刊新潮」2019年12月5日号 掲載 . 新潮社 
  最終更新:11/27(水) 6:00 デイリー新潮 

   ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です


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