安全保障論議について、いま一度考える。集団的自衛権行使を認めるほうが、はるかに合理的、かつ国益にかなう
現代ビジネス 2015年06月15日(月) 高橋洋一「ニュースの深層」
いよいよ国会は、今月24日までだが、延長される予定だ。常識的には、8月のお盆前までだが、安保関連法案などの重要法案があるために、延長幅も争点になってくる。
14日、安倍首相と橋下市長が会談したが、維新の党が安保関連法案でどの程度の協力が得られるのかも、延長幅に大きく関連してくるだろう。強行採決なしで、いかに安保関連法案が今国会で成立するのか、維新の党の対応如何である。
■日本の憲法学者の理屈は、世界では通用しない
これまで本コラムでは、幾度も安全保障について書いてきた。それを簡単にまとめると以下の通りである。
人類はこれまで何度も戦争をしてきた。それは先に攻撃すると有利だからだ。それを思いとどまらせるためには、猛烈な反撃をするといい。その反撃が有効であるような用意をしなければいけない。これは、えげつない論理であるが、国際関係ではリアルな論理だ。
この観点から、どこの国でも固有な権利として自衛権をもつのは、疑いない。憲法学者の中には自衛隊も違憲であると公言してはばからない人もいるが、日本の中では多数であっても、世界ではまったく少数である。
憲法学者は、国際情勢や国際法をあまり考えない人が多いのだが、その中にも、自衛権のうち個別的自衛権がいいが、集団的自衛権はダメという人もいる。世界では、自衛権を個別はいいが集団はダメとは分けてはいない。国内法でも、自衛権と同じような正当防衛では、自分のためと他人のためを峻別していない。
世界の中で、安全保障条約を結んでいて、集団的自衛権を行使できないといったら、一笑に付されるだけだ。そもそも、集団的自衛権の行使をしない国があれば教えてもらいたいほどだ。
また、日本の憲法の平和規定に似たものは他の国にもあり、それを侵略戦争をしないが、攻められたら反撃すると普通に解釈すれば、ゲーム理論的にも合理的な平和戦略になる。それは相手国を戦争する気にさせないという意味で、平和に貢献するのだ。
■「民主平和論」の権威から学んだ国際政治のリアル
日本の周辺国が日本のような平和憲法ばかりであれば、かなり平和が実現するだろう。しかし、現実には、中国や北朝鮮は違う。
筆者はプリンストン大学時代に国際関係論をマイケル・ドイル教授から学んだが、彼は、民主主義国間では戦争は起こらないという民主平和論(democratic peace theory)の世界的権威だ。日本は民主主義国であるが、中国や北朝鮮は違う。
中国は憲法によって国家権力はコントロールされる立憲主義国でもないし、憲法に平和条項もない。国家を指導するのは中国共産党であり、人民解放軍は中国共産党の軍隊である。
そうした国と対峙していくとき、日本が立憲主義国であることを強調しても、国益にならない場合もある。
憲法学者の安全保障論は、相手国も立憲主義国であることが暗黙のうちに仮定されているようで、とてもリアルなものではない。
そして、反撃の代償をあらかじめ相手国に知らせておくことは、極東の安全保障のためにも重要だ。そのために、個別的自衛権だけではなく集団的自衛権も必要になってくる。それは、最近の国際情勢の変化のためだ。
そもそも、個別的自衛権より集団的自衛権のほうが安上がりだ。今の日米安保を日本のみで賄えば、防衛費は5兆円から4倍増の20兆円以上になるだろう。しかも、抑止力は、個別的自衛権より集団的自衛権のほうが強力だ。
こうした理由により、集団的自衛権のほうがより安全になるわけだ。しばしば集団的自衛権の行使の場合、自衛隊のリスクが高まるというのは、万が一にも紛争に巻き込まれる場合における「条件付き確率」であって、集団的自衛権により紛争に巻き込まれる確率が下がるので、「条件なしの確率」でみればリスクは少なくなる。
■アメリカは助けてくれない
また、アメリカはいつまでも「世界の警察官」であると誤解していると、今のままの「日米安保+集団的自衛権行使なし」でいいではないかという「甘え」もでてくるが、すでにアメリカは「世界の警察官」ではない。
尖閣諸島の歴史をみれば、アメリカ軍の射爆場が近くにあることなどから、日米安保の対象は当然であるが、先の安倍首相とオバマ大統領の日米首脳会談まで、はっきり明言しなかった。
今のアメリカは、民主主義の同盟国で相互主義的な安全保障関係の国しか守る意思がない。日本が集団的自衛権を行使しないといったら、アメリカも助けてくれなくなる。以上のことは、先週の本コラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43645)などでも書いた。
もっとも、正直にいえば、アメリカが「世界の警察官」で、日本が一方的に守られるはずという甘えがあるのは否めない。
時事通信社が5~8日に実施した世論調査によれば、安保関連法案について、「廃案」12.0%、「今国会にこだわらず慎重に審議」68.3%、「今国会で成立させるべきだ」13.6%という結果だ。一方、集団的自衛権の限定容認が日本の安全保障に必要かについては、「必要」46.8%、「必要ない」37.4%だった。
集団的自衛権は必要とわかっているが、今すぐではなくてもいいだろうという「甘え」もある。
国会を延長する予定なのだから、しっかり時間をとって国民に説明したらいい。その場合、正直にいえば、戦後アメリカが日本の軍備を最小限にしてきたのは、アメリカの都合である。それをこれから続ければ、その利益者は中国や北朝鮮である。そして、民主平和論からみれば、日本が中国から攻められて国益を失う可能性があるというのがリアルな話だ。
■最終的には最高裁が判断すればいい
実際、南シナ海への中国の侵出は、アメリカが「世界の警察官」をやめるといった後からの行動だし、日本への尖閣列島のほか、排他的経済水域にもしばしば進出しているところだ。国会では、憲法論より、こうしたリアルな国際情勢を説明すべきだ。国会で時間をとった後は、しっかり採決すればいい。
安保関連法制について、違憲であるという人々が持ち出すのは立憲主義である。筆者も国際法や国際関係論を書くと、歴史認識がない(どこかの国の批判と同じ・笑)とか、立憲主義を知らないというステレオタイプの批判を受ける。
立憲主義でない国のことで国際関係でも問題になっているのに、日本だけ必要以上に立憲主義を言い、自衛権にすぎない集団的自衛権を制限するのは国益に反するのではないか。普通の立憲主義はもちろん認めるが、集団的自衛権の行使まで否定する立憲主義は他の国であるのか。
もし立憲主義をいうのであれば、その中で違憲立法審査権が重要なものであることは万人が認めるところだろう。それを尊重するのであれば、国会はあくまで法律を作ることであり、できた法律が違憲かどうかは、最終的には最高裁の問題だ。
憲法81条は「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」とある。
安保関連法案は、粛々と国会で審議し、違憲かどうかは司法に委ねるのが立憲主義であろう。奇妙な審議拒否で貴重な時間を使わず、しっかり議論して、司法の場で問題になった場合に、有益な情報提供をすることが、国会議員の最低限のつとめではないか。
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