心愛さんストレス数値に「過去に事例ない」医師証言
2020/3/2(月) 18:46配信 日刊スポーツ
千葉県野田市の小学4年生栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待され、死亡した事件で、傷害致死罪などに問われた父勇一郎被告(42)の裁判員裁判の第6回公判が2日、千葉地裁で開かれ、司法解剖した千葉大法医学センターの医師が証言した。
心愛さんの死因は飢餓とストレスによるショックとみられるが、医師は「(ストレスを示す数値は)小児科医とも検討したが、過去に事例のないものだった」と明かした。また、胸骨の骨折については「自己転倒では生じない」と語った。勇一郎被告は「骨折を負わせたことは知らない」と主張している。
最終更新:3/2(月) 22:55 日刊スポーツ
◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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「心愛さん 全身に皮下出血」、司法解剖の医師が証言
2020/3/2(月) 17:07配信 TBS News i
千葉県野田市で小学4年の栗原心愛さんを虐待死させた罪に問われた父親の裁判で、司法解剖した医師が心愛さんの全身に皮下出血があったことを明かしました。
2日の裁判では心愛さんを司法解剖した医師が証人として出廷し、遺体の状況について証言しました。
心愛さんは胸の骨が折れていたほか、皮下出血が頭や顔・手足など全身に及んでいて、医師は傷の多くが「自分で転倒した際にはできにくい部位だった」と指摘しました。死因については、「飢餓状態に陥っていて、そこに強いストレスが加わったことにより、急死した可能性がある」と述べました。
勇一郎被告は、心愛さんの遺体の状況説明でも表情を変えることはありませんでした。(02日16:05)
最終更新:3/2(月) 17:07 TBS系(JNN)
◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
「考えが及ばないほどの飢餓とストレス」解剖医語る
テレ朝 NEWS [2020/03/04 06:33]
千葉県野田市で小学4年生だった栗原心愛さんが亡くなった事件で、公判6日目となった2日は心愛さんの遺体を司法解剖した千葉大学の医師が証言した。心愛さんはどんな状況で亡くなったのか、また父親の勇一郎被告側が主張する「心愛さんが暴れた」事実はあったのか。解剖医が語った心愛さんの“最期の姿”とは。
―全身に“あざ”
心愛さんの遺体の状況について、検察側はまず司法解剖の結果を読み上げた。心愛さんは身長145センチ。胸の骨が折れていて、頭や顔、手足など全身に皮下出血が確認された。また、毛髪が抜けている部分もあったという。検察官が資料を読み上げた後、解剖を行った千葉大学の准教授・猪口剛医師が出廷し、検察官や弁護人の質問に答えた。猪口医師は、児童虐待を受けて死亡した子どもの解剖の経験もある法医学者だ。猪口医師は胸の骨の骨折について、亡くなる数週間前に折れた可能性があると指摘した。検察側は勇一郎被告が心愛さんが亡くなる3週間ほど前、心愛さんの胸の骨を折るけがをさせたと主張している。
検察官:「どのように骨折していますか?」
医師:「陥没しているように骨折しています。胸を中心部として観察していますが、胸骨は後ろに向かって陥没するように骨折しています」
検察官:「いつ生じたものですか?」
医師:「周辺をよく見てみると白い靄のようなものが見えます。骨折をした際に修復をするための石灰化、仮骨です。早くても1週間から2週間くらいです。それ以上もありますが、骨折をしたのは数週間前だと思います」
検察官:「加わった力の強さは?」
医師:「正確に数値としては申し上げられないが、かなり強い力が加えられないと生じないと考えられます」
心愛さんは胸の骨が折れたまま、病院にも行けず、自宅で数週間を過ごしていたことになる。猪口医師は胸の骨が折れた状態では「胸の真ん中辺りに痛み」を感じ、「息苦しさも感じることもあったのでは」と指摘した。
―動画で見えた、心愛さんの顔
検察側は、これまでの裁判でも示している心愛さんの動画についても、猪口医師に意見を求めた。勇一郎被告の撮影した動画に映る心愛さんは、左右の目や頬の辺りに皮下出血があった。顔の左側が腫れている映像もあった。猪口医師は、これらのけがを「鈍体の圧迫、打撃しか考えられない」とした。
心愛さんのけがについて、弁護側は「心愛さんが暴れたためにできた」などと主張している。
検察官:「これらの打撲は自己転倒で起こりますか?」
医師:「一般的に、自己転倒で生じるのは体の出っ張った部分です。例えば、ひじ、ひざ、肩、おでこ、鼻、頬の出っ張り付近にできやすいと。目の周りや頬では自己転倒では生じにくい」
―「考えが及ばないほどの飢餓やストレス」
心愛さんは遺体の状況から病死の可能性は低く、急死したとされている。死因は断定されていないが、2つの可能性が指摘された。
1つ目は「飢餓やストレスによるショックまたは不整脈」だ。体内で糖が欠乏するとケトン体という物質が増える。猪口医師は心愛さんのケトン体の数値が異常に高かったと指摘した。心愛さんの数値は8351に達していたという。数値が高い原因が飢餓とストレスなのかを尋ねられると、こう証言した。
医師:「小児科の領域では同じようなことはある。飢餓とかストレスとか。小児科の医師に相談したところ5000まではあるが、8000は見たことがないと」
検察官:「飢餓とストレスだけで(値が)上昇し得るものか?」
医師:「原因として飢餓とストレスしか考えられないような状態。日常では生じえない、考えが及ばないほどの飢餓やストレスがあったのではないか。非常に高いストレスではないかと考えられる」
心愛さんの胃の中に食べ物は残っていなかった。母親の証言では、心愛さんは亡くなる2日前の夕食を最後に食事をしていない。
2つ目は「溺水」だ。心愛さんの肺には水が入っていた。肺のレントゲンなどから、溺死した人と同じ所見があったという。猪口医師は「相当の水量のシャワーで意識障害が起きていた」とも指摘した。
検察官:「心愛ちゃんがいつ亡くなったのかについて。これまでの証拠によると、午後11時16分に救急隊が到着しています。死後硬直や死斑がありました。どれくらい前に死亡したと考えられますか?」
医師:「硬直の程度や死斑を見ないと厳密には分からないが、(死後硬直などが始まるのは)一般的には1時間半から3時間程度かかるといわれています」
勇一郎被告は心愛さんが亡くなった後、いつ通報したのか。これまでの裁判で、心愛さんの母親は風呂場から「ドン」という音がした後、勇一郎被告に呼ばれて風呂場に行くと心愛さんが倒れていたと証言している。
心愛さんはどんな状況で亡くなったのか。また、勇一郎被告は通報までの時間、何をしていたのか。娘の変わり果てた姿をどんな気持ちで見たのか。心愛さんの最期を知るのは勇一郎被告しかいない。4日からは被告人質問が始まる。
(DV・児童虐待問題取材班)
◎上記事は[テレ朝 NEWS]からの転載・引用です
「ママー助けて、お願いママ」何度も助けを求めた心愛さん 証人出廷の母親が娘の死後にみせた異常な表情 千葉小4虐待死公判
村田 珠里 2020/03/01
source : 週刊文春デジタル
genre : ニュース, 社会
千葉県野田市で小学4年生だった栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待死したとされる事件。傷害致死罪などで起訴されている父親の勇一郎被告(42)に対する裁判員裁判が千葉地裁で開かれている。その中で、2月26、27日、心愛さんの母親(33)も証人として出廷し、証言した。
母親は昨年6月、勇一郎被告の虐待を制止しなかったとして、傷害幇助罪で懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の有罪判決が言い渡され、確定している。これまで、母親は勇一郎被告からのDV(ドメスティック・バイオレンス)を受け、やむを得ず心愛さんを助けられなかったとされてきたが、今回の裁判で母親も虐待に加担する様子が明るみに出た。
死亡3週間前の動画で「あんたに振り回されて、なんにもできない」
裁判では、勇一郎被告が撮影したとみられる心愛さんを虐待する動画が証拠として提出され、裁判員に示された。そのひとつは心愛さんが亡くなる約3週間前の昨年1月5日に撮影された動画。自宅リビングで心愛さんが両親の前で「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣いている。
「いいかげんにして。『立って』って言ってんだけど。座ってくださいとは言ってないよね。私もパーパ(勇一郎被告)もやることあるんだけど。あんたに振り回されて、なんにもできないし、どこにも出かけられない」
勇一郎被告とともに心愛さんを厳しく責めているのは母親だった。心愛さんは両親に土下座をさせられた。
母親は沖縄県出身。勇一郎被告とは2度結婚している。県内で就職し、同じ職場の勇一郎被告と交際し2008年2月22日に結婚。9月22日、心愛さんを出産したが、間もなく産後うつになって実家に戻った。被告とはそのまま別居状態が続き、心愛さんが3歳になった11年10月27日に離婚が成立。だが、16年7月ごろに母親から勇一郎被告に連絡を取り、再び交際。初めの結婚記念日と同じ19年2月22日に再婚した。次女の妊娠はすでに判明しており、6月15日に出産。現在は離婚協議中という。
栗原家の嫁として認められていなかった
母親は被告の両親や妹から栗原家の嫁として認められておらず、事件前、自宅アパートから心愛さんを近所にある実家にたびたび送るなど、行き来はあったにもかかわらず、母親が中へ入ることは許されていなかった。被告の父親は「会話らしい会話はしたことがない」という。
母親の証人尋問は2月26、27日の2日間行われた。両日とも、被告や裁判員らがいる法廷には姿を見せず、別室と映像、音声でつなげる「ビデオリンク方式」で証言した。母親は心愛さんが受けた虐待について、「心愛のためにすべて話したい」と詳細に話した。
夫婦はLINEで「プールはやめたほうがいい」「私もそう思った」
心愛さんが小学4年生だった18年7~8月、勇一郎被告は毎日のように心愛さんを虐待し、心愛さんの体はあざだらけだった。法廷では当時の夫婦間のLINEのやり取りが開示された。たとえば7月12日のやり取りでは、心愛さんのあざを学校にバレないようにするため、学校を欠席させるか話し合っている。
勇一郎「あー明日学校どうする?」
母親 「まだあざがあるけど」
勇一郎「今週は休ます?」
母親 「そのほうがいいと思うな」
母親 「学校行かせるのほんと心配なんだけど」
勇一郎「まあ今週休ませて、月曜の状況見てじゃない」
また、23日にも、こんなやり取りをしている。
勇一郎「プールはやめたほうがいいよ」
母親 「私もそう思ったから、みーちゃん(心愛さん)には行かないほうがいいよと伝えた」
学校に行かせても、肌の露出が多いプールの授業は見学させている様子が明らかになった。
夜通し立たせ、座り込んだ子供を持ち上げて落とした
心愛さんが死亡する直前の18~19年の年末年始、勇一郎被告の虐待は加速していった。1月1日には、心愛さんを前日夜から寝させずに夜通し立たせた。朝になって座り込んでしまった心愛さんの両腕を引っ張って持ち上げ、そのまま落として床に打ち付ける暴行をした。心愛さんはこの暴行で、胸骨を骨折したとされる。
この日、虐待を見ていた母親は勇一郎被告を制止しようと「もうやめて。あなたのやってることは虐待だよ」と被告に伝えたが、結局、「お前は何もわかってない」と胸ぐらをつかまれ、床に押し倒され、馬乗りになられ、そばにあったひざ掛けを口に押し込まれたという。
母親は「少し笑みを浮かべているように見えた」
心愛さんの小学校は冬休みが終わり、7日から再開したが、あざがひどく通わせられず、寝室に閉じ込めるようになった。勇一郎被告が会社に行っている間、母親は心愛さんの様子をLINEで報告。「また自分から飲み物くださいって」「しかも『甘いものない?』とか。まじでお前何様か。むかつくね」などと一変、勇一郎被告の虐待に同調していた。
結局、心愛さんは24日午後11時ごろ、自宅浴室で亡くなった。勇一郎被告の通報で野田市の自宅アパートに警察や消防が駆け付けた。体や洋服が濡れた状態で風呂場に倒れていた心愛さんはすでに死後硬直が始まっていた。
勇一郎被告が警察に屋外で事情を聴かれる間、救急隊員は母親に心愛さんが亡くなった状況を聞いた。「なぜお子さんは濡れているんですか」。救急隊員が問うと、母親は「私は下の子を寝かせていたので、わかりません」と話したが、救急隊員の供述調書によると、その際、母親が「少し笑みを浮かべているように見えた」という。聞いていた他の隊員に目配せすると、やはり異常な表情に疑問を感じていたようだったという。
「勇一郎の監視や束縛でどうすることもできなかった」
母親は証人尋問で、検察官になぜ心愛さんを助けなかったのか、警察や児童相談所に通報しなかったのか問われると、「心愛を助けてあげたかったが、勇一郎の監視や束縛が強くてどうすることもできなかった」と繰り返した。また、勇一郎被告の虐待に同調した理由についても、「言い訳になるかもしれませんが、次女の世話もありながら、毎日のように勇一郎が心愛に虐待するのを見て、私は正直限界でした。その気持ちを心愛に向けてしまった」と述べ、「とても後悔しています」と涙を流した。
勇一郎被告の携帯電話から見つかった動画には、被告から虐待される心愛さんが「ママー助けて、お願いママ」と母親に何度も助けを求める様子が映っていた。だが、母親が救いの手を差し伸べることはほとんどなかった。
もっとも近くで虐待を見ていた母親にも助けてもらえず、しまいには父親に同調して虐待された心愛さんの絶望はどれほどだったか。DVを受けていたとはいえ、母親の罪は重いだろう。
◎上記事は[文春オンライン]からの転載・引用です *強調(=太字)は来栖
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* 野田女児 虐待死 第5回公判 2020.2.28 心愛さん、父からの暴力を担任教諭に泣きながら訴えた 母親も虐待に加担
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