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梶原しげるの「プロのしゃべりのテクニック」
【340】オウム「地下鉄サリン事件」から20年 32人の証言が物語る『サリン それぞれの証』の衝撃
■32人の証言でオウム犯罪を検証
仕事を終えて深夜帰宅すると机の上に郵便物がおいてあった。送り主の名前を見ると「木村晋介」とある。「あ!木村弁護士だ!」
私は木村弁護士の軽妙洒脱なエッセイのファンの一人だ。
「今度はどんな本だろう…」と茶封筒を開けると、意外にも、黒表紙のがっしりした本が現れた。
それが『サリン それぞれの証』(本の雑誌社2015年3月20日初版)だった。
明日3月20日は、1995年3月20日に起こったオウム真理教による地下鉄サリン事件からちょうど20年という節目の年にあたる。
本を開くとこのような記述がある。
「(1989年11月4日に起きた坂本堤弁護士一家殺害事件のわずか1カ月ほど前の)10月9日月曜日。私はラジオ局のスタジオにいた。私が出演していたのは<梶原しげるの本気でDONDON>という午前11から2時間の生番組」「私は月曜日のコメンテーターとして番組のスタートのときから出演していた」「この日はオウムに関するあらゆる報道を放送することとした」
この日我々はオウム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)と激しく言葉を交わした。
独特の語り口が今も耳に残る。
一瞬にして四半世紀前の「あの日」が蘇った。
私はコートを脱ぐのも忘れ、本を手にした。
帯にはこうある。
「1995年3月20日 その時何が起きたのか。32人の証言でオウム犯罪を検証する白熱のノンフィクション、オウム事件の全貌に迫る!」
書かれたその言葉どおり、証言者の息づかいが聞こえ、景色が動き始める感じがありありと伝わる。私はそのまま引き込まれ夜明け前までに一気に読み終えた。
■今も後遺症で苦しむサリン被害者
その勢いで、感想を手紙に書き、朝一番の速達で弁護士の事務所にお送りした。
速達送付の翌朝、弁護士の事務所に電話をかけると木村弁護士は丁度私の手紙を読んでいるところだった。
「いやー、熱心に読んでくれてありがとう!今、サリン被害者支援集会の準備で事務所のなかがごちゃごちゃしているけど、よかったら来ませんか?」
相変わらず陽気な声に思わず「お邪魔します!」と即答し、押し掛けた。
木村弁護士が招き入れてくれたのは弁護士事務所ではなく、地下鉄サリン被害者支援のためのNPO法人リカバリー・サポート・センターの事務局だった。
壁のあちこちに活動の様子を撮影した写真が貼られている。
事務局を取り仕切るセンター職員寺内洋子さんが解説してくれる。
寺内「今も後遺症で苦しむサリン被害の方がたくさんいらっしゃる。頭痛、動悸、視力低下、PTSD…しかも年々孤立を深め不安を募らせる方も。<被害者を救うには医師の定期検診を毎年、同じ困難を抱える仲間と一緒に受けられる環境を作ることだ>――そうした理念で事件直後からジャーナリスト磯貝陽悟さんが仲間と共同で立ち上げたサポートグループ活動があったんです。木村弁護士は趣旨に共鳴しNPO法人化に尽力していただき、支援活動がさらに前に進むことになりました」
木村「この活動を通していろんな人と会って話を聞くと、サリン被害者の方はもちろん、オウム真理教事件に関わらざるを得なかった人々の悲しみや思いを我々も共有したいと思った。ご紹介した32の証言からオウム事件とは何だったのかを感じ取っていただきたいと思ったのがこの本を書いた理由だねえ。だってこの事件はいつ自分の身にふりかかって来てもおかしくなかったもの」
■被害者支援活動を通して整理された膨大な被害者名簿
証言を集めるうえで力を発揮したのが、被害者支援活動を通して整理された被害者名簿の存在だ。
センターの事務所には大きなロッカーが設置され、その中には被害者個々人のファイルが、あいうえお順にずらりそろっている。
寺内「毎年検診を受けるたび、受診欄にご自分の肉筆でコメントを書いていただいているんです。こう言う時代ですからそれをExcelかなんかに打ち込んでデータ化するのが合理的なんでしょうが、デジタルでは伝わらない肉筆ならではの情報ってあるんですね。筆圧や字の大きさなどからご本人の身体の状態、こころの状態までもが毎回記録されるんです。サポートする側、というよりも毎年来られるご本人がご自分の変化を把握しやすいと喜んでいただいています」
証言する32人の中には、このファイルには無い人物も登場する。そのうち2名はサリン被害者ではなく加害者側。死刑囚の母たちだ。
一人はサリン製造役元医師中川智正死刑囚の母。もう一人はサリンを撒いた早稲田大学理工学部大学院終了、広瀬健一死刑囚の母。
広瀬の母親の証言はこうだ。
インタビュアー「(広瀬死刑囚は)どんなおこさんでしたか?」
広瀬死刑囚の母「健一は、親にも妹にも優しいいい子でした。高校から大学院と奨学金を取りアルバイトをして親に負担をかけまいとしていました。就職もNECに内定して喜んでいたのです」
■死刑囚の母親や担任教師の証言
これは子をかばおうとする母親の一方的な感想では無さそうだ。
この発言を裏書きするように彼が中学2年生だった当時の担任が通信簿の連絡欄に記した言葉が本に記されている。
担任教諭「~今年、健一君のような級友の面倒見のいい、素晴らしい生徒、学級委員に出会えたことは私にとってとっても幸せなことでした~」
息子・広瀬死刑囚への担任教師からの絶賛は「保護者への連絡欄」をはみ出すほどの分量だ。
早稲田の理工学部は首席で卒業。その後大学院で執筆した、「高温超伝導」に関する論文は「国際的評価さえ受ける」「博士課程に進んでいたらノーベル賞級の学者になっていたろう」。
指導教教官達は手放しで評価したと裁判記録にあるという。
インタビュアー「息子さんの裁判は傍聴されましたか?」
広瀬死刑囚の母「~公判は必ず毎回~息子の裁判で親として証人台に立った時。弁護士から<どうして被告人(息子)はこのような罪を犯すことになったと思いますか>と聞かれ<運が悪かったと思います>と答えてしまいました。このような答えをしてしまったことについて、被害者遺族の皆さんには大変申し訳ないと思っています。本当に運が悪かったのは被害者遺族の皆様なのですから。
それでも息子が麻原の本と出会ってさえいなければ、という思いがあって、そんな浅はかな言葉になってしまったのです。被害者遺族の皆様には重ねてお詫びしたいと思います」
■エリートたちはなぜカルト教団に走ったのか
広瀬健一、中川智正両死刑囚に限らず、木村弁護士が書中でリストアップしてみせた地下鉄サリン事件実行犯の学歴・職歴一覧を見れば明らかなように、教組を除けば、大半は高学歴のいわばエリート達で、特段貧しい家庭に育った者もいない。
「なぜ成績優秀なエリートがカルトにはまる? 予言がはずれ真実が明らかになったあとも妄信し続けるのか?」
木村弁護士も何度もこの問いを発しているが、同じ疑問をジャーナリストの田原総一朗さんが書籍『危険な宗教の見分け方』(ポプラ新書)で、元オウムの広報部長である上祐史浩氏にぶつけている。。
この議論、上祐氏がそもそも「エリートだった」から説得力がある。
早稲田大学高等学院卒業後、早稲田大学から大学院へと進学。終了後は宇宙開発事業団に就職、その後、入信…。
上祐氏は田原さんの鋭い「なぜ?」にこう答えている。
「神秘体験を過大視して客観的な価値を見失った」
上祐氏に限らずオウム入信のきっかけに「神秘体験」を挙げる者が少なくない。
『オウムを生きて』(青木由美子編CYZO)など元オウム信者の「告白本」にもしばしばそのことが語られる。
『サリン それぞれの証』の読みどころの一つは、入信のキーワード「神秘体験」に木村弁護士自らが実験台にもなり、体当たりで鋭く迫る後半部分だ。
■今なお続く若者を取り巻くカルトやテロの脅威
広瀬死刑囚の母が思わず口にした「運が悪かった」についての詳しい事情も「神秘体験」を探求する最終章で報告されている。
広瀬死刑囚「偶然、私は書店で麻原の著書を見かけたのです」「大学院1年の時でした」「読み始めた一週間後ぐらいから不可解なことが起こりました」「~眠りの静寂を破り、突然私の内部で爆発音が鳴り響きました」
これが「素直でいい子で勉強のできる息子」がオウムに走ったきっかけだった。
証言台で息子がなぜオウムに入信したと思うか?と問われた母が「運が悪かった」と言ったのはまさにこのことだった。
「息子が、麻原の本に出会うこと無く、神秘体験と称するものに翻弄されなければ…」。無念の思いが咄嗟に口をついて出たのだろう。
サリン被害者へのサポート活動を続ける理由に、「だってこの事件はいつ自分の身にふりかかって来てもおかしくなかったもの」という木村弁護士。
私はこの本から弁護士のこんなメッセージを聞き取る思いだった。
「家族や、自分たちでさえ、気がついたらカルトやテロに走っている可能性だって無くはない。我々は被害者にも加害者にもなりうる、そんな時代を生きているのではないだろうか」
梶原 しげる(かじわら・しげる)
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーになる。92年からフリーになり、司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員を担当。
著書に『すべらない敬語』『そんな言い方ないだろう』『敬語力の基本』『最初の30秒で相手の心をつかむ雑談術』『毒舌の会話術』『プロのしゃべりのテクニック(DVDつき)』『即答するバカ』『あぁ、残念な話し方』ほか多数。最新刊に『会話のきっかけ』(新潮新書)、『ひっかかる日本語』 (新潮新書)がある。
【詳しくは梶原しげるオフィシャルサイト】へ
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◇ 安田好弘弁護士が語る「麻原彰晃(松本智津夫)裁判のデタラメぶり」
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