法が揺さぶる人の命ー臓器は部品なのか、脳の活動だけが人の生死を決めるのか-高村薫

2009-07-22 | Life 死と隣合わせ

2009/07/22 中日新聞夕刊  社会時評  高村薫「法が揺さぶる人の命」より抜粋
 雇用はさらに厳しくなり、夏のボーナスも減った。こうして私たちの生活がますます追いつめられてゆくなか、政治はひたすら停滞が続いた。
 とはいえ、私たちが愛想を尽かしている間にも、臓器移植改正案のような重大な法案があっという間に通ったし、国は国で、凍結されていたはずの国道14路線の建設をいつの間にか決めていたり、「財金分離」のはずだった財務省と金融庁の幹部人事が崩れていたり。
 人の生と死を操る臓器移植法改正案について、たった2日間、衆院厚生労働委員会で審議しただけでさっさと採決に付してしまうような政治家たちを、人として信頼できるのか。
 臓器移植法は、技術的に救える命を救うために、技術的に救えない脳死者からの臓器提供を認める法律である。言い換えれば、移植で救える命と、心臓死を待つだけの命が秤にかけられ、前者が優先されるのだが、そもそも臓器は個人の存在とは関係ない部品なのか。ほんとうに脳の活動だけが人間の生死を決めるのか。そんな初歩的な議論も十分には行われていない。
 移植医療は、先端医療にとって可能な技術ではあっても、死にゆく個人とそれを看取る家族にとって、そんなに合理的に受け止められるものでもない。その上で、いったん与えられた生存の可能性を患者から奪うことはできないゆえに、脳死者から臓器の提供を受ける道を法的につくっておくというのが、現行法の目的である。それを脳死者本人の意思に関係なく、一般に拡大しようという以上、政治家はもっと真剣に議論してしかるべきだろう。救える命だの、死生観だのと口にしながら、本会議場では私語に余念のなかった国会議員たちの姿を、私たちはよくよく記憶しておかねばならない。

http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/84672d90d7768211d52d230ae60780e1


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。